中学生のとき、夏休みの部活で、長野のほうの合宿所に行ったときの話。 合宿所は、田舎の廃校を再利用したものだった。そこのトイレが、われわれが寝る旧校舎から離れたところにあって、しかも古いまま。 当然ながら、「出る」という噂があった。 わたしが参加したときも、夜中に、トイレに行った女子の二人組が「お化けが出た」と騒ぎ始めた。 女子部屋の騒ぎは男子部屋のわれわれにも伝わり、「男子、行ってきて!」となったのだが、わたし含めて、だれも行く勇気がない。 結局は引率の理科の先生が叩き起こされた。 「まったく・・もう」 と目をこすりながら現れた40代の男の先生は、 「きみたちは、お化けなんていると思ってるのか・・お化けなんていないんだよ」 とぶつぶつ言いながら、生徒たちを後ろにしたがえてトイレに行き、電灯をすべてつけて、すみずみまで生徒たちに見せ、 「ほら、なにもいないだろ。すんだら、電気消して寝ろ」 と
人はミスをする。これは当たり前のことだ。 だからミスしないように準備をするし、仮にミスしたとしても、トラブルにならないように防護策を立てておく。人命に関わるような重大なトラブルになるのであれば、対策は何重にもなるだろう。 個人的なミスが、ただ一つの「原因→結果」として重大な事故に直結したなら分かりやすいが、現実としてありえない。ミスを事故に至らしめた連鎖や、それを生み出した背景を無視して、「個人」を糾弾することは公正なのか? 例えば、米国における医療ミスによる死亡者数は、年間40万人以上と推計されている(※1)。イギリスでは年間3万4千人もの患者がヒューマンエラーによって死亡している(※2)。 回避できたにもかかわらず死亡させた原因として、誤診や投薬ミス、手術中の外傷、手術部位の取り違え、輸血ミス、術後合併症など多岐にわたる。数字だけで見るならば、米国の三大死因は、「心疾患」「がん」そして
特別支援学校出身の発達障害児が3年で偏差値を65上げ筑波大学に現役合格した話私は中学まで特別支援学校に通っていた。高校から普通高校に行ったのだが当然授業はさっぱり分からない。私の通った高校は所謂名前さえ書ければ入れるクロマティ高校であり、入学時にそれまでの単元をちゃんと履修してるか?等の確認は勿論しなかった。この高校を知った時は「最高かよ!」と思ったが実際に入ってみると、それは「私に限らず生徒みんな授業の内容とか分からないので先生も教える事を諦めて淡々とマニュアル通りに物事を進める」という形で牙を私に牙をむく。つまり私に限らずあらゆる生徒が先生に分からないから教えてくれ的な事を言っても「教科書を読み返して下さい」で全てシャットアウトなのである。 勿論教科書を読み直してみても分からないモノは分からない。オマケに私は言語は理解していたものの中学3年生まで発音出来ず、高校1年の時は人より3倍遅く
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