柳田国男 こども風土記

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 大人から子どもへ
 
 
 児童に遊戯を考案して与えるということは、昔の親たちはまるでしなかったようである。それが少しも彼らをさびしくせず、元気に精一ぱい遊んで大きくなっていたことは、不審に思う人がないともいわれぬが、前代のいわゆる児童文化には、今とよっぽど違った点があったのである。
 第一には小学校などの年齢別制度と比べて、年上としうえの子どもが世話を焼く場合が多かった。彼らはこれによって自分たちの成長を意識しえたゆえ、よろこんでその任務に服したのみならず、一方小さい方でも早くその仲間に加わろうとして意気ごんでいた。この心理はもう衰えかけているが、これが古い日本の遊戯法を引継ひきつぎやすく、また忘れがたくした一つの力であって、御蔭おかげでいろいろの珍しいものの伝わっていることをわれわれ大供おおどもも感謝するのである。
 第二には小児の自治、かれらが自分で思いつき考えだした遊びかた、物の名や歌ことばや慣行の中には、何ともいえないほど面白いものがいろいろあって、それを味わっていると浮世を忘れさせるが、それはもっと詳しく説くためにあとまわしにする。
 第三には今日はあまり喜ばれぬ大人おとなの真似、小児はその盛んな成長力から、ことのほか、これをすることに熱心であった。昔の大人は自分も単純で隠しごとが少なく、じっと周囲に立ってつめていると、自然に心持こころもちの小児にもわかるようなことばかりをしていた。それに遠からず彼らにもやらせることだから、見せておこうという気もなかったとはいえない。共同の仕事にはもとは青年の役が多く、以前の青年はことに子どもから近かった。故に十二、三歳にもなると、子どもはもうそろそろ若者入りの支度をする。一方はまたできるだけ早く、そういう仕事は年下とししたの者に渡そうとしたのである。今でも九州や東北の田舎いなかで年に一度の綱曳つなひきという行事などは、ちょうどこの子ども遊びとの境目さかいめに立っている。もとは真面目まじめ年占としうらないの一つで、その勝ち負けの結果を気にかけるくせに、夜がけてくると親爺おやじまで出てくが、よいのうちは子どもに任せて置いて、よほどの軽はずみでないと青年も手を出さない。村の鎮守ちんじゅ草相撲くさずもうぼんおどりなどもみなそれで、だから児童はこれを自分たちの遊びと思い、のちにはそのために、いよいよ成人が後へ退いてしまうのである。
        
 
         
〔つづく〕
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