彼岸過迄 夏目漱石

2017/04/21

彼岸過迄
夏目漱石
 
 

 
 
 
 
 彼岸過迄に就て
 
 事実を読者の前に告白すると、去年の八月頃すでに自分の小説を紙上に連載すべきはずだったのである。ところが余り暑い盛りに大患後の身体からだをぶっとおしに使うのはどんなものだろうという親切な心配をしてくれる人が出て来たので、それを機会しおに、なお二箇月の暇をむさぼることにとりきめて貰ったのがもとで、とうとうその二箇月が過去った十月にも筆をらず、十一十二もつい紙上へはようたる有様で暮してしまった。自分の当然やるべき仕事が、こういう風に、くずれた波の崩れながら伝わって行くような具合で、ただだらしなく延びるのはけっして心持の好いものではない。
 歳の改まる元旦から、いよいよ事始める緒口いとぐちを開くように事がきまった時は、長い間おさえられたものが伸びる時のたのしみよりは、背中に背負しょわされた義務を片づける時機が来たという意味でまず何よりもうれしかった。けれども長い間ほうり出しておいたこの義務を、どうしたらいつもよりも手際てぎわよくやってのけられるだろうかと考えると、また新らしい苦痛を感ぜずにはいられない。
 久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければすまないという気がいくらかある。それに自分の健康状態やらその他の事情に対して寛容の精神にちた取り扱い方をしてくれた社友の好意だの、また自分の書くものを毎日日課のようにして読んでくれる読者の好意だのに、むくいなくてはすまないという心持がだいぶつけ加わって来る。で、どうかしてうまいものができるようにと念じている。けれどもただ念力だけでは作物さくぶつのできばえを左右する訳にはどうしたって行きっこない、いくらいものをと思っても、思うようになるかならないか自分にさえ予言のできかねるのが述作の常であるから、今度こそは長い間休んだ埋合うめあわせをするつもりであると公言する勇気が出ない。そこに一種の苦痛がひそんでいるのである。
 この作をおおやけにするにあたって、自分はただ以上の事だけを言っておきたい気がする。作の性質だの、作物に対する自己の見識だの主張だのは今述べる必要を認めていない。実をいうと自分は自然派の作家でもなければ象徴派の作家でもない。近頃しばしば耳にするネオ浪漫派ローマンはの作家ではなおさらない。自分はこれらの主義を高く標榜ひょうぼうして路傍ろぼうの人の注意をくほどに、自分の作物が固定した色に染つけられているという自信を持ち得ぬものである。またそんな自信を不必要とするものである。ただ自分は自分であるという信念を持っている。そうして自分が自分である以上は、自然派でなかろうが、象徴派でなかろうが、ないしネオのつく浪漫派でなかろうが全く構わないつもりである。
 自分はまた自分の作物を新しい新しいと吹聴ふいちょうする事も好まない。今の世にむやみに新しがっているものは三越呉服店とヤンキーとそれから文壇における一部の作家と評家だろうと自分はとうから考えている。
 自分はすべて文壇に濫用らんようされる空疎な流行語をりて自分の作物の商標としたくない。ただ自分らしいものが書きたいだけである。手腕が足りなくて自分以下のものができたり、衒気げんきがあって自分以上をよそおうようなものができたりして、読者にすまない結果をもたらすのを恐れるだけである。
 東京大阪を通じて計算すると、わが朝日新聞の購読者は実に何十万という多数に上っている。その内で自分の作物さくぶつを読んでくれる人は何人あるか知らないが、その何人かの大部分はおそらく文壇の裏通りも露路ろじのぞいた経験はあるまい。全くただの人間として大自然の空気を真率しんそつに呼吸しつつ穏当に生息しているだけだろうと思う。自分はこれらの教育あるかつ尋常なる士人の前にわが作物をおおやけにし得る自分を幸福と信じている。
彼岸過迄ひがんすぎまで」というのは元日から始めて、彼岸過まで書く予定だから単にそう名づけたまでに過ぎない実はむなしい標題みだしである。かねてから自分は個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見をしていた。が、ついそれを試みる機会もなくて今日こんにちまで過ぎたのであるから、もし自分の手際てぎわが許すならばこの「彼岸過迄」をかねての思わく通りに作り上げたいと考えている。けれども小説は建築家の図面と違って、いくら下手でも活動と発展を含まない訳に行かないので、たとい自分が作るとは云いながら、自分の計画通りに進行しかねる場合がよく起って来るのは、普通の実世間において吾々のくわだてが意外の障害を受けて予期のごとくにまとまらないのと一般である。したがってこれはずっと書進んで見ないとちょっと分らない全く未来に属する問題かも知れない。けれどもよしうまく行かなくっても、離れるともつくともかたのつかない短篇が続くだけの事だろうとは予想できる。自分はそれでも差支さしつかえなかろうと思っている。
(明治四十五年一月此作を朝日新聞に公けにしたる時の緒言)
 
 
 
 
 
 
 
 

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