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天堂 山川丙三郎訳 神曲 LA DIVINA COMMEDIA
神曲 天堂
ダンテ作 山川丙三郎訳
LA DIVINA COMMEDIA
第一曲
萬物を動かす者の榮光遍(あまね)く宇宙を貫くといへどもその輝(かゞやき)の及ぶこと一部に多く一部に少し
我は聖(みひ)光(かり)を最(いと)多く受くる天にありて諸々の物を見たりき、されど彼(かし)處(こ)れて降(くだ)る者そを語るすべを知らずまた然(しか)するをえざるなり
これわれらの智、己が願ひに近きによりていと深く進み、追思もこれに伴(ともな)ふあたはざるによる
しかはあれ、かの聖なる王國たついてわが記憶に秘(ひめ)藏(をさ)めしかぎりのことゞも、今わが歌の材たらむ
あゝ善(よ)きアポルロよ、この最(いや)後(はて)の業(わざ)のために願はくは我を汝の徳の器(うつは)とし、汝の愛する桂(アルローロ)をうくるにふさはしき者たらしめよ
今まではパルナーゾの一の巓(いたゞき)にて足(た)りしかど、今は二つながら求めて殘りの馬場に入らざるべからず
願はくは汝わが胸に入り、かつてマルシーアをその身の鞘(さや)より拔き出せる時のごとくに氣(い)息(き)を嘘(ふ)け
あゝいと聖なる威(ちか)力(ら)よ、汝我をたすけ、我をしてわが腦裏に捺(お)されたる祝(めぐ)福(み)の國の薄(うす)れし象(かた)を顯(あら)はさしめなば
汝はわが汝の愛(めづ)る樹の下(もと)にゆきてその葉を冠となすを見む、詩題と汝、我にかく爲(する)をえしむればなり
父よ、皇(チェ)帝(ーザレ)または詩人の譽(ほまれ)のために摘(つ)まるゝことのいと罕(まれ)なれば︵人の思ひの罪と恥なり︶
ペネオの女(むすめ)の葉人をして己にかはかしむるときは、悦び多きデルフォの神に喜びを加へざることあらじ
それ小さき火花にも大いなる焔ともなふ、おそらくは我より後、我にまさる馨ありて祈(ね)ぎ、チルラの應(こたへ)をうるにいたらむ
世界の燈(ともしび)多くの異(こと)なる處より上(のぼ)りて人間にあらはるれども、四の圈相合して三の十字を成す處より
出づれば、その道まさり、その伴ふ星またまさる、而(しか)してその己が性(さが)に從ひて世の蝋を整(とゝの)へ象(かた)を捺(お)すこといよ〳〵著(いちじる)し
かしこを朝(あした)こゝを夕(ゆふべ)となしゝ日は殆どかゝる處よりいで、いまやかの半球みな白く、その他(ほか)は黒かりき
この時我見しに、ベアトリーチェは左に向ひて目を日にとめたり、鷲だにもかくばかりこれを凝(みつ)視(め)しことあらじ
第二の光線常に第一のそれよりいでゝ再び昇る、そのさま歸るを願ふ異郷の客に異ならず
かくのごとく、彼の爲(な)す所――目を傳ひてわが心の内に入りたる――よりわが爲す所いで、我は世の常を超(こ)えて目を日に注げり
元(もと)來(より)人の住(すま)處(ひ)として造られたりしところなれば、こゝにてはわれらの力に餘りつゝかしこにてはわれらが爲すをうること多し
わが目のこれに堪(た)ふるをえしはたゞ些(すこし)の間なりしも、そがあたかも火よりいづる熱鐡の如く火花をあたりに散(ちら)すを見ざる程ならざりき
しかして忽ち晝晝に加はり、さながらしかすることをうる者いま一の日輪にて天を飾れるごとく見えたり
ベアトリーチェはその目をひたすら永(とこ)遠(しへ)の輪にそゝぎて立ち、我はわが目を上より移して彼にそゝげり
かれの姿を見るに及び、わが衷(うち)あたかもかのグラウコが己を海の神々の侶たらしむるにいたれる草を味へる時の如くになりき
抑(そも)々(〳〵)超人の事たるこれを言葉に表(あら)はし難し、是故に恩(めぐ)惠(み)によりてこれが驗(ためし)を經(ふ)べき者この例をもて足(た)れりとすべし
天を統(すべ)治(をさ)むる愛よ、我は汝が最後に造りし我の一部に過ぎざりしか、こは聖(みひ)火(かり)にて我を擧げし汝の知り給ふ所なり
慕はるゝにより汝が無窮となしゝ運行、汝の整(とゝの)へかつ頒(わか)つそのうるはしき調(しらべ)をもてわが心を引けるとき
日輪の焔いとひろく天を燃(もや)すと見えたり、雨または河といふともかくひろがれる湖(うみ)はつくらじ
音(おと)の奇(くす)しきと光の大いなるとは、その原(も)因(と)につき、未だ感じゝことなき程に強き願ひをわが心に燃(もや)したり
是においてか、我を知ることわがごとくなりし淑女、わが亂るゝ魂を鎭(しづ)めんとて、我の未だ問はざるさきに口を啓(ひら)き
いひけるは。汝謬(あやま)れる思ひをもて自ら己を愚(おろか)ならしむ。是故にこれを棄つれば見ゆるものをも汝は見るをえざるなり
汝は汝の信ずるごとく今地上にあるにあらず、げに己が處を出でゝ馳(は)する電(いな)光(づま)疾(はや)しといへども汝のこれに歸るに及ばじ。
わが第一の疑ひはこれらの微(ほゝ)笑(ゑ)める短き詞(ことば)によりて解けしかど、一の新(あらた)なる疑ひ起りていよ〳〵いたく我を絡(から)めり
我即ち曰(い)ふ。かの大いなる驚(あや)異(しみ)につきてはわが心既に足りて安んず、されどいかにしてわれ此等の輕き物體を超(こ)えて上(のぼ)るや、今これを異(あやし)とす
是においてか彼、一の哀(あは)憐(れみ)の大(とい)息(き)の後、狂へる子を見る母のごとく、目をわが方にむけて
いふ。凡(およ)そありとしあらゆる物、皆その間に秩序を有す、しかしてこれは、宇宙を神の如くならしむる形式ぞかし
諸々の尊く造られし物、永(とこ)遠(しへ)の威(ちか)能(ら)︵これを目(めあ)的(て)としてかゝる法(のり)は立てられき︶の跡をこの中に見る
わがいふ秩序の中に自然はすべて傾けども、その分(ぶん)異(こと)なりて、己が源にいと近きあり然らざるあり
是故にみな己が受けたる本能に導かれつゝ、存在の大(おほ)海(うみ)をわたりて多くの異なる湊(みなと)にむかふ
火を月の方に送るも是(これ)、滅ぶる心を動かすも是、地を相寄せて一にするもまた是なり
またこの弓は、たゞ了(さと)知(り)なきものゝみならず、智あり愛あるものをも射放つ
かく萬有の次第を立つる神の攝理は、いと疾(と)くめぐる天をつゝむ一の天をば、常にその光によりてしづかならしむ
今やかしこに、己が射放つ物をばすべて樂しき的(まと)にむくる弦(つる)の力我等を送る、あたかも定(さだま)れる場所におくるごとし
されどげに、材默(もだ)して應(こた)へざるため形しば〳〵技藝の工(くふ)夫(う)に配(そ)はざるごとく
被(つく)造(られ)物(しもの)またしば〳〵この路を離る、そはこれは、かく促(うなが)さるれども、もし最初の刺戟僞りの快(けら)樂(く)の爲に逸(そ)れて
これを地に向はしむれば、その行(ゆく)方(へ)を誤る︵あたかも雲より火の墜(おつ)ることあるごとく︶ことをうればなり
わが量(はか)るところ正しくば、汝の登るはとある流れの高山より麓(ふもと)に下り行くごとし、何ぞ異(あやし)とするに足らんや
汝障(しや)礙(うげ)を脱しつゝなほ下に止まらば、是かへつて汝における一の不思議にて、地上に靜なることの燃ゆる火における如くなるべし。
かくいひて再び顏を天にむけたり
第二曲
あゝ聽かんとて小(をぶ)舟(ね)に乘りつゝ、歌ひて進むわが船のあとを追ひ來れる人等よ
立歸りて再び汝等の岸を見よ、沖に浮びいづるなかれ、恐らくは汝等我を見ずしてさまよふにいたるべければなり
わがわたりゆく水は人いまだ越えしことなし、ミネルヴァ氣(い)息(き)を嘘(ふ)き、アポルロ我を導き、九のムーゼ我に北斗を指示す
また數少きも、天使の糧(かて)︵世の人これによりて生くれど飽(あ)くにいたらず︶にむかひて疾(と)く項(うなじ)を擧(あ)げし人等よ
水の面(おもて)の再び平らかならざるさきにわが船(ふな)路(ぢ)の跡をたどりつゝ海(うな)原(ばら)遠く船を進めよ
イアソンが耕(たが)人(やすひと)となれるをコルコに渡れる勇(つは)士(もの)等の見し時にもまさりて汝等驚き異(あやし)まむ
神(かん)隨(ながら)の王國を求むる本然永(えい)劫(ごふ)の渇(かわき)われらを運び、その速なること殆ど天のめぐるに異ならず
ベアトリーチェは上(う)方(へ)を、我は彼を見き、しかして矢の弦(つる)を離れ、飛び、止(とゞ)まるばかりの間に
我は奇(くす)しき物ありてわが目をこれに惹(ひ)けるところに着きゐたり、是においてかわが心の作(はた)用(らき)をすべて知れる淑女
その美しさに劣(おと)らざる悦びを表(あら)はしわが方にむかひていふ。われらを第一の星と合せたまひし神に感謝の心を獻(さゝ)ぐべし。
日に照らさるゝ金剛石のごとくにて、光れる、濃(こ)き、固き、磨ける雲われらを蔽ふと見えたりき
しかしてこの不朽の眞珠は、あたかも水の分れずして光線を受け入るゝごとく、我等を己の内に入れたり
一の量のいかにして他の量を容(い)れたりし――體、體の中に入らばこの事なきをえざるなり――やは人知り難し、されば我もし
肉體なりしならんには、神入相結ぶ次第を顯はすかの至聖者を見んとの願ひ、愈々強くわれらを燃(もや)さゞるをえず
信仰に由(よ)りて我等が認むる所の物もかしこにては知らるべし、但し證(あかし)せらるゝに非(あら)ず、人の信ずる第一の眞理の如くこの物自(おのづ)から明らかならむ
我答ふらく。わが淑女よ、我は人間世界より我を移したまへる者に、わが眞(まご)心(ゝろ)を盡して感謝す
されど告げよ、この物體にありて、かの下界の人々にカインの物語を爲(な)さしむる多くの黒き斑(ほし)は何ぞや。
彼少しく微(ほゝ)笑(ゑ)みて後いふ。官能の鑰(かぎ)の開くをえざる處にて人思ひ誤るとも
げに汝今驚きの矢に刺さるべきにはあらず、諸々の官能にともなふ理性の翼の短きを汝すでに知ればなり
されど汝自らこれをいかに思ふや、我に告げよ。我。こゝにてわれらにさま〴〵に見ゆるものは、思ふに體の粗密に由來す。
彼。もしよく耳をわが反論に傾けなば、汝は必ず汝の思ひの全く虚僞に陷(おちい)れるを見む
それ第八の天球の汝等に示す光は多し、しかしてこれらはその質と量とにおいて各々あらはるゝ姿を異にす
もし粗密のみこれが原(も)因(と)ならば、同じ一の力にてたゞ頒(わか)たれし量を異にしまたはこれを等しうするもの凡(すべ)ての光の中にあらむ
力の異なるは諸々の形式の原理の相異なるによらざるをえず、然るに汝の説に從へば、これらは一を除くのほか皆亡び失はるにいたる
さてまた粗なること、汝の尋(たづ)ぬるかの斑(はん)點(てん)の原(も)因(と)ならば、この遊星には、その材の全く乏しき處あるか
さらずば一の肉體が脂(あぶら)と肉とを頒(わか)つごとく、この物もまたその書(ふみ)の中に重(かさ)ぬる紙を異にせむ
もし第一の場合なりせば、こは日蝕の時、光の射(い)貫(ぬ)く︵他の粗なる物體に引入れらるゝ時の如く︶ことによりて明らかならむ
されどこの事なきがゆゑに、殘るは第二の場合のみ、我もしこれを打消すをえば、汝の思ひの誤れること知らるべし
もしこの粗、穿(うが)ち貫(つらぬ)くにいたらずば、必ず一の極(きは)限(み)あり、密こゝにこれを阻(はゞ)みてそのさらに進むをゆるさじ
しかしてかしこより日の光の反(てり)映(かへ)すこと、鉛を後(うし)方(ろ)にかくす玻(は)璃(り)より色の歸るごとくなるべし
是においてか汝はいはむ、奧深き方より反(てり)映(かへ)すがゆゑに、かしこにてはほかの處よりも光暗しと
汝等の學術の流れの源(もと)となる習(ならはし)なる經驗は――汝もしこれに徴せば――この異論より汝を解くべし
汝三の鏡をとりて、その二をば等しく汝より離し、殘る一をさらに離してさきの二の間に見えしめ
さてこれらに對(むか)ひつゝ、汝の後(うしろ)に一の光を置きてこれに三の鏡を照らさせ、その三より汝の方に反(てり)映(かへ)らせよ
さらば汝は、遠き方よりかへる光が、量において及ばざれども、必ず等しくかゞやくを見む
今や汝の智、あたかも雪の下にある物、暖き光に射られて、はじめの色と冷(つめた)さとを
失ふごとくなりたれば、汝の目にきらめきてみゆるばかりに強き光を我は汝にさとらしむべし
それいと聖なる平安を保つ天の中に一の物體のめぐるあり、これに包まるゝ凡(すべ)ての物の存在はみなこれが力に歸(き)す
その次にあたりてあまたの光ある天は、かの存在を頒ちて、これを己と分たるれども己の中に含まるゝさま〴〵の本質に與へ
他の諸々の天は、各々異なる状(さま)により、その目(めあ)的(て)と種(たね)とにむかひて、己が衷(うち)なる特性をとゝのふ
かゝればこれらの宇宙の機關は、上より受けて下に及ぼし、次第を逐(お)ひて進むこと、今汝の知るごとし
汝よく我を視、汝の求むる眞理にむかひてわがこの處を過ぎ行くさまに心せよ、さらばこの後獨(ひと)りにて淺瀬を渡るをうるにいたらむ
そも〳〵諸天の運行とその力とは、あたかも鍛(か)工(ぢ)より鐡(つ)槌(ち)の技(わざ)のいづるごとく、諸々のたふとき動(うご)者(かすもの)よりいでざるべからず
しかしてかのあまたの光に飾らるゝ天は、これをめぐらす奧深き心より印(か)象(た)を受けかつこれを捺(お)す
また汝等の塵(ちり)の中なる魂がさま〴〵の能(ちか)力(ら)に應じて異なる肢(した)體(い)にゆきわたるごとく
かの天を司(つかさど)るもの、またその徳をあまたにしてこれを諸々の星に及ぼし、しかして自ら一(いつ)なることを保(たも)ちてめぐる
さま〴〵の力その活(い)かす貴(たふと)き物體︵力のこれと結びあふこと生(いの)命(ち)の汝等におけるが如し︶と合して造る混(まぜ)合(も)物(の)一(いつ)ならじ
悦び多き性(さが)より流れ出づるがゆゑに、この混(まじ)れる力、物體の中に輝き、あたかも生くる瞳の中に悦びのかゞやくごとし
光と光の間にて異なりと見ゆるものゝ原(も)因(と)、げに是にして粗密にあらず、是ぞ即ち形式の原理
己が徳に從つてかの明暗を生ずる物なる。
第三曲
さきに愛をもてわが胸をあたゝめし日輪、是(ぜ)と非(ひ)との證(あかし)をなして、美しき眞理のたへなる姿を我に示せり
されば我は、わがはや誤らず疑はざるを自白せんため、物言はんとてほどよく頭(かうべ)を擧(あ)げしかど
このとき我に現はれし物あり、いとつよくわが心を惹(ひ)きてこれを見るに專(もつぱら)ならしめ、我をしてわが告白を忘れしむ
透(す)きとほりて曇(くもり)なき玻璃または清く靜にてしかして底の見えわかぬまで深きにあらざる水に映(うつ)れば
われらの俤(おもかげ)かすかに見えて、さながら白き額(ひたひ)の眞珠のたゞちに瞳に入らざるに似たり
我また語るを希(ねが)ふ多くのかゝる顏を見しかば、人と泉との間に戀を燃(もや)したるその誤りの裏をかへしき
かの顏を見るや、我はこれらを物に映(うつ)れる姿なりとし、その所(もち)有(ぬ)者(し)の誰なるをみんとて直ちに目をめぐらせり
されど何をも見ざりしかば、再びこれを前にめぐらし、うるはしき導者――彼は微(ほゝ)笑(ゑ)み、その聖なる目輝きゐたり――の光に注げり
彼我に曰ふ。汝の思ひの稚(をさな)きをみて我のほゝゑむを異(あや)しむなかれ、汝の足はなほいまだ眞理の上にかたく立たず
その常の如く汝を空(くう)にむかはしむ、そも〳〵汝の見るものは、誓ひを果さゞりしためこゝに逐はれし眞(まこと)の靈なり
是故に彼等と語り、聽きて信ぜよ、彼等を安んずる眞(まこと)の光は、己を離れて彼等の足の迷ふを許さゞればなり。
我は即ち最も切(せち)に語るを求むるさまなりし魂にむかひ、あたかも願ひ深きに過ぎて心亂るゝ人の如く、いひけるは
あゝ生(しや)得(うとく)の幸(さち)ある靈よ、味はゝずして知るによしなき甘さをば、永(とこ)遠(しへ)の生(いの)命(ち)の光によりて味(あぢは)ふ者よ
汝の名と汝等の状(あり)態(さま)とを告げてわが心をたらはせよ、さらば我悦ばむ。是においてか彼ためらはず、かつ目に笑(ゑみ)をたゝへつゝ
我等の愛は、その門を正しき願ひの前に閉ぢず、あたかも己が宮(みや)人(びと)達のみな己と等しきをねがふ愛に似たり
我は世にて尼なりき、汝もしよく記憶をたどらば、昔にまさるわが美しさも我を汝にかくさずして
汝は我のピッカルダなることを知らむ、これらの聖徒達とともに我こゝに置かれ、いとおそき球の中にて福(さいはひ)を受く
さてまたわれらの情は、たゞ聖靈の意(こゝろ)に適(かな)ふものにのみ燃(もや)さるゝが故に、その立つる秩序によりて整(とゝの)へらるゝことを悦ぶ
しかしてかくいたく劣(おと)りて見ゆる分のわれらに與へられたるは、われら誓ひを等(なほ)閑(ざり)にし、かつ缺く處ありしによるなり。
是においてか我彼に。汝等の奇(くす)しき姿の中には、何ならむ、いと聖なるものありて輝き、昔の容(かたち)變りたれば
たゞちに思ひ出るをえざりき、されど汝の我にいへること今我をたすけ我をして汝を認め易(やす)からしむ
請(こ)ふ告げよ、汝等こゝにて福(さいはひ)なる者よ、汝等はさらに高き處に到りてさらに多く見またはさらに多くの友を得るを望むや。
他の魂等とともに彼まづ少しく微(ほゝ)笑(ゑ)みて後、初戀の火に燃ゆと見ゆるほど、いとよろこばしげに答ふらく
兄弟よ、愛の徳われらの意(こゝろ)を鎭(しづ)め、我等をしてわれらの有(も)つ物をのみ望みて他の物に渇(かわ)くなからしむ
我等もしさらに高からんことをねがはゞ、われらの願ひは、われらをこゝと定むる者の意(こゝろ)に違ふ
もし愛の中にあることこゝにて肝要ならば、また汝もしよくこの愛の性(さが)を視(み)ば、汝はこれらの天にこの事あるをえざるを知らむ
げに常に神の聖(みこ)意(ゝろ)の中にとゞまり、これによりて我等の意(こゝろ)一となるは、これこの福(さいはひ)なる生の素(もと)なり
されば我等がこの王國の諸天に分れをる状(さま)は、王︵我等の思ひを己が思ひに配(そ)はしむる︶の心に適(かな)ふ如く全王國の心に適ふ
聖(みこ)意(ゝろ)はすなはちわれらの平和、その生み出だし自然の造る凡ての物の流れそゝぐ海ぞかし。
天のいづこも天堂にて、たゞかしこに至上の善の恩(めぐ)惠(み)の一樣に降(ふ)らざるのみなること是時我に明らかなりき
されど人もし一の食(くひ)物(もの)に飽き、なほ他に望む食物あれば、此を求めてしかして彼のために謝す
我も姿、詞(ことば)によりてまたかくの如くになしぬ、こは彼がいかなる機(はた)を織るにあたりて杼(ひ)を終りまで引かざりしやを彼より聞かんとてなりき
彼我に曰(い)ふ。完き生涯と勝(すぐ)るゝ徳とはひとりの淑女をさらに高き天に擧ぐ、その法(のり)に從ひて衣を着(き)面(かほ)を付(つく)る者汝等の世にあり
彼等はかくしてかの新(はな)郎(むこ)、即ち愛より出るによりて己が心に適(かな)ふ誓ひをすべてうけいるゝ者と死に至るまで起(おき)臥(ふし)を倶(とも)にせんとす
かの淑女に從はんため我若うして世を遁(のが)れ、身に彼の衣を纏(まと)ひ、またわが誓ひをその派の道に結びたり
その後、善よりも惡に親しむ人々、かのうるはしき僧院より我を引放しにき、神知り給ふ、わが生涯のこの後いかになりしやを
またわが右にて汝に現はれ、われらの天のすべての光にもやさるゝこの一の輝(かゞやき)は
わが身の上の物語を己が身の上の事と知る、彼も尼なりき、また同じさまにてその頭(かうべ)より聖なる首(かし)の陰(かげ)を奪はる
されど己が願ひに背(そむ)きまた良(よ)き習(ならはし)に背きてげに世に還(かへ)れる後にも、未だ嘗(かつ)て心の面(かほ)を釋(と)くことなかりき
こはソアーヴェの第二の風によりて第三の風即ち最後の威(ちか)力(ら)を生みたるかの大いなるコスタンツァの光なり。
かく我に語りて後、かれはアーヴェ・マリーアを歌ひいで、さてうたひつゝ、深き水に重き物の沈む如く消(きえ)失(う)せき
見ゆるかぎり彼のあとを追ひしわが目は、これを見るをえざるに及び、さらに大いなる願ひの目(めあ)的(て)にかへり來りて
全くベアトリーチェにそゝげり、されど淑女いとつよくわが目に煌(きら)めき、視(みる)力(ちから)はじめこれに耐(た)へざりしかば
わが問これがために後(おく)れぬ。
第四曲
等(ひと)しく隔(へだた)り等しく誘(いざな)ふ二の食(くひ)物(もの)の間にては、自由の人、その一をも齒に觸れざるさきに饑(う)ゑて死すべし
かくの如く、二匹の猛(たけ)き狼の慾と慾との間にては一匹の羔(こひつじ)ひとしくこれを恐れて動かず、二匹の鹿の間にては一匹の犬止まらむ
是故に、二の疑ひに等(ひと)しく促(うなが)されて、我默(もだ)せりとも、こは已(や)むをえざるにいづれば、我は己を責めもせじ讚(ほ)めもせじ
我は默せり、されどわが願ひとともにわが問は言葉に明らかに現はすよりもはるかに強くわが顏にゑがゝる
ベアトリーチェはあたかもナブコッドノゾルの怒り︵彼を殘忍非道となしたる︶をしづめし時に當りてダニエルロの爲(な)しゝ如くになしき
即ち曰ふ。我は汝が二の願ひに引かるゝにより、汝の思ひむすぼれて言葉に出でざるを定(さだ)かに見るなり
汝論(あげつら)ふらく、善き願ひだに殘らんには、何故にわが功徳の量、人の暴(しへ)虐(たげ)のために減(へ)るやと
加(しか)之(のみならず)、プラトネの教へしごとく、魂、星に歸るとみゆること、また汝に疑ひを起さしむ
この二こそ汝の思ひをひとしく壓(お)すところの問(とひ)なれ、されば我まづ毒多き方(かた)よりいはむ
セラフィーンの中にて神にいと近き者も、モイゼもサムエールもジョヴァンニ︵汝いづれを選ぶとも︶も、げにマリアさへ
今汝に現はれし諸(もろ)々(〳〵)の靈と天を異(こと)にして座するにあらず、またその存在の年(とし)數(かず)これらと異なるにもあらず
凡(すべ)ての者みな第一の天を――飾る、たゞ永(とこ)遠(しへ)の聖(みい)息(き)を感ずるの多少に從ひ、そのうるはしき生に差(けぢ)別(め)あるのみ
これらのこゝに現はれしは、この球がその分と定められたるゆゑならずしてその天界の最(いと)低(ひく)きを示さんためなり
汝等の才に對(むか)ひてはかくして語らざるをえず、そは汝等の才は、後(のち)智に照らすにいたる物をもたゞ官能の作(はた)用(らき)によりて識(し)ればなり
是においてか聖書は汝等の能(ちか)力(ら)に準じ、手と足とを神に附して他の意義に用ゐ
聖なる寺院は、ガブリエール、ミケール、及びかのトビアを癒(いや)しゝ天使をば人の姿によりて汝等にあらはす
ティメオが魂について論(あげつら)ふところは、こゝにて見ゆる物に似ず、これ彼はそのいふごとく信ずと思はるゝによりてなり
即ち魂が、自然のこれに肉體を司らしめし時、己の星より分れ出たるものなるを信じて、彼はこの物再びかしこに歸るといへり
或は彼の説く所、その語(ことば)の響と異なり、侮(あなど)るべからざる意義を有することあらむ
もしそれこれらの天にその影響の譽(ほまれ)も毀(そしり)も歸る意ならば、その矢いくばくか眞理に中(あた)らむ
この原理誤り解(げ)せられてそのかみ殆ど全世界を枉(ま)げ、これをして迷ひのあまりジョーヴェ、メルクリオ、マルテと名づけしむ
汝を惱ますいま一の疑ひは毒少し、そはその邪惡も、汝を導きて我より離すあたはざればなり
われらの正義が人間の目に不正とみゆるは即ち信仰の過(くわ)程(てい)にて異端邪説の過程にあらず
されど汝等の知慧よくこの眞理を穿(うが)つことをうるがゆゑに、我は汝の望むごとく汝に滿足をえさすべし
もし暴(あらび)とは、強(し)ひらるゝ人いさゝかも強ふる人に與(くみ)せざる時生ずるものゝ謂(いひ)ならば、これらの魂はこれによりて罪を脱(のが)るゝことをえじ
そは意志は自ら願ふにあらざれば滅びず、あたかも火が千(ちた)度(び)強ひて撓(たわ)めらるともなほその中なる自然の力を現はす如く爲せばなり
是故に意志の屈するは、その多少を問はず、暴(あらび)にこれの從ふなり、而(しか)してこれらの魂は聖(せい)所(じよ)に歸るをうるにあたりてかくなしき
鐡(てつ)架(きう)の上の苦しみに堪(た)へしロレンツォ、わが手につらかりしムツィオのごとく、彼等の意志全(まつた)かりせば
彼等が自由となるに及び、この意志直ちに彼等をしてその強ひられて離れし路に再び還(かへ)らしめしなるべし、されどかく固き意志極めて稀(まれ)なり
汝よくこれらの言葉を心にとめてさとれるか、さらばこの後汝をしば〳〵惱ますべかりし疑ひは、はや必ず解けたるならむ
されど汝の眼(めの)前(まへ)に今なほ横たはる一の路あり、こはいと難(かた)き路なれば汝獨(ひと)りにてはこれを出でざるさきに疲れむ
我あきらかに汝に告げて、福(さいはひ)なる魂は常に第一の眞(まこと)に近くとゞまるがゆゑに僞(いつは)るあたはずといへることあり
後汝はコスタンツァがその面(かほ)をば舊(もと)の如く慕へる事をピッカルダより聞きたるならむ、さればこれとわが今茲(こゝ)にいふ事と相反すとみゆ
兄弟よ、人難を免(まぬが)れんため、わが意に背(そむ)き、その爲すべきにあらざることをなしゝ例(ためし)は世に多し
アルメオネが父に請(こ)はれて己が生の母を殺し、孝を失はじとて不孝となりしもその一なり
かゝる場合については、請ふ思へ、暴(あらび)意志とまじりて相共にはたらくがゆゑに、その罪いひのがるゝによしなきことを
絶對の意志は惡に與(くみ)せず、そのこれに與するは、拒(こば)みてかへつて尚大いなる苦(なや)難(み)にあふを恐るゝことの如何に準ず
さればピッカルダはかく語りて絶對の意志を指(さ)し、我は他の意志を指す、ふたりのいふところ倶に眞(まこと)なり。
一切の眞理の源なる泉よりいでし聖なる流れかくその波を揚(あ)げ、かくして二の願ひをしづめき
我即ち曰ふ。あゝ第一の愛に愛せらるゝ者よ、あゝいと聖なる淑女よ、汝の言(ことば)我を潤(うるほ)し我を暖め、かくして次第に我を生かしむ
されどわが愛深からねば汝の恩(めぐ)惠(み)に謝するに足らず、願はくは全智全能者これに應(こた)へ給はんことを
我よく是を知る、我等の智は、かの眞(まこと)︵これより外には眞なる物一だになし︶に照らされざれば、飽(あ)くことあらじ
智のこれに達するや、あたかも洞の中に野(のの)獸(けもの)の憩(いこ)ふ如く、直ちにその中にいこふ、またこはこれに達するをう、然らずばいかなる願ひも空ならむ
是故に疑ひは眞理の根より芽の如くに生ず、しかしてこは峰より峰にわれらを促し巓(いたゞき)にいたらしむる自然の途なり
淑女よ、この事我を誘ひ我を勵まし、いま一の明らかならざる眞理についてうや〳〵しく汝に問はしむ
請ふ告げよ、人その破れる誓ひの爲、汝等の天(はか)秤(り)に懸(か)くるも輕からぬほど他の善をもて汝等に贖(あがなひ)をなすことをうるや。
ベアトリーチェは愛の光のみち〳〵しいと聖なる目にて我を見き、さればわが視(みる)力(ちから)これに勝たれで背(うしろ)を見せ
我は目を垂(た)れつゝ殆ど我を失へり。
第五曲
われ世に比(たぐ)類(ひ)なきまで愛の焔に輝きつゝ汝にあらはれ、汝の目の力に勝つとも
こは全き視力――その認むるに從つて、認めし善に進み入る――より出づるがゆゑにあやしむなかれ
われあきらかに知る、見らるゝのみにてたえず愛を燃す永(とこ)遠(しへ)の光、はや汝の智の中にかゞやくを
もし他の物汝等の愛を迷はさば、こはかの光の名殘がその中に映(さ)し入りて見誤らるゝによるのみ
汝の知らんと欲するは、果(はた)されざりし誓ひをば人他の務(つとめ)によりて償(つぐの)ひ、魂をして論(あら)爭(そひ)を免(まぬが)れしむるをうるや否(いな)やといふ事是なり。
ベアトリーチェはかくこの曲(カント)をうたひいで、言葉を斷(た)たざる人のごとく、聖なる教へを續けていふ。
それ神がその裕(ゆたか)なる恩(めぐ)惠(み)により造りて與へ給へる物にて最もその徳に適(かな)ひかつその最も重んじ給ふ至大の賜(たまもの)は
即ち意志の自由なりき、知慧ある被造物は皆、またかれらに限り、昔これを受け今これを受く
いざ汝推(お)して知るべし、人肯(うけが)ひて神また肯ひかくして誓ひ成るならんには、そのいと貴(とほと)きものなることを
そは神と人との間に契約を結ぶにあたりては、わがいふ如く貴きこの寶犧(いけ)牲(にへ)となり、かつかくなるも己が作(はた)用(らき)によればなり
されば何物をもて償(つぐのひ)となすことをえむ、捧げし物を善く用ゐんと思ふは是※(ぞう)物(ぶつ)﹇#﹁貝+藏﹂、38-6﹈をもて善事を爲さんとねがふなり
汝既に要點を會(ゑと)得(く)す、されど聖なる寺院は誓ひより釋(と)き、わが汝にあらはしゝ眞理に背(そむ)くとみゆるがゆゑに
汝なほ食(つく)卓(ゑ)に向ひてしばらく坐すべし、汝のくらへる硬(かた)き食(くひ)物(もの)はその消(こ)化(な)るゝ爲になほ助けを要(もと)むればなり
心を開きて、わが汝に示すものを受け、これをその中に收めよ、聽きて保(たも)たざるは知識をうるの道にあらじ
それ二の物相合してこの犧(いけ)牲(にへ)の要素を成す、一はその作らるゝ基(もと)となるもの一は即ち契約なり
後者は守るにあらざれば消えず、但しこれについては我既にいとさだかに述べたり
是故に希(エブ)伯(レオ)來(び)人(と)は、捧ぐる物の如何によりこれを易(か)ふるをえたれども︵汝必ず是を知らん︶、なほ献(さゝ)物(げもの)をなさゞるをえざりき
前者即ち汝に材とし知らるゝものは、これを他の材に易(か)ふとも必ず咎(とが)となるにはあらず
されど黄白二の鑰(かぎ)のめぐるなくば何人もその背に負(お)へる荷を、心のまゝにとりかふべからず
かつ取らるゝ物が置かるゝ物を容(い)るゝことあたかも六の四における如くならずば、いかに易ふとも徒(いたづら)なるを信ずべし
是故に己が價(ねう)値(ち)によりていと重くいかなる天(はか)秤(り)をも引(ひき)下(さ)ぐる物にありては、他の費(つひえ)をもて償(つぐな)ふことをえざるなり
人よ誓ひを戲(たは)事(ぶれごと)となす勿れ、これに忠なれ、されどイエプテのその最初の供(くも)物(つ)におけるごとく輕々しくこれを立るなかれ
守りてしかしてまされる惡を爲さんより、彼は宜(よろ)しく我あしかりきといふべきなりき、汝はまたギリシア人(びと)の大將のかく愚(おろか)なりしをみむ
さればイフィジェニアはその妍(みめよ)きがために泣き、かゝる神(じん)事(じ)を傳へ聞きたる賢者愚者をしてまた彼の爲に泣かしむ
基(クリ)督(ステ)教(ィア)徒(ーニ)よ、おも〳〵しく身を動かし、いかなる風にも動く羽のごとくなるなかれ、いかなる水も汝等を洗ふと思ふなかれ
汝等に舊約新約あり、寺院の牧者の導くあり、汝等これにて己が救ひを得るに足る
もし邪慾汝等に他の途(みち)を勸(すゝ)めなば、汝等人たれ、愚(おろか)なる羊となりて汝等の中の猶(ジュ)太(デー)人(アびと)に笑はるゝなかれ
己が母の乳を棄て、思(こゝ)慮(ろ)なく、浮(うか)れつゝ、好みて自ら己と戰ふ羔(こひつじ)のごとく爲すなかれ。
わがこゝに記(しる)すごとく、ベアトリーチェかく我に、かくていとなつかしき氣(けし)色(き)にて、宇宙の最も生氣に富める處にむかへり
その沈默と變(かは)貌(れるすがた)とは、わが飽(あ)くなきの智、はや新しき問を起しゐたりしわが智に默(もだ)せと命じき
しかしてあたかも弦(つる)のしづかならざる先に的(まと)に中(あた)る矢のごとく、われらは馳(は)せて第二の王國にいたれり
われ見しに、かの天の光の中に入りしとき、わが淑女いたくよろこび、かの星自らそがためいよ〳〵輝きぬ
星さへ變りてほゝゑみたりせば、己が性(さが)のみによりていかなるさまにも變るをうる我げにいかになりしぞや
しづかなる清き池の中にて、魚もしその餌とみゆる物の外(そと)より入來るをみれば、これが邊(ほとり)にはせよるごとく
千餘の輝われらの方にはせよりき、おの〳〵いふ。見よわれらの愛をますべきものを。
しかして各々われらの許(もと)に來るに及び、我は魂が、その放つ光のあざやかなるによりて、あふるゝ悦びをあらはすを見たり
讀者よ、この物語續かずばその先を知るあたはざる汝の苦しみいかばかりなるやを思へ
さらば汝自ら知らむ、これらのものわが目に明らかに見えし時、彼等よりその状(あり)態(さま)を聞かんと思ふわが願ひのいかに深かりしやを
あゝ良(よき)日(ひ)の下(もと)に生れ、戰ひ未だ終らざるに恩(めぐ)惠(み)に許されて永(とこ)遠(しへ)の凱旋の諸々の寶(くら)座(ゐ)を見るを得る者よ
遍(あまね)く天に滿(み)つる光にわれらは燃(もや)さる、是故にわれらの光をうくるをねがはゞ、汝心のまゝに飽(あ)け。
信心深きかの靈の一我にかくいへるとき、ベアトリーチェ曰ふ。いへ、いへ、臆(おく)する勿(なか)れ、かれらを神々の如く信ぜよ。
我よく汝が己の光の中に巣(す)くひて目よりこれを出すをみる、汝笑へば目煌(きら)めくによりてなり
されど尊き魂よ、我は汝の誰なるやを知らず、また他の光に蔽はれて人間に見えざる天の幸(さち)をば何故にうくるやを知らず。
さきに我に物言へる光にむかひて我かくいへり、是においてかそのかゞやくこと前よりはるかに強かりき
あたかも日輪が︵濃(こ)き水氣の幕その熱に噛(かみ)盡(つく)さるれば︶そのいと強き光に己をかくすごとく
かの聖なる姿は、まさる悦びのため己が光の中にかくれ、さてかく全く籠(こも)りつゝ、我に答へき
次の曲(カント)の歌ふごとく
第六曲
コスタンティーンが鷲をして天の運行に逆(さから)はしめし︵ラヴィーナを娶(めと)れる昔(むか)人(しのひと)に附きてこの鷲そのかみこれに順(したが)へり︶時より以(この)來(かた)
二百年餘の間、神の鳥はエウローパの際(は)涯(て)、そがさきに出でし山々に近き處にとゞまり
かしこにてその聖なる翼の陰に世を治めつゝ、手より手に移り、さてかく變りてわが手に達せり
我は皇(チェ)帝(ーザレ)なりき、我はジュスティニアーノなり、今わが感ずる第一の愛の聖(みむ)旨(ね)によりてわれ律(おき)法(て)の中より過(あま)剩(れるもの)と無(えき)益(なき)物(もの)とを除きたり
未だこの業(わざ)に當らざりしさき、われはクリストにたゞ一の性(さが)あるを信じ、かつかゝる信仰をもて足(た)れりとなしき
されど至高の牧者なるアガピート尊者、その言葉をもて我を正しき信仰に導けり
我は彼を信じたり、しかして今我彼の信ずる所をあきらかに見ることあたかも汝が一切の矛(むじ)盾(ゅん)の眞なり僞やなるを見るごとし
われ寺院と歩みを合せて進むに及び、神はその恩(めぐ)惠(み)により我を勵ましてこの貴き業(わざ)を爲さしむるをよしとし、我は全く身をこれに捧げ
武器をばわがベリサルに委ねたりしに、天の右(め)手(で)彼に結ばりて、わが休むべき休(しる)徴(し)となりき
さて我既に第一の問に答へ終りぬ、されどこの答の性(さが)に強(し)ひられ、なほ他の事を加ふ
こは汝をしていかに深き理(ことわり)によりてかのいと聖なる旗に、これを我(わが)有(もの)となす者も將(はた)これに敵(はむか)ふ者も、ともに逆(さから)ふやを見しめん爲なり
パルランテがこれに王國を與へんとて死にし時を始めとし、見よいかなる徳のこれをあがむべき物とせしやを
汝知る、この物三百年餘の間アルバにとゞまり、その終り即ち三(みた)人(り)の三人とさらにこれがため戰ふ時に及べることを
また知る、この物サビーニの女達の禍ひよりルクレーチアの憂ひに至るまで七王の代に附(あた)近(り)の多くの民に勝ちていかなる業(わざ)をなしゝやを
知る、この物秀でしローマ人等の手にありてブレンノ、ピルロ、その他の君主等及び共和の國々と戰ひ、いかなる業(わざ)をなしゝやを
︵是等の戰ひにトルクァート、己が蓬(おど)髮(ろのかみ)に因(ちな)みて名を呼ばれたるクインツィオ、及びデーチとファービとはわが悦びて甚(いた)く尊(たふと)む譽(ほまれ)を得たり︶
アンニバーレに從ひて、ポーよ汝の源なるアルペの岩々を越えしアラビア人(びと)等の誇りをくじけるもこの物なりき
この物の下(もと)に、シピオネとポムペオとは年若うして凱旋したり、また汝の郷土に臨(のぞ)みて聳(そび)ゆる山にはこの物酷(つら)しと見えたりき
後、天が全世界を己の如く晴(のど)和(か)ならしめんと思ひし時に近き頃、ローマの意に從ひて、チェーザレこれを取りたりき
ヴァーロよりレーノに亘りてこの物の爲しゝことをばイサーラもエーラもセンナも見、ローダノを滿たすすべての溪(たに)もまた見たり
ラヴェンナを出でゝルビコンを越えし後このものゝ爲しゝ事はいとはやければ、詞(ことば)も筆も伴(ともな)ふ能(あた)はじ
士卒を轉(めぐ)らしてスパーニアに向ひ、後ドゥラッツオにむかひ、またファルサーリアを撃(う)ちて熱きニーロにも痛みを覺えしむるにいたれり
そが出立ちし處なるアンタンドロとシモエンタ、またかのエットレの休(やすら)ふところを再び見、後、身を震(ふる)はして禍ひをトロメオに與へ
そこよりイウバの許(もと)に閃(ひらめ)き下り、後、汝等の西に轉(めぐ)りてかしこにポムペオの角(らつぱ)を聞けり
次の旗手と共にこの物の爲しゝことをば、ブルートとカッシオ地獄に證(あかし)す、このものまたモーデナとペルージヤとを憂へしめたり
うれはしきクレオパトラは今もこの物の爲に泣く、彼はその前より逃げつゝ、蛇によりて俄(にはか)なる慘(むご)き死を遂(と)げき
かの旗手とともにこの物遠く紅の海(うみ)邊(べ)に進み、彼とともに世界をば、イアーノの神(み)殿(や)の鎖(とざ)さるゝほどいと安(やす)泰(らか)ならしめき
されどわが語(かた)種(りぐさ)なるこの旗が、これに屬する世の王國の全(すべ)體(て)に亘りて、さきに爲したりし事も後に爲すべかりし事も
小(さゝや)かにかつ朧(おぼろ)に見ゆるにいたらむ、人この物を、目を明らかにし思ひを清うして、第三のチェーザレの手に視なば
そはこの物彼の手にありしとき、我をはげます生くる正義は、己が怒りに報(むく)ゆるの譽(ほまれ)をこれに與へたればなり
いざ汝わが反(くり)復(かへ)語(しごと)を聞きて異(あや)しめ、この後この物ティトとともに、昔の罪を罰せんために進めり
またロンゴバルディの齒、聖なる寺院を嚼(か)みしとき、この物の翼の下にて勝ちつゝ、カルロ・マーニオこれを救へり
今や汝は、わがさきに難じし如き人々の何者なるやと凡(すべ)て汝等の禍ひの本なる彼等の罪のいかなるやとを自ら量(はか)り知るをえむ
彼(かれ)黄の百合を公(おほやけ)の旗に逆(さか)らはしむれば此(これ)一黨派の爲にこれを己が有(もの)となす、いづれか最も非なるを知らず
ギベルリニをして行はしめよ、他の旗の下(もと)にその術を行はしめよ、この旗を正義と離す者何ぞ善(よ)くこれに從ふことあらむ
またこの新しきカルロをして己がグエルフィと共にこれを倒さず、かれよりも強き獅子より皮を奪ひしその爪を恐れしめよ
子が父の罪の爲に泣くこと古來例多し、彼をして神その紋所を彼の百合の爲に變へ給ふと信ぜしむる勿(なか)れ
さてこの小さき星は、進みて多くの業(わざ)を爲しゝ諸々の善き靈にて飾らる、彼等のかく爲しゝは譽と美(よき)名(な)をえん爲なりき
しかして願ひ斯く路を誤りてかなたに昇れば、上(う)方(へ)に昇る眞(まこと)の愛、光を減ぜざるをえじ
されどわれらの報(むくい)が功徳と量を等しうすることわれらの悦びの一部を成す、われら彼の此より多からず少からざるを見ればなり
生くる正義はこの事によりてわれらの情をうるはしうし、これをして一度(たび)も歪(ゆが)みて惡に陷るなからしむ
さま〴〵の聲下界にて麗(うる)はしき節(ふし)となるごとく、さま〴〵の座(くらゐ)わが世にてこの諸々の球の間のうるはしき詞(しらべ)を整(とゝの)ふ
またこの眞珠の中にはロメオの光の光るあり、彼の美しき大いなる業(わざ)は正しく報(むく)いられざりしかど
彼を陷れしプロヴェンツァ人(びと)等笑ふをえざりき、是故に他(ひ)人(と)の善行をわが禍ひとなす者は即ち邪道を歩む者なり
ラモンド・ベリンギエーリには四(よた)人(り)の女(むすめ)ありて皆王妃となれり、しかしてこは賤しき旗客ロメオの力によりてなりしに
後(のち)かれ讒者の言に動かされ、この正しき人︵十にて七と五とをえさせし︶に清算を求めき
是においてか老いて貧しき身をもちて彼去りぬ、世もし一(ひと)口(くち)一口と食を乞ひ求めし時のその固き心を知らば
︵今もいたく讚(ほ)むれども︶今よりもいたく彼をほむべし。
第七曲
オザンナ、萬軍の聖なる神、己が光をもてこれらの王國の惠まるゝ火を上より照らしたまふ者。
二(ふた)重(へ)の光を重(かさ)ね纏(まと)ひしかの聖者は、その節(ふし)にあはせてめぐりつゝ、かく歌ふと見えたりき
しかしてこれもその他の者もみなまた舞ひいで、さていとはやき火花の如く、忽ちへだゝりてわが目にかくれぬ
われ疑ひをいだき、心の中にいひけるは。いへ、いへ、わが淑女にいへ、彼甘き雫(しづく)をもてわが渇(かわき)をとゞむるなれば。
されどたゞ﹁ベ﹂と﹁イーチェ﹂のみにて我を統(すべ)治(をさ)むる敬(うやまひ)我をして睡りに就く人の如く再びわが頭(かうべ)を垂れしむ
ベアトリーチェはたゞ少(しば)時(し)我をかくあらしめし後、火の中にさへ人を福(さいはひ)ならしむる微(ほゝ)笑(ゑみ)をもて我を照らしていひけるは
わが量(はか)るところ︵こは謬(あやま)ることあらじ︶によれば、汝思へらく、正しき罰いかにして正しく罰せらるゝをうるやと
されど我は速に汝の心を釋(とき)放(はな)つべし、いざ耳を傾けよ、そはわが詞(ことば)、大いなる教へを汝にさづくべければなり
それかの生れしにあらざる人は、己が益なる意志の銜(くつわ)に堪(た)へかねて、己を罪しつゝ、己がすべての子孫を罪せり
是においてか人類は、大いなる迷ひの中に、幾世の間、病みて下界に臥(ふ)ししかば、神の語(ことば)遂に世に降るをよしとし
その永(とこ)遠(しへ)の愛の作(はた)用(らき)のみにより、かの己が造(つく)主(りぬし)より離れし性(さが)を、かしこに神(かみ)結(むすび)にて己と合せ給ひたり
いざ汝わが今語るところに心をとめよ、己が造主と結(むす)合(びあ)へるこの性は、その造られし時の如く純にして善なりしかど
眞理の道とおのが生(いの)命(ち)に遠ざかり、自ら求めてかの樂園より逐(お)はれたりき
是故に合せられたる性(さが)より見れば、十字架の齎(もた)らしゝ刑罰は、正しく行はれしこと他に類(たぐひ)なし
されどこれを受けし者、かゝる性をあはせし者の爲(ひと)人(となり)より見れば、正しからざることまた他に類なし
されば一の行(おこ)爲(なひ)より樣(さま)々(〴〵)の事出でぬ、そは一の死、神の聖(みこ)意(ゝろ)にも猶(ジュ)太(デー)人(アびと)の心にも適ひたればなり、この死の爲に地は震ひ天は開きぬ
今や汝はさとりがたしと思はぬならむ、正しき罰後にいたりて正しき法(しら)廷(す)に罰せられきといふを聞くとも
されど我は今汝の心が、思ひより思ひに移りて一のの中にむすぼれ、それより解(とき)放(はな)たれんことをばしきりに願ひつゝ待つを見るなり
汝いふ、我よくわが聞けるところをさとる、されど我は神が何故にわれらの贖(あがなひ)のためこの方(てだ)法(て)をのみ選び給へるやを知らずと
兄弟よ、智もし愛の焔の中に熟せざればいかなる人もこの定(さだめ)を會(ゑと)得(く)せじ
しかはあれ、この目(しる)標(し)は多く見られて少しくさとらるゝものなれば、我は何故にかゝる方(てだ)法(て)の最もふさはしかりしやを告ぐべし
それ己より一切の嫉(ねた)みを卻(しりぞ)くる神の善は、己が中に燃えつゝ、光を放ちてその永(とこ)遠(しへ)の美をあらはす
是より直に滴(したゝ)るものはその後滅びじ、これが自ら印を捺(お)すとき、象(かた)消ゆることなければなり
是より直に降(ふり)下(くだ)るものは全く自由なり、新しき物の力に服(つき)從(したが)ふことなければなり
かゝるものは最も是に類(たぐ)ふが故に最も是が心に適(かな)ふ、萬物を照らす聖なる焔は最も己に似る物の中に最も強く輝けばなり
しかしてこれらの幸(さち)はみな、人たる者の受くるところ、一つ缺くれば、人必ずその尊(たふと)さを失ふ
人の自由を奪ひ、これをして至上の善に似ざらしめ、その光に照らさるること從つて少きにいたらしむるものは罪のみ
もしそれ正しき刑罰を不義の快(けら)樂(く)に對(むか)はしめつゝ、罪のつくれる空處を滿(みた)すにあらざれば、人その尊さに歸ることなし
汝等の性(さが)は、その種(た)子(ね)によりて悉(こと〴〵)く罪を犯(をか)すに及び、樂園とともにこれらの尊き物を失ひ
淺瀬の一を渡らずしては、いかなる道によりても再びこれを得るをえざりき︵汝よく思ひを凝(こ)らさばさとるなるべし︶
淺瀬とは、神がたゞその恩(めぐ)惠(み)によりて赦(ゆる)し給ふか、または人が自らその愚を贖(あがな)ふか即ち是なり
いざ汝力のかぎり目をわが詞にちかくよせつゝ、永(とこ)遠(しへ)の思(はか)量(らひ)の淵深く見よ
そも〳〵人は、その限りあるによりて、贖(あがなひ)をなす能はざりき、そは後神に順(したが)ひ心を卑(ひく)うして下(くだ)るとも、さきに逆きて
上らんとせし高さに應ずる能(あた)はざればなり、人自ら贖(あがな)ふの力なかりし理(ことわり)げに茲(こゝ)に存す
是故に神は己が道――即ちその一かまたは二――をもて、人をその完き生に復(かへ)したまふのほかなかりき
されど行ふ者の行は、これがいづる心の善をあらはすに從ひ、いよ〳〵悦ばるゝがゆゑに
宇宙に印(か)影(た)を捺(お)す神の善は、再び汝等を上げんため、己がすべての道によりて行ふを好めり
また最(いや)終(はて)の夜と最(いや)始(さき)の晝との間に、これらの道のいづれによりても、かく尊(たふと)くかく偉(おほい)なる業(わざ)は爲されしことなし爲さるゝことあらじ
そは神は人をして再び身を上(あぐ)るに適(ふさは)しからしめん爲己を與へ給ひ、たゞ自ら赦すに優(まさ)る恩(めぐ)惠(み)をば現し給ひたればなり
神の子己を卑(ひく)うして肉體となり給はざりせば、他(ほか)のいかなる方(てだ)法(て)といふとも正義に當るに足らざりしなるべし
さて我は今、汝の願ひをすべてよく滿たさんため、溯(さかのぼ)りて一の事を説き示し、汝をしてわが如くこれを見るをえしめむ
汝いふ、我視るに、地水火風及びそのまじりあへるものみな滅び、永く保(たも)たじ
しかるにこれらは被(つく)造(られ)物(しもの)なり――是故にわがいへること眞(まこと)ならばこれらには滅ぶるの患(うれへ)あるべきならず――と
兄弟よ、諸々の天使と、汝が居る處の純なる國とは、現(い)在(ま)のごとき完き状(さ)態(ま)にて造られきといふをうれども
汝の名(な)指(ざ)しゝ諸々の元素およびこれより成る物は、造られし力これをとゝのふ
造られしはかれらの物質、造られしはかれらをめぐるこの諸々の星のうちのとゝのふる力なり
諸々の聖なる光の輝と廻(めぐ)轉(り)とは、すべての獸及び草(くさ)木(き)の魂をば、これとなりうべき原質よりひきいだせども
至上の慈愛は、たゞちに汝等の生(いの)命(ち)を嘘(ふき)入れ、かつこれをして己を愛せしむるが故に、この物たえずこれを慕ひ求むるにいたる
さてまたこの理(ことわり)よりさらに推し及ぼして汝は汝等の更(よみ)生(がへり)を知ることをえむ、もし第一の父(ちゝ)母(はゝ)ともに造られし時
人の肉體のいかに造られしやを思ひみば
第八曲
世は、その危ふかりし頃、美しきチプリーニアが第三のエピチクロをめぐりつゝ痴情の光を放つと信ずる習(ならはし)なりき
されば古(いにしへ)の人々その古の迷ひより、牲(いけにへ)を供(そな)へ誓願をかけて彼を崇(あが)めしのみならず
またディオネとクーピドをも崇めて彼をその母とし此をその子とし、かついへり、この子かつてディドの膝の上に坐しきと
かれらはまた、日輪に或ひは後(うしろ)或ひは前(まへ)より秋(しう)波(は)をおくる星の名を、わがかく歌の始めにうたふかの女(めが)神(み)より取れり
かの星の中に登れることを我は知らざりしかど、その中にありしことをば、わが淑女のいよ〳〵美しくなるを見て、かたく信じき
しかして火花焔のうちに見え、聲々のうちに判(わか)たるゝ︵一動かず一往(ゆき)來(き)するときは︶ごとく
我はかの光の中に、他の多くの光、輪を成して廻(めぐ)るを見たり、但し早さに優(まさ)劣(りおとり)あるはその永(えい)劫(ごふ)の視力の如何によりてなるべし
見ゆる風や見えざる風の、冷やかなる雲よりくだる疾(はや)しとも、これらのいと聖なる光が
尊きセラフィーニの中にまづ始まりし舞を棄てつゝ我等に來るを見たらん人には、たゞ靜にて遲しと思はれむ
さて最も先に現はれし者のなかにオザンナ響きぬ、こはいと妙(たへ)なりければ、我は爾(その)後(のち)再び聞かんと願はざることたえてなかりき
かくてその一われらにいよ〳〵近づき來り、單(たゞ)獨(ひとり)にていふ。われらみな汝の好む所に從ひ汝を悦ばしめんとす
われらは天上の君達と圓を一にし、廻(めぐ)轉(り)を一にし、渇(かわき)を一にしてまはる、汝嘗(かつ)て世にて彼等にいひけらく
汝等了(さと)知(り)をもて第三の天を動かす者よと、愛我等に滿つるが故に、汝の心に適(かな)はせんとて少(しば)時(らく)しづまるとも我等の悦び減(へ)ることあらじ。
われ目をうや〳〵しくわが淑女にそゝぎ、その思ひを定(さだ)かに知りてわが心を安んじゝ後
再びこれをかの光――かく大いなることを約しゝ――にむかはせ、切(せつ)なる情を言葉にこめつゝ汝等は誰なりや告げよといへり
われ語れる時、新たなる喜び己が喜びに加はれるため、かの光が、その量と質とにおいて、優(まさ)りしことげにいかばかりぞや
さてかく變りて我に曰ふ。世はたゞしばし我を宿(やど)しき、もし時さらに長かりせば、來るべき多くの禍ひは避けられしものを
わが身のまはりに輝き出づるわが喜びは我を汝の目に見えざらしめ、我を隱してあたかも己が絹に卷かるゝ蟲の如くす
汝深く我を愛しき、是また宜(うべ)なり、我もし下界に長(なが)生(ら)へたりせば、わが汝に表(あら)はす愛は葉のみにとゞまらざりしなるべし
ローダノがソルガと混(まじ)りし後に洗ふ左の岸は、時に及びてわがその君となるを望み
バーリ、ガエタ及びカートナ際(は)涯(て)を占め、トロント、ヴェルデの流れて海に入る處なるアウソーニアの角(つの)もまたしか望みき
はやわが額(ひたひ)には、ドイツの岸を棄てし後ダヌービオの濕(うるほ)す國の冠かゞやきゐたり
またエウロに最もわづらはさるゝ灣の邊(ほとり)パキーノとペロロの間にて、ティフェオの爲ならずそこに生ずる硫黄の爲に烟(けむ)る
かの美しきトリナクリアは、カルロとリドルフォの裔(すゑ)我よりいでゝその王となるを今も望み待ちしなるべし
民の心を常に荒(あら)立(だつ)る虐政パレルモを動かして、死せよ死せよと叫ばしむるにいたらざりせば
またわが兄弟にして豫めこれを見たらんには、カタローニアの慾と貪とをはやくも避けて、その禍ひを自ら受くるにいたらざりしなるべし
そはげに彼にてもあれ他(ほか)の人にてもあれ、はや荷の重き彼の船にさらに荷を積むなからんため備へを成さゞるをえざればなり
物惜しみせぬ性(さが)より出でゝ吝(やぶさか)なりし彼の性は、貨殖に心專ならざる部下を要せむ。
わが君よ、我は汝の言(ことば)の我に注ぐ深き喜びが、一切の善の始まりかつ終る處にて汝に見らるゝことわがこれを見る如しと
信ずるがゆゑに、その喜びいよ〳〵深し、我また汝が神を見てしかしてこれをさとるを愛(め)づ
汝我に悦びをえさせぬ、さればまた教へをえさせよ︵汝語りて我に疑ひを起さしめたればなり︶――苦(にが)き物いかにして甘き種より出づるや。
我かく彼に、彼即ち我に。我もし汝に一の眞理を示すをえば、汝は汝の尋(たづ)ぬる事に顏を向(むく)ること今背をむくる如くなるべし
汝の昇る王國を遍(あまね)くめぐらしかつ悦ばすところの善は、これらの大いなる物體において、己が攝理を力とならしむ
また諸々の自然のみ、自(おのづか)ら完き意(こゝろ)の中に齊(とゝのへ)らるゝにあらずして、かれらとともにその安寧もまた然(しか)せらる
是故にこの弓の射放つものは、みな豫(あらかじ)め定められたる目(めあ)的(て)にむかひて落ち、あたかも己が的(まと)にむけられし物の如し
もしこの事微(なか)りせば、今汝の過行く天は、その果(み)を技藝に結ばずして破壞にむすぶにいたるべし
しかしてこはある事ならじ、もし此等の星を動かす諸々の智備はらず、またかく此等を完からしめざりし第一の智に缺(かく)處(るところ)あるにあらずば
汝この眞理をなほも明かにせんと願ふや。我。否(いな)然(しか)らず、我は自然が必要の事に當りて疲るゝ能はざるを知ればなり。
彼即ちまた。いざいへ、世の人もし一市民たらずば禍ひなりや。我答ふ。然り、その理(ことわり)は我問はじ。
人各々世に住むさまを異にし異なる職(つと)務(め)をなすにあらずして市民たることを得るや、汝等の師の記(しる)す所正しくば然(しか)らず。
かく彼論じてこゝに及び、さて結びていふ。かゝれば汝等の業(わざ)の根も、また異ならざるをえず
是故に一(ひと)人(り)はソロネ、一人はセルゼ、一人はメルキゼデク、また一人は空(そら)を飛びつゝわが子を失へる者とし生る
人なる蝋に印を捺(お)す諸々の天の力は、善く己が技(わざ)を爲せども彼(かの)家(や)此(この)家(や)の差(けじ)別(め)を立てず
是においてかエサウはヤコブと種(たね)を異にし、またクイリーノは人がこれをマルテに歸するにいたれるほど父の賤(いや)しき者なりき
もし神の攝理勝たずば、生れし性(さが)は生みたるものと常に同じ道に進まむ
汝の後(うしろ)にありしもの今前にあり、されど汝と語るわが悦びを汝に知らしめんため、われなほ一の事を加へて汝の表(うは)衣(ぎ)となさんとす
それ性(さが)は、命運これに配(そ)はざれば、あたかも處を得ざる種のごとく、その終りを善くすることなし
しかして下界もしその心を自然の据(す)うる基(もとゐ)にとめてこれに從はゞその民榮(さか)えむ
しかるに汝等は、劒を腰に帶びんがために生れし者を枉(ま)げて僧とし、法(のり)を説くべき者を王とす
是においてか汝等の歩(あゆ)履(み)道を離る。
第九曲
美しきクレメンツァよ、汝のカルロはわが疑ひを解きし後、我にその子孫のあふべき欺(たば)罔(かり)の事を告げたり
されどまた、默して年をその移るに任せよといひしかば、我は汝等の禍ひの後に正しき歎き來らんといふのほか何をもいふをえざるなり
さてかの聖なる光の生(いの)命(ち)は、萬物を足らはす善の滿(み)たす如く己を滿たす日輪にはや再びむかひゐたりき
あゝ迷へる魂等よ、不信心なる被造物等よ、心をかゝる善にそむけて頭(かうべ)を空しき物にむくとは
時に見よ、いま一の光、わが方に進み出で、我を悦ばせんとの願ひを外(そ)部(と)の輝に現はせり
さきのごとく我に注げるベアトリーチェの目は、うれしくもわが願ひを容(い)るゝことをば定(さだ)かに我に知らしめき
我曰(い)ふ。あゝ福(さいはひ)なる靈よ、請(こ)ふ速にわが望みをかなへ、わが思ふ所汝に映(うつ)りて見ゆとの證(あかし)を我にえさせよ。
是においてか未だ我に知られざりしかの光、さきに歌ひゐたる處なる深(ふか)處(み)より、あたかも善行を悦ぶ人の如く、續いていふ
邪(よこしま)なるイタリアの國の一部、リアルトとブレンタ、ピアーヴァの源との間の地に
いと高しといふにあらねど一の山の聳(そび)ゆるあり、かつて一の炬(たい)火(まつ)こゝより下りていたくこの地方を荒しき
我とこれとは一の根より生れたり、我はクニッツァと呼ばれにき、わがこゝに輝くはこの星の光に勝たれたればなり
されど我今喜びて自らわが命運の原(も)因(と)を赦(ゆる)し、心せこれに惱(なや)まさじ、こは恐らくは世俗の人にさとりがたしと見ゆるならむ
われらの天の中のこの光りて貴き珠(たま)、我にいと近き珠の名は今も高く世に聞ゆ、またその滅びざるさきに
この第百年はなほ五(いつ)度(たび)も重ならむ、見よ人たる者己を勝(すぐ)るゝ者となし、第二の生をば第一の生に殘さしむべきならざるやを
さるにターリアメントとアディーチェに圍まるゝ現(い)在(ま)の群(ぐん)集(じゆう)これを思はず、撃(う)たるれどもなほ悔(く)いじ
されどパードヴァは、その民頑(かたくな)にして義に背(そむ)くにより、程なく招の邊(ほとり)にて、かのヴィチェンツァを洗ふ水を變へむ
またシーレとカニアーンの落合ふ處は、或者これを治め、頭を高うして歩めども、彼を捕へんとて人はや網を造りたり
フェルトロもまたその非道の牧者の罪の爲に泣かむ、かつその罪はいと惡くしてマルタに入れられし者にさへ類(たぐひ)を見ざる程ならむ
己が黨派に忠なることを示さんとてこのやさしき僧の與ふるフェルラーラ人(びと)の血は、げにいと大いなる桶ならでは
これを容(い)るゝをえざるべく、※(オンチャ)﹇#﹁オンス﹂の単位記号、63-7﹈に分けてこれを量(はか)らばその人疲れむ、而(しか)してかゝる贈(おく)物(りもの)は本(とこ)國(ろ)の慣(なら)習(はし)に適(かな)ふなるべし
諸々の鏡上(う)方(へ)にあり、汝等これを寶(ツロ)座(ーニ)といふ、審(さば)判(き)の神そこより我等を照らすがゆゑに我等皆これらの言葉を眞(まこと)とす。
かくいひて默(もだ)し、さきのごとく輪に加はりてめぐりつゝ、心をほかにむくるに似たりき
名高き者とはやわが知りしかの殘りの喜びは、日の光に當る良(よ)き紅(あか)玉(だま)の如くわが目に見えたり
上にては悦びによりて、強き光のえらるゝこと、世にて笑のえらるゝ如し、されど下にては心の悲しきにつれて魂黒く外(そと)にあらはる
我曰ふ。福なる靈よ、神萬物を見給ひ、汝の目神に入る、是故にいかなる願ひも汝にかくるゝことあらじ
もしそれ然らば、六の翼を緇衣となす信心深き火とともに歌ひてとこしへに天を樂します汝の聲
何ぞわが諸々の願ひを滿たさゞる、もしわが汝の衷(うち)に入ること汝のわが衷に入るごとくならば、我豈(あに)汝の問を待たんや。
このとき彼曰ふ。地を卷く海を除(のぞ)きては、水湛(たゝ)ふる溪(たに)の中にて最(いと)大いなるもの
相(あひ)容(い)れざる二の岸の間にて、日に逆(さから)ひて遠く延びゆき、さきに天涯となれる所を子(しご)牛(せ)線(ん)となす
我はこの溪の邊(ほとり)、エブロとマークラ︵短き流れによりてゼーノヴァ人(びと)とトスカーナ人とを分つ︶の間に住める者なりき
そのかみ己が血をもて湊を熱くせしわが故(ふる)郷(さと)はブッジェーアと殆ど日(ひの)出(で)日(ひの)沒(いり)を同うす
わが名を知れる人々我をフォルコと呼べり、我今象(かた)をこの天に捺(お)す、この天我に捺(お)しゝごとし
そはシケオとクレウザとを虐(しひた)げしベロの女(むすめ)も、デモフォーンテに欺かれたるロドペーアも、またイオレを心に
包める頃のアルチーデも、齡(とし)に適(ふさ)はしかりし間の我より強くは、思ひに燃えざりければなり
しかはあれ、こゝにては我等悔(く)いず、たゞ笑ふ、こは罪の爲ならで︵再び心に浮ばざれば︶、定め、整(とゝの)ふる力のためなり
こゝにては我等、かく大いなる御(みわ)業(ざ)を飾る技巧を視、天界に下界を治めしむる善を知る
されどこの球の中に生じゝ汝の願ひ悉(こと〴〵)く滿たされんため、我なほ語(ことば)を繼(つ)がざるべからず
汝は誰(た)がこの光︵あたかも清き水に映ずる日の光の如くわが傍(かたへ)に閃(ひらめ)くところの︶の中にあるやを知らんと欲す
いざ知るべし、ラアブこのうちにやすらふ、彼われらの組に加はりその印をこれに捺すこと他に類(たぐひ)なし
人の世界の投ぐる影、尖(とが)れる端(はし)となる處なるこの天は、クリストの凱旋に加はる魂の中彼をば最も先に受けたり
左右の掌(たなごゝろ)にて獲(ゑ)たる尊き勝利のしるしとして彼を天の一におくは、げにふさはしき事なりき
そは彼ヨスエを聖地――今やこの地殆ど法王の記憶に觸れじ――にたすけてその最初の榮光をこれにえさせたればなり
はじめて己が造(つく)主(りぬし)に背(そむ)き、嫉(ねた)みによりて深き歎きを殘せる者の建てたりし汝の邑(まち)は
詛(のろ)ひの花を生じて散らす、こは牧者を狼となして、羊、羔(こひつじ)をさまよはしゝもの
これがために福音と諸々の大いなる師とは棄てられ、人專ら寺院の法(おき)規(て)を學ぶことその紙(かみ)端(のはし)にあらはるゝ如し
これにこそ法王もカルディナレもその心をとむるなれ、彼等の思ひはガブリエルロが翼を伸(の)べし處なるナツァレッテに到らじ
されどヴァティカーノ、その他ローマの中の選ばれし地にてピエートロに從へる軍(いく)人(さびと)等の墓となりたる所はみな
この姦淫より直ちに釋放たるべし。
第十曲
言ひ難き第一の力は、己が子を、彼と此との永(とこ)遠(しへ)の息(いき)なる愛とともにうちまもりつゝ
心または處にめぐるすべての物をば、いと妙(たへ)なる次第を立てゝ造れるが故に、これを見る者必ずかの力を味ふ
讀者よされば目を擧げて我とともに天球にむかひ、一の運行の他と相(あひ)觸(ふ)るゝところを望み
よろこびて師の技(わざ)を見よ、師はその心の中に深くこれを愛し、目をこれより離すことなし
見よ諸々の星を携(たづさ)ふる一の圈、かれらを呼求むる世を足らはさんとて、斜(なゝめ)にかしこより岐(わか)れ出づるを
もしかれらの道傾(なぞ)斜(へ)ならずば、天の力多くは空しく、下界の活(はた)動(らき)殆どみな止まむ
またもし直線とこれとの距(へだ)離(ゝり)今より多きか少きときは、宇宙の秩序は上にも下にも多く缺くべし
いざ讀者よ、未だ疲れざるさきに疾く喜ぶをえんと願はゞ、汝の椅子に殘りて、わが少しく味はしめしことを思ひめぐらせ
我はや汝の前に置きたり、汝今より自ら食(は)むべし、わが筆の獻(さゝ)げられたる歌題はわが心を悉(こと〴〵)くこれに傾けしむればなり
自然の最(いと)大いなる僕(しもべ)にて、天の力を世界に捺(お)し、かつ己が光をもてわれらのために時を量(はか)るもの
わがさきにいへる處と合し、かの螺(らせ)旋(ん)即ちそが日(ひご)毎(と)に早く己を現はすその條(すぢ)を傳ひてめぐれり
我この物とともにありき、されど登れることを覺えず、あたかも思ひ始むるまでは思ひの起るを知らざる人の如くなりき
かく一の善よりこれにまさる善に導き、しかして己が爲す事の、時を占むるにいたらざるほどいと早きはベアトリーチェなり
わが入りし日の中にさへ色によらで光によりて現はるゝとは、げにそのものゝ自ら輝くこといかばかりなりけむ
たとひわれ、才と技巧と練達を呼び求むとも、これを語りて人をして心に描かしむるをえんや、人たゞ信じて自ら視るを願ふべし
またわれらの想像の力低うしてかゝる高さに到らずとも異(あや)しむに足らず、そは未だ日よりも上に目の及べることなければなり
尊き父の第四の族(やから)かゝる姿にてかしこにありき、父は氣(い)息(き)を嘘(ふ)く状(さま)と子を生むさまとを示しつゝ絶えずこれを飽(あ)かしめ給ふ
ベアトリーチェ曰ふ。感謝せよ、恩(めぐ)惠(み)によりて汝を擧げつゝこの見ゆべき日にいたらんめし諸々の天使の日に感謝せよ。
人の心いかに畏敬の念に傾き、またいかに喜び進みて己を神に棒げんとすとも
これらの詞(ことば)を聞ける時のわがさまに及ばじ、わが愛こと〴〵く神に注がれ、ベアトリーチェはそがために少(しば)時(し)忘られき
されど怒らず、いとうつくしく微(ほゝ)笑(ゑ)みたれば、そのゑめる目の耀(かゞやき)はわが合ひし心をわかちて多くの物にむかはしむ
われ見しに多くの生くる勝(すぐ)るゝ光、われらを中心となし己を一の輪となしき、その聲のうるはしきこと姿の輝くにまさりたり
空氣孕(みごも)り、帶となるべき糸を保(たも)つにいたるとき、われらは屡(しば)々(〴〵)ラートナの女(むすめ)の亦かくの如く卷かるゝを見る
そも〳〵天の王宮︵かしこより我は歸りぬ︶には、いと貴く美しくして王土の外(そと)に齎(もた)らすをえざる寶多し
これらの光の歌もその一なりき、かしこに飛登るべき羽を備へざる者は、かなたの消(おと)息(づれ)を唖(おふし)に求めよ
これらの燃ゆる日輪、かくうたひつゝわれらを三(みた)度(び)、動かざる極に近き星のごとくに廻(めぐ)れる時
かれらはあたかも踊り終らぬ女等が、新しき節(ふし)を聞くまで耳傾けつゝ、默(もだ)して止まるごとく見えたり
かくてその一の中より聲いでゝ曰ふ。眞(まこと)の愛を燃(もや)しかつ愛するによりて増し加はる恩(めぐ)惠(み)の光
汝の衷(うち)につよく輝き、後また昇らざる者の降ることなきかの階(きざはし)を傳ひ汝を上(う)方(へ)に導くがゆゑに
己が壜(とく)子(り)の酒を與へて汝の渇(かわき)をとゞむることをせざる者は、その自由ならざること、海に注(そゝ)がざる水に等し
汝はこの花(はな)圈(わ)︵汝を強うして天に登らしむる美しき淑女を圍み、悦びてこれを視る物︶がいかなる草(くさ)木(き)の花に飾らるゝやを知らんとす
我はドメーニコに導かれ、迷はずばよく肥(こ)ゆるところなる道を歩む聖なる群(むれ)の羔(こひつじ)の一なりき
右にて我にいと近きはわが兄弟たり師たりし者なり、彼はコローニアのアルベルトといひ、我はアクイーノのトマスといへり
このほかすべての者の事を汝かく定(さだ)かにせんと思はゞ、わが言葉に續きつゝこの福なる花(はな)圈(わ)にそひて汝の目を廻(めぐ)らすべし
次の焔はグラツィアーンの笑ひより出づ、彼は天堂において嘉(よみ)せらるゝほど二の法廷を助けし者なり
またその傍(かたへ)にてわれらの組を飾る焔はピエートロ即ちかの貧しき女に傚(なら)ひ己が寶を聖なる寺院に捧げし者なり
われらの中の最(いと)美(うつ)物(くしきもの)なる第五の光は、下界擧(こぞ)りてその消(おと)息(づれ)に饑(うゝ)るほどなる戀より吹出づ
そがなかにはいと深き知慧を受けたる尊き心あり、眞もし眞ならば、智においてこれと並ぶべき者興りしことなし
またその傍(かたへ)なるかの蝋燭の光を見よ、こは肉體の中にありて、天使の性(さが)とその役(つとめ)とをいと深く見し者なりき
次の小(ちひ)さき光の中(なか)には、己が書(ふみ)をアウグスティーンの用(もち)ゐに供(そな)へしかの信仰の保護者ほゝゑむ
さてわが讚(ほめ)詞(ことば)を逐(お)ひて汝の心の目を光より光に移さば、汝は既に第八の光に渇(かわ)きつゝあらむ
そがなかには、己が言(ことば)を善く聽く人に、虚(いつ)僞(はり)の世を現はす聖なる魂、一切の善を見るによりて悦ぶ
このものゝ追はれて出でし肉體はいまチェルダウロにあり、己は殉教と流(りゆ)鼠(うそ)とよりこの平安に來れるなりき
その先に、イシドロ、ベーダ及び想ふこと人たる者の上に出でしリッカルドの息(いき)の、燃えて焔を放つを見よ
また左(さ)にて我にいと近きは、その深き思ひの中にて、死の來るを遲しと見し一の靈の光なり
これぞ藁(わら)の街(まち)にて教へ、嫉(ねた)まるゝべき眞理を證(あかし)せしシジエーリのとこしへの光なる。
かくてあたかも神の新(はな)婦(よめ)が朝の歌をば新(はな)郎(むこ)の爲にうたひその愛を得んとて立つ時われらを呼ぶ時(じし)辰(ん)儀(ぎ)の
一部他の一部を、曳(ひ)きかつ押して音(おと)妙(たへ)にチン〳〵と鳴り、神に心向へる靈を愛にてあふれしむるごとく
我は榮光の輪のめぐりつゝ、喜び限りなき處ならでは知るあたはざる和合と美とにその聲々をあはすを見たり。
第十一曲
あゝ人間の愚(おろか)なる心(こゝ)勞(ろづかひ)よ、汝をして翼を鼓(う)ちて下らしむるは、そも〳〵いかに誤り多き推理ぞや
一(ひと)人(り)は法に一人は醫に走り、ひとりは僧官を追ひ、ひとりは暴力または詭(きべ)辯(ん)によりて治めんとし
一(ひと)人(り)は奪ひ取らんとし、一人は公務に就かんとし、一人は肉の快(けら)樂(く)に迷ひてこれに耽り、ひとりは安(あん)佚(いつ)を貪(むさ)ぼれる
間(ま)に、我はすべてこれらの物より釋(と)かれ、ベアトリーチェとともに、かくはな〴〵しく天に迎へ入れられき
さていづれの靈もかの圈の中、さきにそのありし處に歸れるとき、動かざることあたかも燭臺に立つ蝋(ろう)燭(そく)の如くなりき
しかしてさきに我に物言へる光、いよ〳〵あざやかになりてほゝゑみ、内より聲を出して曰(い)ふ
われ永(とこ)遠(しへ)の光を視て汝の思ひの出(いで)來(きた)る本(もと)を知る、なほかの光に照らされてわれ自ら輝くごとし
汝はさきにわが﹁よく肥(こ)ゆるところ﹂といひまた﹁これと並ぶべき者生れしことなし﹂といへるをあやしみ
汝の了(さと)解(り)に適(ふさ)はしきまで明らかなるゆきわたりたる言葉にてその説示されんことを願ふ、げにこゝにこそ具(つぶさ)に辨(わ)くべき事はあるなれ
それ被(つく)造(られ)物(しもの)の目の視きはむる能はざるまでいと深き思(はか)量(らひ)をもて宇宙を治むる神の攝理は
かの新(はな)婦(よめ)――即ち大(おほ)聲(ごゑ)によばはりつゝ尊き血をもてこれと縁(えにし)を結べる者の新婦――をしてその愛(いつくし)む者の許(もと)に往(ゆ)くにあたり
心を安んじかつ彼にいよ〳〵忠(まめ)實(やか)ならしめんとて、これがためにその左右の導者となるべき二(ふた)人(り)の君を定めたり
その一(ひと)人(り)は熱情全くセラフィーノのごとく、ひとりは知慧によりてケルビーノの光を地上に放てり
我その一(ひと)人(り)の事をいはむ、かれらの業(わざ)の目(めあ)的(て)は一なるがゆゑに、いづれにてもひとりを讚(ほ)むるはふたりをほむることなればなり
トゥピーノと、ウバルド尊者に選ばれし丘よりくだる水との間に、とある高(たか)山(やま)より、肥沃の坂の垂(た)るゝあり
︵この山よりペルージアは、ポルタ・ソレにて暑さ寒さを受く、また坂の後(うし)方(ろ)にはノチェーラとグアルドと重き軛(くびき)の爲に泣く︶
この坂の中嶮(けは)しさのいたく破るゝ處より、一の日輪世に出でたり――あたかもこれがをりふしガンジェより出るごとく
是故にこの處のことをいふ者、もし應(ふさ)はしくいはんと思はゞ、アーシェージといはずして︵語(ことば)足らざれば︶東(オリ)方(エンテ)といふべし
昇りて久しからざるに、彼は早くもその大いなる徳をもて地に若(そこ)干(ばく)の勵みを覺えしむ
そは彼若き時、ひとりだに悦びの戸を開きて迎ふる者なき︵死を迎へざるごとく︶女の爲に父と爭ひ
而して己が靈の法(しら)廷(す)に、父の前にて、これと縁(えにし)を結びし後、日(ひご)毎(と)に深くこれを愛したればなり
それかの女(をんな)は、最(はじ)初(め)の夫を失ひてより、千百年餘の間、蔑(さげ)視(す)まれ疎(うと)んぜられて、彼の出るにいたるまで招かるゝことあらざりき
かの女が、アミクラーテと倶(とも)にありて、かの全世界を恐れしめたる者の聲にも驚かざりきといふ風(うは)聞(さ)さへこれに益なく
かの女が、心(か)堅(た)く膽(きも)大(ふと)ければ、マリアを下に殘しつゝ、クリストとともに十字架に上(のぼ)りし事さへこれが益とならざりき
されどわが物語あまりに朧(おぼろ)に進まざるため、汝は今、わがこの長き言(ことば)の中なる戀人等の、フランチェスコと貧なるを知れ
かれらの和合とそのよろこべる姿とは、愛、驚、及び敬ひを、聖なる思ひの原(も)因(と)たらしめき
かゝれば尊きベルナルドは第一に沓(くつ)をぬぎ、かく大いなる平安を逐(お)ひて走り、走れどもなほおそしとおもへり
あゝ未知の富(とみ)肥(ひよ)沃(く)の財(たか)寶(ら)よ、エジディオ沓を脱(ぬ)ぎ、シルヴェストロ沓をぬぎて共に新(はな)郎(むこ)に從へり、新(はな)婦(よめ)いたく心に適(かな)ひたるによる
かくてかの父たり師たりし者は己が戀人及びはや卑(いや)しき紐(ひも)を帶とせし家(やか)族(ら)とともに出(いで)立(た)てり
またピエートロ・ベルナルドネの子たりし爲にも、奇(くす)しくさげすまるべき姿の爲にも、心の怯(おく)額(れ)を壓(お)さず
王者の如くインノチェンツィオにその嚴(いかめ)しき企(くはだて)を明(あか)し、己が分(わか)派(れ)のために彼より最初の印を受けたり
貧しき民の彼――そのいと妙(たへ)なる生涯はむしろ天の榮光の中に歌はるゝかたよかるべし――に從ふ者増しゝ後
永(とこ)遠(しへ)の靈は、オノリオの手を經て、この法(ほふ)主(しゆ)の聖なる志に第二の冠を戴かしめき
さて彼殉教に渇き、驕(おご)るソルダンの目(めの)前(まへ)にて、クリストとその從者等のことを宣べしも
民心熟せず、歸(きえ)依(し)者(や)なきを見、空しく止まらんよりはイタリアの草の實をえんとて歸り、その時
テーヴェロとアルノの間の粗(あら)き巖の中にて最後の印をクリストより受け、二(ふた)年(とせ)の間これを己が身に帶(お)びき
彼を選びてかゝる幸(さいはひ)に到らしめ給ひし者、彼を召し、身を卑(ひく)うして彼の得たる報(むくい)をば與ふるをよしとし給へる時
正しき嗣(よつ)子(ぎ)等に薦(すゝ)むるごとく彼その兄弟達に己が最愛の女を薦め、まめやかにこれを愛せと命じ
かくして尊き魂は、かの女の懷(ふところ)を離れて己が王國に歸るを願へり、またその肉體の爲に他の柩(ひつぎ)を求めざりき
いざ思へ、大(おほ)海(うみ)に浮ぶピエートロの船の行(ゆく)方(へ)を誤らしめざるにあたりて彼の侶(りよ)たるに適(ふさ)はしき人のいかなる者にてありしやを
是ぞわれらの教祖なりける、かゝれば汝は、およそ彼に從ひてその命ずる如く爲す者の者の、良(よき)貨(しろもの)を積むをさとらむ
されど彼の牧(か)ふ群(むれ)は新しき食(くひ)物(もの)をいたく貪り、そがためかなたこなたの山(やま)路(ぢ)に分れ散らざるをえざるにいたれり
しかして彼の羊遠く迷ひていよ〳〵彼を離るれば、いよ〳〵乳に乏しくなりて圈(をり)に歸る
げにその中には害を恐れ牧者に近く身を置くものあり、されど少(すこ)許(し)の布にてかれらの僧(ころ)衣(も)を造るに足るほどその數少し
さてもしわが言葉微(かすか)ならずば、またもし汝心をとめて聽きたらんには、しかしてわが既にいへることを再び心に想ひ起さば
汝の願ひの一部は滿(み)つべし、そは汝削(けづ)られし木を見、何故に革(かは)紐(ひも)を纏(まと)ふ者が﹁迷はずばよく肥(こ)ゆるところ﹂と
論(あげつ)らふやを知るべければなり。
第十二曲
かの福なる焔最(をは)終(り)の語(ことば)をいへるとき、聖なる碾(ひき)石(うす)たゞちに廻(めぐ)りはじめたり
しかしてその未だ一(ひと)周(めぐり)せざるまに、いま一の碾石まろくこれを圍(かこ)みつゝ、舞をば舞に歌をば歌にあはせたり
この歌は、かのうるはしき笛よりいで、さながら元の輝(かゞやき)が映(うつ)れる光に優(まさ)る如く、われらのムーゼわれらのシレーネにまさる
イウノネその侍(はし)女(ため)に命ずれば、相並び色も等しき二の弓、やはらかき雲の中に張られ
︵外(そと)の弓内(うち)の弓より生る、その状(さま)かの流(さす)離(らひ)の女、日の爲に消ゆる霧かとばかり戀の爲に消たる者の言葉に似たり︶
世の人々をして、神がノエと立て給ひし契約にもとづき、世界にふたゝび洪水なきを卜(ぼく)せしむ
かくの如く、これらの不朽の薔薇の二の花(はな)圈(わ)はわれらの周(まは)圍(り)をめぐり、またかくの如く、その外の圈(わ)内の圈と相(あひ)適(かな)ひたり
喜びの舞と尊き大いなる祝(いはひ)――光、光と樂しく快くかつ歌ひかつ照しあふ――とが
あたかもその好むところに從つて共に閉ぢ共に開かざるをえざる目の如く、時と意志とを同うしてともに靜になりし後
新しき光の一の中(なか)よりとある聲出で、我をば星を指す針のごとくそなたにむかしめき
いふ。我を美しうする愛我を促して今(いま)一(ひと)人(り)の導者の事を語らしむ――彼の爲に、わが師いまかく稱(たゝ)へられたり
一(ひとり)のをる處には他もまた請(しやう)ぜられ、さきに二(ふた)人(り)が心を合(あは)せて戰へる如く、その榮光をもともに輝かすを宜(よろ)しとす
いと高き價を拂ひて武器を新にしたるクリストの軍隊が、旗の後(うしろ)より、遲く、怖(お)ぢつゝ、疎(まばら)になりて進みゐしころ
永(とこ)遠(しへ)に治め給ふ帝(みかど)は、かのおぼつかなき軍(いく)人(さびと)等の爲に、かれらの徳によるにあらでたゞ己が恩(めぐ)惠(み)によりて備(そなへ)をなし
さきにいはれしごとく二(ふた)人(り)の勇(ます)士(らを)を遣(おく)りて己が新(はな)婦(よめ)を扶(たす)け給へり、かれらの言(ことば)と行(おこなひ)とにより迷へる人々道に歸りき
若葉をひらきこれをもてエウローパの衣(ころも)を新ならしめんため爽(さわや)かなる西(ゼツ)風(ヒロ)の起るところ
浪(なみ)打(うち)際(ぎは)――日は時として長く疾(はや)く進みて後、かの浪のかなたにて萬(よろ)人(づのひと)の目にかくる――よりいと遠くはあらぬあたりに
幸(さち)多きカラロガあり、從ひ從ふる獅子を表(あら)はすかの大いなる楯(たて)にまもらる
かしこに、クリストの信仰を慕ふ戀人、味方にやさしく敵につれなき聖なる剛(つは)者(もの)生れたり
かれの心はその造られし時、生(いく)る力をもてたゞちに滿たされたりしかば、母に宿(やど)りゐてこれを豫言者たらしめき
彼と信仰の間の縁(えにし)、聖(サク)盤(ロフォンテ)のほとりに結ばれ、かれらかしこにて相(かた)互(み)の救ひをその聘(おく)物(りもの)となしゝ後
かれに代りて肯(うけが)へる女は、かれとその嗣(よつ)子(ぎ)等とより出づるにいたる奇(く)しき果(み)を己が眠れる間に見たり
しかして彼の爲(ひと)人(ゝなり)を語(ことば)の形に顯(あら)はさんため、靈この處よりくだり、彼は全く主のものなればその意をとりて名となせり
彼即ちドメーニコと呼ばれき、我は彼をば、クリストにえらばれその園にてこれをたすけし農夫にたとへむ
げに彼はクリストの使(つかひ)またその弟子なることを示せり、かれに現はれし最初の愛はクリストの與へ給ひし第一の訓(さとし)に向ひたればなり
かれの乳(めの)母(と)は、かれが屡々目を醒しつゝ默して地に伏し、その状(さま)我このために生るといふが如きを見たり
あゝ彼の父こそ眞(まこと)にフェリーチェ、かれの母こそ眞にジョヴァンナ︵若しこれに世の釋(と)く如き意義あらば︶といふべけれ
人々が今、かのオスティア人(びと)またはタッデオの後(あと)を逐(お)ひつゝ勞して求むる世の爲ならで、まことのマンナの愛の爲に
彼は程なく大いなる師となり、葡萄の園――園(には)丁(つくり)あしくばたゞちに白まむ――をめぐりはじめき
彼が法座︵正しき貧(ひん)者(じや)を今は普の如くいたはらず、されどこはこれに坐する劣(おと)れる者の罪にして法座その物の罪ならじ︶に求めしは
六をえて二三を頒(わか)つことにあらず、最初に空(あ)きたる官をうるの幸(さち)にもあらず、また神の貧者に屬する什一にもあらで
汝をかこむ二十四本の草(くさ)木(き)の元(もと)なる種のために、かの迷へる世と戰ふの許(もと)なりしぞかし
かくてかれは教理、意志、及び使徒の任(つと)務(め)をもてあたかも激流の、高き脈より押出さるゝごとくに進み
勢猛(たけ)く異端邪説の雜(ざつ)木(ぼく)を打ち、さからふ力のいと大いなる處にては打つことまたいと強かりき
この後さま〴〵の流れ彼より出でたり、カトリックの園これによりて潤(うるほ)ひ、その叢(こだ)樹(ち)いよ〳〵榮ゆ
聖なる寺院が自ら衞(まも)りかつ戰場にその内亂を鎭(しづ)めしとき乘りし車の一の輪げにかくの如くならば
殘の輪――わが來らざるさきにトムマのいたく稱(たゝ)へたる――の秀づること必ずや汝にあきらかならむ
されどこの輪の周(まは)圍(り)のいと高きところの殘しゝ轍(あと)を人かへりみず、良(よき)酒(さけ)のありしところに黴(かび)生ず
彼の足(あし)跡(あと)を踏み傳ひて直く進みしかれの家(やか)族(ら)は全くその方(む)向(き)を變へ、指を踵(かゝと)の方に投ぐ
しかしてかくあしく耕すことのいかなる收(かり)穫(いれ)に終るやは、程なく知られむ、その時至らば莠(はぐさ)は穀(く)倉(ら)を奪はるゝをかこつべければなり
しかはあれ、人もしわれらの書(ふみ)を一(ひと)枚(ひら)また一枚としらべなば、我はありし昔のまゝなりと録(しる)さるゝ紙の今猶(なほ)あるを見む
されどこはカザールまたはアクアスパルタよりならじ、かしこより來りてかの文(かき)書(もの)に係(たづさ)はる者或ひはこれを避け或ひはこれを縮(ちゞ)む
さて我はボナヴェントゥラ・ダ・バーニオレジオの生(いの)命(ち)なり、大いなる職(つと)務(め)を果さんためわれ常に世の心(こゝ)勞(ろづかひ)を後(あと)にせり
イルルミナートとアウグスティンこゝにあり、彼等は紐によりて神の友となりたる最初の素(すあ)足(し)の貧者の中にありき
ウーゴ・ダ・サン・ヴィットレ彼等と倶(とも)に茲(こゝ)にあり、またピエートロ・マンジァドレ及び世にて十二の卷(まき)に輝くピエートロ・イスパーノあり
豫言者ナタン、京(きやう)の僧正クリソストモ、アンセルモ、及び第一の學術に手を下すをいとはざりしドナートあり
ラバーノこゝにあり、また豫言の靈を授けられたるカーラブリアの僧都ジョヴァッキーノわが傍(かたへ)にかゞやく
フラア・トムマーゾの燃ゆる誠(まこと)とそのふさはしき言(ことば)とは我を動かしてかく大いなる武(もの)士(ゝふ)を競(きそ)ひ讚(ほ)めしめ
かつ我とともにこれらの侶を動かしたりき。
第十三曲
わが今視し物をよくさとらむとねがふ人は、心の中に描きみよ︵しかしてわが語る間、その描ける物を堅(かた)き巖(いはほ)の如くに保(たも)て︶
空氣いかに密なりともなほこれに勝つばかりいと燦(あざや)かなる光にてこゝかしこに天を活(い)かす十五の星を
われらの天の懷(ふところ)をもて夜も晝も足れりとし、轅(ながえ)をめぐらしつゝかくれぬ北斗を描きみよ
またかの車軸――第一の輪これがまはりをめぐる――の端(はし)より起る角(つの)笛(ぶえ)の口をゑがきみよ
即ちこれらのもの己をもてあたかもミノスの女(むすめ)が死の冷(つめた)さを覺えし時に造れるごとき徴(しる)號(し)を二つ天につくり
一はその光を他の一の内に保ち、かつ相共にめぐりつゝ一は先(さき)に一は後(あと)より行く状(さま)を
さらば眞(まこと)の星(ほし)宿(のやどり)と、わが立(たち)處(ど)をかこみめぐる二(ふた)重(へ)の舞とをおぼろに認めむ
そはこれがわが世の習(ならひ)を超(こ)ゆること、さながら諸天の中の最(いと)疾(と)きものゝ廻(めぐ)る早さがキアーナの水の流れに優(まさ)る如くなればなり
かしこにかれらの歌へるはバッコに非(あら)ずペアーナにあらず、三(みつ)一(ひとつ)言る神の性(さが)、及び一となれる神(かみ)人(ひと)二の性(さが)なりき
歌も舞も終りにいたれば、これらの聖なる光は、その心をわれらにとめつゝ、彼より此と思ひを移すを悦べり
かの神の貧しき人の奇(く)しき一生を我に語れる光、相和する聖徒の中(なか)にて、このとき靜(しづ)寂(かさ)を破りて
曰ふ。一の穗碎かれ、その實すでに蓄(たくは)へらるゝがゆゑに、うるはしき愛我を招きてさらに殘の穗を打たしむ
汝思へらく、己が味(あぢはひ)のため全世界をして價(あたひ)を拂はしめし女の美しき頬を造らんとて肋(あば)骨(らぼね)を拔きし胸にも
槍に刺され、一切の罪の重さにまさる贖(あがなひ)をそのあとさきになしゝ胸にも
この二を造れる威(ちか)能(ら)は、凡そ人たる者の受くるをうるかぎりの光を悉(こと〴〵)く注(そゝ)ぎ入れたるなりと
是故に汝は、さきに我汝に告げて、かの第五の光につゝまるゝ福(さいはひ)には並ぶ者なしといへるを異(あや)しむ
いざ目を開きてわが答ふるところを望め、さらば汝は汝の思ひとわが言(ことば)とが眞理において一となること圓の中心の如きを見む
それ滅びざるものも滅びうるものも、みな愛によりてわれらの主の生みたまふ觀念の耀(かゞやき)にほかならず
そはかの活(いく)光(るひかり)、即ち己が源の光よりいでゝこれを離れずまたこれらと三一に結ばる愛を離れざるもの
自ら永(とこ)遠(しへ)に一となりて殘りつゝ、その恩(めぐ)惠(み)によりて己が光線を、あたかも鏡に映(うつ)す如く、九の物に集むればなり
さてこの光線こゝより降りて最も劣(おと)れる物に及ぶ、而(しか)してかく業(わざ)より業に移るに從ひ力愈々弱く遂には只はかなき苟(かり)且(そめ)の物をのみ造るにいたる
苟(かり)且(そめ)の物とは廻(めぐ)る諸天が種によりまたは種によらずして生ずる所の産物をいふ
またかゝる物の蝋とこの蝋を整ふるものとは一樣にあらず、されば觀念に印せられてその中に輝く光或ひは多く或ひは少し
是においてか類において同じ木も善(よき)果(み)惡(あし)果(きみ)を結び、汝等もまた才を異にして生るゝにいたる
蝋もし全く備はり、天の及ぼす力いとつよくば、印の光みなあらはれむ
されど自然は常に乏しき光を與ふ、即ちそのはたらくさまあたかも技(わざ)に精(くは)しけれど手の震ふ技術家の如し
もしそれ熱愛材をとゝのへ、第一の力の燦(あざや)かなる視力を印せば、物みな極めて完全ならむ
さればこそ土は往(その)昔(かみ)生物の極めて完全なるに適(ふさ)はしく造られ、また處(をと)女(め)は孕(みごも)りしなれ
是故に人たるものゝ性(さが)がこの二(ふた)者(り)の性の如くになれること先にもあらず後にもあらずと汝の思ふを我は好(よし)とす
さて我もしさらに説進まずば、汝はまづ、さらばかの者いかでその此(たぐ)類(ひ)を見ずやといはむ
されど顯(あら)はれざる事の明らかに顯はれん爲、彼の何人なりしやを思へ、またその求めよといはれし時彼を動かして請(こ)はしめし原(も)因(と)を思へ
わがいへるところ朧(おぼろ)なりとも汝なほ定(さだ)かに知らむ、彼の王者なりし事を、またその知慧を求めしは即ち良(よき)王(わう)とならん爲にて
天上の動(うご)者(かすもの)の數を知らん爲にも、必然と偶然とが必然を造ることありや否(いな)やを知らん爲にも
第一の動(うごき)の有(う)無(む)を知らん爲にも、はたまた一の直角なき三角形が半圓の内に造らるゝをうるや否やを知らん爲にもあらざりしを
是故に汝もしさきにわがいへることゝ此事とを思ひみなば、わが謂(い)ふところの比(たぐ)類(ひ)なき智とは王者の深(ふか)慮(きおもんばかり)を指すをみむ
またもし明らかなる目を興りしといふ語(ことば)にむけなば、こは數多くして良(よき)者(もの)稀(まれ)なる王達にのみ關(かゝ)はるをみむ
かく別(わか)ちてわが言(ことば)を受けよ、さらばそは第一の父及びわれらの愛する者についての汝の信仰と並び立つべし
汝この事をもて常に足の鉛とし、汝の見ざる然(しか)と否(いな)とにむかひては疲れし人の如く徐(しづか)に進め
肯(うべな)ふべき時にてもまたいなむべき時にても、彼と此とを別たずしてしかする者はいみじき愚者にほかならず
そは輕々しく事を斷ずれば誤り易(やす)く、情また尋(つ)いで智を絆(ほだ)すにいたればなり
眞理を漁(あさ)りて、技(わざ)を有せざる者は、その歸るや出立つ時と状(さま)を異にす、豈(あに)空(むな)しく岸を離れ去るのみならんや
パルメニーデ、メリッソ、ブリッソ、そのほか行きつゝ行(ゆく)方(へ)を知らざりし多くの人々みな世にむかひて明かにこれが證(あかし)をなす
サベルリオ、アルリオ及びあたかも劒の如く聖書を映(うつ)してその直(なほ)き顏を歪(ゆが)めし愚者また然(しか)り
されば人々餘りに安んじて事を判じ、さながら畑(はた)にある穗をばその熟せざるさきに評(ねぶ)價(み)する人の如くなるなかれ
そはわれ茨(いばら)が、冬の間は堅(かた)く恐ろしく見ゆれども、後その梢(こずゑ)に薔(しや)薇(うび)の花をいたゞくを見
また船が直(なほ)く疾(と)く海を渡りて航(ふな)路(ぢ)を終へつゝ、遂に港の入口に沈むを見しことあればなり
ドンナ・ベルタもセル・マルティーノも、一(ひと)人(り)盜み一人物を獻(さゝ)ぐるを見て、神の審(さば)判(き)かれらにあらはると思ふ勿(なか)れ
恐らくは彼起き此倒るゝことあらむ。
第十四曲
圓(まる)き器(うつは)の中なる水、外(そと)または内(うち)より打たるれば、その波動中心より縁(ふち)にまたは縁より中心に及ぶ
トムマーゾのたふとき生(いの)命(ち)默(もだ)しゝとき、この事たちまちわが心に浮べり
こは彼の言(ことば)と彼に續いて物言へるベアトリーチェの言とよりこれに似たる事生じゝによる、淑女曰ふ
いまひとつの眞理をばこの者求めて根に到らざるをえず、されど聲はもとより未だ思ひによりてさへこれを汝等にいはざるなり
請(こ)ふ彼に告げよ、汝等靈體を飾る光は、今のごとくとこしへに汝等とともに殘るや否(いな)やを
またもし殘らば、請ふ告げよ、汝等が再び見ゆるにいたる時、その光いかにして汝等の目を害(そこな)はざるをうべきやを。
たとへば輪に舞ふ人々が、悦び増せば、これに促(うなが)され引かれつゝ、相共に聲を高うし、姿に樂しみを現はすごとく
かの二の聖なる圓は、急なるうや〳〵しき願ひをきゝて、その廻(めぐ)るさまと妙(たへ)なる節(ふし)とに新なる悦びを現はせり
およそ人の天に生きんとて地に死ぬるを悲しむ者は、永劫の雨の爽(さわや)かなるを未だかしこに見ざる者なり
さてかの一と二と三、即ち永(とこ)遠(しへ)に生き、かつとこしへに三と二と一にて治め、限られずして萬物を限り給ふものをば
かの諸々の靈いづれも三度(たび)うたひたり、その妙(たへ)なる調(しらべ)はげにいかなる功徳の報(むくい)となすにも適(ふさ)はしかるべし
我また小き方(かた)の圓の中なる最(いと)神々しき光の中に一の柔かき聲を聞たり、マリアに語れる天使の聲もかくやありけむ
その答ふる所にいふ。天堂の樂しみ續くかぎり、我等の愛光を放ちてかゝる衣をわれらのまはりに現はさむ
その燦(あざや)かさは愛の強さに伴ひ、愛の強さは視(みる)力(ちから)に伴ひ、しかして是またその功徳を超えて受くるところの恩(めぐ)惠(み)に準ず
尊くせられ聖(きよ)められし肉再びわれらに着せらるゝ時、われらの身はその悉く備はるによりて、いよ〳〵めづべき物となるべし
是故に至上の善が我等にめぐむすべての光、われらに神を視るをえしむる光は増さむ
是においてか視(みる)力(ちから)増し、これに燃(もや)さるゝ愛も増し、愛よりいづる光も増さむ
されど炭が焔を出し、しかして白熱をもてこれに勝ちつゝ己が姿をまもるごとく
この耀――今われらを包む――は、たえず地に被(おほ)はるゝ肉よりも、そのあらはるゝさま劣るべし
またかく大いなる光と雖、われらを疲れしむる能はじ、そは肉體の諸々の機關強くして、我等を悦ばす力あるすべての物に堪(た)ふればなり。
いと疾(と)くいちはやくかの歌の組二ながらアーメンといひ、死にたる體(からだ)をうるの願ひをあきらかに示すごとくなりき
またこの願ひは恐らくは彼等自らの爲のみならず、父(ちゝ)母(はゝ)その他彼等が未だ不朽の焔とならざる先に愛しゝ者の爲なりしならむ
時に見よ、一樣に燦(あざや)かなる一の光あたりに現はれ、かしこにありし光のかなたにてさながら輝く天涯に似たりき
また日の暮(くれ)初(そ)むる頃、新に天に現はれ出づるものありて、その見ゆるは眞(まこと)か否かわきがたきごとく
我はかしこに多くの新しき靈ありて、かの二の輪の外(そと)に一の圓を造りゐたるを見きとおぼえぬ
あゝ聖靈の眞(まこと)の閃(きらめき)よ、その不意にしてかつ輝くこといかばかりなりけむ、わが目くらみて堪ふるをえざりき
されどベアトリーチェは、記憶の及ぶあたはざるまでいと美しくかつ微(ほゝ)笑(ゑ)みて見えしかば
わが目これより力を受けて再び自ら擧ぐるをえ、我はたゞわが淑女とともにいよいよ尊き救ひに移りゐたるを見たり
わがさらに高く昇れることを定かに知りしは、常よりも紅(あか)くみえし星の、燃ゆる笑ひによりてなりき
我わが心を盡し、萬(よろ)人(づのひと)のひとしく用ゐる言葉にて、この新なる恩(めぐ)惠(み)に適(ふさ)はしき燔(はん)祭(さい)を神に獻(さゝ)げ
しかして供(くも)物(つ)の火未だわが胸の中に盡きざるさきに、我はこの獻(さゝ)物(げもの)の嘉(かな)納(ふ)せられしことを知りたり
そは多くの輝二の光線の中にて我に現はれ、あゝかくかれらを飾るエリオスよとわがいへるほど燦(あざや)かにかつ赤かりければなり
たとへば銀河が、大小さま〴〵の光を列(つら)ねて宇宙の兩極の間に白み、いと賢き者にさへ疑ひをいだかしむるごとく
かの光線は、星座となりつゝ、火星の深(ふか)處(み)に、象(しや)限(うげん)相結びて圓の中に造るその貴き標(しる)識(し)をつくれり
さて茲(こゝ)に到りてわが記憶才に勝つ、そはかの十字架の上にクリスト煌(かゞや)き給ひしかど我は適(ふさ)はしき譬(たと)へを得るをえざればなり
されど己が十字架をとりてクリストに從ふ者は、いつかかの光明の中に閃(ひら)めくクリストを見てわがかく省(はぶ)くを責めざるならむ
桁(けた)より桁にまた頂(いたゞき)と脚(あし)との間に諸々の光動き、相會ふ時にも過ぐるときにもかれらは強くきらめけり
己を護(まも)らんため智(さとり)と技(わざ)とをもて人々の作る陰を分けつゝをりふし條(すぢ)を引く光の中に、長き短き極微の物體
或ひは直(なほ)く或ひは曲(ゆが)み、或ひは疾く或ひは遲く、たえずその容(かたち)を變へて動くさままたかくの如し
また譬(たと)へば多くの絃(いと)にて調(しら)子(べ)を合せし琵(び)琶(わ)や琴が、節(ふし)を知らざる者にさへ、鼓(ひく)音(ね)妙(たへ)にきこゆるごとく
かしこに顯(あらは)れし諸々の光より一のうるはしき音(おと)十字架の上にあつまり、歌を解(げ)しえざりし我もこれに心を奪はれき
されど我よくそが尊き讚美なるを知りたり、そは起(た)ちて勝てといふ詞、解せざれどなは聞く人に聞ゆる如く、我に聞えたればなり
わが愛これに燃やされしこといかばかりぞや、げに是時にいたるまで、かくうるはしき絆(きづな)をもて我を繋(つな)げるもの一だになし
恐らくはわがこの言(ことば)、かの美しき目︵これを視ればわが願ひ安んず︶の與ふる樂をかろんじ、餘りに輕(かる)率(はずみ)なりと見えむ
されど人もし一切の美を捺(お)す諸々の生くる印がその高きに從つて愈々強く働く事と、わが未だ彼(かし)處(こ)にてかの目に向はざりし事とを思はゞ
わが辯(いひ)解(ひら)かんため自ら責むるその事をもて我を責めず、かつわが眞(まこと)を告ぐるを見む、そはかの聖なる樂しみをわれ今除きていへるに非ず
これまたその登るに從つていよ〳〵清くなればなり
第十五曲
慾を惡意のあらはすごとくまつたき愛をつねにあらはす善意によりて
かのうるはしき琴は默(もだ)し、天の右(め)手(で)の弛(ゆる)べて締(し)むる聖なる絃(いと)はしづまりき
そも〳〵これらの靈體は、我をして彼等に請ふの願ひを起さしめんとて皆齊(ひと)しく默(もだ)しゝなれば、いかで正しき請(こひ)に耳を傾けざらんや
苟(かり)且(そめ)の物を愛するため自ら永(とこ)遠(しへ)にこの愛を失ふ人のはてしなく歎くにいたるも宜(むべ)なる哉(かな)
靜なる、清き、晴(のど)和(け)き空(そら)に、ゆくりなき火しば〳〵流れて、やすらかなりし目を動かし
位置を變ふる星と見ゆれど、たゞその燃え立ちし處にては失せし星なくかつその永く保たぬごとくに
かの十字架の右の桁(けた)より、かしこに輝く星座の中の星一つ馳せ下りて脚(あし)にいたれり
またこの珠(たま)は下るにあたりてその紐を離れず、光の線(すぢ)を傳ひて走り、さながら雪(アラ)花(バス)石(トロ)の後(うしろ)の火の如く見えき
アンキーゼの魂が淨(エリ)土(ジオ)にてわが子を見いとやさしく迎へしさまも︵われらの最(いと)大いなるムーザに信をおくべくば︶かくやありけむ
あゝわが血(うか)族(ら)よ、あゝ上より注がれし神の恩(めぐ)惠(み)よ、汝の外誰の爲にか天(あめ)の戸の二度(たび)開かれしことやある。
かの光かく、是に於てか我これに心をとめ、後(のち)目をめぐらしてわが淑女を見れば、わが驚きは二(ふた)重(へ)となりぬ
そは我をしてわが目にてわが恩(めぐ)惠(み)わが天堂の底を認むと思はしむるほどの微(ほゝ)笑(ゑみ)その目のうちに燃えゐたればなり
かくてかの靈、聲姿ともにゆかしく、その初の音(ことば)に添へて物言へり、されど奧深くしてさとるをえざりき
但しこは彼が、好みて我より隱れしにあらず、已(や)むをえざるにいづ、人間の的(まと)よりもその思ふところ高ければなり
しかしてその熱愛の弓冷えゆき、そがためその言(ことば)人智の的の方(かた)に下るにおよび
わがさとれる第一の事にいふ。讚(ほ)むべき哉三(みつ)一(ひとつ)にいます者、汝わが子孫をかくねんごろに眷(かへ)顧(りみ)たまふ。
また續いて曰ふ。白きも黒きも變ることなき大いなる書(ふみ)を讀みてより、樂しくも久しく饑(うゑ)を覺えしに
子よ汝はこれをこの光︵我この中(うち)にて汝に物言ふ︶のなかにて鎭(しづ)めぬ、こはかく高く飛ばしめんため羽を汝に着せし淑女の恩(めぐ)惠(み)によれり
汝信ずらく、汝の思ひは第一の思ひより我に移り、その状(さま)あたかも一(いち)なる數の知らるゝ時五と六とこれより分れ出るに似たりと
さればこそわが誰なるやまた何故にこの樂しき群(むれ)の中にて特(こと)によろこばしく見ゆるやを汝は我に問はざるなれ
汝の信ずる所正し、そは大いなるも小(ちひさ)きもすべてこの生を享(う)くる者は汝の思ひが未だ成らざるさきに現はるゝかの鏡を見ればなり
されど我をして目を醒(さま)しゐて永(とこ)遠(しへ)に見しめまたうるはしき願ひに渇(かは)かしむる聖なる愛のいよ〳〵遂(と)げられんため
恐れず憚(はゞか)らずかつ悦ばしき聲をもて思ひを響かし願ひをひゞかせよ、わが答ははや定まりぬ。
我はベアトリーチェにむかへり、この時淑女わが語らざるにはやくも聞きて、我に一の徴(しるし)を與へ、わが願ひの翼を伸ばしき
我即ち曰ふ。第一の平(びや)等(うと)者(うじや)汝等に現はるゝや、汝等各(おの)自(〳〵)の愛と智とはその重(おも)さ等しくなりき
これ熱と光とをもて汝等を照らしかつ暖めし日輪が、これに比(たぐ)ふに足る物なきまでその平等を保つによる
されど人間にありては、汝等のよく知る理(こと)由(わり)にもとづき、意(おも)ふことと表(あら)はす力とその翼同じからず
是故に人間の我、自らこの不同を感ずるにより、父の如く汝の歡(よろこ)び迎ふるをたゞ心にて謝するのみ
我誠に汝に請(こ)ふ、この貴き寶を飾る生くる黄(わう)玉(ぎよく)よ、汝の名を告げてわが願ひを滿(み)たせ。
あゝわが葉よ。汝を待つさへわが喜びなりき、我こそ汝の根なりけれ。彼まづかく我に答へ
後また曰(い)ひけるは。汝の家(やか)族(ら)の名の本(もと)にて、第一の臺(うてな)に山を廻(めぐ)ることはや百(もゝ)年(とせ)餘(あまり)に及べる者は
我には子汝には曾(そう)祖(そ)父(ふ)なりき、汝須(すべか)らく彼の爲にその長き勞苦をば汝の業(わざ)によりて短うすべし
それフィオレンツァはその昔の城壁――今もかしこより第三時と第九時との鐘聞ゆ――の内にて平和を保ち、かつ節(ひか)へかつ愼(つつし)めり
かしこに索(くさり)も冠もなく、飾れる沓(くつ)を穿(は)く女も、締むる人よりなほ目立つべき帶もなかりき
まだその頃は女(によ)子(し)生るとも父の恐れとならざりき、その婚(と)期(き)その聘(おく)禮(りもの)いづれも度(のり)を超(こ)えざりければなり
かしこに人の住まざる家なく、室(しつ)の内にて爲(せ)らるゝことを教へんとてサルダナパロの來れることもあらざりき
まだその頃は汝等のウッチェルラトイオもモンテマーロにまさらざりき――今その榮(さかえ)のまさるごとく、この後衰(おとろへ)もまたまさらむ
我はベルリンチオーン・ベルティが革(かわ)紐(ひも)と骨との帶を卷きて出で、またその妻が假(けさ)粧(う)せずして鏡を離れ來るを見たり
またネルリの家(いへ)長(をさ)とヴェッキオの家(いへ)長(をさ)とが皮のみの衣をもて、その妻等が紡(つ)錘(む)と麻とをもて、心に足(た)れりとするを見たり
あゝ幸(さち)多き女等よ、彼等は一人だにその墓につきて恐れず、また未だフランスの故によりて獨(ひと)り臥(ふし)床(ど)に殘されず
ひとりは目を醒(さめ)しゐて搖(ゆり)籃(かご)を守り、またあやしつゝ、父(ちゝ)母(はゝ)の心をばまづ樂します言(ことば)を用ゐ
ひとりは絲を紡(つむ)ぎつゝ、わが家(や)の人々と、トロイア人(びと)、フィエソレ、ローマの物語などなしき、チアンゲルラや
ラーポ・サルテレルロの如き者その頃ありしならんには、チンチンナートやコルニーリアの今における如く、いと異(あや)しとせられしなるべし
かく平(やす)穩(らか)にかく美しく邑(まち)の人々の住みゐたる中(なか)に、かく頼もしかりし民、かくうるはしかりし客舍に
マリア――唱名の聲高きを開きて――我を加へ給へり、汝等の昔の授洗所にて我は基(クリ)督(ステ)教(ィア)徒(ーノ)となり、カッチアグイーダとなりたりき
わが兄弟なりし者にモロントとエリゼオとあり、わが妻はポーの溪(たに)よりわが許(もと)に來れり、汝の姓(うぢ)かの女より出づ
後われ皇帝クルラードに事(つか)へ、その騎士の帶をさづけられしほど功(いさを)によりていと大いなる恩(めぐ)寵(み)をえたり
我彼に從ひて出で、牧者達の過のため汝等の領地を侵(おか)す人々の不義の律(おき)法(て)と戰ひ
かしこにてかの穢(けが)れし民の手に罹(かゝ)りて虚(いつ)僞(はり)の世――多くの魂これを愛するがゆゑに穢る――より解かれ
殉教よりこの平安に移りにき。
第十六曲
あゝ人の血(ちす)統(ぢ)のたゞ小(さゝや)かなる尊(たふ)貴(とさ)よ、情の衰ふるところなる世に、汝人々をして汝に誇るにいたらしむとも
我重(かさ)ねてこれを異(あや)しとすることあらじ、そは愛欲の逸(そ)れざるところ即ち天にて我自ら汝に誇りたればなり
げに汝は短くなり易(やす)き衣のごとし、日に日に補ひ足されずば、時は鋏(はさみ)をもて周(まは)圍(り)をめぐらむ
ローマの第一に許しゝ語(ことば)しかしてその族(やから)の中にて最も廢(すた)れし語なるヴォイを始めに、我再び語りいづれば
少しく離れゐたりしベアトリーチェは、笑(ゑみ)を含み、さながら書(ふみ)に殘るかのジネーヴラの最初の咎(とが)を見て咳(しはぶ)きし女の如く見えき
我曰(い)ひけらく。汝(ヴォイ)はわが父なり、汝いたく我をはげまして物言はしめ、また我を高うして我にまさる者とならしむ
いと多くの流れにより嬉しさわが心に滿(み)つれば、心は自らその壞(やぶ)れずしてこれに堪(た)ふるをうるを悦ぶ
さればわが愛する遠(とほ)祖(つおや)よ、請(こ)ふ我に告げよ、汝の先祖達は誰なりしや、汝童(わらべ)なりし時、年は幾(いく)何(ばく)の數をか示せる
請ふ告げよ、聖(サン)ジョヴァンニの羊の圈(をり)はその頃いかばかり大いなりしや、またその内にて高(かみ)座(ざ)に就くに適(ふさ)はしき民は誰なりしや。
たとへば炭風に吹かれ、燃えて焔を放つごとく、我はかの光のわが媚ぶる言(ことば)をきゝて輝くを見たり
しかしてこの物いよ〳〵美しくわが目に見ゆるに從ひ、いよ〳〵麗(うるは)しき柔(やはら)かき聲にて︵但し近(ちか)代(きよ)の言葉を用ゐで︶
我に曰ひけるは。アーヴェのいはれし日より、今は聖徒なるわが母、子を生み、宿(やど)しゝ我を世にいだせる時までに
この火は五百八十囘己が獅子の處にゆき、その足の下にてあらたに燃えたり
またわが先祖達と我とは、汝等の年毎の競技に與(あづか)りて走る者がかの邑(まち)の最後の區(わか)劃(ち)を最初に見る處にて生れき
わが列祖の事につきては汝これを聞きて足れりとすべし、彼等の誰なりしやまた何(いづ)處(こ)よりこゝに來りしやは寧(むし)ろ言はざるを宜(むべ)とす
その頃マルテと洗(バッ)禮(ティ)者(スタ)との間にありて武器を執(と)るをえし者は、すべて合せて、今住む者の五分(ぶ)一なりき
されど今カムピ、チェルタルド、及びフェギーネと混(まじ)れる斯(この)民(たみ)、その頃はいと賤しき工(たく)匠(み)にいたるまで純なりき
あゝこれらの人々皆隣(とな)人(りびと)にして、ガルルッツォとトレスピアーノとに汝等の境あらん方(かた)、かれらを容(い)れてかのアグリオンの賤(しづ)男(のを)
またはシーニアの賤男︵公(おお)職(やけのつとめ)を賣らんとはや目を鋭うする︶の惡(をし)臭(う)を忍ぶにまさることいかばかりぞや
もし世の最も劣(おと)れる人々、チェーザレと繼(まゝ)しからず、あたかも母のわが兒におけるごとくこまやかなりせば
かの今フィレンツェ人(びと)となりて兩替しかつ商(あき)賣(なひ)するひとりの人は、その祖父が物乞へる處なるシミフォンテに歸りしなるべく
モンテムルロは今も昔の伯(きみ)等(たち)に屬し、チェルキはアーコネの寺領に殘り、ボンデルモンティは恐らくはヴァルディグレーヴェに殘れるなるべし
人々の入亂るゝことは、食に食を重ぬることの肉體における如くにて、常にこの邑(まち)の禍ひの始めなりき
盲(めしひ)の牡牛は盲の羔(こひつじ)よりも疾(と)く倒る、一(ひとつ)の劒(つるぎ)五(いつ)にまさりて切(きれ)味(あぢ)よきことしば〳〵是あり
汝もしルーニとウルビサーリアとがはや滅び、キウーシとシニガーリアとがまたその後(あと)を追ふを見ば
家(やか)族(ら)の消失するを聞くとも異(あや)しみ訝(いぶか)ることなからむ、邑(まち)さへ絶ゆるにいたるをおもひて
そも〳〵汝等に屬する物はみな汝等の如く朽(く)つ、たゞ永く續く物にありては、汝等の生(いの)命(ち)の短きによりて、この事隱るゝのみ
しかして月天の運行が、たえず渚(なぎさ)をば、蔽(おほ)ふてはまた露(あら)はす如く、命運フィオレンツァをあしらふがゆゑに
美(よき)名(な)を時の中に失ふ貴きフィレンツェ人(びと)についてわが語るところのことも異(あや)しと思はれざるならむ
我はウーギ、カテルリニ、フィリッピ、グレーチ、オルマンニ、及びアルベリキ等なだゝる市民のはや倒れかゝるを見
またラ・サンネルラ及びラルカの家(いへ)長(をさ)、ソルダニエーリ、アルディンギ、及びボスティーキ等のその舊(ふる)きがごとく大いなるを見たり
今新なるいと重き罪を積み置く――その重さにてたゞちに船を損ふならむ――かの門の邊(ほとり)には
ラヴィニアーニ住み居たり、伯(コン)爵(テ)グイード、及びその後貴きベルリンチオーネの名を襲(つ)げる者皆これより出づ
ラ・プレッサの家(いへ)長(をさ)は既に治むる道を知り、ガリガーイオは黄(こが)金(ねづ)裝(くり)の柄(つか)と鍔(つば)とを既にその家にて持てり
﹁ヴァイオ﹂の柱、サッケッティ、ジユオキ、フィファンティ、バルッチ、ガルリ、及びかの桝目の爲に赤らむ家(やか)族(ら)いづれも既に大なりき
カルフッチの出でし木の根もまた既に大なりき、シツィイとアルリグッチとは既に貴(たか)き座に押されたり
かの己が傲(たか)慢(ぶり)の爲遂に滅ぶにいたれる家(やか)族(ら)もわが見し頃はいかなりしぞや、黄(こが)金(ね)の丸(たま)はそのすべての偉業をもてフィオレンツァを飾り
汝等の寺院の空(あ)くごとに相(あひ)集(つど)ひて身を肥(こ)やす人々の父もまたかくなしき
逃ぐる者をば龍となりて追ひ、齒や財布を見する者には羔(こひつじ)のごとく柔(おと)和(な)しきかの僭越の族(うから)
既に興れり、されど素(う)姓(ぢ)賤しかりしかば、ウベルティーン・ドナートはその後舅が彼をばかれらの縁者となしゝを喜ばざりき
カーポンサッコは既にフィエソレを出でゝ市(いち)場(ば)にくだり、ジウダとインファンガートとは既に良(よき)市民となりゐたり
今我信じ難くして而して眞(まこと)なる事を告げむ、ラ・ペーラの家(やか)族(ら)に因(ちな)みて名づけし門より人かの小さき城壁の内に入りし事即ち是なり
トムマーゾの祭によりて名と徳とをたえず顯(あら)はすかの大いなる領(バー)主(ロネ)の美しき紋所を分け用ゐる者は、いづれも
騎士の位と殊遇とを彼より受けき、たゞ縁(へり)にてこれを卷くもの今日庶民と相結ぶのみ
グアルテロッティもイムポルトゥーニも既に榮えき、もし彼等に新なる隣(とな)人(りびと)等微(なか)りせば、ボルゴは今愈々よ靜なりしならむ
義(ただ)憤(しきいかり)の爲に汝等を殺し汝等の樂しき生活を斷(た)ち、かくして汝等の嘆を生み出せる家は
その所(ゆか)縁(り)の家(やか)族(ら)と倶(とも)に崇(あが)められき、あゝブオンデルモンテよ、汝が人の勸(すゝ)めを容(い)れ、これと縁(えにし)を結ぶを避けしはげにいかなる禍(わざは)ひぞや
汝はじめてこの邑(まち)に來るにあたり神汝をエーマに與へ給ひたりせば、多くの人々今悲しまで喜べるものを
フィオレンツァはその平和終る時、犧(いけ)牲(にへ)をば、橋を護(まも)るかの缺(かけ)石(いし)に獻げざるをえざりしなりき
我はフィオレンツァにこれらの家(やか)族(ら)と他の諸々の家族とありて、歎くべき謂れなきまでそのいと安らかなるを見たり
またこれらの家(やか)族(ら)ありて、その民榮えかつ正しかりければ、百合は未だ倒(さかさ)に竿に着けられしことなく
分離の爲紅に變ることもなかりき一五四
第十七曲
今猶(なほ)父をして子に對(むか)ひて吝(やぶさか)ならしむる者、人の己を誹(そし)るを聞き、事の眞(まこと)を定(さだ)かにせんためクリメーネの許(もと)に行きしことあり
我また彼の如くなりき、而してベアトリーチェも、また先にわがために處を變へしかの聖なる燈(ともしび)も、わが彼の如くなりしを知りき
是故に我淑女我に曰ふ。汝の願ひの焔を放て、そが汝の心の象(かた)をあざやかにうけていづるばかりに
されどこは汝の言(ことば)によりてわれらの知識の増さん爲ならず、汝が渇(かわき)を告ぐるに慣(な)れ、人をして汝に飮ますをえしめん爲なり。
あゝ愛するわが根よ︵汝いと高くせられ、あたかも人智が一の三角の内に二の鈍角の容(い)れられざるを知るごとく
苟(かり)且(そめ)の事をその未だ在らざるさきに知るにいたる、これ時の現(い)在(ま)ならぬはなき一の點を視るがゆゑなり︶
われヴィルジリオと倶(とも)にありて、諸々の魂を癒(いや)す山に登り、また死の世界にくだれる間に
わが將(ゆく)來(すゑ)の事につきて諸々のいたましき言(ことば)を聞きたり、但し命運我を撃(う)つとも我よく自らとれに堪(た)ふるをうるを覺ゆ
是故にいかなる災(わざはひ)のわが身に迫(せま)るやを聞かばわが願ひ滿(み)つべし、これ豫(あらかじ)め見ゆる矢はその中る力弱ければなり。
さきに我に物言へる光にむかひて我かくいひ、ベアトリーチェの望むごとくわが願ひを明(あか)したり
諸々の罪を取去る神の羔(こひつじ)未だ殺されざりし昔、愚(おろか)なる民を惑(まど)はしゝその語(ことば)の如く朧(おぼろ)ならず
明らかにいひ定かに語りてかの父の愛、己が微(ほゝ)笑(ゑみ)の中に隱れかつ顯(あら)はれつゝ、答ふらく
それ苟(かり)且(そめ)の事即ち汝等の物質の書(ふみ)より外に延びざる事はみな永(とこ)遠(しへ)の目に映ず
されど映ずるが爲にこの事必ず起るにあらず、船流れを下りゆけどもそのうつる目の然らしむるにあらざるに似たり
この永遠の目より汝の行末のわが目に入り來ることあたかも樂器よりうるはしき和合の音の耳に入り來る如し
イッポリートが無情邪險の繼(まゝ)母(はゝ)の爲にアテーネを去れるごとく、汝フィオレンツァを去らざるべからず
日(ひご)毎(と)にクリストの賣(うり)買(かひ)せらるゝ處にてこれを思ひめぐらす者これを願ひかつはや企(たく)圖(み)ぬ、さればまた直ちにこれを行はむ
虐(しひた)げられし人々に世はその常の如く罪を歸すべし、されど刑罰はこれを頒(わか)ち與ふるものなる眞(まこと)の爲の證(あかし)とならむ
いと深く愛する物をば汝悉(こと〴〵)く棄て去らむ、是即ち流(るざ)罪(い)の弓の第一に射放つ矢なり
他(ひ)人(と)の麺(パ)麭(ン)のいかばかり苦(にが)く他(ひ)人(と)の階(はし)子(ご)の昇(のぼ)降(りくだり)のいかばかりつらきやを汝自ら驗(ため)しみむ
しかして最も重く汝の肩を壓(お)すものは、汝とともにこの溪(たに)に落つる邪惡庸愚の侶なるべし
かれら全く恩を忘れ狂ひ猛(たけ)りて汝に背(そむ)かむ、されどかれら︵汝にあらず︶はこれが爲に程なく顏を赤うせむ
かれらの行(おこ)爲(なひ)は獸の如きその性(さが)の證(あかし)とならむ、されば汝唯(たゞ)一(ひと)人(り)を一の黨派たらしむるかた汝にとりて善(よ)かるべし
汝の第一の避(さけ)所(どころ)第一の旅(やど)舍(り)は、聖なる鳥を梯(はし)子(ご)の上におくかの大いなるロムバルディア人(びと)の情(なさけ)ならむ
彼汝に對(むか)ひて深き好(よし)意(み)を有(も)つが故に、爲す事と求むる事との中(うち)他の人々の間にてはいと遲きものも汝等二(ふた)人(り)の間にては先となるべし
己が功(いさを)の世に顯(あら)はるゝにいたるばかりこの強き星の力を生るゝ時に受けたる者をば汝彼の許(もと)に見む
人々未だこの者を知らじ、そはその年若く諸天のこれをめぐれることたゞ九(こゝ)年(のとせ)のみなればなり
されどかのグアスコニア人(びと)が未だ貴きアルリーゴを欺(あざむ)かざるさきにその徳の光は、銀(かね)をも疲(つかれ)をも心にとめざる事において現はれむ
その諸々の榮(はえ)ある業(わざ)はこの後遍(あまね)く世に知られ、その敵さへこれについて口を噤(つぐ)むをえざるにいたらむ
汝彼と彼の恩(めぐ)惠(み)とを望み待て、彼あるによりて多くの民改まり、貧富互(かたみ)に地を更(か)へむ
汝また彼の事を心に記して携(たづさ)へ行くべし、されど人に言ふ莫(なか)れ。かくて彼は面(まのあたり)見る者もなほ信ずまじきことどもを告げ
後加ふらく。子よ、汝が聞きたる事の解(とき)説(あかし)は即ち是なり、是ぞ多からぬ年の後(うし)方(ろ)にかくるゝ係(わ)蹄(な)なる
されど汝の隣(とな)人(りびと)等を妬(ねた)むなかれ、汝の生(いの)命(ち)はかれらの邪惡の罰よりも遙に遠き未來に亘るべければなり。
かの聖なる魂默(もだ)し、經(たていと)を張りてわが渡したる織物に緯(よこいと)を入れ終りしことをあらはせる時
あたかも疑ひをいだく者が、智あり徳あり愛ある人の教へを希(ねが)ふごとく、我曰(いひ)けるは
わが父よ、我よく時の我に打撃を與へんとてわが方(かた)に急ぎ進むを見る、しかしてこは思慮なき人にいと重く加へらるべき打撃なり
是故にわれ先見をもて身を固(かた)むるを宜(よ)しとす、さらばたとひ最愛の地を奪はるともその他の地をばわが歌の爲に失ふことなからむ
果(はてし)なき苦しみの世にくだり、またわが淑女の目に擧げられて美しき巓をばわが離れしその山をめぐり
後また光より光に移りつゝ天を經(へ)てわが知るをえたる事を我もし語らば、そは多くの人にとりて味(あぢはひ)甚だ辛(から)かるべし
されど我もし眞理に對(むか)ひて卑怯の友たらんには、今を昔と呼ぶ人々の間に生(いの)命(ち)を失ふの恐れあり。
かのわが寶のほゝゑむ姿を包みし光は、まづ日の光にあたる黄(こが)金(ね)の鏡のごとく煌(きらめ)き
かくて答ふらく。己が罪または他(ひ)人(と)の罪の爲に曇れる心は、げに汝の言(ことば)を烈(はげ)しと感ぜむ
しかはあれ、一切の虚(いつ)僞(はり)を棄てつゝ、汝の見し事をこと〴〵くあらはし、瘡(かさ)ある處は人のこれを掻くに任(まか)せよ
汝の聲はその味(あぢ)はじめ厭(いと)はしとも、後消(こ)化(な)るゝに及び極めて肝要なる滋(やし)養(なひ)を殘すによりてなり
汝の叫びの爲す所あたかも最(いと)高き巓をいと強くうつ風の如し、是豈(あに)譽(ほまれ)のたゞ小(さゝ)やかなる證(あかし)ならんや
是故にこれらの天にても、かの山にても、またかの苦(なや)患(み)の溪にても、汝に示されしは、名の世に知らるゝ魂のみ
そは例を引きてその根知られずあらはれず、證(あかし)して明らかならざれば、人聞くとも心安まらず、信をこれに置かざればなり。
第十八曲
福(さいはひ)なるかの鏡は今たゞ己が思ひを樂しみ、我はわが思ひを味ひつゝ、甘さをもて苦しさを和げゐたりしに
我を神のみもとに導きゐたる淑女いひけるは。思ひを變へよ、一切の虐(しひたげ)を輕むるものにわが近きを思ふべし。
我はわが慰(なぐ)藉(さめ)の慕はしき聲を聞きて身を轉(めぐら)せり、されどこの時かの聖なる目の中にいかなる愛をわが見しや、こゝに記(しる)さじ
これ我自らわが言(ことば)を頼(たの)まざるのみならず、導く者なくばかく遠く記憶に溯(さかのぼ)る能(あた)はざるによりてなり
かの刹(せつ)那(な)のことについてわが語るを得るは是のみ、曰く、彼を視るに及びわが情は他の一切の願ひより解かると
ベアトリーチェを直ちに照らせる永(とこ)遠(しへ)の喜びその第二の姿をば美しき目に現はしてわが心を足(たら)はしゐたりしとき
一の微(ほゝ)笑(ゑみ)の光をもて我を服(したが)へつゝ淑女曰ふ。身を轉(めぐら)してしかして聽け、わが目の中にのみ天堂あるにあらざればなり。
情もし魂を悉く占むるばかりに強ければ、目に現はるゝことまゝ世に例(ためし)あり
かくの如く、我はわがふりかへりて見し聖なる光の輝の中に、なほしばし我と語るの意あるを認めき
このものいふ。頂によりて生き、常に實を結び、たえて葉を失はぬ木のこの第五座に
福なる諸々の靈あり、かれらは天に來らざりしさき、いかなるムーザをも富(と)ますばかり世に名(きこ)聲(え)高かりき
是故にかの十字架の桁(けた)を見よ、我今名をいはん、さらばその者あたかも雲の中にてその疾(と)き火の爲(な)す如き技(わざ)をかしこに爲すべし。
ヨスエの名いはるゝや、我は忽ち一の光の十字架を傳ひて動くを見たり、げに言(いふ)と爲(なす)といづれの先なりしやを知らず
尊きマッカベオの名とともに、我はいま一の光の廻(めぐ)りつゝ進み出づるを見たり、しかして喜(よろ)悦(こび)はかの獨(こ)樂(ま)の糸なりき
またカルロ・マーニョとオルランドとの呼ばれし時にも、我は心をとめて他の二の光を見、宛(さな)然(がら)己が飛立つ鷹に目の伴ふ如くなりき
後またグイリエルモ、レノアルド、公(ドウ)爵(ーカ)ゴッティフレーディ、及びルベルト・グイスカールドわが目を引きてかの十字架を傳はしむ
かくて我に物言へる魂、他の光の間に移り混(まじ)りつゝ、天の歌(うた)人(びと)の中にても技(わざ)のいたく勝(すぐ)るゝことを我に示せり
われ身をめぐらして右に向ひ、ベアトリーチェによりて、その言(ことば)または動(ふる)作(まひ)に表(あら)はるゝわが務を知らんとせしに
姿平(つ)常(ね)にまさり最(をは)終(り)の時にもまさるばかり、その目清くたのしげなりき
また善を行ふにあたり心に感ずる喜びのいよ〳〵大いなるによりて、人己が徳の進むを日毎に自ら知るごとく
我はかの奇(く)しき聖(みわ)業(ざ)のいよ〳〵美しくなるを見て、天とともにわが廻(めぐ)る輪のその弧(アルコ)を増しゝを知れり
しかして色白き女が、その顏より羞(はぢ)恥(らひ)の荷をおろせば、たゞ束(つか)の間(ま)に變るごとく
われ回(ふり)顧(かへ)りしときわが見るもの變りゐたり、こは己の内に我を容(い)れし温和なる第六の星の白さの爲なりき
我見しに、かのジョーヴェの燈(とも)火(しび)の中には愛の煌(きらめき)のあるありて、われらの言(こと)語(ば)をわが目に現はせり
しかしてたとへば岸より立ちさながら己が食(くひ)物(もの)を見しを祝ふに似たる群(むら)鳥(どり)の、相(あひ)連(つらな)りて忽ち圓を作りまた忽ち他(ほか)の形を作る如く
諸々の聖者はかの諸々の光の中にて飛びつゝ歌ひ、相寄りて忽ちD(デイ)忽ちI(イ)忽ちL(エルレ)の形を作れり
かれらはまづ歌ひつゝ己が節(ふし)に合せて動き、さてこれらの文字の一となるや、しばらく止まりて默(もだ)しゝなりき
あゝ女(めが)神(み)ペガーゼアよ︵汝才に榮光を與へてその生(いの)命(ち)を長うす、才が汝の助けによりて諸邑諸國に及ぼす所またかくの如し︶
願はくは汝の光をもて我を照らし我をして彼等の象(かたち)をそのわが心にある如く示すをえしめよ、願はくは汝の力をこれらの短き句に現はせ
さてかれらは七の五倍の母字子字となりて顯はれ、我はまた一部一部を、その言顯はしゝ次第に從ひて、心に記(と)めたり
D(デ)i(ィ)l(ー)i(リ)g(ギ)i(テ)te (イ)i(ウ)u(ス)s(テ)t(ィ)i(テ)t(ィ)i(ア)a(ム)m是全畫面の始めの語(ことば)なる動詞と名詞にてその終りの語は (ク)Q(イ)u(ー)i(イ)i(ウ)u(デ)d(ィ)i(カ)c(ー)a(チ)t(ス)is(テ)t(ル)e(ラ)r(ム)ram なりき
かくて第五の語(ことば)の中のM(エムメ)にいたり、彼等かく並べるまゝ止まりたれば、かしこにては木星宛(さな)然(がら)金にて飾れる銀と見えたり
我またMの頂の處に他の諸々の光降り、歌ひつゝ――己の許(もと)に彼等を導く善の事ならむ――そこに靜まるを見たり
かくてあたかも燃えたる薪を打てば數しれぬ火花出づる︵愚者これによりて占(うらなひ)をなす習ひあり︶ごとく
かしこより千餘の光出で、かれらを燃す日輪の定むるところに從ひて、或者高く或者少しく昇ると見えたり
しかして各その處にしづまりしとき、我はかの飾れる火が一羽の鷲の首(かしら)と頸(くび)とを表はすを見たり
そも〳〵かしこに畫く者はこれを導く者あるにあらず、彼自ら導く、かれよりぞ巣を作るの本(もと)なる力いづるなる
さて他の聖者の群(むれ)即ち先にエムメにて百合となりて悦ぶ如く見えし者は、少しく動きつゝかの印(か)象(た)を捺(お)し終りたり
あゝ麗しき星よ、世の正義が汝の飾る天の力にもとづくことを我に明らかならしめしはいかなる珠いかばかり數多き珠ぞや
是故に我は汝の動(うごき)汝の力の汝なる聖(みこ)意(ゝろ)に祈る、汝の光を害ふ烟の出る處をみそなはし
血と殉教とをもて築きあげし神(み)殿(や)の内に賣(うり)買(かひ)の行はるゝためいま一たび聖(みい)怒(かり)を起し給へと
あゝわが視る天の軍(いく)人(さびと)等よ、惡(あし)例(きためし)に傚ひて迷はざるなき地上の人々のために祈れ
昔は劒(つるぎ)をもて戰(いく)鬪(さ)をする習ひなりしに、今はかの慈悲深き父が誰にもいなみ給はぬ麺(パ)麭(ン)をばこゝかしこより奪ひて戰ふ
されど汝、たゞ消さんとて録(しる)す者よ、汝が荒す葡(ぶだ)萄(うば)園(たけ)の爲に死にたるピエートロとパオロとは今も生くることを思へ
うべ汝は曰はむ、たゞ獨りにて住むを好み、かつ一(ひと)踊(をどり)のため教へに殉ずるにいたれる者に我專らわが願ひを据ゑたれば
我は漁夫をもポロをも知らずと
第十九曲
うるはしき樂しみのために悦ぶ魂等が相結びて造りなしゝかの美しき象(かたち)は、翼を開きてわが前に現はる
かれらはいづれも小さき紅(あか)玉(だま)が日輪の燃えて輝く光を受けつゝわが目にこれを反(てり)映(かへ)らしむる如く見えたり
しかしてわが今述べんとするところは、聲これを傳へ、墨これを録(しる)しゝことなく、想像もこれを懷(いだ)きしことなし
そは我見かつ聞きしに、嘴(くちばし)物言ひ、その聲の中にはわれらとわれらのとの意(こゝろ)なるわれとわがと響きたればなり
いふ。正しく慈悲深かりしため、こゝにはわれ今高くせられて、願ひに負けざる榮光をうけ
また地には、かしこの惡しき人々さへ美(ほ)むるばかりの――かれら美(ほ)むれど鑑(かゞみ)に傚(なら)はず――わが記(かた)念(み)を遺しぬ。
たとへば數多き熾(おき)火(び)よりたゞ一の熱のいづるを感ずる如く、數多き愛の造れるかの象(かたち)よりたゞ一の響きいでたり
是においてか我直に。あゝ永(とこ)遠(しへ)の喜びの不斷の花よ、汝等は己がすべての薫(かをり)をたゞ一と我に思はしむ
請ふ語りてわが大いなる斷(だん)食(じき)を破れ、地上に食(くひ)物(もの)をえざりしため我久しく饑(う)ゑゐたればなり
我よく是を知る、神の正義天上の他の王國をその鏡となさば、汝等の王國も亦幔(まく)を隔(へだ)てゝこれを視じ
汝等はわが聽かんと思ふ心のいかばかり深きやを知る、また何の疑ひのかく長く我を饑ゑしめしやを知る。
鷹その被(かぶ)物(りもの)を脱(と)らるれば、頭を動かし翼を搏(う)ち、願ひと勢(いきほひ)とを示すごとく
神の恩(めぐ)惠(み)の讚美にて編めるこの旗(はた)章(じるし)は、天に樂しむ者のみ知れる歌をうたひてその悦びを表(あら)はせり
かくていふ。宇宙の極(はて)に圓(コム)規(パス)をめぐらし、隱るゝ物と顯るゝ物とを遍(あまね)くその内に頒(わか)ちし者は
己が言(ことば)の限りなく優(まさ)らざるにいたるほど、その力をば全宇宙に印する能はざりき
しかして萬(よろづ)の被(つく)造(られ)物(しもの)の長(をさ)なりしかの第一の不(ふそ)遜(んじ)者(や)が光を待たざるによりて熟(う)まざる先に墜(おと)し事よくこれを證(あかし)す
されば彼に劣る一切の性(さが)が、己をもて己を量る無窮の善を受入れんには器(うつは)あまりに小さき事もまたこれによりて明らかならむ
是故に、萬物の中に滿つる聖(みこ)意(ゝろ)の光のたゞ一(ひと)線(すぢ)ならざるをえざる我等の視力は
その性(さが)として、己が源を己に見ゆるものよりも遙かかなたに認めざるほど強きにいたらじ
かゝれば汝等の世の享くる視力が無窮の正義に入りゆく状(さま)は、目の海におけるごとし
目は汀(みぎは)より底を見れども沖にてはこれを見じ、されどかしこに底なきにあらず、深きが爲に隱るゝのみ
曇(くもり)しらぬ蒼(あを)空(ぞら)より來るものゝ外光なし、否(いな)闇あり、即ち肉の陰またはその毒なり
生くる正義を汝に匿(かく)しこれについてかくしげく汝に問を發(おこ)さしめたる隱(かく)所(れどころ)は、今よく汝の前に開かる
汝曰(いひ)けらく、人インドの岸に生れ︵かしこにはクリストの事を説く者なく、讀む者も書く者もなし︶
人間の理性の導くかぎり、その思ふ所爲(な)すところみな善く言(こと)行(ばおこなひ)に罪なけれど
たゞ洗(バッ)禮(テスモ)を受けず信仰に入らずして死(し)ぬるあらんに、かゝる人を罰する正義いづこにありや、彼信ぜざるもその咎(とが)將(はた)いづこにありやと
抑(そも)々(〳〵)汝は何者なれば一布(スパ)指(ンナ)の先をも見る能はずして席に着き、千哩(ミーリア)のかなたを審(さば)かんと欲するや
聖書汝等の上にあらずば、げに我とともに事を究めんとつとむる者にいたく疑ふの事(いは)由(れ)はあらむ
あゝ地上の動物よ、愚(おろか)なる心よ、それおのづから善なる第一の意志は、己即ち至上の善より未だ離れしことあらじ
凡て物の正しきはこれと和するの如何による、造られし善の中これを己が許に引く物一だになし、この善光を放つがゆゑにかの善生ず。
餌を雛に與へ終りて鸛(こふづる)巣の上をめぐり、雛は餌をえてその母を視るごとく
いと多き議(はからひ)に促(うなが)されてかの福なる象(かたち)翼を動かし、また我はわが目を擧げたり
さてめぐりつゝ歌ひ、かつ曰ふ。汝のわが歌を解(げ)せざる如く、汝等人間は永(とこ)遠(しへ)の審(さば)判(き)をげせじ。
ローマ人(びと)に世界の崇(あがめ)をうけしめし徴(しる)號(し)をばなほ保ちつゝ、聖靈の光る火しづまりて後
かの者またいふ。クリストが木に懸(か)けられ給ひし時より前にも後にも彼を信ぜざりし人の、この國に登り來れることなし
されど見よ、クリスト、クリストとよばゝる人にて、審(さば)判(き)のときには、クリストを知らざる人よりも遠く彼を離るべき者多し
かゝる基(クリ)督(ステ)教(ィア)徒(ーニ)をばエチオピア人(びと)罪に定めむ、こは人二の群(むれ)にわかたれ、彼永(とこ)遠(しへ)に富み此貧しからん時なり
汝等の王達の汚辱をすべて録(しる)しゝ書(ふみ)の開かるゝを見る時、ペルシア人(びと)彼等に何をかいふをえざらむ
そこにはアルベルトの行(おこ)爲(なひ)の中、ほどなく筆を運ばしむる事見ゆべし、その行爲によりてプラーガの王國の荒らさるゝこと即ち是なり
そこには猪(ゐのしゝ)に衝(つ)かれて死すべき者が、貨(か)幣(ね)の模(まが)擬(へ)を造りつゝ、センナの邊(ほとり)に齎(もたら)すところの患(うれへ)見ゆべし
そこにはかのスコットランド人(びと)とイギリス人とを狂はし、そのいづれをも己が境の内に止まる能はざらしむる傲(たか)慢(ぶり)︵渇(かわき)を起す︶見ゆべし
スパニアの王とボエムメの王︵この人嘗(かつ)て徳を知らずまた求めしこともなし︶との淫(いん)樂(らく)と懦(だじ)弱(やく)の生活と見ゆべし
イエルサレムメの跛(あし)者(なへ)の善は一のI(イ)にて記(しる)され、一のM(エムメ)はその惡の記(しる)號(し)となりて見ゆべし
アンキーゼが長(なが)生(きいのち)を畢(を)へし處なる火の島を治むる者の強慾と怯(けふ)懦(だ)と見ゆべし
またかれのいみじき小人なるをさとらせんため、その記録には略字を用ゐて、些(すこし)の場所に多くの事を言現はさむ
またいと秀(ひい)づる家(いへ)系(がら)と二の冠とを辱めたるその叔父と兄弟との惡しき行(おこなひ)は何人にも明らかなるべし
またポルトガルロの王とノルヴェジアの王とはかの書(ふみ)によりて知らるべし、ヴェネージアの貨(か)幣(ね)を見て禍ひを招けるラシアの王また然り
あゝ重ねて虐政を忍ばずばウンガリアは福なる哉、取卷く山を固(かため)となさばナヴァルラは福なる哉
またこの事の契約として、ニコシアとファマゴスタとが今既にその獸――他の獸の傍(かたへ)を去らざる――の爲に
嘆き叫ぶを人皆信ぜよ。
第二十曲
全世界を照らすもの、わが半球より、遠くくだりて、晝いたるところに盡くれば
さきにはこれにのみ燃(もや)さるゝ天、忽ち多くの光――一の光をうけて輝く――によりて再び己を現はすにいたる
かゝる天の現(すが)象(た)なりき、世界とその導者達との徴(しる)號(し)の尊き嘴默(もだ)しゝ時、わが心に浮べるものは
そはかの諸々の生くる光は、みないよ〳〵強く光りつゝ、わが記憶より逃げ易(やす)く消え易き歌をうたひいでたればなり
あゝ微(ほゝ)笑(ゑみ)の衣を纏(まと)ふうるはしき愛よ、聖なる思ひの息(いき)のみ通へるかの諸々の笛の中に汝はいかに熱(あつ)く見えしよ
第六の光を飾る諸々の貴きかゞやける珠、その妙(たへ)なる天使の歌を絶(た)ちしとき
我は清らかに石より石と傳ひ下りて己が源の豐(ゆたか)なるを示す流れのとある低(さゝ)語(やき)を聞くとおぼえき
しかしてたとへば琵(び)琶(わ)の頸にて、音(おと)その調(しらべ)を得(え)、篳(ひち)篥(りき)の孔にて、入來る風またこれを得るごとく
かの鷲の低(さゝ)語(やき)は、待つ間もあらず頸を傳ひて――そが空(うつろ)なりしごとく――上(のぼ)り來れり
さてかしこに聲となり、かしこよりその嘴を過ぎ言葉の體(かたち)を成して出づ、この言葉こそわがこれを録(しる)しゝ心の待ちゐたるものなれ
我に曰ふ。わが身の一部、即ち物を見、かつ地上の鷲にありてはよく日輪に堪ふるところを今汝心して視るべし
そはわが用ゐて形をとゝなふ諸々の火の中(うち)、目となりてわが首(かうべ)が輝く者、かれらの凡ての位のうちの第一を占むればなり
眞(まな)中(か)に光りて瞳となるは、聖靈の歌(うた)人(びと)、邑(まち)より邑にかの匱(はこ)を移しゝ者なり
今彼は、己が歌の徳――己が思ひよりこの歌のいでたるかぎり――をば、これにふさはしき報(むくい)によりて知る
輪を造りて我眉となる五の火の中、わが嘴(くちばし)にいと近きは、寡(やも)婦(め)をばその子の事にて慰めし者なり
今彼は、クリストに從はざることのいかに貴き價を拂ふにいたるやを知る、そは彼この麗(うるは)しき世とその反(うら)とを親しく味ひたればなり
またわがいへる圓のうちの弓(ゆみ)形(がた)上(のぼ)る處にて彼に續くは、眞(まこと)の悔(くひ)によりて死を延べし者なり
今彼は、適(ふさ)はしき祈り下界にて、今(け)日(ふ)の事を明(あ)日(す)になすとも、永(とこ)遠(しへ)の審(さば)判(き)に變りなきを知る
次なる者は、牧者に讓らんとて︵その志善かりしかど結べる果(み)惡(あ)しかりき︶律(おき)法(て)及び我とともに己をギリシアのものとなせり
今彼は、その善行より出でたる惡の、たとひ世を亡ぼすとも、己を害(そこな)はざるを知る
弓形下(くだ)る處に見ゆるはグリエルモといへる者なり、カルロとフェデリーゴと在るが爲に嘆く國彼なきが爲に泣く
今彼は、天のいかばかり正しき王を慕ふやを知り、今もこれをその輝く姿に表はす
トロイア人(びと)リフェオがこの輪の聖なる光の中の第五なるを、誤り多き下界にては誰か信ぜむ
今彼は、神の恩(めぐ)惠(み)について世のさとりえざる多くの事を知る、その目も底を認めざれども。
まづ歌ひつゝ空に漂ふ可(いと)憐(ほし)の雲(ひば)雀(り)が、やがて自ら最(をは)後(り)の節(ふし)のうるはしさに愛(め)で、心足りて默(もだ)すごとく
永(とこ)遠(しへ)の悦び︵これが願ふところに從ひ萬物皆そのあるごとくなるにいたる︶の印せる像(かたち)も心足らへる如く見えき
しかしてかしこにては我のわが疑ひにおけるあたかも玻(は)璃(り)のその被(おほ)ふ色におけるに似たりしかど、この疑ひは默(もだ)して時を待つに堪へず
己が重(おも)さの力をもて、これらの事は何ぞやといふ言(ことば)をばわが口より押出したり、またこれと共に我は大いなる喜びの閃(ひらめ)くを見き
かくてかの尊(たふと)き徴(しる)號(し)、いよ〳〵つよく目を燃やしつゝ、我をながく驚(あや)異(しみ)のうちにとめおかじとて、答ふらく
我見るに、汝がこれらの事を信ずるは、わがこれを言ふが爲にてその所以を知れるに非ず、されば事信ぜられて猶隱る
汝はあたかも物を名によりてよく會(ゑと)得(く)すれども、その本質にいたりては人これを現はさゞれば知る能はざる者の如し
それ天の王國は、熱き愛及び生くる望みに侵さる、これらのもの聖(みこ)意(ゝろ)に勝つによりてなり
されどその状(さま)人々を從ふる如きに非ず、そがこれに勝つはこれ自ら勝(か)たれんと思へばなり、しかして勝れつゝ己が仁(いつ)慈(くしみ)によりて勝つ
さて眉の中なる第一と第五の生(いの)命(ち)が天使の國に描かるゝを見て汝これを異(あや)しめども
かれらはその肉體を出るに當り汝の思ふ如く異教徒なりしに非ず、基(クリ)督(ステ)教(ィア)徒(ーニ)にて、彼は痛むべき足此は痛める足を固く信じき
即ちその一(ひと)者(り)は、善(よき)意(おもひ)に戻(もど)る者なき處なる地獄より骨に歸れり、是抑(そも)々(〳〵)生くる望みの報(むくい)にて
この生くる望みこそ、彼の甦りその思ひの移るをうるにいたらんため神に捧げまつれる祈りに力をえしめたりしなれ
件(くだん)の尊き魂は肉に歸りて︵たゞ少(しば)時(し)これに宿りき︶、己を助くるをうるものを信じ
信じつゝ眞(まこと)の愛の火に燃えしかば、第二の死に臨みては、この樂しみを享(う)くるに適(ふさ)はしくなりゐたり
また一(ひと)者(り)は、被(つく)造(られ)物(しもの)未だ嘗(かつ)て目を第一の波に及ぼしゝことなきまでいと深き泉より流れ出る恩(めぐ)惠(み)により
その愛を世にてこと〴〵く正義に向けたり、是故に恩(めぐ)惠(み)恩惠に加はり、神彼の目を開きて我等の未來の贖(あがなひ)を見しめぬ
是においてか彼これを信じ、其後異教の惡(をし)臭(う)を忍ばず、かつその事にて多くの悖(もと)れる人々を責めたり
汝がかの右の輪の邊(ほとり)に見しみたりの淑女は、洗(バッ)禮(テスモ)の事ありし時より一千年餘の先に當りて彼の洗禮となりたりき
あゝ永(とこ)遠(しへ)の定(さだめ)よ、第一の原(も)因(と)を見きはむるをえざる目に汝の根の遠ざかることいかばかりぞや
また汝等人間よ愼みて事を斷ぜよ、われら神を見る者といへども猶(なほ)凡ての選ばれし者を知らじ
而して我等かく缺(かく)處(るところ)あるを悦ぶ、我等の幸(さいはひ)は神の思(おぼ)召(しめ)す事をわれらもまた思ふといふその幸によりて全うせらるればなり。
かくかの神の象(かたち)、わが近(ちか)眼(め)をいやさんとて、われにこゝちよき藥を與へき
しかしてたとへば巧みに琵琶を奏(かな)づる者が、絃(いと)の震(ゆる)動(ぎ)を、巧みに歌ふ者と合(あは)せて、歌に興を添ふるごとく
︵憶ひ出づれば︶我は鷲の語る間、二のたふとき光が言葉につれて焔を動かし、そのさま雙(さう)の目の
時齊(ひと)しく瞬(またゝ)くに似たるを見たり
第二十一曲
はやわが目は再びわが淑女の顏に注(そゝ)がれ、目とともに意(こゝろ)もこれに注がれて他の一切の思ひを離れき
この時淑女ほゝゑまずして我に曰ふ。我もしほゝゑまば、汝はあたかも灰となりしときのセーメレの如くになるべし
これ永(とこ)遠(しへ)の宮(み)殿(や)の階(きざはし)を傳ひていよ〳〵高く登るに從ひいよ〳〵燃ゆる︵汝の見し如く︶わが美しさは
和(やはら)げらるゝに非(あらざ)ればいと強く赫(かゞや)くが故に、人たる汝の力その光に當りてさながら雷に碎かるゝ小枝の如くなるによるなり
われらは擧げられて第七の輝の中にあり、こは燃ゆる獅子の胸の下にてその力とまじりつゝ今下方を照らすもの
汝意(こゝろ)を雙の目の行(ゆく)方(へ)にとめてかれらを鏡とし、いまこの鏡に見ゆる像(かたち)をこれに映(うつ)せ。
我わが思ひを變へしそのとき、かのたふとき姿のうちにわが目いかなる喜びをえしや、そを知る者は
彼(かな)方(た)と此(こな)方(た)とを權(はか)り比(くら)べてしかして知らむ、わが天上の案(し)内(る)者(べ)の命に從ふことのいかばかり我に樂しかりしやを
世界のまはりをめぐりつゝその名(なだ)立(ゝ)る導者の――一切の邪惡かれの治(み)下(よ)に滅びにき――名を負(お)ふ水晶の中に
我は一の樹(はし)梯(だて)を見たり、こは日の光に照らさるゝ黄(こが)金(ね)の色にて、わが目の及ぶあたはざるほど高く聳(そび)えき
我また段(きだ)を傳ひて諸々の光の降るを見たり、その數(かず)は最(いと)多く、我をして天に現はるゝ一切の光かしこより注がると思はしむ
自然の習(ならひ)とて、晝の始め、冷やかなる羽をあたゝめんため、鴉(からす)むらがりて飛び
後或者は往(ゆ)きて還(かへ)らず、或者はさきにいでたちし處にむかひ、或者は殘りゐてめぐる
むらがり降れるかの煌(きらめき)も、とある段(きだ)に着くに及びて、またかくの如く爲すと見えたり
しかして我等にいと近く止まれる光殊(こと)に燦(あざやか)になりければ、われ心の中にいふ、我よく汝の我に示す愛を見ると
されど何(い)時(つ)如(い)何(か)に言ひまたは默(もだ)すべきやを我に教ふる淑女身を動かすことをせざりき、是においてかわが願ひに背(そむ)き我は問はざるを可(よし)とせり
是時淑女、萬物を見る者に照らして、わが默(もだ)す所(ゆゑ)以(ん)を見、汝の熱き願ひを解くべしと我にいふ
我即ち曰ひけるは。わが功徳は我をして汝の答を得しむるに足らず、されど問ふことを我に許す淑女の故によりて請ふ
己が悦びの中にかくるゝ尊き生(いの)命(ち)よ、汝いかなればかくわが身に近づけるやを我に知らせよ
また天堂の妙(たへ)なる調(しらべ)が、下なる諸々の天にてはいとうや〳〵しく響くなるに、この天にてはいかなれば默(もだ)すやを告げよ。
答へて我に曰ふ。汝の耳は目の如く人間のものなるがゆゑに、ベアトリーチェの微(ほゝ)笑(ゑ)まざると同じ理によりてこゝに歌なし
聖なる梯(はし)子(ご)の段(きだ)を傳ひてわがかく下れるは、たゞ言(ことば)とわが纏(まと)ふ光とをもて汝を喜ばしめんためなり
またわが特(こと)に早かりしも愛の優(まさ)る爲ならじ、汝に焔の現はす如く、優(まさ)るかさなくも等しき愛かしこに高く燃ゆればなり
たゞ我等をば宇宙を治め給ふ聖(みむ)旨(ね)の疾(と)き僕(しもべ)となす尊き愛ぞ、汝の視るごとく、こゝにて鬮(くじ)を頒(わか)つなる。
我曰(い)ふ。聖なる燈(とも)火(しび)よ、我よく知る、この王宮にては、永(とこ)遠(しへ)の攝理に從ふためには自由の愛にて足ることを
されど何故に汝の侶(とも)を措(お)き汝ひとり豫(あらかじ)め選ばれてこの職(つとめ)を爲すにいたれるや、これわが悟り難(がた)しとする所なり。
わが未だ最(をは)後(り)の語(ことば)をいはざるさきに、かの光は己が眞(まな)中(か)を中心として疾(と)き碾(ひき)石(うす)の如くめぐりき
かくして後そのうちの愛答ふらく。我を包む光を貫いて神の光わが上にとゞまり
その力わが視(みる)力(ちから)と結(むす)合(びあ)ひつゝ我をはるかに我より高うし、我をしてその出る處なる至(いと)高(たか)者(きもの)を見るをえしむ
この見ることこそ我を輝かす悦びの本(もと)なれ、そはわが目の燦(あざや)かなるに從ひ、焔も燦かなればなり
されどいと強く天にかゞやく魂も、目をいとかたく神にとむるセラフィーノも、汝の願ひを滿すをえじ
これ汝の尋ぬる事は永(とこ)遠(しへ)の定(さだめ)の淵深きところにありて、凡ての造られし目を離るゝによる
汝歸らばこれを人の世に傳へ、かゝる目(めあ)的(て)にむかひて敢(あへ)てまた足を運ぶことなからしむべし
こゝにては光る心も地にては烟(けぶ)る、是故に思へ、天に容(い)れられてさへその爲すをえざる事をいかで下界に爲しえんや。
これらの言葉我を控(ひか)へしめたれば、我はこの問を棄て、自ら抑(ひか)へつゝたゞ謙(へりくだ)りてその誰なりしやを問へり
イタリアの二の岸の間、汝の郷(ふる)土(さと)よりいと遠くはあらざる處に雷(いかづち)の音遙に下に聞ゆるばかり高く聳ゆる岩ありて
一の峰を成す、この峰カートリアと呼ばれ、これが下にはたゞ禮(らい)拜(はい)の爲に用ゐる習なりし一の庵(いほり)聖(きよ)めらる。
かの者三(みた)度(び)我に語りてまづかくいひ、後また續いていひけるは。かしこにて我ひたすら神に事(つか)へ
默想に心を足(たら)はしつゝ、橄(かん)欖(らん)の液(しる)の食(くひ)物(もの)のみにて、輕く暑さ寒さを過せり
昔はかの僧院、これらの天のため、實(み)をさはに結びしに、今はいと空しくなりぬ、かゝればその状(さま)必ず直に顯(あら)はれん
我はかしこにてピエートロ・ダミアーノといひ、アドリアティコの岸なるわれらの淑女の家にてはピエートロ・ペッカトルといへり
餘命幾(いく)何(ばく)もなかりしころ、強(し)ひて請(こ)はれて我かの帽を受く、こは傳へらるゝごとに優(すぐ)れる惡に移る物
チエファスの來るや、聖靈の大いなる器(うつは)の來るや、身痩(や)せ足に沓(くつ)なく、いかなる宿(やど)の糧(かて)をもくらへり
しかるに近(ちか)代(きよ)の牧者等は、己を左右より支ふる者と導く者と︵身いと重ければなり︶裳(もす)裾(そ)をかゝぐる者とを求む
かれらまたその表(うは)衣(ぎ)にて乘(じよ)馬(うめ)を蔽(おほ)ふ、これ一枚の皮の下にて二匹の獸の出るなり、あゝ何の忍耐ぞ、怺(こら)へてこゝにいたるとは。
かくいへる時、我は多くの焔が段(きだ)より段にくだりてめぐり、かつめぐるごとにいよ〳〵美しくなるを見き
かくてかれらはこの焔のほとりに來り止まりて叫び、世に此(たぐひ)なきまで強き響きを起せり
されど我はその雷(いかづち)に堪へずして、聲の何たるを解(げ)せざりき
第二十二曲
驚(おど)異(ろき)のあまり、我は身をわが導者に向はしむ、その状(さま)事ある毎(ごと)に己が第一の恃(たの)處(みどころ)に馳せ歸る稚(をさ)兒(なご)の如くなりき
この時淑女、あたかも蒼(あをざ)めて息(いき)はずむ子を、その心をば常に勵(はげ)ます聲をもて、たゞちに宥(なだ)むる母のごとく
我に曰ふ。汝は汝が天に在(ある)を知らざるや、天は凡て聖にして、こゝに爲さるゝ事、皆熱き愛より出るを知らざるや
かの叫びさへかくまで汝を動かせるに、歌とわが笑とは、汝をいかに變らしめけむ、今汝これを量(はか)り知りうべし
もしかの叫びの祈る所をさとりたりせば、汝はこれにより、汝の死なざるさきに見るべき刑罰を、既に知りたりしものを
そも〳〵天上の劒(つるぎ)たるや、斬るに當りて急(いそ)がず遲(おく)れじ、たゞ望みつゝまたは恐れつゝそを待つ者にかゝる事ありと見ゆるのみ
されど汝今身を他(ほか)の者の方(かた)にむくべし、わがいふごとく目を轉(めぐ)らさば、多くの名高き靈を見るべければなり。
彼の好むごとく我は目を向け、百の小さき球の群(むれ)ゐてその光を交(かは)しつゝいよ〳〵美しくなれるを見たり
我はさながら過ぐるを恐れて願ひの刺戟を衷(うち)に抑へ敢(あへ)て問はざる人のごとく立ちゐたるに
かの眞珠のうちの最(いと)大いにして最(いと)強く光るもの、己が事につきわが願ひを滿(みた)さんとて進み出でたり
かくて聲その中(なか)にて曰ふ。汝もしわれらのうちに燃ゆる愛をわがごとく見ば、汝の思ひを言現はさむ
されど汝が、待つことにより、たふとき目(めあ)的(て)に後(おく)れざるため、我は汝のかく愼しみて敢ていはざるその思ひに答ふべし
坂にカッシーノある山にては、往(その)昔(かみ)巓に登りゆく迷へる曲(ゆが)める人多かりき
しかして我等をいと高うする眞理をば地に齎(ひと)しゝ者の名を、はじめてかの山に傳へしものは即ち我なり
またいと深き恩(めぐ)惠(み)わが上に輝きたれば、我そのまはりの村(むら)里(ざと)をして、世界を惑はしゝ不淨の禮(らい)拜(はい)を脱(のが)れしむ
さてこれらの火は皆默想に心を寄せ、聖なる花と實とを生ずる熱によりて燃(もや)されし人々なりき
こゝにマッカリオあり、こゝにロモアルドあり、またこゝに足を僧院の内に止めて道心堅(けん)固(ご)なりしわが兄弟達あり。
我彼に。我と語りて汝が示す所の愛と汝等のすべての焔にわが見て心をとむる好(よ)き姿とは
わが信頼の念を伸べ、そのさま日の光が薔薇を伸(の)べてその力のかぎり開くにいたらしむるごとし
是故に父よ汝に請ふ、われ大いなる恩(めぐ)惠(み)を受けて汝の貌(かたち)を顯(あらは)に見るをうべきや否(いな)や、定(さだ)かに我に知らしめよ。
是においてか彼。兄弟よ、汝の尊き願ひは最後の球にて滿(みた)さるべし、こはわが願ひも他の凡ての願ひも皆滿(みた)さるゝところなり
かしこにては誰(た)が願ひも備はり、熟し、圓(まどか)なり、かの球においてのみこれが各部はその常にありしところにとゞまる
そはこれ場所を占むるにあらず、軸を有(も)つに非(あらざ)ればなり、われらの梯(はし)子(ご)これに達し、かく汝の目より消ゆ
族長ヤコブその頂の高くかしこに到るを見たり、こはこれがいと多くの天使を載せつゝ彼に現はれし時なりき
然るに今はこれに登らんとて地より足を離す者なし、わが制(おきて)は紙を損(そこな)はんがために殘るのみ
僧坊たりしむかしの壁は巣窟となりぬ、法(ころ)衣(も)はあしき粉(こな)の滿ちたる袋なり
げに不當の高利といふとも、神の聖(みむ)旨(ね)に逆(さから)ふこと、僧侶の心をかく狂はしむる果(み)には及ばじ
そは寺院の貯(たくはへ)は皆神によりて求むる民の物にて、親戚またはさらに賤(いや)しき人々の物ならざればなり
そも〳〵人間の肉はいと弱し、されば世にては、善く始められし事も、樫(かし)の生(おひ)出(いづ)るより實を結ぶにいたるまでだに續かじ
ピエルは金銀なきに、我は祈りと斷(だん)食(じき)とをもて、業(わざ)を始め、フランチェスコは身を卑(ひく)うしてその集(つどひ)を起せり
汝これらのものゝ濫(おこ)觴(り)をたづね後またその迷ひ入りたる處をさぐらば、白の黒くなれるを見む
しかはあれ、神の聖(みむ)旨(ね)によりてヨルダンの退(しざ)り海の逃ぐるは、救ひをこゝに見るよりもなほ異(あや)しと見えしなるべし。
かく我に曰ひて後、かれその侶に加はれり、侶は互に寄り近づけり、しかして全衆あたかも旋風の如く上に昇れり
うるはしき淑女はたゞ一の表(しる)示(し)をもて我を促(うな)がし彼等につゞいてかの梯(はし)子(ご)を上らしむ、その力かくわが自然に勝ちたりき
また人の昇(のぼ)降(りくだり)するに當りて自然に從ふ處なるこの下界にては、動くこといかに速かなりともわが翼に此(たぐ)ふに足(た)らじ
讀者よ︵願はくはかの聖なる凱旋にわが歸るをえんことを、我これを求めて屡々わが罪に泣き、わが胸を打つ︶
わがかの金牛に續く天宮を見てその内に入りしごとく早くは汝豈(あに)指を火に入れて引かんや
あゝ榮光の星よ、大いなる力滿つる光よ、我は汝等よりわがすべての才︵そはいかなるものなりとも︶の出づるを認む
我はじめてトスカーナの空氣を吸ひし時、一切の滅ぶる生(いの)命(ち)の父なる者、汝等と共に出で汝等とともに隱れにき
後ゆたかなる恩(めぐ)惠(み)をうけ、汝等をめぐらす貴き天に入りし時、我は圖(はか)らずも汝等の處に着けり
汝等にこそわが魂は、これを己が許(もと)に引くその難所をば超(こ)ゆるに適(ふさ)はしき力をえんとて、今うや〳〵くしく嘆(なげ)願(く)なれ
ベアトリーチェ曰ふ。汝は汝の目を瞭(あきらか)にし鋭くせざるをえざるほど、終(いや)極(はて)の救ひに近づけり
されば汝が未だこれに入らざるさきに、俯(うつむ)き望みて、いかばかりの世界をばわがすでに汝の足の下におきしやを見よ
これ凱旋の群(ぐん)衆(じゆう)喜ばしくこの圓(まろ)き天をわけ來るとき、樂しみ極(きは)まる汝の心のこれに現はれんためぞかし。
われ目を戻して七の天球をこと〴〵く望み、さてわが球のさまを見てその劣れる姿のために微(ほゝ)笑(ゑ)めり
しかしてこれをばいと賤しと判ずる心を我はいと善しと認む、思ひを他の物にむくる人はげに直(なほ)しといふをえむ
我はラートナの女(むすめ)がかの影︵さきに我をして彼に粗(そ)あり密ありと思はしめたる原(も)因(と)なりし︶なくて燃ゆるを見たり
イペリオネよ、こゝにてわが目は汝の子の姿に堪(た)へき、我またマイアとディオネとが彼の周(まは)邊(り)にかつ彼に近く動くを見たり
次に父と子との間にてジョーヴェの和(やはら)ぐるを望み、かれらがその處をば變ふる次第を明らかにしき
しかして凡(すべ)て七(なゝつ)の星は、その大いさとそのはやさとその住(すま)處(ひ)の隔たるさまとを我に示せり
われ不朽の雙兒とともにめぐれる間に、人をしていと猛(あら)くならしむる小さき麥(うち)場(ば)、山より河(かは)口(ぐち)にいたるまで悉(こと〴〵)く我に現はれき
かくて後我は目をかの美しき目にむかはしむ
第二十三曲
物見えわかぬ夜(よる)の間(あひだ)、なつかしき木の葉のうちにて、己がいつくしむ雛とともに巣に休みゐたる鳥が
かれらの慕はしき姿を見、かつかれらに食(くら)はしむる物をえん――これがためには大いなる勞苦も樂し――とて
時ならざるに梢にいたり、曉の生るゝをのみうちまもりつゝ、燃ゆる思ひをもて日を待つごとく
わが淑女は、頭(かうべ)を擧げ心をとめて立ち、日(ひあ)脚(し)の最も遲しとみゆるところにむかへり
されば彼の待ち憧(あこが)るゝを見、我はあたかも願ひに物を求めつゝ希(のぞ)望(み)に心を足(たら)はす人の如くになれり
されど彼と此との二の時、即ちわが待つことゝ天のいよ〳〵赫(かゞや)くを見ることゝの間はたゞしばしのみなりき
ベアトリーチェ曰(い)ふ。見よ、クリストの凱旋の軍を、またこれらの球の廻(めぐ)轉(り)によりて刈取られし一切の實(み)を。
淑女の顏はすべて燃ゆるごとく見え、その目にはわが語らずして已(や)むのほかなき程に大いなる喜(よろ)悦(こび)滿てり
澄(すみ)わたれる望(もち)月(づき)の空に、トリヴィアが、天の懷(ふところ)をすべて彩(いろ)色(ど)る永(とこ)遠(しへ)のニンフェにまじりてほゝゑむごとく
我は千(ちゞ)の燈(とも)火(しび)の上に一の日輪ありてかれらをこと〴〵く燃(もや)し、その状(さま)わが日輪の、星におけるに似たるを見たり
しかしてかの光る者その生くる光を貫いていと燦(あざや)かにわが顏を照らしたれば、わが目これに堪(た)ふるをえざりき
あゝベアトリーチェわがうるはしき慕はしき導者よ、彼我に曰ふ。汝の視力に勝つものは、防ぐに術(すべ)なき力なり
こゝにこそ、天(あめ)地(つち)の間の路を開きてそのかみ人のいと久しく願ひし事をかなへたるその知慧と力とあるなれ。
たとへば火が雲の容(い)るゝ能(あた)はざるまで延びゆきて遂にこれを破り、その性(さが)に背(そむ)きて地にくだるごとく
わが心はかの諸々の饗(もてなし)のためにひろがりて己を離れ、そのいかになりしやを自ら思ひ出で難し
いざ目を啓(ひら)きてわが姿を見よ、汝諸々の物を見てはやわが微(ほゝ)笑(ゑみ)に堪ふるにいたりたればなり。
過(こし)去(かた)を録(しる)す書(ふみ)の中より消失することなきほどの感謝をば受くるにふさはしきこの勸(すゝめ)を聞きし時
我はあたかも忘れし夢をその名殘によりて心に浮べんといたづらに力(つと)むる人のごとくなりき
たとひポリンニアとその姉妹達とがかれらのいと甘き乳をもていとよく養ひし諸々の舌今擧(こぞ)りて鳴りて
我を助くとも、聖なる微(ほゝ)笑(ゑみ)とそがいかばかり聖なる姿を燦(あざや)かにせしやを歌ふにあたり、眞(まこと)の千分(ぶ)一にも到らじ
是故に天堂を描く時、この聖なる詩は、行(ゆく)手(て)の道の斷(き)れたるを見る人のごとく、跳(をどり)越えざるをえざるなり
されど題(テーマ)の重きことゝ人間の肩のこれを負(お)ふことゝを思はゞ、たとひこれが下にてゆるぐとも、誰しも肩を責めざるならむ
この勇ましき舳(へさき)のわけゆく路は、小舟またはほねをしみする舟(ふな)人(びと)の進みうべきところにあらじ
汝何ぞわが顏をのみいたく慕ひて、クリストの光の下(もと)に花咲く美しき園をかへりみざるや
かしこに薔薇あり、こはその中(なか)にて神の言(ことば)肉となり給へるもの、かしこに諸々の百合あり、こはその薫(かをり)にて人に善(よき)道(みち)をとらしめしもの。
ベアトリーチェかく、また我は、その勸(すゝめ)に心すべて傾きゐたれば、再び身を弱き眼(まなこ)の戰(いくさ)に委(ゆだ)ねき
日の光雲(くも)間(ま)をわけてあざやかに映(さ)す花の野を、わが目嘗(かつ)て陰に蔽はれて見しことあり
かくの如く、燃ゆる光に上より照らされて輝く者のあまたの群(むれ)を我は見き、その輝の本を見ずして
あゝかくかれらに印(か)影(た)を捺(お)す慈愛の力よ、汝は力足らざる目にその見るをりをえしめんとて自ら高く昇れるなりき
あさなゆふなわが常に呼びまつる美しき花の名を聞き、我わが魂をこと〴〵くあつめて、いと大いなる火をみつむ
しかして下界にて秀でしごとく天上にてもまた秀づるかの生くる星の質と量とがわが二の目に描かれしとき
天の奧より冠の如き輪(わが)形(た)を成せる一の燈(とも)火(しび)降りてこの星を卷き、またこれが周(まは)圍(り)をめぐれり
世にいと妙(たへ)にひゞきて魂をいと強く惹(ひ)く調(しらべ)といふとも、かの琴――いとあざやかなる天を飾る
かの美しき碧(あを)玉(だま)の冠となりし――の音にくらぶれば、雲の裂けてとゞろくごとく思はるべし
われはこれ天使の愛なり、われらの願ひの宿(やど)なりし胎(たい)よりいづるそのたふとき悦びを我今めぐる
我はめぐらむ、天の淑女よ、汝爾(み)子(こ)のあとを逐ひゆき、至(いと)高(たか)球(ききう)をして、汝のこれに入るにより、いよ〳〵聖ならしむるまで。
めぐりつゝかくうたひをはれば、他の光はすべてマリアの聖(み)名(な)を唱(とな)へり
宇宙の諸天をこと〴〵く蔽ひ、神の聖(みい)息(き)と法(のり)とをうけて熱いと強く生氣いと旺(さかん)なる王(おう)衣(のころも)は
その内(うち)面(がは)われらを遠く上(う)方(へ)に離れゐたるため、わがをりし處にては、その状(さま)未だ我に見えねば
冠を戴きつゝ己が子のあとより昇れる焔に、わが目ともなふあたはざりき
しかしてたとへば、乳を吸ひし後、愛燃えて外(そと)にあらはれ、腕(かひな)を母の方(かた)に伸(の)ぶる稚(をさ)兒(なご)のごとく
これらの光る火、いづれもその焔を上(う)方(へ)に伸べ、そがマリアにむかひていだく尊き愛を我に示しき
かくてかれらはレーギーナ・コイリーをうたひつゝわが眼(めの)前(まへ)に殘りゐたり、その歌いと妙(たへ)にしてこれが喜び一度(たび)も我を離れしことなし
あゝこれらの最(いと)も富める櫃(はこ)に――こは下界にて種を蒔(ま)くに適(ふさ)はしき地なりき――收めし物の豐かなることいかばかりぞや
こゝにはかれらそのバビローニアの流(るけ)刑(い)に泣きつゝ黄(こが)金(ね)をかしこに棄てゝえたる財(たか)寶(ら)にて生き、かつこれを樂しむ
こゝにはいと大いなる榮光の鑰を保つ者、神の、またマリアの尊き子の下(もと)にて、舊新二つの集(つど)會(ひ)とともに
その戰(かち)勝(いくさ)を祝ふ
第二十四曲
あゝ尊き羔(こひつじ)︵彼汝等に食を與へて常に汝等の願ひを滿たす︶の大いなる晩(ゆふ)餐(げ)に選ばれて列る侶等よ
神の恩(めぐ)惠(み)により、此人汝等の食(つく)卓(ゑ)より落つる物をば、死が未だ彼の期(とき)を定めざるさきに豫(あらかじ)め味ふなれば
心をかれのいと深き願ひにとめ、少しくかれを露にて潤(うる)ほせ、汝等は彼の思ふ事の出づる本(もと)なる泉の水をたえず飮むなり。
ベアトリーチェかく、またかの喜べる魂等は、動かざる軸の貫(つらぬ)く球となりて、そのはげしく燃ゆることあたかも彗(はう)星(きぼし)に似たりき
しかして時(じし)辰(ん)儀(ぎ)にては、その裝(しか)置(け)の輪廻(めぐ)るにあたり、これに心をとむる人に、初めの輪しづまりて終りの輪飛ぶと見ゆるごとく
これらの球は、或は速く或は遲くさま〴〵に舞ひ、我をしてかれらの富を量(はか)るをえしめき
さていと美しと我に見えし球の中より一の火出づ、こはいと福なる火にて、かしこに殘れる者一としてこれより燦(あざやか)なるはなかりき
この火歌ひつゝベアトリーチェの周(まは)邊(り)をめぐること三度(たび)、その歌いと聖なりければ我今心に浮べんとすれども効(かひ)なし
是故にわが筆跳(をど)越(りこ)えてこれを録(しる)さじ、われらの想像は、况(まし)て言葉は、かゝる襞(ひ)にとりて色明(あかる)きに過ればなり
あゝかくうや〳〵しくわれらに請ふわが聖なる姉妹よ、汝の燃ゆる愛によりて汝は我をかの美しき球より解けり。
かの福なる火は、止まりて後、息(いき)をわが淑女に向けつゝ、わがいへるごとく語れるなりき
この時淑女。あゝわれらの主がこの奇(く)しき悦びの鑰(かぎ)︵下界に主の齎(もたら)し給ひし︶を委(ゆだ)ね給へる丈(ます)夫(らを)の永(とこ)遠(しへ)の光よ
嘗(かつ)て汝に海の上を歩ましめし信仰に就き、輕き重き種(さま)々(〴〵)の事をもて、汝の好むごとく彼を試みよ
彼善く愛し善く望みかつ信ずるや否や、汝これを知る、そは汝目を萬(よろ)物(づのもの)の描かれて視ゆるところにとむればなり
されどこの王國が民を得たるは眞(まこと)の信仰によるがゆゑに、これに榮光あらしめんため、これの事を語る機(をり)の彼に來るを宜(むべ)とす。
あたかも學士が、師の問を發(おこ)すを待ちつゝ、これを論(あげつら)はんため――これを決(きむ)るためならず――默(もだ)して備を成すごとく
我はかゝる問者に答へかつかゝる告白をなすをえんため、淑女の語りゐたる間に、一切の理(ことはり)をもて備を成せり
いへ、良き基(クリ)督(ステ)教(ィア)徒(ーノ)よ、汝の思ふ所を明(あか)せ、そも〳〵信仰といふは何ぞや。我即ち頭(かうべ)を擧げてこの言(ことば)の出でし處なる光を見
後ベアトリーチェにむかへば、かれ直に我に示してわが心の泉より水を注ぎいださしむ
我曰ふ。大いなる長(をさ)の前にてわがいひあらはすを許す恩(めぐ)惠(み)、願はくは我をしてよくわが思ひを述ぶるをえしめよ。
かくて續いて曰ふ。父よ、汝とともに、ローマを正しき路に就かせし汝の愛する兄弟の、眞(まこと)の筆の録(しる)すごとく
信仰とは望まるゝ物の基見えざる物の證(あかし)なり、しかして是その本質と見ゆ。
是時聲曰ふ。汝の思ふ所正し、されど彼が何故にこれをまづ基の中に置き、後證(あかし)の中に置きしやを汝よくさとるや否(いな)や。
我即ち。こゝにて我にあらはるゝもろ〳〵の奧深き事物も、全く下界の目にかくれ
かしこにてはその在りとせらるゝことたゞ信によるのみ、人この信の上に高き望みを築くがゆゑに、この物即ち基に當る
また人他(ほか)の物を見ず、たゞこの信によりて理(ことわ)らざるをえざるがゆゑに、この物即ち證(あかし)にあたる。
是時聲曰ふ。凡そ教へによりて世に知らるゝものみなかくの如く解(げ)せられんには、詭辯者の才かしこに容れられざるにいたらむ。
かくかの燃ゆる愛言(ことば)に出(いだ)し、後加ふらく。この貨幣の混(まぜ)合(も)物(の)とその重さとは汝既にいとよく檢(しら)べぬ
されどいへ、汝はこれを己が財布の中に有(も)つや。我即ち。然り、そを鑄(い)し樣(さま)に何の疑はしき事もなきまで光りて圓(まる)し。
この時、かしこに輝きゐたるかの光の奧より聲出でゝいふ。一切の徳の礎(いしずゑ)なるこの貴き珠は
そも〳〵いづこより汝の許(もと)に來れるや。我。舊新二種の皮の上にゆたかに注ぐ聖靈の雨は
これが眞(まこと)を我に示しゝ論法にて、その鋭きに此(くら)ぶれば、いかなる證明も鈍(にぶ)しとみゆ。
聲次(つい)で曰ふ。かく汝に論決せしむる舊新二つの命題を、汝が神の言(ことば)となすは何故ぞや。
我。この眞理を我に現はす所の證(あかし)が、ともなへる諸々の業(わざ)︵即ち自然がその爲鐡(くろがね)を燒きまたは鐡(かな)床(しき)を打しことなき︶なり
聲我に答ふらく。いへ、これらの業の行はれしを汝に定かならしむるものは誰ぞや、他なし、自ら證(あかし)を求むる者ぞ汝にこれを誓ふなる。
我曰ふ。奇蹟なきに世キリストの教へに歸(き)依(え)せば、是かへつて一の大いなる奇蹟にて、他の凡ての奇蹟はその百(ぶ)分一にも當らじ
そは汝、貧しく、饑(う)ゑつゝ、畠(はた)に入り、良(よき)木(き)の種を蒔(ま)きたればなり︵この木昔葡(ぶど)萄(う)なりしも今荊(いば)棘(ら)となりぬ︶。
かくいひ終れる時、尊き聖なる宮(みや)人(びと)等、天上の歌の調(しらべ)妙(たへ)に、﹁われら神を讚美す﹂と歌ひ、諸々の球に響きわたらしむ
しかして問(とひ)質(たゞ)しつゝかく枝より枝に我をみちびき、はや我とともに梢に近づきゐたる長(をさ)
重ねて曰ふ。汝の心と契(ちぎ)る恩(めぐ)惠(み)、今までふさはしく汝の口を啓(ひら)けるがゆゑに
我は出でしものを可(よし)とす、されど汝何を信ずるや、また何によりてかく信ずるにいたれるや、今これを我に述ぶべし。
我曰ふ。あゝ聖なる父よ、墓の邊(ほとり)にて若(わか)き足に勝ちしほどかたく信じゐたりしものを今見る靈よ
汝は我にわがとくいだける信の本體をこゝにあらはさんことを望み、かつまたこれがゆゑよしを問ふ
わが答は是なり、我は一(ひと)神(りのかみ)、唯(たゞ)一(ひとり)にて永(とこ)遠(しへ)にいまし、愛と願ひとをもてすべての天を動かしつゝ自ら動かざる神を信ず
しかして、かゝる信仰に對しては、我に物理哲理の證(あかし)あるのみならじ、モイゼ、諸々の豫言者、詩篇、聖傳
及び汝等即ち燃ゆる靈に淨められし後書(かき)録(しる)せる人々によりこゝより降(ふり)下(くだ)る眞理もまた我にこの信を與ふ
我また永(とこ)遠(しへ)の三位を信ず、しかしてこれらの本(もと)は一、一にして三なれば、おしなべてソノといひエステといふをうるを信ず
わがいふところの奧深き神のさまをば、福音の教へいくたびもわが心に印す
是ぞ源、是ぞ火花、後延びて強き炎となり、あたかも天(そら)の星のごとくわが心に煌めくものなる。
己を悦ばす事を聞く主(しゆ)が、僕(しもべ)やがて默(もだ)すとき、その報(しら)知(せ)にめでゝ、直ちにこれを抱くごとく
かの使徒の光――我に命じて語らしめし――は、わが默しゝ時、直ちに歌ひて我を祝しつゝ、三度(たび)わが周(まは)圍(り)をめぐれり
わが言(ことば)かくその意(こゝろ)に適(かな)へるなりき。
第二十五曲
年久しく我を窶(やつ)れしむるほど天(あめ)地(つち)ともに手を下しゝ聖なる詩、もしかの麗はしき圈(をり)――
かしこに軍(いくさ)を起す狼どもの敵(あだ)、羔(こひつじ)としてわが眠りゐし處――より我を閉(し)め出(いだ)すその殘忍に勝つこともあらば
その時我は變れる聲と變れる毛とをもて詩人として歸りゆき、わが洗(バッ)禮(テスモ)の盤のほとりに冠を戴かむ
そは我かしこにて、魂を神に知らすものなる信仰に入り、後ピエートロこれが爲にかくわが額(ひたひ)の周(まは)圍(り)をめぐりたればなり
クリストがその代理者の初(はつ)果(なり)として殘しゝ者の出でし球より、このとき一の光こなたに進めり
わが淑女いたく悦びて我にいふ。見よ、見よ、かの長(をさ)を見よ、かれの爲にこそ下界にて人ガーリツィアに詣(まうづ)るなれ。
鳩その侶(とも)の傍(かたへ)に飛びくだるとき、かれもこれも廻(めぐ)りつゝさゝやきつゝ、互(かたみ)に愛をあらはすごとく
我はひとりの大いなる貴き君が他のかゝる君に迎へられ、かれらを飽(あ)かしむる天上の糧(かて)をばともに讚(ほ)め稱(たゝ)ふるを見き
されど會(えし)繹(やく)終れる時、かれらはいづれも、我に顏を垂(た)れしむるほど強く燃えつゝ、默(もだ)してわが前にとゞまれり
是時ベアトリーチェ微(ほゝ)笑(ゑ)みて曰ふ。われらの王宮の惠みのゆたかなるを録(しる)しゝなだゝる生(いの)命(ち)よ
望みをばこの高き處に響き渡らすべし、汝知る、イエスが、己をいとよく三(みた)人(り)に顯はし給ひし毎に、汝のこれを象(かたど)れるを。
頭(かうべ)を擧げよ、しかして心を強くせよ、人の世界よりこゝに登り來るものは、みなわれらの光によりて熟せざるをえざればなり。
この勵ます言(ことば)第二の火よりわが許(もと)に來れり、是においてか我は目を擧げ、かの先に重きに過ぎてこれを垂(た)れしめし山を見ぬ二七
恩(めぐ)惠(み)によりてわれらの帝(みかど)は、汝が、未だ死なざるさきに、その諸々の伯(きみ)達(たち)と内殿に會ふことを許し
汝をしてこの王宮の眞(まこ)状(とのさま)を見、これにより望み即ち下界に於て正しき愛を促(うなが)すものをば、汝と他(ほか)の人々の心に、強むるをえしめ給ふなれば
その望みの何なりや、いかに汝の心に咲くや、またいづこより汝の許に來れるやをいへ。第二の光續いてさらにかく曰へり
わが翼の羽を導いてかく高く飛ばしめしかの慈悲深き淑女、是時我より先に答へていふ
わが軍を遍(あまね)く照らすかの日輪に録(しる)さるゝごとく、戰(たゝ)鬪(かひ)に參(あづか)る寺院にては彼より多くの望みをいだく子一(ひと)人(り)だになし
是故にかれは、その軍(いく)役(さのつとめ)を終へざるさきにエジプトを出で、イエルサレムメに來りて見ることを許さる
さて他(ほか)の二の事、即ち汝が、知らんとてならず、たゞ彼をしてこの徳のいかばかり汝の心に適(かな)ふやを傳へしめんとて問ひし事は
我是を彼に委(ゆだ)ぬ、そは是彼に難からず虚榮の本(もと)とならざればなり、彼これに答ふべし、また願はくは神(かみ)恩(のめぐみ)彼にかく爲(な)すをえしめ給へ。
あたかも弟子が、その精(くわ)しく知れる事においては、わが才(ちか)能(ら)を現はさんため、疾(と)くかつ喜びて師に答ふるごとく
我曰ひけるは。望みとは未來の榮光の確(かた)き期待にて、かゝる期待は神の恩(めぐ)惠(み)と先立つ功徳より生ず
この光多くの星より我(わが)許(もと)に來れど、はじめてこれをわが心に注げるは、最(いと)大(おほ)いなる導者を歌へる最大いなる歌(うた)人(びと)たりし者なりき
かれその聖歌の中にいふ、爾(み)名(な)を知る者は望みを汝におくべしと、また誰か我の如く信じてしかしてこれを知らざらんや
かれの雫(しづく)とともに汝その後(のち)書(ふみ)のうちにて我にこれを滴(したゝ)らし、我をして滿たされて汝等の雨を他(ほか)の人々にも降らさしむ。
わが語りゐたる間、かの火の生くる懷(ふところ)のうちにとある閃(ひらめき)、俄にかつ屡々顫(ふる)ひ、そのさま電(いな)光(づま)の如くなりき
かくていふ。棕(しゆ)櫚(ろ)をうるまで、戰(いく)場(さのには)を出づる時まで、我にともなへる徳にむかひ今も我を燃(もや)す愛
我に勸(すゝ)めて再び汝――この徳を慕ふ者なる――と語らしむ、されば請ふ、望みの汝に何を約するやを告げよ。
我。新舊二つの聖(みふ)經(みし)標(るし)を建(た)つ、この標こそ我にこれを指(さし)示(しめ)すなれ、神が友となしたまへる魂につき
イザヤは、かれらいづれも己が郷(ふる)土(さと)にて二(ふた)重(へ)の衣を着るべしといへり、己が郷土とは即ちこのうるはしき生の事なり
また汝の兄弟は、白(しろ)衣(きころも)のことを述べしところにて、さらに詳(つまび)らかにこの默示をわれらにあらはす。
かくいひ終れる時、スペーレント・イン・テーまづわれらの上に聞え、舞ふ者こと〴〵くこれに和したり
次いでかれらの中にて一の光いと強く輝けり、げにもし巨蟹宮に一のかゝる水晶あらば、冬の一(ひと)月(つき)はたゞ一の晝とならむ
またたとへば喜ぶ處(をと)女(め)が、その短(おち)處(ど)の爲ならず、たゞ新(はな)婦(よめ)の祝ひのために、起(た)ち、行き、踊りに加はるごとく
かの輝く光は、己が燃ゆる愛に應じて圓くめぐれる二の光の許(もと)に來れり
かくてかしこにて歌と節とを合はせ、またわが淑女は、默(もだ)して動かざる新(はな)婦(よめ)のごとく、目をかれらにとむ
こは昔われらの伽(ペル)藍(リカ)鳥(ーノ)の胸に倚(よ)りし者、また選ばれて十字架の上より大いなる務を委(ゆだ)ねられし者なり。
わが淑女かく、されどその言(ことば)のためにその目を移さず、これをかたくとむることいはざる先の如くなりき
瞳を定めて、日の少しく虧(か)くるを見んと力(つと)むる人は、見んとてかへつて見る能はざるにいたる
わがかの最後の火におけるもまたかくの如くなりき、是時聲曰ふ。汝何ぞこゝに在らざる物を視んとて汝の目を眩(まばゆ)うするや
わが肉體は土にして地にあり、またわれらの數(かず)が永(とこ)遠(しへ)の聖(みむ)旨(ね)に配(そ)ふにいたるまでは他の肉體と共にかしこにあらむ
二襲(かさね)の衣を着つゝ尊き僧院にあるものは、昇りし二の光のみ、汝これを汝等の世に傳ふべし。
かくいへるとき、焔の舞は、三の氣(いぶ)吹(き)の音(おと)のまじれるうるはしき歌とともにしづまり
さながら水を掻きゐたる櫂(かひ)が、疲(つか)勞(れ)または危き事を避けんため、一の笛の音(ね)とともにみな止まる如くなりき
あゝわが心の亂れいかなりしぞや、そは我是時身を轉(めぐ)らしてベアトリーチェを見んとせしかど︵我彼に近くかつ福の世にありながら︶
見るをえざりければなり
第二十六曲
わが視力の盡きしことにて我危ぶみゐたりしとき、これを盡きしめしかの輝く焔より一の聲出でゝわが心を惹けり
曰ふ。我を見て失ひし目の作(はた)用(らき)をば汝の再び得るまでは、語りてこれを償(つぐの)ふをよしとす
さればまづ、いへ、汝の魂何(いづ)處(こ)をめざすや、かつまた信ぜよ、汝の視力は亂れしのみにて、滅び失せしにあらざるを
そは汝を導いてこの聖地を過ぐる淑女は、アナーニアの手の有(も)てる力を目にもてばなり
我曰ふ。遲(おそ)速(きはやき)を問はずたゞ彼の心のまゝにわが目癒(い)ゆべし、こは彼が、絶えず我を燃(もや)す火をもて入來りし時の門なりき
さてこの王宮を幸(さきは)ふ善こそ、或は低く或は高く愛のわが爲に讀むかぎりの文(も)字(じ)のアルファにしてオメガなれ。
目の俄にくらめるための恐れを我より取去れるその聲、我をして重ねて語るの意を起さしむ
その言(ことば)に曰ふ。げに汝はさらに細かき篩にて漉さゞるべからず、誰(た)が汝の弓をかゝる的(まと)に向けしめしやをいはざるべからず。
我。哲理の論ずる所によりまたこゝより降る權威によりて、かゝる愛は、我に象(かた)を捺(お)さゞるべからず
これ善は、その善なるかぎり、知らるゝとともに愛を燃(もや)し、かつその含む善の多きに從ひて愛また大いなるによる
されば己の外に存する善がいづれもたゞ己の光の一線(すぢ)に過ぎざるほど勝(すぐ)るゝ者に向ひては
この證(あかし)の基(もとゐ)なる眞理をわきまふる人の心、他の者にむかふ時にまさりて愛しつゝ進まざるをえじ
我に凡ての永(とこ)遠(しへ)の物の第一の愛を示すもの、かゝる眞理をわが智に明(あか)し
眞(まこと)の作者、即ち己が事を語りて我汝に一切の徳を見すべしとモイゼにいへる者の聲これを明し
汝も亦、かの尊き公(ふ)布(れ)により、他(ほか)のすべての告(しら)示(せ)にまさりて、こゝの秘密を下界に徇(とな)へつゝ、我にこれを明すなり。
是時聲曰ふ。人智及びこれと相和する權威によりて、汝の愛のうちの最(いと)大いなるもの神にむかふ
されど汝は、神の方(かた)に汝を引寄する綱のこの外(ほか)にもあるを覺ゆるや、請ふ更にこれを告げこの愛が幾(いく)個(つ)の齒にて汝を噛むやを言(いひ)現(あら)はすべし。
クリストの鷲の聖なる思ひ隱れざりき、否(いな)我はよく彼のわが告白をばいづこに導かんとせしやを知りて
即ちまたいひけるは。齒をもて心を神に向はしむるをうるもの、みなわが愛と結び合へり
そは宇宙の存在、我の存在、我を活かしめんとて彼の受けし死、及び凡そ信ずる人の我と等しく望むものは
先に述べし生くる認識とともに、我を悖(もと)れる愛の海より引きて、正しき愛の岸に置きたればなり
永(とこ)遠(しへ)の園(には)丁(つくり)の園にあまねく茂る葉を、我は神がかれらに授け給ふ幸(さいはひ)の度に從ひて愛す。
我默(もだ)しゝとき、忽ち一のいとうるはしき歌天に響き、わが淑女全衆に和して、聖なり聖なり聖なりといへり
鋭き光にあへば、物視る靈が、膜より膜に進み入るその輝に馳せ向ふため、眠り覺まされ
覺めたる人は、判ずる力己を助くるにいたるまで、己が俄にさめし次第を知らで、その視る物におびゆるごとく
ベアトリーチェは、千哩(ミーリア)の先をも照らす己が目の光をもて、一切の埃(ほこり)をわが目より拂ひ
我は是時前よりもよく見るをえて、第四の光のわれらとともにあるを知り、いたく驚きてこれが事を問へり
わが淑女。この光の中には、第一の力のはじめて造れる第一の魂その造(つく)主(りぬし)を慕ふ。
たとへば風過ぐるとき、枝はその尖(さき)を垂(た)るれど、己が力に擡(もた)げられて、後また己を高むるごとく
我は彼の語れる間、いたく異(あや)しみて頭(かうべ)を低(た)れしも、語るの願ひに燃されて、後再び心を強うし
曰ひけるは。あゝ熟して結べる唯(たゞ)一(ひとつ)の果(この)實(み)よ、あゝ新(はな)婦(よめ)といふ新婦を女(むすめ)子(よ)婦(め)に有(も)つ昔の父よ
我いとうや〳〵しく汝に祈(ね)ぐ、請ふ語れ、わが願ひは汝の知るところなれば、汝の言(ことば)を疾(と)く聞かんため、我いはじ。
獸包まれて身を搖(ゆり)動(うごか)し、包む物またこれとともに動くがゆゑに、願ひを現はさゞるををえざることあり
かくの如く、第一の魂は、いかに悦びつゝわが望みに添はんとせしやを、その蔽(おほ)物(ひ)によりて我に示しき
かくていふ。汝我に言現はさずとも、わが汝の願ひを知ること、およそ汝にいと明らかなることを汝の知るにもまさる
こは我これを眞(まこと)の鏡――この鏡萬物を己に映(うつ)せど、一物としてこれを己に映(うつ)すはなし――に照して見るによりてなり
汝の聞かんと欲するは、この淑女がかく長き階(きぎはし)をば汝に昇るをえしめし處なる高き園の中に神の我を置給ひしは幾(いく)年(とせ)前(さき)なりしやといふ事
これがいつまでわが目の樂なりしやといふ事、大いなる憤(いきどほり)の眞(まこと)の原(も)因(と)、またわが用ゐわが作れる言葉の事即ち是なり
さて我子よ、かの大いなる流(るけ)刑(い)の原(も)因(と)は、木(この)實(み)を味(あぢは)へるその事ならで、たゞ分を超(こ)えたることなり
我は汝の淑女がヴィルジリオを出(いで)立(た)ゝしめし處にありて、四千三百二年の間この集(つど)會(ひ)を慕ひたり
また地に住みし間に、我は日が九百三十回、その道にあたるすべての光に歸るを見たり
わが用ゐし言葉は、ネムブロットの族(やから)がかの成し終へ難き業(わざ)を試みしその時よりも久しき以(さ)前(き)に悉く絶えにき
そは人の好む所天にともなひて改まるがゆゑに、理性より生じてしかして永(とこ)遠(しへ)に續くべきもの未だ一つだにありしことなければなり
抑(そも)々(〳〵)人の物言ふは自然の業(わざ)なり、されどかく言ひかくいふことは自然これを汝等に委(ゆだ)ね汝等の好むまゝに爲さしむ
わが未だ地獄に降りて苦しみをうけざりしさきには、我を裏(つゝ)む喜(よろ)悦(こび)の本(もと)なる至上の善、世にてI(イ)と呼ばれ
その後E(エ)L(ル)と呼ばれにき、是亦宜(うべ)なり、そは人の習(なら)慣(はし)は、さながら枝の上なる葉の、彼散りて此生ずるに似たればなり
かの波の上いと高く聳(そび)ゆる山に、罪なくしてまた罪ありてわが住みしは、第一時より、日の象(しや)限(うげん)を變ふるとともに
第六時に次ぐ時までの間なりき。
第二十七曲
父に子に聖靈に榮光あれ。天堂擧(こぞ)りてかく唱(とな)へ、そのうるはしき歌をもて我を醉はしむ
わが見し物は宇宙の一(ひと)微(ゑ)笑(み)のごとくなりき、是故にわが醉(ゑひ)耳よりも目よりも入りたり
あゝ樂しみよ、あゝいひがたき歡びよ、あゝ愛と平和とより成る完(まつた)き生よ、あゝ慾なき恐れなき富よ
わが目の前には四(よつ)の燈(とも)火(しび)燃えゐたり、しかして第一に來れるものいよ〳〵あざやかになり
かつその姿を改めぬ、木(ジョ)星(ーヴェ)もし火(マル)星(テ)とともに鳥にして羽を交(とり)換(かは)しなば、またかくの如くなるべし
次(つい)序(で)と任(つと)務(め)とをこゝにて頒(わか)ち與ふる攝理、四(よ)方(も)の聖徒達をしてしづかならしめしとき
わが聞ける言(ことば)にいふ。われ色を變ふと雖も異(あや)しむ莫(なか)れ、そはわが語るを聞きて是等の者みな色を變ふるを汝見るべければなり
わが地位、わが地位、わが地位︵神の子の聖(みま)前(へ)にては今も空(むな)し︶を世にて奪ふ者
わが墓(はか)所(どころ)をば血と穢(けがれ)との溝となせり、是においてか天上より墮(お)ちし悖(もと)れる者も下界に己が心を和らぐ。
是時我は、日と相(あひ)對(むか)ふによりて朝(あした)夕(ゆふべ)に雲を染めなす色の、遍(あまね)く天に漲(みなぎ)るを見たり
しかしてたとへばしとやかなる淑女が、心に怖(おそ)るゝことなけれど、他(ひ)人(と)の過(おち)失(ど)をたゞ聞くのみにてはぢらふごとく
ベアトリーチェは容(かた)貌(ち)を變へき、思ふに比(たぐ)類(ひ)なき威(ちか)能(ら)の患(なや)み給ひし時にも、天かく暗くなりしなるべし
かくてピエートロ、容(かた)貌(ち)の變るに劣らざるまでかはれる聲にて、續いて曰ふ
抑々クリストの新(はな)婦(よめ)を、わが血及びリーン、クレートの血にてはぐゝめるは、これをして黄(こが)金(ね)をうるの手(てだ)段(て)たらしめん爲ならず
否(いな)この樂しき生を得ん爲にこそ、シストもピオもカーリストもウルバーノも、多くの苦(なや)患(み)の後血を注げるなれ
基(クリ)督(ステ)教(ィア)徒(ーニ)なる民の一部我等の繼(けい)承(しよ)者(うじや)の右に坐し、その一部左に坐するは、われらの志しゝところにあらじ
我に委(ゆだ)ねられし鑰(かぎ)が、受(じゆ)洗(せん)者(じや)と戰ふための旗のしるしとなることもまた然(しか)り
我を印の象(かた)となして、贏(えい)利(りき)虚(よま)妄(う)の特典に捺(お)し、われをして屡々かつ恥ぢかつ憤(おこ)らしむることも亦然り
こゝ天上より眺むれば、牧者の衣を着たる暴(あら)き狼隨(いた)處(るところ)の牧(まき)場(ば)に見ゆ、あゝ神の擁(みま)護(もり)よ、何ぞ今も起(た)たざるや
カオルサ人(びと)等とグアスコニア人等、はや我等の血を飮まんとす、ああ善き始めよ、汝の落(おち)行(ゆく)先(さき)はいかなる惡しき終りぞや
されど思ふに、シピオによりローマに世界の榮光を保たしめたる尊き攝理、直ちに助け給ふべし
また子よ、汝は肉體の重さのため再び下界に歸るべければ、口を啓(ひら)け、わが隱さゞる事を隱す莫(なか)れ。
日輪天の磨(まか)羯(つ)の角(つの)に觸るゝとき、凍(こほ)れる水氣片(ひら)を成してわが世の空(そら)より降るごとく
我はかの飾れる精氣より、さきにわれらとともにかしこに止まれる凱(がい)旋(せん)の水氣片(ひら)をなして昇るを見たり
わが目はかれらの姿にともなひ、間(あはひ)の大いなるによりさらに先を見るをえざるにいたりてやみぬ
是においてか淑女、わが仰ぎ見ざるを視、我にいふ。目を垂(た)れて汝の廻(めぐ)れるさまを見るべし。
我見しに、はじめわが見し時より以(この)來(かた)、我は第一帶の半(なかば)よりその端(はし)に亘る弧(アル)線(コ)を悉くめぐり終へゐたり
さればガーデのかなたにはウリッセの狂(くるほ)しき船(ふな)路(ぢ)見え、近くこなたには、エウローパがゆかしき荷となりし處なる岸見えぬ
日輪もし一天宮餘を隔(へだ)てゝわが足の下に廻(めぐ)りをらずば、この小さき麥(うち)場(ば)なほ廣く我に現はれたりしなるべし
たえずわが淑女と契る戀(こひ)心(ごゝろ)、常よりもはげしく燃えつゝ、わが目を再び彼にむかしむ
げに自然や技(わざ)が、心を獲んためまづ目を捉(とら)へんとて、人の肉體やその繪(ゑす)姿(がた)に造れる餌(ゑば)
すべて合はさるとも、わが彼のほゝゑむ顏に向へるとき我を照らしゝ聖なる樂しみに此ぶれば物の數ならじと見ゆべし
しかしてかく見しことよりわが受けたる力は、我をレーダの美しき巣より引離して、いと疾(はや)き天に押し入れき
これが各部皆いと強く輝きて高くかつみな同じ状(さま)なれば、我はベアトリーチェがその孰(いづ)れを選びてわが居る處となしゝやを知らじ
されど淑女は、わが願ひを見、その顏に神の悦び現はると思ふばかりいとうれしくほゝゑみていふ
中心を鎭(しづ)め、その周(まは)圍(り)なる一切の物を動かす宇宙の性(さが)は、己が源より出づるごとく、こゝよりいづ
またこの天には神(みこ)意(ころ)の外(ほか)處(ところ)なし、しかしてこれを轉らす愛とこれが降(ふら)す力とはこの神意の中に燃ゆ
一の圈の光と愛これを容るゝことあたかもこれが他の諸々の圈を容(い)るゝに似たり、しかしてこの圈を司(つかさど)る者はたゞこれを包む者のみ
またこれが運行は他の運行によりて測(はか)られじ、されど他の運行は皆これによりて量(はか)らる、猶十のその半(なかば)と五分(ぶ)一とによりて測らるゝ如し
されば時なるものが、その根をかゝる鉢に保ち、葉を他の諸々の鉢にたもつ次第は、今汝に明らかならむ
あゝ慾よ、汝は人間を深く汝の下に沈め、ひとりだに汝の波より目を擡(もた)ぐるをえざるにいたらしむ
意志は人々のうちに良(よき)花(はな)と咲けども、雨の止まざるにより、眞(まこと)の李(すもゝ)惡しき實に變る
信と純とはたゞ童(わら)兒(べ)の中にあるのみ、頬に鬚(ひげ)の生(お)ひざるさきにいづれも逃ぐ
片(かた)言(こと)をいふ間斷(だん)食(じき)を守る者も、舌ゆるむ時至れば、いかなる月の頃にてもすべての食(くひ)物(もの)を貪りくらひ
片言をいふ間母を愛しこれに從ふ者も、言(こと)語(ば)調(とゝの)ふ時いたれば、これが葬らるゝを見んとねがふ
かくの如く、朝(あした)を齎し夕(ゆふべ)を殘しゆくものゝ美しき女(むすめ)の肌は、はじめ白くして後黒し
汝これを異(あや)しとするなからんため、思ひみよ、地には治むる者なきことを、人の族(やから)道を誤るもこの故ぞかし
されど第一月が、世にかの百分(ぶ)一の等(なほ)閑(ざり)にせらるゝため、全く冬を離るゝにいたらざるまに、諸々の天は鳴轟き
待ちに待ちし嵐起りて、艫(とも)を舳(へさき)の方(かた)にめぐらし、千(ちふ)船(ね)を直く走らしむべし
かくてぞ花の後に眞(まこと)の實あらむ。
第二十八曲
我をして心を天堂に置かしむる淑女、幸(さち)なき人間の現(げん)世(ぜ)を難じつゝその眞(まこ)状(とのさま)をあらはしゝ時
我はあたかも、見ず思はざるさきに己が後(うし)方(ろ)にともされし燈(とも)火(しび)の焔を鏡に見
玻璃の果して眞(まこと)を告ぐるや否やを見んとて身を轉らし、此と彼と相合ふこと歌のその譜(ふ)におけるに似たるを見る
人の如く︵記憶によりて思ひ出づれば︶、かの美しき目即ち愛がこれをもて紐(ひも)を造りて我を捉(とら)へし目を見たり
かくてふりかへり、人がつら〳〵かの天のめぐるを視るとき常にかしこに現はるゝものわが目に觸るゝに及び
我は鋭き光を放つ一點を見たり、げにかゝる光に照らされんには、いかなる目も、そのいと鋭きが爲に閉ぢざるをえじ
また世より最(いと)小(ちひ)さく見ゆる星さへ、星の星と並ぶごとくかの點とならびなば、さながら月と見ゆるならむ
月(つき)日(ひ)の暈(かさ)が、これを支(さゝ)ふる水氣のいと濃(こ)き時にあたり、これを彩(いろど)る光を卷きつゝその邊(ほとり)に見ゆるばかりの
間(あはひ)を隔(へだ)てゝ、一の火(ひの)輪(わ)かの點のまはりをめぐり、その早きこと、いと速に世界を卷く運行にさへまさると思はるゝ程なりき
また是は第二の輪に、第二は第三、第三は第四、第四は第五、第五は第六の輪に卷かる
第七の輪これに續いて上(う)方(へ)にあり、今やいたくひろがりたれば、ユーノの使(つか)者(ひ)完(まつ)全(た)しともこれを容(い)るゝに足らざるなるべし
第八第九の輪また然り、しかしていづれもその數(かず)が一(いち)を距(へだゝ)ること遠きに從ひ、廻(めぐ)ることいよ〳〵遲く
また清き火花にいと近きものは、これが眞(まこと)に與(あづ)かること他にまさる爲ならむ、その焔いと燦(あざや)かなりき
わがいたく思ひ惑(まど)ふを見て淑女曰ふ。天もすべての自然も、かの一點にこそ懸(かゝ)るなれ
見よこれにいと近き輪を、しかして知るべし、その廻(めぐ)ることかく早きは、燃ゆる愛の刺戟を受くるによるなるを。
我彼に。宇宙もしわがこれらの輪に見るごとき次第を保(たも)たば、わが前に置かるゝもの我を飽かしめしならむ
されど官能界にありては、諸々の回轉その中心を遠ざかるに從つていよ〳〵聖なるを見るをう
是故にこの妙(たへ)なる、天使の神(み)殿(や)、即ちたゞ愛と光とをその境(さか)界(ひ)とする處にて、わが顏ひ全く成るをうべくば
請(こ)ふさらに何故に模(うつ)寫(し)と樣(か)式(た)とが一樣ならざるやを我に告げよ、我自らこれを想ふはいたづらなればなり。
汝の指かゝる纈(むすび)を解くをえずとも異(あや)しむに足らず、こはその試みられざるによりていと固くなりたればなり。
わが淑女かく、而して又曰ふ。もし飽くことを願はゞ、わが汝に告ぐる事を聽き、才を鋭うしてこれにむかへ
それ諸々の球體は、遍(あまね)くその各部に亘りてひろがる力の多少に從ひ、或は廣く或は狹し
徳大なればその生ずる福(さい)祉(はひ)もまた必ず大に、體大なれば︵而してその各部等しく完全なれば︶その容(い)るゝ福(ふく)祉(し)もまた從つて大なり
是においてか己と共に殘の宇宙を悉く轉(めぐ)らす球は、愛と智とのともにいと多き輪に適(かな)ふ
是故に汝の量(はかり)を、圓(まる)く汝に現はるゝものゝ外(み)見(え)に据(す)ゑずして力に据ゑなば
汝はいづれの天も、その天使と――即ち大いなるは優れると、小さきは劣れると――奇(くす)しく相應ずるを見む。
ボーレアがそのいと温(おだ)和(やか)なる方(かた)の頬より吹くとき、半球の空あざやかに澄みわたり
さきにこれを曇らせし霧拂はれ消えて、天その隨處の美を示しつゝほゝゑむにいたる
わが淑女がその明らかなる答を我に與へしとき、我またかくの如くになり、眞(まこと)を見ること天の星を見るに似たりき
しかしてその言(ことば)終るや、諸々の輪火花を放ち、そのさま熱鐡の火花を散らすに異なるなかりき
火花は各々その火にともなへり、またその數(かず)はいと多くして、將(しよ)棊(うぎ)を倍するに優ること幾千といふ程なりき
我は彼等がかれらをその常にありし處に保ちかつ永(とこ)遠(しへ)に保つべきかの動かざる點に向ひ、組(くみ)々(〴〵)にオザンナを歌ふを聞けり
淑女わが心の中の疑ひを見て曰ふ。最(はじ)初(め)の二つの輪はセラフィニとケルビとを汝に示せり
かれらのかく速に己が絆に(きづな)從ふは、及ぶ限りかの點に己を似せんとすればなり、而してその視る位置の高きに準じてかく爲すをう
かれらの周(まは)圍(り)を轉(めぐ)る諸々の愛は、神の聖(みま)前(へ)の寶(フロ)座(ーニ)と呼ばる、第一の三(みつ)の組かれらに終りたればなり
汝知るべし、一切の智の休らふ處なる眞(まこと)をばかれらが見るの深きに應じてその悦び大いなるを
かゝれば福(さい)祉(はひ)が見る事に原(もと)づき愛すること︵即ち後に來る事︶にもとづかざる次第もこれによりて明らかならむ
また、見る事の量(はかり)となるは功徳にて、恩(めぐ)惠(み)と善(よき)心(こゝろ)とより生る、次(つい)序(で)をたてゝ物の進むことかくの如し
同じくこの永(えい)劫(ごふ)の春――夜の白羊宮もこれを掠(かす)めじ――に萌(もえ)出(いづ)る第二の三(みつ)の組は
永(とこ)遠(しへ)にオザンナを歌ひつゝ、その三(みつ)を造り成す三の喜(よろ)悦(こび)の位の中に三の妙(たへ)なる音(ね)をひゞかしむ
この組の中には三(みく)種(さ)の神あり、第一は統(ドミ)治(ナーツィオニ)、次は懿(ヴィ)徳(ルトゥーディ)、第三の位は威(ボデ)能(スターディ)なり
次で最(をは)後(り)に最(いと)近(ちか)く踊り廻(めぐ)る二の群(むれ)は主(ブリ)權(ンチパーティ)と首(アル)天(カン)使(ゼリ)にて、最(をは)後(り)にをどるは、すべて樂しき天使なり
これらの位みな上(う)方(へ)を視る、かれらまたその力を強く下(し)方(た)に及ぼすがゆゑに、みな神の方(かた)に引かれしかしてみな引く
さてディオニージオは、心をこめてこれらの位の事を思ひめぐらし、わがごとくこれが名をいひこれを別つにいたりたり
されどその後グレゴーリオ彼を離れき、是においてか目をこの天にて開くに及び、自ら顧みて微(ほゝ)笑(ゑ)めり
またたとひ人たる者がかくかくれたる眞(まこと)をば世に述べたりとて異(あや)しむ勿(なか)れ、こゝ天上にてこれを見し者、これらの輪に關(かゝ)はる
他の多くの眞(まこと)とともにこれを彼に現はせるなれば。
第二十九曲
ラートナのふたりの子、白羊と天(てん)秤(びん)とに蔽はれて、齊(ひと)しく天涯を帶とする頃
天心が權(けん)衡(こう)を保つ刹(せつ)那(な)より、彼も此も半球を換(か)へかの帶を離れつゝ權衡を破るにいたる程の間
ベアトリーチェは、わが目に勝ちたるかの一點をつら〳〵視つゝ、笑(ゑみ)を顏にうかべて默(もだ)し
かくて曰ふ。汝の聞かんと願ふことを我問はで告ぐ、そは我これを一切の處と時との集まる點にて見たればなり
抑(そも)々(〳〵)永(とこ)遠(しへ)の愛は、己が幸(さいはひ)を増さん爲ならず︵こはあるをえざる事なり︶、たゞその光が照りわたりつゝ、我在りといふをえんため
時を超(こ)え他の一切の限(かぎり)を超え、己が無窮の中にありて、その心のまゝに己をば諸々の新しき愛のうちに現はせり
またその先にも、爲すなきが如くにて休らひゐざりき、そはこれらの水の上に神の動き給ひしは、先(あと)後(さき)に起れる事にあらざればなり
形式と物質と、或は合ひ或は離れて、あたかも三(みつ)の弦(つる)ある弓より三の矢の出る如く出で、缺くるところなき物となりたり
しかして光が、玻(は)璃(り)琥(こは)珀(く)または水晶を照らす時、その入來るより入終るまでの間に些(すこし)の隙(ひま)もなきごとく
かの三(みつ)の形の業(わざ)は、みな直に成り備(そな)はりてその主より輝き出で、いづれを始めと別ちがたし
また時を同じうしてこの三の物の間に秩序は造られ立てられき、而して純なる作用を授けられしもの宇宙の頂となり
純なる勢能最(いと)低(ひく)處(きところ)を保ち、中央には一の繋(つなぎ)、繋離るゝことなきほどにいと固(かた)く、勢能を作用と結び合せき
イエロニモは、天使達がその餘の宇宙の造られし時より幾百年の久しきさきに造られしことを録(しる)せるも
わがいふ眞(まこと)は聖靈を受けたる作者達のしば〳〵書(ふみ)にしるしゝところ、汝よく心をとめなば自らこれをさとるをえむ
また理性もいくばくかこの眞(まこと)を知らしむ、そは諸々の動(うご)者(かすもの)がかく久しく全からざりしとはその認めざることなればなり
今や汝これらの愛の、いづこに、いつ、いかに造られたりしやを知る、されば汝の願ひの中三(みつ)の焔ははや消えたり
數(かず)を二十までかぞふるばかりの時をもおかず、天使の一部は、汝等の原素のうちのいと低きものを亂し
その餘の天使は、殘りゐて、汝の見るごとき技(わざ)を始む︵かくする喜びいと大いなりければ、かれら廻(めぐ)り止(や)むことあらじ︶
墮落の原(も)因(と)は、汝の見しごとく宇宙一切の重さに壓(お)されをる者の、詛(のろ)ふべき傲(たか)慢(ぶり)なりき
またこゝに見ゆる天使達は、謙(へりくだ)りて、かの善即ちかれらをしてかく深く悟るにいたらしめたる者よりかれらの出しを認めたれば
恩(めぐ)惠(み)の光と己が功徳とによりてその視る力増したりき、是故にその意志備りて固し
汝疑ふなかれ、信ぜよ、恩(めぐ)惠(み)を受くるは功徳にて、この功徳は恩惠を迎ふる情の多少に應ずることを
汝もしわが言(ことば)をさとりたらんには、たとひ他(ほか)の助けなしとも、今やこの集(つど)會(ひ)につきて多くの事を想ふをえむ
されど地上汝等の諸々の學寮にては、天使に了知、記憶、及び意志ありと教へらるゝがゆゑに
我さらに語り、汝をして、かゝる教へにおける言葉の明らかならざるため下界にて紛(まが)ふ眞理の純なる姿を見しむべし
そも〳〵これらの者は、神の聖(みか)顏(ほ)を見て悦びし時よりこの方、目をこれ︵一物としてこれにかくるゝはなし︶に背(そむ)けしことなし
是故にその見ること新しき物に阻(はば)まれじ、是故にまたその想(おもひ)の分れたる爲、記憶に訴ふることを要せじ
されば世にては人眠らざるに夢を見つゝ、或は眞(まこと)をいふと信じ或はしかすと信ぜざるなり、後者は罪も恥(はぢ)もまさる
汝等世の人、理(ことわり)を究(きわ)むるにあたりて同(おな)一(じひとつ)の路を歩まず、これ外(み)見(え)を飾るの慾と思ひとに迷はさるゝによりてなり
されどこれとても、神の書(ふみ)の疎(うと)んぜられまたは曲げらるゝに此(くら)ぶれば、そが天上にうくる憎(にく)惡(しみ)なほ輕し
かの書(ふみ)を世に播(ま)かんためいくばくの血流されしや、謙(へりくだ)りてこれに親しむ者いかばかり聖(みこ)意(ゝろ)に適(かな)ふやを人思はず
各々外(み)見(え)のために力め、さま〴〵の異説を立つれば、これらはまた教を説く者の論(あげつら)ふところとなりて福音ものいはじ
ひとりいふ、クリストの受難の時は、月退(しざ)りて中(な)間(か)を隔(へだ)てしため、日の光地に達せざりきと
またひとりいふ、こは光の自ら隱れしためなり、されば猶(ジュ)太(デー)人(アびと)のみならずスパニア人(びと)もインド人も等しくその缺くるを見たりと
ラーポとビンドいかにフィオレンツァに多しとも、年(とし)毎(ごと)にこゝかしこにて教壇より叫ばるゝかゝる浮説の多きには若(し)かず
是故に何をも知らぬ羊は、風を食ひて牧場より歸る、また己が禍ひを見ざることも彼等を罪なしとするに足らじ
クリストはその最初の弟子達に向ひ、往きて徒(あだ)言(こと)を世に宣(のべ)傳(つた)へといひ給はず、眞(まこと)の礎(いしずゑ)をかれらに授け給ひたり
この礎のみぞかれらの唱(とな)へしところなる、されば信仰を燃(もや)さん爲に戰ふにあたり、かれらは福音を楯(たて)とも槍ともなしたりき
今や人(ざ)々(れ)戲(ご)言(と)と戲(たは)語(け)とをもて教へを説き、たゞよく笑はしむれば僧帽脹(ふく)る、かれらの求むるものこの外(ほか)になし
されど帽の端(はし)には一羽の鳥の巣くふあり、俗衆これを見ばその頼む罪の赦の何物なるやを知るをえむ
是においてかいと愚(おろか)なること地にはびこり、定かにすべき證(あかし)なきに、人すべての約束の邊(ほとり)に集(つど)ひ
聖アントニオは︵贋(まが)造(へ)の貨(か)幣(ね)を拂ひつゝ︶これによりて、その豚と、豚より穢(けが)れし者とを肥(こや)す
されど我等主題を遠く離れたれば、今目を轉(めぐ)らして正路を見るべし、さらば時とともに途(みち)を短うするをえむ
それ天使は數(かず)きはめて多きに達し、人間の言葉も思ひもともなふあたはじ
汝よくダニエールの現はしゝ事を思はゞ、その幾千なる語(ことば)のうちに定かなる數かくるゝを知らむ
彼等はかれらをすべて照らす第一の光を受く、但し受くる状(あり)態(さま)に至りては、この光と結び合ふ諸々の輝の如くに多し
是においてか、情愛は會(ゑと)得(く)の作用にともなふがゆゑに、かれらのうちのうるはしき愛その熱(あつ)さ微(ぬ)温(る)さを異にす
見よ今永(とこ)遠(しへ)の力の高さと廣さとを、そはこのもの己が爲にかく多くの鏡を造りてそれらの中に碎くれども
一たるを失はざること始めの如くなればなり。
第三十曲
第六時はおよそ六千哩(ミーリア)のかなたに燃え、この世界の陰傾きてはや殆んど水平をなすに
いたれば、いや高き天の中(たゞ)央(なか)白みはじめて、まづとある星、この世に見ゆる力を失ひ
かくて日のいと燦(あざや)かなる侍(はし)女(ため)のさらに進み來るにつれ、天は光より光と閉ぢゆき、そのいと美しきものにまで及ぶ
己が包むものに包まると見えつゝわが目に勝ちし一點のまはりに永(とこ)遠(しへ)に舞ふかの凱旋も、またかくの如く
次第に消えて見えずなりき、是故に何をも見ざることゝ愛とは、我を促(うなが)して目をベアトリーチェに向けしむ
たとひ今にいたるまで彼につきていひたる事をみな一の讚美の中に含ましむとも、わが務(つとめ)を果すに足らじ
わが見し美は、豈(あに)たゞ人の理(さと)解(り)を超(こ)ゆるのみならんや、我誠に信ずらく、これを悉く樂しむ者その造(つく)主(りぬし)の外になしと
げに茲(こゝ)にいたり我は自らわが及ばざりしを認む、喜曲または悲曲の作者もその題(テーマ)の難きに處してかく挫(くぢ)けしことはあらじ
そは日輪の、いと弱き視力におけるごとく、かのうるはしき微笑の記憶は、わが心より心その物を掠むればなり
この世にはじめて彼の顏を見し日より、かく視るにいたるまで、我たえず歌をもてこれにともなひたりしかど
今は歌ひつゝその美を追ひてさらに進むことかなはずなりぬ、いかなる藝術の士も力盡くればまたかくの如し
さてかれは、かく我をしてわが喇(らつ)叭(ぱ)︵こはその難き歌をはや終へんとす︶よりなほ大いなる音にかれを委(ゆだ)ねしむるほどになりつゝ
敏(と)き導者に似たる動(みぶ)作(り)と聲とをもて重ねていふ。われらは最(いと)大いなる體を出でゝ、純なる光の天に來れり
この光は智の光にて愛これに滿(み)ち、この愛は眞(まこと)の幸(さいはひ)の愛にて悦びこれに滿ち、この悦び一切の樂しみにまさる
汝はこゝにて天堂の二(ふた)隊(て)の軍(いくさ)をともに見るべし、而(しか)してその一(ひと)隊(て)をば最(をは)後(り)の審(さば)判(き)の時汝に現はるゝその姿にて見む。
俄に閃(ひらめ)く電(いな)光(づま)が、物見る諸々の靈を亂し、いと強き物の與ふる作(はた)用(らき)をも目より奪ふにいたるごとく
生くる光わが身のまはりを照らし、その輝(かゞやき)の面(かほ)をもて我を卷きたれば、何物も我に見えざりき
この天をしづむる愛は、常にかゝる會(ゑし)釋(やく)をもて己が許(もと)に歡(よろこ)び迎ふ、これ蝋燭をその焔に適(ふさ)はしからしめん爲なり。
これらのつゞまやかなる言葉わが耳に入るや否や、我はわが力の常よりも増しゐたるをさとりき
しかして新しき視力わが衷(うち)に燃え、いかなる光にてもわが目の防ぎえざるほど燦(あざ)やかなるはなきにいたれり
さて我見しに、河のごとき形の光、妙(たへ)なる春をゑがきたる二つの岸の間にありていとつよく輝き
この流れよりは、諸々の生くる火出でゝ左右の花の中(なか)に止まり、さながら紅(あか)玉(だま)を黄(こが)金(ね)に嵌(はさ)むるに異ならず
かくて香に醉へるごとく再び奇(く)しき淵に沈みき、しかして入る火と出づる火と相(あひ)亞(つ)げり
汝が見る物のことを知らんとて今汝を燃しかつ促(うなが)す深き願ひは、そのいよ〳〵切なるに從ひいよ〳〵わが心に適(かな)ふ
されどかゝる渇(かわき)をとゞむるにあたり、汝まづこの水を飮まざるべからず。わが目の日輪かく我にいひ
さらに加ふらく。河、入り出る諸々の珠(たま)、及び草の微(ほゝ)笑(ゑみ)は、その眞(まこ)状(とのさま)を豫(あらかじ)め示す象(かたち)なり
こはこれらの物その物の難(かた)きゆゑならず、汝に缺くるところありて視力未ださまで強からざるによる。
常よりもいと遲く目を覺しゝ嬰(をさ)兒(なご)が、顏を乳の方(かた)にむけつゝ身を投ぐる疾(はや)ささへ
目をば優(まさ)る鏡とせんとてわがかの水︵人をしてその中(なか)にて優れる者とならしめん爲流れ出(いづ)る︶の方(かた)に身を屈(かゞ)めしその早さには如(し)かじ
しかしてわが瞼(まぶた)の縁(ふち)この水を飮める刹(せつ)那(な)に、その長き形は、變りて圓(まる)く成ると見えたり
かくてあたかも假(め)面(ん)を被(かう)むれる人々が、己を隱しゝ假(かり)の姿を棄つるとき、前と異なりて見ゆる如く
花も火もさらに大いなる悦びに變り、我はあきらかに二組の天の宮(みや)人(びと)達を見たり
あゝ眞(まこと)の王國の尊き凱旋を我に示せる神の輝よ、願はくは我に力を與へて、わがこれを見し次第を言はしめよ
かしこに光あり、こは造(つく)主(りぬし)をばかの被(つく)造(られ)物(しもの)即ち彼を見るによりてのみその平安を得る物に見えしむる光にて
その周(まは)邊(り)を日輪の帶となすとも緩(ゆる)きに過ぐと思はるゝほど廣く圓(まる)形(がた)に延びをり
そが見ゆるかぎりはみな、プリーモ・モービレの頂より反(てり)映(かへ)す一(ひと)線(すぢ)の光︵かの天この光より生(いの)命(ち)と力とを受く︶より成る
しかして邱(をか)が、綠草(あをくさ)や花に富める頃、わが飾れるさまを見ん爲かとばかり、己が姿をその麓(ふもと)の水に映(うつ)すごとく
すべてわれらの中(うち)天に歸りたりし者、かの光の上にありてこれを圍(かこ)み繞(めぐ)りつゝ、千餘の列より己を映(うつ)せり
そのいと低き階(きだ)さへかく大いなる光を己が中に集むるに、花(はな)片(びら)果るところにてはこの薔薇の廣さいかばかりぞや
わが視(みる)力(ちから)は廣さ高さのために亂れず、かの悦びの量と質とをすべてとらへき
近きも遠きもかしこにては加へじ減(ひ)かじ、神の親しくしろしめし給ふ處にては自然の法(のり)さらに行はれざればなり
段(きだ)また段と延びをり、とこしへに春ならしむる日輪にむかひて讚美の香(か)を放つ無窮の薔薇の黄なるところに
ベアトリーチェは、あたかも物言はんと思ひつゝ言はざる人の如くなりし我を惹(ひき)行(ゆ)き、さて曰(いひ)けるは。見よ白(びや)衣(くえ)の群(むれ)のいかばかり大いなるやを
見よわれらの都のその周(まは)圍(り)いかばかり廣きやを、見よわれらの席の塞(ふさが)りて、この後こゝに待たるゝ民いかばかり數少きやを
かの大いなる座、即ちその上にはや置かるゝ冠の爲汝が目をとむる座には、汝の未だこの婚(こん)筵(えん)に連(つらな)りて食せざるさきに
尊きアルリーゴの魂︵下界に帝となるべき︶坐すべし、彼はイタリアを直くせんとてその備へのかしこに成らざる先に行かむ
汝等は無明の慾に迷ひ、あたかも死ぬるばかりに饑(う)ゑつゝ乳(めの)母(と)を逐ひやる嬰(をさ)鬼(なご)の如くなりたり
しかして顯(あらは)にもひそかにも彼と異なる道を行く者、その時神の廳(つかさ)の長(をさ)たらむ
されど神がこの者に聖なる職(つとめ)を許し給ふはその後たゞ少(しば)時(し)のみ、彼はシモン・マーゴの己が報いをうくる處に投げ入れられ
かのアラーエア人(びと)をして愈々深く沈ましむべければなり。
第三十一曲
クリストの己が血をもて新(はな)婦(よめ)となしたまへる聖軍は、かく純白の薔薇の形となりて我に現はれき
されど殘の一(ひと)軍(て)︵これが愛を燃すものゝ榮光と、これをかく秀でしめし威徳とを、飛びつゝ見かつ歌ふところの︶は
蜂の一群(むれ)が、或時は花の中に入り、或時はその勞苦の味(あぢ)の生ずるところに歸るごとく
かのいと多くの花(はな)片(びら)にて飾らるゝ大いなる花の中にくだり、さて再びかしこより、その愛の常に止まる處にのぼれり
かれらの顏はみな生くる焔、翼は黄(こが)金(ね)にて、その他(ほか)はいかなる雪も及ばざるまで白かりき
席より席と花の中にくだる時、かれらは脇を扇(あふ)ぎて得たりし平和と熱とを傳へたり
またかく大いなる群(むれ)飛(とび)交(かは)しつゝ上なる物と花の間を隔(へだ)つれども、目も輝もこれに妨げられざりき
そは神の光宇宙をばその功徳に準じて貫(つらぬ)き、何物もこれが障(しょ)礙(うがい)となることあたはざればなり
この安らけき樂しき國、舊(ふる)き民新しき民の群(むれ)居(ゐ)る國は、目をも愛をも全く一の目(めあ)標(て)にむけたり
あゝ唯(たゞ)一(ひとつ)の星によりてかれらの目に閃きつゝかくこれを飽かしむる三(み)重(へ)の光よ、願はくはわが世の嵐を望み見よ
未開の人々、エリーチェがその愛(いと)兒(しご)とともにめぐりつゝ日(ひご)毎(と)に蔽(おほ)ふ方(かた)より來り
ローマとそのいかめしき業(わざ)――ラテラーノが人間の爲すところのものに優れる頃の――とを見ていたく驚きたらんには
人の世より神の世に、時より永劫に、フィオレンツァより、正しき健(すこや)かなる民の許(もと)に來れる我
豈(あに)いかばかりの驚きにてか滿されざらんや、げに驚きと悦びの間にありて、我は聞かず言はざるを願へり
しかして巡禮が、その誓願をかけし神(み)殿(や)の中にて邊(あたり)を見つゝ心を慰め、はやその状(さま)を人に傳へんと望む如く四二
我は目をかの生くる光に馳せつゝ、諸々の段(きだ)に沿(そ)ひ、或ひは上或ひは下或ひは周(まは)圍(り)にこれを移し
神の光や己が微(ほゝ)笑(ゑみ)に裝(よそ)はれ、愛の勸(すゝ)むる諸々の顏と、すべての愼(つゝしみ)にて飾らるゝ諸々の擧(ふる)動(まひ)とを見たり
おしなべての天堂の形をわれ既に悉く認めたれど、未だそのいづれのところにも目を据(す)ゑざりき
かくて新しき願ひに燃され、我はわが心に疑ひをいだかしめし物につきてわが淑女に問はんため身をめぐらせるに
わが志(こゝろざ)しゝ事我に臨(のぞ)みし事と違へり、わが見んと思ひしはベアトリーチェにてわが見しは一(ひと)人(り)の翁(おきな)なりき、その衣は榮光の民の如く
目にも頬にも仁愛の悦びあふれ、その姿は、やさしき父たるにふさはしきまで慈悲深かりき
彼何(いづ)處(こ)にありや。我は直にかく曰(い)へり、是においてか彼。汝の願ひを滿さんためベアトリーチェ我をしてわが座を離れしむ
汝仰ぎてかの最(いと)高(たか)き段(きだ)より第三に當る圓を見よ、さらば彼をその功徳によりてえたる寶(くら)座(ゐ)の上にて再び見む。
我答へず、目を擧げて淑女を見しに、永(とこ)遠(しへ)の光彼より反(てり)映(かへ)しつゝその冠となりゐたり
人の目いかなる海の深(ふか)處(み)に沈むとも、雷(いかづち)の鳴るいと高きところよりその遠く隔(へだ)たること
わが目の彼(かし)處(こ)にてベアトリーチェを離れしに及ばじ、されど是我に係(かゝはり)なかりき、そはその姿間(あひだ)に混(まじ)る物なくしてわが許(もと)に下りたればなり
あゝわが望みを強うする者、わが救ひのために忍びて己が足(あし)跡(あと)を地獄に殘すにいたれる淑女よ
わが見しすべての物につき、我は恩(めぐ)惠(み)と強さとを汝の力汝の徳よりいづと認む
汝は適(ふさ)はしき道と方(てだ)法(て)とを盡し、我を奴(ぬぼ)僕(く)の役(つとめ)より引きてしかして自由に就かしめぬ
汝の癒(いや)しゝわが魂が汝の意(こゝろ)にかなふさまにて肉體より解かるゝことをえんため、願はくは汝の賜をわが衷(うち)に護(まも)れ。
我かく請(こ)へり、また淑女は、かのごとく遠しと見ゆる處にてほゝゑみて我を視(み)、その後永(とこ)遠(しへ)の泉にむかへり
聖なる翁曰ふ。汝の覊(たび)旅(ぢ)を全うせんため︵願ひと聖なる愛とはこのために我を遣(つか)はしゝなりき︶
目を遍(あまね)くこの園の上に馳(は)せよ、これを見ば汝の視力は、神の光を分けていよ〳〵遠く上(のぼ)るをうるべければなり
またわが全く燃えつゝ愛する天の女王、われらに一切の恩(めぐ)惠(み)を與へむ、我は即ち彼に忠なるベルナルドなるによりてなり。
わがヴェロニカを見んとて例(たと)へばクロアツィアより人の來ることあらんに、久しく傳へ聞きゐたるため、その人飽(あ)くことを知らず
これが示さるゝ間、心の中にていはむ、わが主ゼス・クリスト眞(まこ)神(とのかみ)よ、さてはかゝる御(おん)姿(すがた)にてましましゝかと
現(この)世(よ)にて默想のうちにかの平安を味へる者の生くる愛を見しとき、我またかゝる人に似たりき
彼曰ふ。恩(めぐ)惠(み)の子よ、目を低うして底にのみ注ぎなば、汝この法悦の状(さま)を知るをえじ
されば諸々の圈を望みてそのいと遠きものに及べ、この王國の從ひ事へまつる女王の、坐せるを見るにいたるまで。
われ目を擧げぬ、しかしてたとへば朝(あした)には天涯の東の方(かた)が、日の傾く方にまさるごとく
我は目にて︵溪より山は行くかとばかり︶縁(ふち)の一部が光において殘るすべての頂に勝ちゐたるを見たり
またたとへば、フェトンテのあつかひかねし車の轅(ながえ)の待たるゝ處はいと強く燃え、そのかなたこなたにては光衰ふるごとく
かの平和の焔(オリ)章(アヒ)旗(アムマ)は、その中(たゞ)央(なか)つよくかゞやき、左右にあたりて焔一樣に薄らげり
しかしてかの中(たゞ)央(なか)には、光も技(わざ)も各異なれる千餘の天使、翼をひらきて歡び舞ひ
凡(すべ)ての聖者達の目の悦びなりし一の美、かれらの舞ふを見歌ふを聞きてほゝゑめり
われたとひ想像におけるごとく言葉に富むとも、その樂しさの萬(まん)分(ぶい)一(ち)をもあえて述ぶることをせじ
ベルナルドは、その燃ゆる愛の目(めあ)的(て)にわが目の切(せち)に注がるゝを見て、己が目をもいとなつかしげにこれにむけ
わが目をしていよ〳〵見るの願ひに燃えしむ
第三十二曲
愛の目を己が悦びにとめつゝ、かの默(もく)想(さう)者(じや)、進みて師の役(つとめ)をとり、聖なる言葉にて曰(い)ひけるは
マリアの塞(ふさ)ぎて膏を(あぶら)ぬりし疵――これを開きこれを深くせし者はその足元なるいと美しき女なり
第三の座より成る列の中、この女の下には、汝の見るごとく、ラケールとベアトリーチェと坐す
サラ、レベッカ、ユディット、及び己が咎(とが)をいたみて我を憐みたまへといへるその歌(うた)人(びと)の曾(そう)祖(そ)母(ぼ)たりし女が
列より列と次第をたてゝ下に坐するを汝見るべし︵我その人々の名を擧げつゝ花(はな)片(びら)より花片と薔薇を傳ひて下るにつれ︶
また第七の段(きだ)より下には、この段にいたるまでの如く、希(エブ)伯(レオ)來(び)人(と)の女達相續きて花のすべての髮を分く
そは信仰がクリストを見しさまに從ひ、かれらはこの聖なる階(きざはし)をわかつ壁なればなり
此(こな)方(た)、即ち花の花(はな)片(びら)のみな全(まつた)きところには、クリストの降り給ふを信ぜる者坐し
彼(かな)方(た)、即ち諸々の半圓の、空處に斷(た)たるゝところには、降り給へるクリストに目をむけし者坐す
またこなたには、天の淑女の榮光の座とその下の諸々の座とがかく大いなる隔(へだて)となるごとく
對(むかひ)が方(かた)には、常に聖にして、曠野、殉教、尋(つい)で二(ふた)年(とせ)の間地獄に堪(た)へしかの大いなるジョヴァンニの座またこれとなり
彼の下にフランチュスコ、ベネデット、アウグスティーノ、及びその他の人々定(さだめ)によりてかく隔(へだて)て、圓より圓に下りて遂にこの處にいたる
いざ見よ神の尊(たふと)き攝理を、そは信仰の二の姿相等しくこの園に滿つべければなり
また知るべし、二(ふたつ)の區(しき)劃(り)を線(すぢ)の半(なかば)にて截(き)る段(きだ)より下にある者は、己が功徳によりてかしこに坐するにあらず
他(ひ)人(と)の功徳によりて︵但し或る約束の下に︶しかすと、これらは皆自ら擇ぶ眞(まこと)の力のあらざる先に解放たれし靈なればなり
汝よくかれらを見かれらに耳を傾けなば、顏や稚(をさな)き聲によりてよくこれをさとるをえむ
今や汝異(あや)しみ、あやしみてしかして物言はず、されど鋭(さと)き思ひに汝の緊(し)めらるゝ強き紲(きづな)を我汝の爲に解くべし
抑(そも)々(〳〵)この王國廣しといへども、その中には、悲しみも渇(かわき)も饑(う)えもなきが如く、偶然の事一(ひとつ)だになし
そは汝の視る一切の物、永(とこ)遠(しへ)の律(おき)法(て)によりて定められ、指輪はこゝにて、まさしく指に適(あ)へばなり
されば急ぎて眞(まこと)の生に來れるこの人々のこゝに受くる福(さいはひ)に多少あるも故なしとせじ
いかなる願ひも敢てまたさらに望むことなきまで大いなる愛と悦びのうちにこの國をを康(やす)んじたまふ王は
己が樂しき聖(みか)顏(ほ)のまへにて凡(すべ)ての心を造りつゝ、聖(みむ)旨(ね)のまゝに異なる恩(めぐ)惠(み)を與へ給ふ、汝今この事あるをもて足れりとすべし
しかしてこは定かに明らかに聖書に録(しる)さる、即ち母の胎内にて怒りを起しゝ雙(ふた)兒(ご)のことにつきてなり
是故にかゝる恩(めぐ)惠(み)の髮の色の如何に從ひ、いと高き光は、これにふさはしき冠とならざるをえじ
さればかれらは、己が行(おこ)爲(なひ)の徳によらず、たゞ最初の視力の鋭さ異なるによりてその置かるゝ段(きだ)を異にす
世の未だ新しき頃には、罪なき事に加へてたゞ兩(ふた)親(おや)の信仰あれば、げに救ひをうるに足り
第一の世終れる後には、男(なん)子(し)は割禮によりてその罪なき羽に力を得ざるべからざりしが
恩(めぐ)惠(み)の時いたれる後には、クリストの全き洗(バッ)禮(テスモ)を受けざる罪なき稚(をさ)兒(なご)かの低き處に抑(と)められき
いざいとよくクリストに似たる顏をみよ、その輝のみ汝をしてクリストを見るをえしむればなり。
我見しに、諸々の聖なる心︵かの高き處をわけて飛ばんために造られし︶の齎(もた)らす大いなる悦びかの顏に降(ふり)注(そゝ)ぎたり
げに先にわが見たる物一としてこれの如く驚をもてわが心を奪ひしはなく、かく神に似しものを我に示せるはなし
しかしてさきに彼の上に降れる愛、幸(さち)あれマリア恩(めぐ)惠(み)滿つ者よと歌ひつゝ、その翼をかれの前にひらけば
天の宮(みや)人(びと)達四方よりこの聖歌に和し、いづれの姿も是によりていよ〳〵燦(きらび)やかになりたりき
あゝ永(とこ)遠(しへ)の定(さだめ)によりて坐するそのうるはしき處を去りつゝ、わがためにこゝに下るをいとはざる聖なる父よ
かのいたく喜びてわれらの女王の目に見入り、燃ゆと見ゆるほどこれを慕ふ天使は誰ぞや。
あたかも朝の星の日におけるごとくマリアによりて美しくなれる者の教へを、我はかく再び請(こ)へり
彼我に。天使または魂にあるをうるかぎりの剛(つよ)さと雅(みや)びとはみな彼にあり、われらもまたその然るをねがふ
そは神の子がわれらの荷を負(お)はんと思ひ給ひしとき、棕(しゆ)櫚(ろ)を持ちてマリアの許(もと)に下れるものは彼なればなり
されどいざわが語り進むにつれて目を移し、このいと正しき信心深き帝國の大いなる高(つか)官(さ)達を見よ
かの高き處に坐し、皇妃にいと近きがゆゑにいと福(さいはひ)なるふたりのものは、この薔薇の二つの根に當る
左の方にて彼と並ぶは、膽(きも)大(ふと)く味へるため人類をしてかゝる苦(にが)さを味ふにいたらしめし父
右なるは、聖なる寺院の古の父、この愛(め)づべき花の二(ふたつ)の鑰(かぎ)をクリストより委(ゆだ)ねられし者なり
また槍と釘とによりて得られし美しき新(はな)婦(よめ)のその時々の幸(さち)なさをば、己が死なざるさきにすべて見し者
これが傍に坐し、左の者の傍には、恩を忘れ心恒(つね)なくかつ背(そむ)き易(やす)き民マンナに生(いの)命(ち)を支(さゝ)へし頃かれらを率(ひき)ゐし導者坐す
ピエートロと相(あひ)對(むか)ひてアンナの坐するを見よ、彼はいたくよろこびて己が女(むすめ)を見、オザンナを歌ひつゝなほ目を放たじ
また最(いと)大いなる家(いへ)長(をさ)の對(むかひ)には、汝が馳(は)せ下らんとて目を垂(た)れしとき汝の淑女を起(た)たしめしルーチア坐す
されど汝の睡りの時疾(と)く過ぐるがゆゑに、あたかも良(よ)き縫(ぬひ)物(もの)師(し)のその有(も)つ織(き)物(れ)に適(あは)せて衣を造る如く、我等こゝに言(ことば)を止(とゞ)めて
目を第一の愛にむけむ、さらば汝は、彼の方(かた)を望みつゝ、汝の及ぶかぎり深くその輝を見るをうべし
しかはあれ、汝己が翼を動かし、進むと思ひつゝ或ひは退(しりぞ)く莫(なか)らんため、祈りによりて、恩(めぐ)惠(み)を受ること肝要なり
汝を助くるをうる淑女の恩(めぐ)惠(み)を、また汝は汝の心のわが言葉より離れざるほど、愛をもて我にともなへ。
かくいひ終りて彼この聖なる祈りをさゝぐ
第三十三曲
處(をと)女(め)なる母わが子の女(むすめ)、被(つく)造(られ)物(しもの)にまさりて己を低くししかして高くせらるゝ者、永(とこ)遠(しへ)の聖(みむ)旨(ね)の確(かた)き目(めあ)的(て)よ
人たるものを尊(たふと)くし、これが造(つく)主(りぬし)をしてこれに造らるゝをさへ厭はざるにいたらしめしは汝なり
汝の胎用にて愛はあらたに燃えたりき、その熱(あつ)さによりてこそ永(とこ)遠(しへ)の平和のうちにこの花かくは咲きしなれ
こゝにては我等にとりて汝は愛の亭(まひ)午(る)の燈(とも)火(しび)、下界人間のなかにては望みの活(いく)泉(るいづみ)なり
淑女よ、汝いと大いにしていと強し、是故に恩(めぐ)惠(み)を求めて汝に就かざる者あらば、これが願ひは翼なくして飛ばんと思ふに異(こと)ならじ
汝の厚き志はたゞ請ふ者をのみ助くるならで、自ら進みて求めに先んずること多し
汝に慈悲あり、汝に哀(あい)憐(れん)惠(えい)與(よ)あり、被(つく)造(られ)物(しもの)のうちなる善といふ善みな汝のうちに集まる
今こゝに、宇宙のいと低き沼よりこの處にいたるまで、靈の三界を一(ひと)々(つ〴〵)見し者
伏して汝に請ひ、恩(めぐ)惠(み)によりて力をうけつゝ、終(いや)極(はて)の救ひの方にいよ〳〵高くその目を擧ぐるをうるを求む
また彼の見んことを己が願ふよりも深くは、己自ら見んと願ひし事なき我、わが祈りを悉く汝に捧げかつその足らざるなきを祈る
願はくは汝の祈りによりて浮(ふせ)世(い)一切の雲を彼より拂ひ、かくして彼にこよなき悦びを現はしたまへ
我またさらに汝に請ふ、思ひの成らざるなき女王よ、かく見まつりて後かれの心を永く健(すこ)全(やか)ならしめたまへ
願はくは彼を護りて世の雜念に勝たしめ給へ、見よベアトリーチェがすべての聖徒達と共にわが諸々の祈りを扶(たす)け汝に向ひて合掌するを。
神に愛(め)でられ尊まるゝ目は、祈れる者の上に注ぎて、信心深き祈りのいかばかりかの淑女の心に適(かな)ふやを我等に示し
後永(とこ)遠(しへ)の光にむかへり、げに被(つく)造(られ)物(しもの)の目にてその中(うち)をかく明らかに見るはなしと思はる
また我は凡ての望みの極(はて)に近づきゐたるがゆゑに、燃ゆる願ひおのづから心の中にて熄(や)むをおぼえき
ベルナルドは、我をして仰がしめんとて、微(ほゝ)笑(ゑ)みつゝ表(しる)示(し)を我に與へしかど、我は自らはやその思ふごとくなしゐたり
そはわが目明らかになり、本來眞(まこと)なる高き光の輝のうちにいよ〳〵深く入りたればなり
さてこの後わが見しものは人の言葉より大いなりき、言葉はかゝる姿に及ばず、記憶はかゝる大いさに及ばじ
我はあたかも夢に物を見てしかして醒むれば、餘情のみさだかに殘りて他は心に浮び來らざる人の如し
そはわが見しもの殆んどこと〴〵く消え、これより生るゝうるはしさのみ今猶心に滴(したゝ)ればなり
雪、日に溶くるも、シビルラの託宣、輕き木(この)葉(は)の上にて風に散り失するも、またかくやあらむ
あゝ至上の光、いと高く人の思ひを超ゆる者よ、汝の現はれしさまをすこしく再びわが心に貸し
わが舌を強くして、汝の榮光の閃(きらめき)を、一なりとも後(のち)代(のよ)の民に遺すをえしめよ
そはいさゝかわが記憶にうかび、すこしくこの詩に響くによりて、汝の勝利はいよ〳〵よく知らるゝにいたるべければなり
わが堪へし活(いく)光(るひかり)の鋭(するど)さげにいかばかりなりしぞや、さればもしこれを離れたらんには、思ふにわが目くるめきしならむ
想ひ出れば、我はこのためにこそ、いよ〳〵心を堅(かた)うして堪(た)へ、遂にわが目を無(かぎ)限(りなき)威(ちか)力(ら)と合はすにいたれるなれ
あゝ我をして視る力の盡くるまで、永(とこ)遠(しへ)の光の中に敢て目を注(そゝ)がしめし恩(めぐ)惠(み)はいかに裕(ゆたか)なるかな
我見しに、かの光の奧には、遍(あまね)く宇宙に枚(ひら)となりて分れ散るもの集り合ひ、愛によりて一(ひとつ)の卷(まき)に綴(つゞ)られゐたり
實在、偶在、及びその特性相混(まじ)れども、その混る状(さま)によりて、かのものはたゞ單一の光に外ならざるがごとくなりき
萬物を齊(とゝの)へこれをかく結び合はすものをば我は自ら見たりと信ず、そはこれをいふ時我わが悦びのいよ〳〵さはなるを覺ゆればなり
たゞ一の瞬(また)間(ゝくま)さへ、我にとりては、かのネッツーノをしてアルゴの影に驚かしめし企(くは)圖(だて)における二千五百年よりもなほ深き睡りなり
さてかくわが心は全く奪はれ、固く熟(みつ)視(め)て動かず移らず、かつ視るに從つていよ〳〵燃えたり
かの光にむかへば、人甘んじて身をこれにそむけつゝ他の物を見るをえざるにいたる
これ意志の目(めあ)的(て)なる善みなこのうちに集まり、この外(そと)にては、こゝにて完(まつた)き物も完からざるによりてなり
今やわが言(ことば)は︵わが想(おも)起(ひいづ)ることにつきてさへ︶、まだ乳(ちぶ)房(さ)にて舌を濡らす嬰(をさ)兒(なご)の言(ことば)よりもなほ足(た)らじ
わが見し生くる光の中にさま〴〵の姿のありし爲ならず︵この光はいつも昔と變らじ︶
わが視る力の見るにつれて強まれるため、たゞ一の姿は、わが變るに從ひ、さま〴〵に見えたるなりき
高き光の奧深くして燦(あざや)かなるがなかに、現はれし三(みつ)の圓あり、その色三にして大いさ同じ
その一はイリのイリにおけるごとく他の一の光をうけて返すと見え、第三なるは彼(かな)方(た)此(こな)方(た)より等しく吐かるゝ火に似たり
あゝわが想(おもひ)に此(くら)ぶれば言(ことば)の足らず弱きこといかばかりぞや、而してこの想すらわが見しものに此ぶればこれを些(すこし)といふにも當らじ
あゝ永(とこ)遠(しへ)の光よ、己が中にのみいまし、己のみ己を知り、しかして己に知られ己を知りつゝ、愛し微(ほゝ)笑(ゑ)み給ふ者よ
反(てり)映(かへ)す光のごとく汝の生むとみえし輪は、わが目しばしこれをまもりゐたるとき
同じ色にて、その内に、人の像(かたち)を描き出しゝさまなりければ、わが視る力をわれすべてこれに注げり
あたかも力を盡して圓を量(はか)らんとつとめつゝなほ己が要(もと)むる原理に思ひいたらざる幾(きか)何(がく)學(し)者(や)の如く
我はかの異(いし)象(やう)を見、かの像(かたち)のいかにして圓と合へるや、いかにしてかしこにその處を得しやを知らんとせしかど
わが翼これにふさはしからざりしに、この時一の光わが心を射てその願ひを滿たしき
さてわが高き想像はこゝにいたりて力を缺きたり、されどわが願ひと思ひとは宛(さな)然(がら)一樣に動く輪の如く、はや愛に廻(めぐ)らさる
日やそのほかのすべての星を動かす愛に。
底本‥﹁神曲︵下︶﹂岩波文庫、岩波書店
1958︵昭和33︶年8月25日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる﹁ヶ﹂︵区点番号5-86︶を、大振りにつくっています。
※﹁神曲﹂の原文は、三行一組の句を連ねる形式を踏んでいます。底本は訳文の下に、﹁一﹂﹁四﹂﹁七﹂と数字を置いて、原文の句との対応を示していますが、このファイルでは、行末に﹁一―三﹂﹁四―六﹂﹁七―九﹂を置く形をとりました。
※底本が用いている﹁︹﹂と﹁︺﹂は、﹁アクセント分解された欧文をかこむ﹂記号と重なるため、﹁︻﹂と﹁︼﹂に置き換えました。
入力‥tatsuki
校正‥浅原庸子
2005年11月26日作成
2006年5月19日修正
青空文庫作成ファイル‥
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●表記について
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