ゴリオ爺さん バルザック

2016/10/29

ゴリオ爺さん
Le Pere Goriot
バルザック Honore de Balzac
中島英之訳
 
 

 
 

偉大にして高名なジョフロワ=サン=ティレールに献ぐ
その業績と天才への私の歎賞の証として

ド・バルザック
 
 
 
 
 
 
 一 ある下宿館
 
 ヴォーケ夫人、ド・コンフラン家の生まれの老婦人で、四十年来パリのネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通[1]で賄い付きの下宿をしっかりと営んできた。そこはカルチェ・ラタンとフォーブール・サンマルソーの中間にあった。この下宿はメゾン・ヴォーケの名で知られ、老若男女を問わず等しく受け入れてきた。誹謗中傷がこの立派な施設の品性を傷つける様なことは一度もなかった。その一方で、ここでは三十年来、若い女性の姿はついぞ見かけられなかったし、若者で長く居ついた者もなかったので、ここの住人達はおのずから、この下宿の雰囲気を寂しげなものにしてしまっていた。とはいえ、この物語が始まった一八一九年のことだが、貧しい若い女性も一人、下宿人の中に混じっていた。悲劇が全盛の現代文学では、物語の中で過剰な、あるいは、乱暴な言葉が濫用され過ぎるとの不評をこうむる作品が多いが、私もここでは不評覚悟で、そうした手法を用いる必要がある。この物語は写実的言葉による展開の盛り上がりによるのではなく、衝撃の結末によって、恐らくパリ城壁の内外で人々の涙を誘うことができるだろう。私が敢えて使うこの手法は、しかし、パリ以外でも理解されるだろうか? 疑問は残るが。さてこの物語の舞台となる場所をあれこれと観察し固有色を用いて説明しても、せいぜいモンマルトルの丘からモンルージュの丘に至る辺りの住人くらいにしか共感を得られないだろう。まるで谷間のようなこの地域ときたら、壁土はいつ崩れてもおかしくないし、溝は泥で真っ黒な色をしている。この谷間は本当に苦しみに満ち、喜びはしばしば間違いだったりする。そして恐ろしく差し迫った用事があるのだと言い立てても、感覚が麻痺したようなこの地では新たな興奮を呼び起こすのは容易ではない。しかしながらこの地域では、ここかしこに悲しみが満ち溢れているため、悪徳と美徳の密集地帯が巨大で崇高な存在になっている。想像を絶する惨状に、人々の利己主義や打算も一時停止して、しばらくは同情を寄せることもあろう。しかし、人々が最初に抱いた印象すら、美味しい果実のようにたちまちむさぼり食われて、跡形もなく消えてしまうのがおちなのだ。インドのクリシュナ神像を載せた山車と同じように、パリの華やかな文明を積んだ戦車は、人を踏み潰すことをためらい、しばし停車することはあっても、結局は弱者を粉砕しつつ栄光へ向かって前進を続けるのだ。読者諸兄よ、貴方は戦車に乗る人なのだろうか? そう貴方、この本を真っ白い手に取って、深々とした肱掛椅子に沈みこんで、貴方は言うのです。こいつは面白そうだな、ってね。ゴリオ爺さんの不幸せな秘話を読んだ後、旺盛な食欲で夕食を済ませ、貴方の感覚の鈍さを作家のせいにし、大袈裟な表現に罰金をかけ、詩情を欠くという点で作家を非難する。あー! 察してくれたまえ。このドラマは作り話ではなく小説でもないのです。総て実話で真に迫っているので、誰もが自分の中に、恐らくその心の中に、作中人物の分身を見出すにちがいないのです。
 賄い付き下宿として運営されているこの館はヴォーケ夫人が所有していた。館はネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りの低地にあったが、この場所がラルバレート通り辺りから急な荒れた坂を下った所になるので、馬がここを上がったり下がったりすることは余りなかった。この環境はヴァル・ド・グラスの丸屋根とパンテオンの丸屋根に挟まれた窮屈なこの通りを支配する静けさをもたらしていた。二つの記念碑的丸屋根は近辺に黄ばんだ色を投げかけ、また丸天井は厳しい色調の意匠が凝らされ、全体を暗く包み込むことによって、すっかり周辺の雰囲気を変えてしまっていた。その辺りは、舗道は乾き、溝には泥もなければ水もなく、草は壁の高さにまで伸びている。最も楽天的な人間もここでは他の通行人同様に悲しくなり、馬車の音がここでは騒ぎとなり、家々は軒並み陰鬱で、城壁もまるで牢獄のように感じられる。もしパリっ子がここで道に迷ったとしたら、目にするのは高級下宿屋か学校、悲惨さか倦怠感、老人が死にかけているか、あるいは陽気な若者が仕方なく働いているか、そんな光景だけだろう。パリのどの区域だって、ここほどひどいところはないし、はっきり言って一番知られていない場所なのだ。ネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通は至る所、まるで鈍色の空気に浸ったような街だし、この物語にぴったりはまる唯一の場所なのだ。ここにセピア・カラーや深遠な思想をどんなに一生懸命ほどこしたところで、知性を溢れさせるのはなかなか難しい。ここでは日の光が段々と衰え、案内人の声も妙に空しくこだますので、初めての旅行者はまさにあのカタコンベ[2]に降りてゆく気分にさえなってしまう。そうだ、こんな比較はどうだろうか! ひからびた心臓、それとも、空洞となった頭、貴方にとって見て恐ろしいのはどちらだろう? 私に教えてくれ給え。
 この下宿の正面は小さな庭に面している一方、建物とネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通とは直角をなすかたちとなっていて、館の裏側断面を通から眺めることが出来た。正面入り口の前面に六フィート幅の砂利の空間があり、それと庭に挟まれて砂利の通路が走っていた。通路の脇にはゼラニウム、夾竹桃や柘榴が植わった青や白の陶器の大鉢が並んでいる。この通路には中門を通って入るのだが、その上には表札が掲げられていて、〈メゾン・ヴォーケ〉と書かれ、更にその下には、〈賄い付き高級下宿、男女その他歓迎〉とも書かれている。日中はけたたましく鳴る呼び鈴が取り付けられた透かし戸を通してメゾン・ヴォーケの外に目をやると、道路の反対側にカプチン病院[3]が見え、近所に住む芸術家によって緑の大理石に愛をテーマにした絵が描かれたアーケードを見ることが出来る。引っ込みの奥には絵と着想を同じくしたキューピッドの彫像が立っている。そこに釉薬の剥がれたあとを見ると、象徴好きの者は、パリジャンの愛の神話、業病からの何がしかの回復といった物語を連想するのだった。彫刻の台座の下部には半ば消えかけた記銘があり、それはある時代、パリに入ったヴォルテールの情熱がほとばしるのを見ることが出来たあの一七七七年時代を想起させた。

人なべて知れ
汝の主はキューピッドぞ
彼は主なり かつて主なりき
なお主たるべし

 夜になると透かしが閉じられて見透しは遮られる。小庭は建物正面の幅と同じくらい奥行きがあり、道路の壁と隣家との共同壁に囲まれ、共同壁にはキズタが外套のように生い茂っていたので、隣家は完全に隠されていた。その様はパリの絵画的情景として通行人の目を引いていた。それぞれの壁は果樹棚や葡萄棚に遮られていて、そこで実るひょろ長くて埃っぽい果実はヴォーケ夫人とその下宿人達との会話で毎年関心を集める主題なのである。長い城壁は狭い散歩道に沿って菩提樹の木陰にまで続いている。コンフラン家出のヴォーケ夫人は菩提樹ティユル(tilleul)のことを住人から文法的に注意されたにもかかわらず、あくまでもティユーユ(tieuille)と発音していた。二本の側道の間に朝鮮アザミの四角い花壇があって、その横には紡錐形に刈り込んだ果樹があり、更にまた、カンポ、レタス、あるいはパセリが周りに植わっていた。菩提樹の木陰には緑色の丸テーブルが置かれ、周りは椅子が取り囲んでいた。そこでは、酷暑の日には、会食者達は遠慮なくコーヒーを飲めるのをいいことに、卵を孵えしてしまうような暑さの中を、それを賞味しにやってくるのだった。建物正面は四階からなり、二重勾配屋根を載せていた。そして小さな切り石と塗装でもって、パリのほぼ総ての家屋に卑しい性格を与えているあの黄色い色を施していた。各階に付いている五つの窓には小さな窓ガラスがはまっていて鎧戸が付いている。そのどれもがまちまちに上げ下げされていたので横の線が相互に調和しない印象を与えていた。この家の一階の奥の方には窓が二つあって、装飾的な鉄格子が付いている。建物の裏には約二〇フィートの長さの庭があり、そこに豚、雌鳥、兎などが仲良く暮らしていて、その端っこには倉庫があって材木がしまわれていた。倉庫と台所の窓の間には食糧貯蔵箱が置かれていたが、その下には台所の流しから出た脂染みた水がこぼれ落ちているのだった。この裏庭はネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りに向けて狭い戸口があって、料理女はその汚い場所から悪臭を消すために大量の水を使って、家中のごみを外へ追い出していた。
 当然、高級下宿としての発展を目指して、一階にはいわゆる最高の部屋を備えていた。その部屋は道路側の二つの窓のおかげで明るく、両開きのフランス・ドアから入れるようになっていた。この広間は食堂に通じていて、更に食堂と台所に挟まって階段室があった。木と化粧板の階段の塗装は一部剥げ落ちていた。さて先に述べた最高の広間だが、そこの家具の肱掛椅子や椅子がくすんだ色と輝く色が代わる代わる縞をなしている植物繊維の材料で出来ているのを見ることほど物悲しいものはない。中央にはサンタネ大理石の上に丸テーブルがあって、白い陶磁がこの喫茶室を飾っていたが、今では館内至る所に見られるように、少量の金の縁取りは半ば剥げ落ちているのだった。この部屋はとてもまずく床板が張られたり、内壁面の上方の漆喰もうまく塗られたとは言えない状態だった。館内には仕切り壁が一杯あったが、それらは“テレマック”[4]の主要場面を絵に描いた紙で覆われていたが、そこには古典文学の登場人物が色とりどりに描かれていた。網を張ったガラスの入り口のパネルには、ユリシーズの息子を饗応するカリュプソ[5]を描いた絵が下宿人達の目を引くようになっている。四十年来この絵は若い下宿人達のふざけ気分を刺激してきた。彼らは自身を嘲弄しながらも自分はこの場所にいるよりも優れた人間であると考えるのだったが、貧しさのためにここで夕食をとることを余儀なくされているのだった。石造りの暖炉の前で、この館の人たちは大きな行事でもない限り、火の燃えようが適度なものかどうかをいつも調べていた。模造の古びて閉じ込められたような花でいっぱいの花瓶が二つ飾られ、更に趣味の悪いことに青味がかった大理石の置時計も側に置かれていた。この最高位の部屋は言葉では言えない一種の香りを放っていて、それは下宿屋の香りとでも言うべきものだった。それはこもった様な、カビが生えたような、古びた悪臭の様な匂いだった。それは寒々とさせ、鼻には湿っぽく、服の中にまで染みとおる。そこはかつては皆で夕食をとっていた広間だったという気配が残っている。しかし、そこは仕事場にも事務所にもなり得る部屋でもあるのだ。もしも感冒やその類の病の初期、あるいはもう吐き気を催すほどに進行した時期に、ここの下宿人達、若い者もいれば老人もいたが、が、それぞれに吐き出す病原菌の量を測定する装置が発明されていたとしたら、恐らくこの部屋のひどさが如実に示されたに違いない。ところがである! ありきたりの嫌悪がこの部屋から感じられるのだが、もし貴方がこの部屋を隣接している食堂と比べてみたとしよう。貴方はこの広間をまるで閨房の様に優雅で芳香に満ちていると感じるに違いない。食堂は全部板張りで、かつて何色で塗られていたのか、今では見分けがつかなくなっていたが、その塗装の上には何層もの汚れが染み付いて奇妙な模様を描いている。前面には油染みた食器が並んでいて、その上には切れ込みの深いくすんだ色の水差し、金属の波型模様の入った丸い容れ物があり、縁取りが青くトルネ産の分厚い陶器皿が積み重ねられている。一隅には番号の付いた仕切りのある箱が置かれ、そこには各下宿人のしみが付いたり、あるいはワイン色に染まったりしたナプキンを保管するようになっていた。この手の不滅の家具、至るところで廃棄されつつあるのだが、それがここでは病院における文明の遺跡といった風情で残っているのに出会うのだ。貴方はそこに雨の日にはカプテン僧人形が飛び出す仕掛けの晴雨計や全くひどい完全に食欲を失わしめるような版画が黒いニスにわずかな金をあしらった額縁に収まっているのを目にする。銅版画をはめ込んだ鼈甲色の縁飾りの付いた掛け時計。緑色のストーブ、埃が脂とくっついているアルガン製のキンケ灯、ひどく脂染みた防水布のカバーをかけた長いテーブルは、医学生等が食事をする時だけここを利用できるように登録するという独自の方法をとっている。どこかが欠けた椅子、アフリカハネガヤ製の粗悪品だが衰えを見せず今日ではよく使われている小さな玄関マット、そして木材が焦げてしまう限度調整に失敗して穴が開いているのが惨めたらしい行火。ここの家具がいかに古くて、ひびが入り、腐って、ぐらぐらして、蝕まれていて、障害があって、片目で、使い物にならなくて、期限切れであるかを説明するためには、この物語への興味を大いにそぐ様な叙述が必要だろうけれども、誰もがそれはもう沢山だ、要らないと言い張ることだろう。赤い化粧板はこすれたり色が付いたりして出来た谷でいっぱいになっていた。ついにはそこも詩情のない惨めさだけが支配していた。それは倹約家の内向的な擦り切れた服の惨めさだった。たとえそれがいまだ汚濁というほどでないにしても、しみはいっぱいあった。たとえそれが破れたり、襤褸切れになったりしていなくとも、やがては腐敗し崩れてゆくことだろう。
 この部屋は朝七時頃が一番輝いて見え、ヴォーケ夫人の猫が夫人の先に立って入ってくる。猫は食器棚に飛び乗ると棚の上に載った幾つかの椀に入ったミルクを嗅ぎ、朝のおねだりを始める。やがて寡婦が姿を現す。ヴェール付きの縁なし帽の異様な姿で、其の下には不恰好なかつらの一部が垂れ下がって、彼女はスリッパを引きずって顔をしかめて歩いていた。彼女の顔は年寄り染みて、ぽっちゃりしていて、その真ん中にオウムの嘴のような鼻が突き出していた。むっちりした小さな手をした彼女の姿は教会の鼠の様に丸々として、彼女のブラウスは大きめに作っていたので、だぶだぶで、この部屋がかもし出す不運、あるいは実りなき山っ気などに良く釣り合っていた。そしてヴォーケ夫人はひどく臭いこの部屋の空気を吐き気を催すこともなく吸い込むのだった。秋になると彼女の姿は初霜のように生き生きとなり、彼女の目は皺が寄っていて、そこには踊り子が作る微笑があったと思えば、手形割引業者の苦々しいしかめっ面に表情が移り変わるのだった。つまりは、彼女の容姿は総てこの下宿屋を説明しているのであり、それはあたかもこの下宿屋が彼女という人物を内包しているのと同じようなことなのである。徒刑場と看守は切り離せない、貴方は一方を他方から離しては想像も出来ない。この小柄な女性の肥満した青白さはさながらチフスが病院の発する臭気の結果であるように、彼女の人生が生み出したものだ。彼女のウール織りのペチコートは彼女のお気に入りのスカートからはみ出していた。そのスカートは昔作った服と対になっていたのだが、服の材料に亀裂が入って出来た裂け目から綿が少し顔を出していた。この服が広間や食堂や小庭の概略を語り、料理を知らせ、下宿人達のことを想像させてくれる。彼女さえそこにいれば、ここの光景は完璧になる。年齢五十がらみのヴォーケ夫人は、過去に数々の不運に出会ったことのある女性の総てと共通したものを持っている。彼女はどんよりした目を持っていて、女を最高に高く売りつけるために声を荒げてしまうやり手婆にあるような無邪気さを持っていたが、しかし、自分の境遇を和らげるためなら何だってする女性だった。もし大革命期の王党派で逃亡を続けていたジャルジュあるいはピシュグリョ[6]に彼女が遭遇したとしよう。彼等がやり手婆の商売を密告しようなどとする前に、彼女の方からお先に彼らのことを密告してやるくらいの気構えを彼女は持っていた。とはいえ、彼女は根は良い人だと下宿人達は言っていた。彼等は彼女が愚痴をこぼしたり咳払いしているのを聞いて、彼等と同様に資産のない人だと考えていた。夫のヴォーケ氏とはどんな人だったのだろうか? 彼女は故人については決して語ろうとしなかった。彼はどうして財産を失ったのだろうか? 不運なことがあったと彼女は答えている。彼は彼女に対して素行が悪かった。ひたすら彼女を泣かせるばかりで、この家は生きるために、そしていかなる不運にも同情しないでもよいという権利を彼女に残してくれた。何故なら、と彼女は言う、彼女はこの世で味わうべき不幸という不幸を嘗め尽くしたからである。女家主がちょこちょこと歩く音を聞くと、太っちょの料理女のシルヴィは下宿居住者用の朝食を急いで準備するのだった。
 一般に外部から食事に来る人は夕食のみ契約するのが普通で、それは月三十フランで出来る。この物語が始まった頃、ここの居住者は七人だった。二階にはこの下宿で最高の二つのアパルトマンがあった。ヴォーケ夫人は言うまでもなくその一つに住み、もう一つにはクチュール夫人がいた。彼女はフランス共和国軍の出納役員の寡婦だった。彼女はとても若い女性を一緒に住まわせていて、ヴィクトリーヌ・タイユフェールという名のその娘の母親代わりの役目を果たしていた。この二人の婦人の下宿代は一八〇〇フランに達していた。三階の二つのアパルトマンの一つにはポワレという老人が住み、もう一つには四十歳がらみの年輩の男が住み、その男は黒いかつらをかぶり、もみあげを染めていた。昔は卸商だったというこの男はヴォートランと名乗っていた。四階は四つの部屋があり、その中の二部屋の一つはミショノー嬢というハイミスが借りていた。もう一つには昔麺類の製造業者だったが、いつしかゴリオ爺さんと呼ばれている人が住んでいた。残りの二部屋は言ってみれば渡り鳥向け――ここの学生のように、ゴリオ爺さんやミショノー嬢のように食事代と寝室代のために月々四十五フランしか支払うことが出来ない、そういう人向け――の部屋なのである。しかしヴォ-ケ夫人はそういう人達の存在を余り望まず、もっとましな人がいない時に仕方なく彼等を受け入れているだけなのだった。彼等はパンを食べ過ぎるのだ。ちょうどこの頃、この二部屋のうちの一つは、法律を学ぶためにアングレーム近郊からパリに出てきた一人の若者に賃貸されていた。彼の大家族は彼に年間一二〇〇フランの仕送りをするために長く続く節約を余儀なくされていた。ウージェーヌ・ド・ラスチニャック、彼はそのように名乗っていたが、彼は恵まれない境遇故に逆にあらゆる事物に鍛えられ、若くして親達が自分に寄せる期待を理解し、そして学問で身に付く自分の能力の限界を早くも計算しつつ、社会から真っ先に金銭を搾り取るべく、社会の将来の動きに前もって適応しつつ、良き将来のために準備を怠らないといった、そんな風な若者だった。彼の好奇心旺盛な観察眼、あるいは彼がそれでもってパリのサロンに登場したといわれるところの抜け目のなさ、それらがなければ、この物語は精彩を欠く事になったことだろう。疑いもなく彼の鋭敏な精神と状況の不可解さを何としても解明したいという彼の意志が物語に迫真性を与える力となっている。謎はそれを耐え忍んでいる人によってではなく、それを作り出した人々によって入念に隠されていたのだった。
 四階の上に屋根裏の物置があって、拡張されたところに屋根裏部屋が二部屋あり、クリストフという若い雑役夫と賄い婦で太っちょのシルヴィが寝泊りしていた。七人の下宿居住者の他にヴォーケ夫人は法学部か医学部の学生を平均して八人、そして同じ居住区の住人の二、三人と夕食のみを提供する契約を交わしていた。食堂は夕食時には十八人を収容するが、二十人が坐ることも可能だった。しかし朝は七人の下宿人しかいないので、朝食で皆が集まっていると、家族の食事のような光景が見られるのであった。各人は気楽に降りてきて、人の服装や外見の様子、そして前日の夜に起こったことについて遠慮なく秘かに考察する。そして打ち解けた間柄であるという自信があって、それぞれが思いのままにおしゃべりをするのだった。この七人の下宿人はヴォーケ夫人に甘やかされた子供だった。彼女は天文学者の正確さで下宿代の値段によって彼等に心遣いや保護を少しずつ配分していた。たまたま一つ屋根の下に暮らすことになった雑多な人々が一人の夫人の配慮をありがたく頂いていたというわけである。二階の二人の婦人は毎月一人宛て七十二フランを払うだけだった。この安い下宿代はフォーブール・サンマルセル街なら産院のラ・ブルスや婦人老人ホームのラ・サルペトリエールくらいでしか見られない安さだが、クチュール夫人はそれについて一つの例外を作った、いわく、大なり小なり明白な不幸に会った女性なら、この安い家賃の恩恵を受ける資格があると。
 この下宿屋の内装に見られる嘆かわしい光景は、ここの住人の服装にも見られ同じように荒れ果てた印象を与えるのだった。男達は既にもとの色が分からないようなフロックコートを着て、どこかの街角の隅に転がっていたのを拾ってきたような靴を履き、下着は擦り切れ、心だけは宿っているといった風の服を着ていた。女性達は色あせたり、染め直したり、色落ちしたり、あるいは古いレースを繕ったりした服を着て、使い込んで光沢の出た手袋、すっかり褐色がかってきた襟飾り、そして擦り切れたネッカチーフをつけていた。服装がこんな状態だったので、ほぼ全員が頑丈でがっちりした体格に見え、いかにも人生の嵐と闘ってきたつくりで、その顔は冷淡で厳しく、それでいて、まるで通用停止となったエキュ銀貨のように存在感が薄かった。色褪せた口は貪欲な歯によって武装されていた。ここの下宿人達はすでに終わった劇、あるいは現在進行中の劇を推測させる。しかし、その劇はフットライトに照らされ、絵画の中に描かれたような劇ではなく、生々しくもまた無言の劇、凍りついた劇でありながら心を熱く動かし、なおも続いている劇なのである。
 ハイミスのミショノーは彼女の疲れた目をかばって、緑のタフタの汚らしいサンバイザーを着けていたが、それにくっついている真鍮の輪を見れば、天使も哀れさを感じながら遠のいてしまうように思われた。彼女の縁の細い哀れげなショールは彼女の角張った骨格の、その形のみならず、気難しい性格をも覆い隠しているように見えた。いかなる辛酸がこの娘から女らしい姿態を剥ぎ取ったのだろう? 彼女は綺麗でスタイルが良かったことが分かるのだが、それを奪ったのは悪徳、悲しみ、金銭欲のせい? 彼女は深く愛されすぎた事があったのか、化粧品販売の女だったのか、あるいは何のことはない、娼婦だったのか? 彼女はこれ見よがしの若さで勝ち誇ったことへの償いをしているのだろうか? かつて、その若さには多くの楽しみが押し寄せたものだが、いまや通行人が鼻も引っ掛けない老境に達してしまったのだ。彼女の無表情な視線は人に冷たい印象を与え、しなびて縮んだ姿は人に不安を抱かせる。彼女の声は甲高くて、冬が近づくのに茂みの中で鳴き立てる蝉の声を思わせた。彼女は膀胱カタルに罹っていたある老人の面倒を看てあげていたことがあると言っていた。その老人は子供達から一文無しと思われて見捨てられていたのだ。情熱の作用によって彼女の姿が痛めつけられたとはいえ、まだ確かに生地の白さと繊細さの名残はあって、それを見るといまだ彼女の体にはいくらかの美が保存されていると考えることは可能なのだ。
 ポワレ氏は一種の機械だった。彼が植物園の庭の小道に沿って長い薄い影のように伸びているのをふと見た時、頭には古びた柔らかいひさし帽を被って、手には象牙細工の黄色い丸い杖の柄を握り締め、ほとんどむき出しのキュロットと青い靴下を履いたまるで酔っ払いのようにふらつく足を上手く隠せないまま、フロックコートの裾をだらりとさせ、薄汚れたチョッキや太くて縮み上がったモスリンの胸飾りも、七面鳥を思わせる彼の首を絞めているネクタイといまいちしっくりと合っていない。だから大抵の人はまさかこの影絵のような人物が、かつてはイタリア大通を蝶のように飛び回り、ヤペテの息子、プロメテウスの大胆不敵な血をひく人種[7]に属していようとはと、不思議に思うのだった。どういう作用が彼をこんなにぺしゃんこにすることが出来たのだろう? どんな情熱が、戯画化され、真実とは思えないような球根のような彼の顔を錆色にしてしまったのだろう? 彼に何があったのか? しかし恐らく彼は法務省に雇われていて、彼がいた事務所では高級官僚達が費用明細、親殺しのための黒いヴェールの調達、籠に詰めるおがくず、ナイフのための紐などの勘定書きを発送したりしていたことだろう。恐らく彼は殺害現場の戸口で受付をしていたか、公衆衛生の下級検査官だったのだろう。要するに、この男は我々の社会の巨大な歯車の中で間抜けな役回りを演じてきたと思われ、自分を散々利用してきた相手が誰だかにさえ気づかない、よくいる頓馬なパリジャンで、どの回転軸が、不運とか世の汚物の方向に人を向かわせるのかも勿論分からない。結局こういう男を見ると我々は次のように言うのだ。『まあ彼のような人間もいないと困るんだ』美しいパリは道義的な、あるいは肉体的な苦痛で真っ青になっているこの人物には気づかない。しかしパリは真に大海なのだ。その深さを測ってみ給え、貴方は決してどれほど深いのかを知ることは出来ない。それにざっと目を通したり、それを描写したり出来るものだろうか? 貴方がそれをざっと見て描写するために、いかに細心の注意を払ったとしてもである。この海の探険家がどんなにたくさんいて好奇心に燃えていたとしても、そこでは常に処女地、未知の洞穴、花々、真珠、怪物、前代未聞の事物、文学の世界に飛び込んだ者にすら忘れ去られた物に新たに出っくわすようになっている。メゾン・ヴォーケはその奇妙で醜悪なものの一つなのだ。
 ここに二人の人物がいて、下宿人や常連の大多数の目に対照的な印象を与えている。ヴィクトリーヌ・タイユフェール嬢は病的に色白で若い女性に多い慢性的貧血症に悩まされているように見え、いつも物憂げにしていたり窮屈そうな物腰や貧相でやせっぽちの雰囲気が醸し出す彼女の情景の根底に、一般的にあるような患いを彼女が患っているのではないかと想像されるのだった。それにもかかわらず彼女の顔は老けてはいなくて、彼女の動作も声も活発だった。この若い女の不運なところは小低木が葉の黄色になる時に土壌の合わない所に植え替えられたようなものだった。彼女の顔色は赤褐色、髪はライオンを思わせるブロンド、彼女の細過ぎるほどの胴は現代の詩人が中世の彫刻に見出すような優美さを表現していた。彼女の黒味がかった灰色の目は穏やかさとクリスチャンらしい忍従を表していた。彼女の服装は簡素で安物だったが、若々しい姿態を隠せなかった。書き並べてみると、彼女は結構素敵だということになる。幸いなことに彼女は元々見る人をうっとりさせるような美少女だった。幸福は女の詩であって、女の装いにおける紅白粉のようなものである。もし舞踏会の楽しさが、この青白い顔にばら色の輝きを与え、優雅な人生の穏やかさに満ちて、既に少しこけてきた彼女の頬がまた朱色に染まり、もし愛が彼女の悲しげな目に生気をよみがえらせるならば、ヴィクトリーヌはどんなに綺麗な若い娘とでも張り合うことが出来るだろう。ただ彼女にはもう一度女として生まれ変わらせてくれるものがなかった、おしゃれ用品とか恋文とか。彼女の来歴を辿れば一冊の本の主題を提供してくれるだろう。彼女の父は彼女を認知しない理由があると考え、彼女をそばで暮らさせることを拒絶した。そして年に六〇〇フランしか彼女には与えず、自分の財産をいじって、その全てを息子に相続させるように変えてしまった。彼女の母は彼女のことで絶望して亡くなってしまったが、その遠い親類に当たるクチュール夫人はこの孤児を引き取って、自分の子供のように面倒を看ていたが、残念ながら共和国軍会計委員の寡婦には寡婦資産と年金くらいしか財産がなかった。彼女はいつだって、この哀れな娘を経験もなく資金もないままで世間に放り出して、そのなすがままに任せることも出来たはずだ。善良な夫人はヴィクトリーヌを日曜ごとにミサに、毎月十五日には懺悔に連れて行った。万一のことを考え、この娘を敬虔な女性に育てておこうとしたのだ。彼女がそう考えたのはもっともなことだ。敬虔な気持ちはこの認知されなかった子にある種の将来性を付与し、彼女は父を愛し、毎年のように父を訪れて彼女の母から許しを請う言葉を父にに伝えようと思っていた。しかし彼女は毎年のように父の家の情け容赦もなく閉じられた戸口にぶつかってしまうのだった。彼女の兄は彼女にとって唯一の仲裁者たり得た肉親だったが、この四年間に唯の一度も彼女に会いに来なかった。そして彼女にとっては何の救いももたらされなかった。彼女は父の目を開かせてくれるように、そして彼女の兄の心を動かしてくれるように神に懇願し、彼等を非難することもなく、彼等のために祈りをささげた。クチュール夫人とヴォーケ夫人はこの残酷な振る舞いを形容するのに十分な罵詈雑言を辞書の中にも見出せなかった。彼女達がこの恥知らずな百万長者を呪っている時、ヴィクトリーヌの優しい言葉が聞こえてきた。それは傷ついた森鳩が悲しさであると同時に愛であるところの歌を歌うに似ていた。
 ウージェーヌ・ド・ラスチニャックはいかにも南フランス的な顔の持ち主で、色が白く、髪は黒く、目は青い彼の外観、物腰、習慣的な姿勢は貴族の家の息子であることを示していたが、初等教育がもたらしたものは伝統的な趣味の良さだけだということも分かるのだった。たとえ彼が衣服を大切に扱っていて、普通の日には一年前に買った服を着たまま過ごしてしまうにしても、時にはうって変わって優雅な若者らしい姿で外出することが出来るのだった。普段の彼は古いフロックコートに、粗悪なチョッキ、安物の黒くて色褪せ、学生っぽく下手な結び方をしたネクタイ、それ相応のズボン、そして靴底を張り替えたブーツを履いていた。
 二人の若い男女の登場人物やその他の下宿人の中間の階にヴォートランがいた。彼は四十歳がらみの男で、染めたもみ上げは彼が経てきた年月を感じさせた。彼は人々が一般に次のように言う、そんなタイプの人物だった。『ほらあれが例の男なんだ』彼は広い肩、よく発達した胸板、盛り上がった筋肉、分厚く角張り毛むくじゃらの指が目立つ手を持ち、愛想の良い赤褐色の顔をしていた。彼の容貌は年の割には早く皺が刻まれ、柔軟で人付き合いの良い彼の物腰とは矛盾する冷酷さがそこにうかがわれた。彼の程よい低音は彼の磊落さに上手く調和して決して不快感を与えなかった。彼は愛想が良くて陽気だった。もしどこかの錠が故障したとすると、彼はそれを造作なく取り外して、ありあわせのもので修理し油を注し磨きをかけ再び取り付け、なんだかんだ喋りながら、そんなことをやってしまうのだった。こんなのは良く知ってるんだよとか何とか喋るわけだ。第一に彼は何だって知っていた。船、海、フランス、外国、事業、人間、事件、法律、豪邸、そして牢獄のことまで。もし誰かがひどく嘆いているのを見ると、彼は直ぐに助けを申し出るのだった。彼はヴォーケ夫人や下宿人の誰それに何度か金を貸してやった。しかし彼の恩義を受けた人は、彼にそれを返さないくらいなら、むしろ死んだ方がましだと思ったことだろう。善良そうな様子にもかかわらず、それほどまでに彼の正確に見通す様な、そして断固とした態度に満ちた視線は人に恐れを抱かせた。彼はぺっと唾を吐くことによって、危機に面しても曖昧な態度をとることを避け、決してたじろがない平然とした冷静さを示すのだった。まるで厳しい裁判官のように、彼の目は全ての疑問、全ての良心、全ての感情の奥底まで見通してしまうように思われた。彼の習慣は朝食後外出し、夕食のために戻ってくる、いつもパーティのためにまたいなくなる、そして真夜中くらいに帰宅する、その時は、彼を信頼しているヴォーケ夫人から与えられた合鍵を使うといった具合になっていた。この優遇は彼だけが享受していた。しかもそれだけではなく、彼が未亡人と一番気が合っている時などは、少しお世辞気味に彼女の胴体を抱えるようにして、ママンと呼びかけたりするのだった!この善良な女は彼のこの仕草を何でもないことと考えていたが、実のところヴォートランだけが十分に手が長いので、この重っ苦しい胴体に腕を回すことが出来たのだ。彼の性格の特徴を表しているのは、食後のデザートにしていたグローリアというブランデー入りのコーヒーの分として、気前よく月々十五フランを支払っていたことだった。パリジャンの生活の渦巻きに押し流されている例の若者ほどには軽薄でない人々、あるいは、自分達には直接関係のないことには無関心な老人達は、ヴォートランが彼等に胡散臭い印象を与えたとしても気に留めなかった。彼は周囲の人々の仕事のことを知っているか、推測するくらいは出来ていたが、一方で誰も彼の考えとか仕事のことに立ち入ることは出来なかった。彼は他の人々と自分との間にうわべの人の好さ、いつもの愛想の好さや陽気さを障壁のように置いているのだが、彼の性格のぞっとさせるような深みをしばしば人に垣間見させておくようなところもあった。彼の洒落はしばしばローマの腐敗を痛烈に風刺したユウェナリス[8]に匹敵し、彼はその警句を発することで、法律をないがしろにしたり上流社会を烈しく叩いたり、上流社会の内部矛盾を認めさせたりすることに楽しみを見出しているように思われたが、彼はむしろ、彼がこの国の社会に恨みを抱いているように、そして彼の人生の奥底には何か秘密めいたものが念入りに隠されているものと、人には勝手に考えるに任せていた。
 多分自分では意識しないで、一方の力強さ、あるいは他方のハンサムにひかれて、タイユフェール嬢はこの四十男と若い学生を盗み見たり、ちょっと考えてみたりすることでは適当に割り振っていた。しかし彼等二人とも彼女のことに気づいてはいないようだった。ところが、ある偶然の出来事が彼女の立場を変え、たちまち彼女は金持ちの結婚相手になってしまった。第一にこの手の人々の間では、自分たちのうちの誰かが不運な目に会ったと言ったところで、それが嘘か本当かをわざわざ確かめるために骨を折る者はいないのだ。全てのことには原因と結果がある。ある種の無関心には個々の立場によって生じた疎外感が入り混じっている。彼らの立場では他者の苦痛を和らげる力がないことを自ら知っていて、だから誰もが、せめて弔辞の区切りまではと、へとへとになりながらも我慢して聞いているのだ。よく似たことに、年寄り夫婦の仲ではもう何も話すことなんかない。彼らの間にまだ残っているのは機械的な生活と油を注していない歯車一式の報告くらいのものだ。誰もが盲人が坐っている前の道路をそ知らぬ顔で真っ直ぐに通り過ぎる。不運な身の上話は感動もなく聞く。そして惨めさという問題の解決は死によって達成されると悟るのだが、この悟りが彼等を最も恐ろしい断末魔の苦しみに対しても冷淡にしてしまうのだ。この荒涼とした魂の中で一番幸福だったのはヴォーケ夫人で、この気兼ねのない養護ホームの女王として君臨していた。あの小庭は彼女一人のためにあって、その静けさと冷気、乾気と湿気の大きいことはまるで大草原のようで、快い小さな森のようだった。彼女にとってのみ、この黄色の陰気な館が、その帳場の黴臭さすら、無上の喜びだった。そこの物置も彼女のものだった。彼女はいつも苦労して捕らえた徒刑囚を養ってやっていたが、彼女の威光に対して敬意を払うように要求もしていた。そしてここの貧しい人々は、ここはパリで、彼女の提示した価格で、健康にも良く十分な食事を与えられ、それぞれが主であるアパルトマンを借り受け、優雅で快適とまでは言わないまでも、少なくともまずまず健康的な住居だと思っているのではないだろうか? 彼女が目に余る不正をしたとしても、ここの被害者は文句も言わず、彼女を支持したことだろう。
 ここで何か集まりがあると、当然そこには社会の縮図が現出されるように思われ、事実その様相を呈するのだった。十八人の食卓仲間の中に、どこの学校にも、またどんな社会にもいるような哀れな鼻つまみ者の人間がいた。そのなぶり者に向かって、からかいの言葉が雨のように浴びせられるのだった。二年目の始めに、この人物はウージェーヌ・ド・ラスチニャックにとって、これから更に二年間一緒に過ごさざるを得ないここの人々の中にあって、際立った存在となっていた。この被害者はかつてのイタリア麺製造業者ゴリオ爺さんだった。もし絵描きに筆を持たせたら、この物語の作者同様、彼は絵の中の光を総てこの製麺業者の頭上に降り注がせたことだろう。何かの偶然で軽蔑が半分くらい憎しみになり、哀れみが非難と入り混じり、不運の側面には目もくれずといったことが合わさって、一番年寄りの下宿人を彼等皆で叩きのめすことになったのだろうか? 一体どういう些細なこと、あるいは奇妙なことがあって、人はそれを大目に見て許してみたり、道徳的に許せないとみなしたりするのだろうか? この質問は身近な例の中に社会的不公平を首尾よく指摘している。恐らく自然な人間性に鑑みれば、彼は真に謙虚であったり、自分が弱々しく、冷淡に扱われる故にひどく苦しんでいるのだから、皆で支えてやらなければならない人なのだ。ところが、我々は誰かを、あるいは何かを笑いものにすることで我々の力を証明することがとても好きなのではないのだろうか?凍るような寒さであればあるほど、いたずら小僧は全ての家の戸のベルを鳴らしてみようとしたり、あるいは自分の名前を新しい記念碑に書き込むために背伸びをしたりするものなのだ。
 ゴリオ爺さんは六十九歳になろうかという老人で、職を辞した後、一八一三年にヴォーケ夫人のもとに隠遁してきたのだった。彼は最初に現在クチュール夫人が使っているアパルトマンに入り、入居した当初一二〇〇フランの賃貸料を払っていた。五ルイくらい多かろうと少なかろうと大した問題ではないというような男だったのである。ヴォーケ夫人はこのアパルトマンの三部屋を、家具代の支払いを保証した事前契約によって一新することが出来た。噂では購入された家具は安物で、黄色いキャラコのカーテン、ニス塗りの木をユトレヒトのビロードで被った肱掛椅子、何枚かの難解な絵、場末のキャバレーでも引き取らないような壁紙などから成っていた。恐らく細かいことは気にしない気前の良さから、ゴリオ爺さんは騙されるままになっていたのだろうけれど、その頃の彼は尊敬の念をこめて『ゴリオさん』と呼ばれていた。彼女は彼のことを実務には全く疎いお馬鹿さんくらいに考えていた。ゴリオは衣服が揃っている洋服ダンスを備えていた。その立派な衣類一式は彼が事業から身を引いた時、この卸業者は自分のためになら、幾らでも金を使っていたことをうかがわせた。ヴォーケ夫人はドミオランダ(高級麻布)の十八枚のシャツに感嘆したものだった。しかもそのシャツの高級感は製麺業者がシャツの胸飾りに小さな鎖でつながった二つのピンを無造作に付けていて、しかもそのピンのいずれにも大きなダイヤモンドが嵌め込まれていたので、一段と引き立っていた。普段、彼は明るい青い服を着て、白い木綿のシャツは毎日取り替えていたが、その下で洋梨状に突き出た彼の腹部が揺れ動いて小さな飾りの付いた金の鎖を弾ませるのだった。彼の嗅ぎ煙草入れはやはり金製だったが、中に髪の毛の入ったロケットが入っていて、何か幸運を授かったことと関係があるような趣をそれに与えていた。女家主が彼の女性に対する親切過ぎる点を非難した時も、彼は唇の上に陽気な金持ちらしい微笑を浮かべながら、過失を直すこともなかったし、皆も彼の好きに任せていた。彼の部屋の壁に固定された棚には彼の家事用の銀器がいっぱい置かれていた。寡婦が親切にも荷解きと整頓を手伝ってあげた時、大匙、シチュー用スプーン、テーブルセット、食卓用小瓶、ソース注し、何枚もの皿、鮮紅色のモーニングカップ、そして程度の差はあるが綺麗でかなりの重さになる単品の食器類があって、彼はそれらを処分しようとしないのだった。寡婦の目はこれらの品々を見て輝いているようだった。この品々は彼に家庭生活の崇高さを思い出させた。
「これがねー」彼は一枚の皿と小さな丼鉢を手にとって、ヴォーケ夫人に言ったものだ。その蓋には羽づくろいをする二羽の雉鳩が描かれていた。「私の妻が初めて私にプレゼントしてくれたものなんだ。結婚記念日だったよ、健気な女だった! 彼女は独身時代からの貯金をはたいて買ってくれたんだ。分かってもらえるかね、奥さん? 私はこれを手放すくらいなら、いっそ人の金をちょろまかしてやるよ。ま、その必要もないさ! 私はこのカップにコーヒーを入れて、残りの人生で毎朝味わうことが出来るんだ。私は人から同情されるような身の上じゃあない、私は長年十分に仕事を抱えて稼いできたんだ」
 とうとうヴォーケ夫人はその詮索好きな目でもって、五執政官時代の台帳登録[9]から何となく足し算してみたところ、この素敵なゴリオは大体八千から一万フランの年金収入があるということが分かった。この日を境にコンフラン出のヴォーケ夫人もまた実際は四十八歳のところを、三十九歳としか認めていなかったのだが、どうも考えるところが色々出てきたようだった。ゴリオの目頭の辺りが、きわめて頻繁にそこを拭っているにもかかわらず、変な具合に腫れぼったいことがあっても、彼女は彼のことを感じの良い申し分のない人だと思っていた。第一に彼の肉付きの良い目立ったふくらはぎは彼のがっしりした高い鼻と同様に道徳的に高い性格を感じさせ、それが未亡人を惹きつけ、なおかつ丸くて青白い顔や愚直そうなところが善人であることを確信させた。それはつまり、彼はがっしりした体格の小父さんで、感覚的には惜しみなく機知も見せてくれるということで心身ともに言うことなしの人ということになるのだった。彼の髪は鳩の翼状態だったので、理工科大学の理髪師が毎朝来て、彼の額に先端を五つに分けて垂らすように試みたりして綺麗に整えていた。少し粗野だが、彼はとても隙のない服装をして、金持ち然として煙草を取り、彼がそれを吸い込む様は今日も高級煙草のマクバをいっぱい詰めた嗅ぎ煙草入れを持つことに揺るがぬ自信を持った男そのものだった。だからゴリオ氏が彼女のところに身を落ち着けたその日、ヴォーケ夫人は夜寝る時、まるで薄皮に包まれてあぶり焼きにされるヤマウズラのように身を焦がす思いがした。ヴォーケの名のもとで死ぬよりもゴリオとして生まれ変わりたいという炎のような希望が彼女を虜にしたのだった。彼と結婚し、この下宿屋を売り払い、あの申し分のない資産家と腕を組み合って、町内で名高い貴婦人になり、その辺の貧乏人のために募金活動をし、選ばれた夜会のメンバーや紳士達とは日曜日に小さなパーティを催す。好きな時に芝居に行く、それも桟敷席で。これまでのように下宿人のある者が七月になると彼女にくれていた物書き用の入場券を待つこともない。彼女はパリジェンヌの小さな家政にとっては全く黄金卿のようなことを夢見ていた。彼女はそれまで彼女にはちびちび溜めた金を寄せると四万フランも持っていることを誰にも明かしたことはなかった。彼女は財産面から言って、ゴリオと自分は釣り合う仲間だと確かに考えていた。
「いずれにしたって、私にはいい人がほしいわ!」彼女はベッドに向かって歩きながら一人ごちていた。それはまるであの太っちょのシルヴィが毎朝空しく求めている魅力的な姿を自分自身には保証して見せるといわんばかりであった。
 その日から、およそ三ヶ月間くらい、ヴォーケ未亡人はゴリオ氏の理髪師に取り入って、化粧品のためにかなりの出費をしたが、彼女の館も立派な人が立ち寄るようになると、それにふさわしいある種の礼儀は尽くさなければならないということをその理由にしていた。彼女は彼女のところの下宿人の人的階層を変えてしまおうと深く企んで、今後はあらゆる面で最高に立派な人物でないと受け入れないと高らかに宣言した。外部の人が来ると、彼女はあのパリで一番有名で一番尊敬すべき卸商のゴリオ氏が彼女にそれと認めたような好みを褒めそやした。彼女は頭の中で次のような内容のパンフレットを配ることを考えていた。〈メゾン・ヴォーケ、これこそは最も歴史のある、そして評価の高いラテン区の市民のための下宿館です。ここにはゴブラン谷の快い眺めがあり、当館四階からご覧になれます。そして美しい庭園の小道を行けば菩提樹の木陰に至るのです〉彼女はそれを何となく良い雰囲気で、しかも静寂さに満ちた調子で語るのだった。このパンフレットを見て彼女を訪ねてきたのはランベルメニル伯爵夫人だったが、この三十六歳の婦人は戦場で亡くなった将校の未亡人として、恩給の支給や支払いについての手続きの完了を待っているところだった。ヴォーケ夫人は彼女の食事に気を遣い、客間では六ヶ月近く暖炉の火をおこし続けることさえしていた。そしてパンフレットに書いた約束は非常に良く守ったので、約束したことは進んで実行した。更に伯爵夫人はヴォーケ夫人を親愛な友よと呼びつつこんなことも言った。それは彼女の友人であるところのヴォーメルラン男爵夫人と陸軍大佐ピカソ伯爵の未亡人を紹介してあげようというのだった。この二人はメゾン・ヴォーケに住むよりもっと高くつくマレー地区の高級下宿で晩年を終えようとしているというのだ。この婦人達はまず何と言っても陸軍省が最後まで彼女たちの面等を看てくれるので気楽に過ごせるのだ。「だけどね、お役所だって結局のところ面倒見切れないのよ」と彼女は言うのだった。
 伯爵未亡人は夕食の後、ヴォーケ夫人に誘われて女家主の部屋にやってきて、そこで軽いおしゃべりをして、スグリ酒も頂き、女家主が自分のためにおいていた砂糖菓子も食べた。ランベルメニル夫人は女家主のゴリオに対する見解に大いに同意を示し、女家主の卓越した見解は最初に会ったその日から直ぐに理解できたこと、彼女も彼のことを完璧な男だと考えていることを明かした。
「あーら! 貴女も! 彼は私の目のように澄み切った若々しさを保っていて、そのくせ経験を積んだ人妻でも楽しませてくれるものを持ってるんだわ」女家主は伯爵未亡人に言った。
 伯爵夫人はヴォーケ夫人の服装は本人の思い上がりに調和しないものだと思ったが、それは大目に見てやった。
「貴女は臨戦態勢を整えなきゃならないわ」彼女が言った。
 大分思案した後、二人の未亡人は連れ立ってパレロワイヤルへ行き、庭園内にあるブティック“ギャルリ・ド・ボワ”で羽飾り付き帽子と縁なし帽子を一点ずつ買った。ランベルメニル伯爵夫人は友人を“ラ・プティト・ジョネット”という店へ連れて行き、そこで彼女たちは服とマフラーを一点ずつ選んだ。これだけ弾薬を仕込み、ヴォーケ夫人の軍備が整ってみると、彼女の姿はなぜか完全にレストラン”ブフアラモード”[10]の看板を連想させた。彼女は自身としては最高に上手く変身出来たと思ったが、その時、ランベルメニル伯爵夫人のことを忘れていたことに気づいた。それで、彼女は余り気前の良い方ではなかったが、伯爵夫人に二十フランの帽子を受け取ってくれるように頼んだ。実のところ彼女は伯爵夫人にゴリオの意向を調べる役目を頼んでいて、やがてはゴリオの傍らの部屋に住むことを希望していた。ランベルメニル夫人はこの件に関して、とても親切に準備し、老製麺業者の人となりをはっきりさせた上に、彼女は彼と会って協議することまで成功させた。しかし会ってみて、彼が極端にはにかみ屋で、特に彼女の夫伯爵にならないかという誘いを始めとした彼女自身の希望による企てに対して否定的であることが分かった。そして彼の無作法さには、彼女が憤慨して部屋を出てしまった。
「奥さん」彼女は親愛な友に向かって言った。「貴女はあの男からは何も期待できないわよ! 彼は馬鹿みたいに疑り深いのよ。あれはしみったれで下品で馬鹿、貴女には不愉快な話しか出来ないやつだわ」
 ゴリオ氏とランベルメニル伯爵夫人との間にあったものは、伯爵夫人にとっては、彼と同席することすら堪らないというほどの深い溝だった。翌日、彼女は六ヶ月分の下宿代を払い忘れたまま出て行ってしまった。後にはせいぜい五フランにしかならないような古着が一着放りっぱなしになっていた。ヴォーケ夫人は必死になって行方を捜したが、ランベルメニル伯爵夫人についてのいかなる消息も、パリでは得る事が出来なかった。彼女はこの嘆かわしい事件について、しばしば話していたが、自分の余りにも信じやすい性格を嘆いて見せるのだが、実のところ、彼女は疑り深い雌猫なんかより遥かに疑り深い人間だったのだ。しかし彼女は側近に対しては疑り深いくせに、初対面の誰彼に胸中を打ち明けてしまうという、あの多くの人達のタイプの人であったように思われる。人の精神作用はこのように奇妙なものだが、それが真実なのだ。その根拠を人の心の中に見つけ出すのは簡単だ。恐らく共に暮らしている人達の目には、付き合ったところで何も得るものがない人間のように見える人物が多いものなのだろう。彼等は自分の魂の空虚を隣人にさらしてしまった後、隣人から厳しい価値判断をされてしまったことを秘かに感じ取る。しかし、彼等には周囲からは得られないおべっかが、どうしようもなく必要なように感じられ、あるいは、彼らが持っていない特性を持っているかのように見せたいという欲望に駆られてと言ってもいいだろうが、彼等が一日にして手に入れたものを失うかも知れない危険を冒しても、彼等にとっての外部の人間から尊敬を騙し取るか、それとも、心を奪うか、そのようなことを彼等は期待してしまうのだ! 要するに、この種の人たちは友人とか近親者に恩義があっても、どういう訳か欲得ずくで、冷たい態度を取る事が多い。一方、見知らぬ人から受けた奉仕に御返しをする段になると、彼等は一生懸命に相手に報いようとする、何故ならその時、彼等は自尊心まで満足させることが出来るからなのである。お互いの愛情の範囲が狭ければ狭いほど、愛情は益々薄くなる。付き合いの範囲が拡大すればするほど、彼等は逆に良く世話を焼くようになるものだ。ヴォーケ夫人は疑いもなく、この二つの本性を身に付けていた。すなわち本質的に狭量で見掛け倒し、極言すれば、ひどい性格と言う他はない。
「もし私がその場にいたら」彼女にその話を聞いたヴォートランが言った。「そんな災難が貴女に降りかかることはなかったのに! 私が貴女の周りにこんな法螺吹き女が近づかないように、いつだって眺め回してあげたんだがなあ。私はこういう連中の顔は見れば分かるんだ」
 狭量な人の常として、ヴォーケ夫人は事件のことを繰り返し語る習慣をやめなかった、そしてそれらの原因をいつまでも探ろうともしなかった。彼女は自分の潔癖さから他人を非難することが好きだった。この災難があってから、彼女はあの正直者の製麺業者のことを彼女の不運の原因とみなすようになり、その時以来――彼女は語ったものだ――彼に関しては迷いから目が覚めたのだった。彼女は媚態を作ったり特別交際費を出したりすることが何にもならないと分かると、直ちにこうなったことの理由を言い当てた。彼女はこうして彼女のところの下宿人は既に、彼女の表現によれば、彼らの生活スタイルが出来ていることに気づいた。結局、ゴリオは彼女の彼に対する期待があんなにも健気に空想的に胸の内に秘められていたにもかかわらず、この方面のことには目利きらしい伯爵夫人の自信たっぷりの言葉によれば、あの手の男からはヴォーケ夫人はからっきし得るものがないだろうということだった。彼女はそれだから、かつてのような友情を抱いて近づくことはなくなったというよりも、今ではもう彼を嫌悪して遠ざかってしまったのだった。彼女の憎しみの理由は愛情が絡んだものではなく、彼女の期待が裏切られたことによるものだった。もし人の心が愛情の高みに上ってゆく途上で心の平安を持つことが出来るなら、その心が急に憎悪の感情に凝り固まるようなことは余りない。しかしゴリオ氏は彼女の下宿人だったので、未亡人は傷つけられた自尊心の爆発をとりあえず抑え、ここで味わった失望が引き起こす溜息も我慢し、復讐してやりたいという彼女の欲望を欲しいままにすることも出来なかった。まるで小さな修道院の院長に自尊心を傷つけられても我慢している修道士のようなものだった。心の狭い人は、良かれ悪しかれ、絶え間なく起こる些事によって、どうやら満足を得ているものだ。未亡人は女将特有の悪意を利用して、標的にされた人間に有無を言わせず迫害を仕掛けた。彼女はまず彼女の下宿に余計なものを付け加えるのを削除した。
「更にピクルス、更にアンチョビまで付けるなんて。こんなのは、やり過ぎだわ!」彼女は元の献立に戻すことにした日の朝、シルヴィに言ったものだ。
 ゴリオ氏は食事に関してつましい男だった。彼にあっては、一代で財をなした人間に不可欠の吝嗇がそのまま習慣化していた。彼はスープ、茹で肉、一皿の野菜という取り合わせを一度食して以来、ずっとそれがお気に入りの夕食となってしまった。ヴォーケ夫人にとって、その頃はまだこの下宿人を悩ませることは難しいことで、彼の好みと衝突することなどは全然出来ない相談だった。攻撃するわけにもゆかない男と顔を合わさなければならないことに絶望的気分になってしまった彼女は、彼の評判を落とすことを始めた。そして彼女は同時にゴリオに対する嫌悪感を他の下宿人達にも共有させるように仕向けた。彼等は面白がって彼女の復讐の手伝いをした。その最初の年の暮れ頃になると、未亡人の彼に対する不信感は極度に高まり、この卸商は七〜八千リーヴルもの年金を貰う金持で、立派な銀食器のセットや妾の若い女に劣らぬくらい美しい宝石類を沢山持っているのに、どうして彼女の下宿なんかに住みついているんだろうかという疑問を抱くようになっていた。彼の財産を考えると、彼女に支払う賃貸料なんてずいぶんと少ないものだがと、彼女は自問自答していた。この最初の年、ほぼ年間を通じて、ゴリオは週のうち一日か二日くらいは外で夕食をとっていた。それがいつの間にか、彼が町で夕食をしてくるのはせいぜい月に二回くらいになっていた。下宿人達の小さな集団はゴリオ氏のことには敏感で、ヴォーケ夫人の利害にとても良く調子を合わせることが出来た。というのは下宿人が彼女のところで食事をするための時間帯の設定が次第に煩雑になってくる事に彼女が不満を抱くのではないかと彼等は気が気ではなかったのだ。彼の夕食の微妙な変化は、女家主に刃向かってやろうという意志があるうえに、彼の財産が徐々に減り始めたせいでもあろうと想像された。この小人国魂の実に忌まわしい習慣は自分達と同じ小人国根性を他者の中にまで想定してしまうところにあった。悪いことに、二年目の終わりに、ゴリオ氏は彼が噂話の的にされてきたことを正当化してしまった。彼はヴォーケ夫人に三階に移転することを願い出たうえに、賃貸料も九百フランに下げてくれるように頼んだのだった。彼はとても厳しい経済的必要に迫られていて、冬季でももはや彼の部屋では暖を取らなくなっていた。ヴォーケ夫人は賃貸料の前払いを希望した。ゴリオ氏はそれに同意したが、彼女はその時以来、彼のことをゴリオ爺さんと呼ぶことに決めた。このことは彼の凋落のまさに原因となったのだ。詳しく検証するのは難しい!
 確かに偽伯爵夫人が言っていたように、ゴリオ爺さんは陰険で口数の少ない男だった。頭が空っぽの人、つまり本当に明け透けで何でも口に出して言ってしまうような人の理論に従えば、自分の仕事について語らない人達というのは、何か良くない事をやっているものなのだそうだ。かつてはあれほど上品だったこの卸商はいまや詐欺師で、女性に慇懃に振舞っていたこの男はもう老い耄れの道化になってしまった。一方で、その頃メゾン・ヴォーケに住むようになったヴォートランの話によると、ゴリオ爺さんは株式市場に出入りしていたのだが、経済用語でよく使われる表現を借りるならば、彼はそこで破綻してしまった。そこで彼は誰か鴨を見つけては金をもっぱら『かすめとって』いたらしい。また時には、彼は一晩かかって一〇フランを思いきって賭けたり、すってみたりする、あのみみっちい博打好きの男なんだといわれ、.またある時は彼が警察の上部と通じるスパイだという人もいた。しかしヴォートランは、そこまでやるほどあの爺さんはひどく悪いとは言えないと主張した。ゴリオ爺さんは、そうは言っても、先の見通しの利かないけちんぼで、宝くじでは大もうけを狙って同じ番号ばかり買う、その手の男だとも言われた。人々はありとある悪事、不名誉、無力さをまったくわけの分からぬ理由をつけて彼の上に被せた。ただし、いかなる下劣さが彼の振る舞い、あるいは悪癖の中にあったにせよ、彼を嫌う気持ちが彼を追い出すまでには至らなかった。何と言っても、彼は下宿代を払っていたのだから。それに、彼女の機嫌が良かったり悪かったりする度に彼を冗談の種にしたり、時にはどんと叩いてみたりして、気分を発散するうえで、彼の存在はなかなか重宝でもあった。もっともらしくて皆に受け入れられる意見はヴォーケ夫人からのものだった。彼女の言うところによれば、とても若々しくて、見るからに健康的で、それでいてその男と一緒にいるととても楽しい思いが出来るというような男は、たいがい変態趣味の放蕩者だということだった。彼女が人を中傷する基準は大体こんなところにあったのだ。彼女の苦い経験によって六ヶ月間は記憶に残ったあの疫病神の伯爵夫人が去ってから何ヶ月か過ぎたある日の朝、彼女はまだ寝ていたが、階段の方からさらさらと衣擦れの音がするのが聞こえ、若くて軽やかな女のものと思われる可愛い足音がゴリオの部屋の方へ急ぐ様子だった。そしてゴリオの部屋のドアは心得たように開かれていた。直ぐにでぶのシルヴィが女将のところへ来て、堅気の女にしては綺麗過ぎる女が、まるで女神のような身なりで現れたと告げた。女は泥も付いていないプリュネル[11]の編み上げ靴を履き、まるで鰻の様に道路から彼女の台所へ忍び入っていて、ゴリオ氏のアパルトマンはどこかと尋ねた。
 ヴォーケ夫人と料理女は漏れてくる声を聞き取ろうと耳をそばだてた。そのかいあって、この訪問中にいかにも優しげに発せられた幾つかの言葉は捉えることが出来た。この訪問はかなり時間がかかった。ゴリオ氏がお相手の婦人を連れ出すのを見て、でぶのシルヴィは直ぐに買い物籠をひっ掴んで、買い物に出かける振りをして、恋のカップルの後をつけた。
 帰ってくると彼女は女主人に言った。「奥様、ゴリオ氏って、なんとまあ金持ちですよ。皆に話題にされるだけのことはありますよ。まあちょっと想像してみてください、奥様、レストラパド通り[12]の隅っこに、素晴らしく綺麗な馬車が止まっていて、彼女はそれに乗って行ったんですよ」
 夕食の時、ヴォーケ夫人はカーテンを引くために立って、太陽の光がゴリオの目にまぶしく当たって、彼が不快な思いをすることのないように気遣った。
「貴方は別嬪さんに愛されておいでなのね、ゴリオさん、太陽まで貴方を追っかけてますよ。癪にさわるったら! でも趣味の良いこと! 彼女ってとても綺麗ね」彼女は彼が受けた訪問に言及して言った。
「あれは私の娘ですよ」彼はある種の誇りをにじませながら言ったが、下宿人達は老人が表面には出さないものの、内に秘めたうぬぼれがあるのを見抜いては楽しんでいた。
 この訪問から一ヶ月経って、ゴリオ氏はまたしてもこの女性の訪問を受けた。彼の娘は初めて来た時、朝の化粧で現れたが、今回は夕食後に来て、しかもこれから社交界へ向かうような身なりをしていた。下宿人達は広間で話し込んでいる最中だったので、彼女の美しい金髪、細い胴をじっくり眺めることが出来た。彼女は優雅で、ゴリオ爺さんの娘というには余りにも美し過ぎるとさえ思われた。
「二人目が来るなんて!」でぶのシルヴィが言った。彼女は前回と同じ女性であると見分けることが出来なかったのだ。
 更に何日か経って、また別の女性しかも背が高くて綺麗で、褐色の肌、黒髪に活き活きとした目を持った女性がゴリオ氏を訪ねて来た。
「三人目だわ!」シルヴィが言った。
 この第二の女性は初めての訪問だったが、やはり朝方に彼女の父に会いに来たと言っていたが、何日か後には、夕方に舞踏会に行くような化粧をして馬車でやってきた。
「また、四人目だわ!」ヴォーケ夫人とでぶのシルヴィが言ったが、この二人はこの背の高い婦人の中に彼女が最初の訪問をした朝に残したあどけない娘の面影は少しも見出すことが出来なかった。
 ゴリオはまだ下宿代として一二〇〇フランを払い続けていた。ヴォーケ夫人は極く自然に、金持ちの男は四人あるいは五人くらいの愛人を持っていて、どういうわけか、そういう男は皆同じように愛人を自分の娘だと言って通してしまうのが実に上手なのだと考えていた。彼女は彼が愛人達をメゾン・ヴォーケに呼び寄せることには一向にかまわなかった。唯、この訪問が彼女に対して払うべき敬意について、下宿人であるこの男が如何に無関心であるかを彼女に知らしめることになった。そこでこの男が住み始めて二年目の始めから、彼女は彼のことをドラ猫爺と呼び始めた。とうとう彼が支払う下宿代が九〇〇フランに下がった時、彼女は例の女性の一人が降りてくるのを見ながら彼に向かって横柄そのものの態度で、彼女のメゾンに対してあんたは一体何をする積もりだと問いただした。ゴリオ爺さんは彼女に、あの女性は彼の長女だと答えた。
「貴方には二十六人も娘だという女性がいるの?」ヴォーケ夫人が辛辣に言った。
「私には娘が二人いるだけですよ」下宿人は以前と同じことを物静かに繰り返したが、いかにも惨めさが与える従順さそのものによって、彼の物腰は落ちぶれた男に相応しい態度となっていた。

 
 
 
 
(つづく)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 底本:“Le Pere Goriot”
原作者:Honore de Balzac(1799-1850)
   上記の翻訳底本は、日本国内での著作権が失効しています。
翻訳者:中島英之 1942年生まれ 国際基督教大学中退
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2015年3月1日翻訳
2015年10月10日作成
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