柳田国男 こども風土記

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 鳥小屋の生活
 
 
 正月はむしろ子どもには多忙な月であった。食べねばならぬし、遊ばねばならぬし、そのほかにさらに頼まれてする仕事がもとは幾つともなくあったのである。そういう中でも※(「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1-94-84)もぐら駆除のなまこ引き以上に、もっと子どもが大悦おおよろこびで引きうけた役目は鳥追とりおいで、その日の面白さは、白髪しらがになるまで忘れずにいる者が多いのである。その理由の一つは、どんな大きな声で耳の割れるほどわめいてもよかったこと、それから今一つは子どもばかりで、二夜も三夜も屋外の仮小屋かりごやに、親を離れて寝起ねおき飲食するということであった。やなぎ白膠木ぬるでの木を削っていろいろの飾りをつけた祝い棒がこのために銘々めいめいに与えられる。それでたんたんと横木をたたいて、心まかせに鳥を追うことばとなえるのが、いわゆる鳥小屋の生活であった。それ故にこの小屋をまたワアホイ小屋・ホンヤラ堂などというたぐいのおかしな名で呼ぶ土地が多いのである。ワアホイはもちろん鳥を追い散らすおどしの声、ホンヤラも後から駆り立てる声だったとみえて、二月・十二月の風の神送りなどにも、こういうはやしを用いている例がある。ただ正月の雪の中では、まだ駆逐すべき害鳥が眼の前にはいないのだから、当の本人たちがかえって言葉の意味を理解せず、今はもうむやみに興奮して騒ぐだけになっているのである。
 村の鳥追いの詞は誰が考えだしたかしらぬが、よほど古くから今あるものが行なわれていた。それを少しずつ子どもはまちがえて歌うのだが、
 

朝鳥ほほほ 夕鳥ほほほ
長者どのゝ垣内かくち
鳥もないかくちだ
やいほいばたばた

 
 こういった文句が東北には広く分布する。そうして現在でもやはり朝早くと、日の暮れ方とにはことに大声でわめくことになっている。山形県の海岸一帯から越後えちご粟生島あわふじまあたりにかけて、この「夕鳥」をまたヨンドリほいともうたい、それで小児が手に持つ木の棒を、ヨンドリボウと呼んでいる土地がある。名前は土地ごとにというほども変っているが、日本全国どこのすみに行っても正月はこの棒を持たぬ子どもはなく、しかも鳥追い以外にもこの棒の大きな力は、一般に今なお承認せられており、それで彼らはまた正月の任務を欣々然きんきんぜんとして引受けていたのである。
        
 
         
〔つづく〕
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