200個目という北京師範大「名誉教授」の称号を同大副学長から受ける池田大作名誉会長=平成18年10月、東京都八王子市(鈴木健児撮影) 11月15日に死去したことが明らかになった創価学会の池田大作名誉会長は、海外の大学などから「名誉教授」「名誉博士」といった数多くの学術称号を受けていたことでも知られる。創価女子短期大の公式サイトなどによると、生前に受けた称号の総数は今年8月にマレーシアの大学院から受けた名誉文学博士号までで計408個に上るという。 同サイトなどによると、第1号は昭和50(1975)年に受けたモスクワ大学名誉博士号。「名誉博士」「名誉教授」のほか、その他の「名誉学術称号」を合わせ総数は408個になる。生前最後に受けた称号は今年8月26日にマレーシアのニュー・エラ大学学院から受けた名誉文学博士号だったという。 平成27(2015)年には、ノーベル平和賞の候補に池田氏が挙がっている
公明党の支持母体、創価学会の池田大作名誉会長が亡くなったことを受け、池田氏関連の書籍の注文が拡大することを見越し、書店も準備に追われた。 書店大手の丸善丸の内本店(東京都千代田区)では、池田氏や公明党の関連書籍を集めた特設コーナー設置に向けて準備を始めた。同店の担当者は「党員や学会会員は池田氏の著書をすでに所持しているので、幅広い人に改めて池田氏に興味を持ってもらえるようなタイトルを集める」と説明。宗教学者や政治家などが池田氏や公明党を分析、研究している書籍を中心に約20タイトルそろえるという。 ジュンク堂書店池袋本店(豊島区)でも、池田氏の著書でベストセラーである「人間革命」シリーズの売れ行きを見ながら、特設コーナー設置の準備を検討するとしている。 創価学会の思想でもある「人間革命」シリーズは、戦後、同学会の第2代会長、戸田城聖氏が学会再建に向け立ち上がり、弟子である山本伸一(池田氏のペ
11月15日に死去した創価学会の池田大作名誉会長。一代で日本最大の新宗教団体へと成長させた手腕は、広く注目されてきた。前編記事『池田大作名誉会長が死去した創価学会で「ポスト池田」より深刻…いま最も「危惧されていること」』からつづく。 人気タレントが「ポスト池田」になれないワケ 稀代のカリスマ宗教指導者を失った創価学会は今後、どうなるのだろうか。 宗教ジャーナリストの工藤信夫氏、小川寛大氏は「すぐに崩れることはない」と口をそろえる。現在の原田稔会長(82歳)を中心とした組織体制に移行しており、すでに「ポスト池田」時代は始まっているからだ。 前編記事でも指摘したように、学会幹部たちは公明党の選挙結果や聖教新聞の契約件数など、数値化された評価によって昇りつめた、叩き上げの実力派ばかり。だが、数字的な評価では及ばなくとも、池田氏の次を担うような求心力のある宗教的な指導者はいないのだろうか。 たとえ
くぼた・まさき/テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者、月刊誌編集者を経て現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌へ寄稿する傍ら、報道対策アドバイザーとしても活動。これまで200件以上の広報コンサルティングやメディアトレーニング(取材対応トレーニング)を行う。 著書は日本の政治や企業の広報戦略をテーマにした『スピンドクター "モミ消しのプロ"が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)など。『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。 新刊『潜入 旧統一教会 「解散命令請求」 取材NG最深部の全貌』が発売中。 情報戦の裏側 できれば起きてほしくない「不祥事」だが、起きてしまった後でも正しい広報戦略さえ取れば、傷を最小限に済ませることができる。企業不祥事はもちろん、政治家の選挙戦略、芸能人の不倫ネタまで、あらゆる事
池田大作氏に初めてあいさつした時、「記者は怖いねえ。でも本当はね、私も新聞記者になりたかった。ものを書く人になりたかったんですよ」と言われた。文学好きで文章が得意な少年だった。実家は貧しく進学は諦め、長く結核を患った。創価学会第2代会長の戸田城聖氏の出版社に勤め、21歳の時、雑誌「冒険少年」の編集長になった。自らもペンネームで偉人伝を書いた。夢に見た仕事だったが、経営難で雑誌は休刊。池田氏は一転「最も向いていない、やりたくもなかった」金融の仕事を担うことになる。その無念は後の人生にも残り、池田氏の人生の熱源にもなった。 事業の失敗で大半の部下を失った戸田氏と、赤貧の中で語り合ったのが、新聞をつくろう、大学を開こう、政治を変えよう、世界の指導者と語り合えるようになろう、という夢だった。後日、池田氏はこのすべてを実現する。 草創期の創価学会は正邪の闘いを理念に激しい折伏(しゃくぶく)と布教活動
池田大作氏が死去 創価学会名誉会長―公明党運営にも影響・95歳 2023年11月18日17時58分 池田大作氏 創価学会(総本部・東京都新宿区)名誉会長で、公明党を結成した池田大作(いけだ・だいさく)氏が15日夜、老衰のため新宿区の学会施設で死去した。95歳だった。東京都出身。葬儀は近親者のみで済ませた。後日、お別れの会を開催する予定。 〔写真特集〕追悼 2023 巨大宗教団体の実質トップの死去は、同学会にとどまらず、公明党の組織運営にも影響しそうだ。 1928年、東京都大田区生まれ。19歳で創価学会入りし、第2代会長の故戸田城聖氏の下で手腕を発揮。同会長の事業を支えたほか、選挙を指揮するなどして頭角を現し、60年に32歳の若さで第3代会長に就任した。 会長就任後は国内外への組織拡大に努め、国内では会員数を75万世帯から827万世帯へ拡充。75年には創価学会インタナショナル(SGI)を発足
創価学会の池田大作名誉会長が15日に死去したことが分かった18日、SNSでは各界の関係者からさまざまな反応が寄せられた。 オウム真理教時代には外報部長などを務め、現在は宗教団体「ひかりの輪」代表を務める上祐史浩氏は、自身のX(旧ツイッター)のアカウントで「心よりお悔やみ申し上げます。生前、オウム真理教時代において、大変ご迷惑をおかけしたことにつき、改めて深くお詫び申し上げます」と投稿した。一連のオウム真理教事件に関する刑事裁判を巡っては、平成5年にオウム真理教の幹部が池田名誉会長の襲撃を計画していたことが判明した。 また、宗教問題に詳しい弁護士の紀藤正樹氏は、自身のアカウントで、池田名誉会長死去に関するニュースを引用する形で「オウム、統一教会問題への対処などで果たした役割は大きかったですが、次の時代の創価学会がカルト現象やカルト的団体に実効的にどう対処していくのか、その役割はとても大きいで
創価学会を国内有数の宗教団体に拡大させ、公明党を設立して政界にも影響を与えた創価学会の池田大作(いけだ・だいさく)名誉会長が15日、老衰のため東京都新宿区で死去した。95歳。東京都出身。 少年時代に第2次世界大戦を経験した。昭和22年、日蓮正宗の信徒団体だった創価学会に19歳で入会。戸田城聖第2代会長の下で激しい勧誘活動を展開した。 戸田氏の死後、35年に第3代会長に就任。海外布教も展開し50年に創価学会インタナショナル(SGI)を結成した。54年に学会の会長を退任し名誉会長となった。その後も影響力を保持し続けたが、近年は公の場に姿を見せることはほとんどなかった。 39年に公明党を結成した。しかし、政教分離の問題が取りざたされ、一線を画すようになったが、現在も創価学会は公明党の支持母体。学会の会員は日本で827万世帯、海外で280万人とされる。
いまだ戦禍が続くウクライナを、ハリウッドスターが訪問した。「ロード・オブ・ザ・リング」や「パイレーツ・オブ・カリビアン」などで知られる英国人俳優のオーランド・ブルーム(46)で、動画サイトにはゼレンスキー大統領(45)と語り合う姿がアップされている。 【写真を見る】池田大作氏のメッセージが書かれたメモをゼレンスキー大統領に差し出したオーランド・ブルーム 動画によると、訪問は3月26日。場所は首都・キーウの大統領府とみられ、オーランドはユニセフ親善大使としてゼレンスキー大統領と会談している。が、彼は別の役割も担っていた。 それは後述するとして、トレーナー姿の大統領が「ようこそ! ご訪問ありがとうございます」と出迎えると、パーカー姿のオーランドは笑顔で握手。その後、二人の会話が始まる。 オーランド〈あなたの姿を見て、ウクライナの人々の強さを実感しています〉〈あなたが今まさに国を守っているという
<do-ki> 亡くなった池田大作創価学会名誉会長に一度だけ会ったことがある。当時30代。困難を承知で池田氏への直接取材をあれこれ仕掛けていたら、本紙コラムニストの故岩見隆夫氏が聞き手となるのを条件に、インタビューが実現した。名刺を渡すと「ずいぶんご熱心で」と言われ、副会長の一人が「一生の勲章ですね」と笑った。握った手はとても柔らかかった。 担当でもない創価学会を取材し始めたのは、それより10年以上前。担当だった公明党取材に行き詰まったからだ。当時の故市川雄一書記長は、朝日新聞、共同通信、NHK以外は冷遇すると広言。苦し紛れに支持母体へ回り込んだのだ。記者に限らず誰にでも厳しく、若手有望株だった現在の山口那津男代表や北側一雄副代表への指導は特にきつかった。
絵画を除幕する公明党の山口那津男代表(左)と中国共産党天津市委員会宣伝部の陳浙閩部長。周恩来鄧穎超紀念館提供(2019年8月21日撮影)。(c)Xinhua News 【8月26日 Xinhua News】中国の周恩来(Zhou Enlai)元総理と日本の公明党創立者で創価学会名誉会長の池田大作(Daisaku Ikeda)氏の会見45周年を記念して、当時の会見の様子を描いた絵画の寄贈式典が21日、天津市(Tianjin)の「周恩来鄧穎超紀念館」で行われた。公明党の山口那津男(Natsuo Yamaguchi)代表が党を代表して紀念館に絵画を寄贈し、同館の王起宝(Wang Qibao)館長が受領した。 1974年12月5日、重病を患っていた周恩来総理は、北京の305病院の病室で池田氏と歴史的な会見を行った。両氏は中日の平和友好事業に共に力を注ぐ中で深い友情を築いた。 天津市は今年3月、中日
朝日新聞出版が発行する『AERA』で昨年末に、佐藤優氏による連載〈池田大作研究 世界宗教への道を追う〉がスタートし、現在も連載が続いている。聖教新聞社の『池田大作全集』をふんだんに引用しながら、創価学会名誉会長にして創価学会インタナショナル(SGI)会長である池田氏の足跡や思想を解説するものだ。時折、〈池田の発想には(使徒の)パウロに共通するものがある〉(連載第4回)などとキリスト教を引き合いに出したりもしている。 この連載を現在出たものを通して見る限り、「方法論」に大きな問題を抱えているように思えてならない。それは『池田大作全集』を中心とした教団の公式刊行物をソースとし、それによって創価学会の「内在的論理」をつかむことができるという前提に立っている点だ。 公式発表、特に全集のようなまとめ直された書籍を主なソースとして宗教団体を扱う手法では、ときに対象の実態を見誤る。特に社会的な問題を引き
リクエストがあったので見ました 創価学会名誉会長 1928年1月2日生まれ 92歳 冷たいダイヤモンド 聡明で鋭い頭脳のパイオニア精神を持った人 理想とプライドが高く負けず嫌い 社会常識とかけ離れた自分の世界があります 権威を求める部分と真面目で研究熱心な面があります 団体を率いる力があるが、敵も作りやすい傾向です 88歳から97歳 癸卯 食神 絶 2023年 癸卯 食神 絶 大凶です 農歴(旧暦) 冬の山 人情家であたりが柔らかく優しいので信頼され人脈を広げます 親分肌で頼りがいがあり闘争精神旺盛 自ら新しい分野を開拓するパイオニア精神を持った人 強い財運や立身運を持ち権威や名誉を持つ大物の素質があります 91歳から100歳 壬寅 偏財 長生 2022年 壬寅 偏財 長生 2023年 癸卯 正財 沐浴 壬が強いと、この世か
2019年時点での信者は国内だけで827万世帯。公明党の支持母体としても活動する日本最大級の宗教法人として、創価学会の名は広く知られている。しかし、圧倒的な知名度の一方で、信仰の核心や信者たちの具体的な活動は意外に知られていないのではないだろうか。 そんな創価学会の実態について、作家の佐藤優氏が迫った著書が『池田大作研究 世界宗教への道を追う』だ。ここでは同書を引用し、名誉会長を務める池田大作氏がどのように生まれ育ち、なぜ公明党創設への道を進んだのか、知られざる過去について紹介する。(全2回の1回目/後編 を読む) ◇◇◇ 生まれた直後、「捨て子」にされた 池田大作は、1928(昭和3)年1月2日、東京府荏原郡入新井町(現在の東京都大田区大森北二丁目)で8人きょうだいの五男に生まれた。父の子之吉(ねのきち)は41歳、母の一(いち)は33歳だった。 両親は太く大きく育ってほしいとの願いを込め
創価学会名誉会長の池田大作氏が今年2023年11月15日に逝去すると、メディアにはいくつもの論評が載った。数多く言及されているのが彼のカリスマ性である。 池田氏は32歳で創価学会の会長に就任。組織を幾倍にも伸長させた。その理由を、皆が彼のカリスマ性に求めている。だが、創価学会の元理事長・正木正明を父に持つ家の出で池田氏と直接会う機会に恵まれてきた私は、それらと見解を異にする。 ここでは、池田氏が組織拡大をなし得、また信仰熱心な学会員に愛されてきた要因の一つを記していく。 池田氏の恩師・戸田城聖の願いは、創価学会員「75万世帯」を達成することだった。戸田はそれを成し遂げ、1958年に世を去る。その2年後に会長職に就いた池田氏が掲げたのが「戸田先生の7回忌までに300万世帯」という目標だった。池田氏はそれを1962年に達成。そして会長就任から10年弱にして学会は750万世帯に急拡大した。 だが
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