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「文化」を軸に"WEIRD"社会の発展を描くビッグ・ヒストリー 『WEIRD「現代人」の奇妙な心理』ジョセフ・ヘンリック著(白揚社)を読みました。 ご恵投いただいてから読了するのに1ヶ月以上かかってしまったのですが、かなり面白かったです。 上下巻あり、そこそこ値段はするのですが、本書の内容は通常の本の10冊ぶん以上の貴重な知識や内容がガッツリ詰め込まれているので、むしろ得なのではと思います。 こちらの記事では、本書がメインで描く「なぜ西洋が世界を支配するに至ったのか」を簡単いまとめていきます。 1. カトリック教会の教義が経済や技術の発展を促した この本はジャンル的にはビッグヒストリーになるのかなと思います。 テーマはずばり、なぜ西洋は経済的・技術的に他の地域に先んじて高度に発展したのかです。 同じようなテーマで有名なのが、ピューリッツァー賞を受賞したジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・
インドシナ山岳国家の現代史 ラオスの歴史の後編です。 前半では、ラーンサーン王国の成立から分裂、後継国家のビエンチャン王国がシャム王国との戦争の末に破壊される経緯をまとめました。 前編はこちらからご覧ください。 後編はシャム王国の支配下からフランスの保護領となり、太平洋戦争を経て独立を果たすもベトナム戦争と連動した革命戦争が起こり、社会主義ラオスが成立する過程を解説します。 7.フランスの植民地に ラオスを完全に併合したシャム王国は、ルアンパバンを中心とする北部、ノーンカーイを中心とする中部、チャンパサックを中心とする南部の3つの行政地域に分割しました。現在のタイ東北部コラート高原は正式にシャムに併合されました。 シャム王国はラオスの土地を3つの行政地域に分1831年には、シャム王国はカンボジア全土とベトナム南部の併合を目指して軍事侵攻を行いますが、阮朝ベトナムの守備軍に撃退されています。
東南アジア山岳国家の戦乱の歴史 ラオスは東南アジア、タイ、ベトナム、カンボジア、中国、ミャンマーに国境を接した内陸国で、国土の約70%が山岳地帯です。 面積は23万6800平方キロメートル。人口は2021年時点で約733.8万人。本州よりやや小さい面積に、埼玉県の人口が住んでいる計算になります。非常に日本と比べて人口密度が低いことがわかると思います。 首都のビエンチャンと旧王都ルアンパバーンを除くと、豊かな自然の恵みから人々は食料を得てのんびりとした暮らしをしています。田舎に行くと電気、ガスが通っていないことも普通です。 民族は低地に住むラオ族、タイ族で約62.3%を占めます。少数民族として山岳地帯に住むモン系、クメール系語族が24.8%、モン・イウミエン系語族が9.8%、シナ・チベット系語族が2.9%という内訳で、2008年段階でラオス政府は民族数を49と定めていますが、この枠に入ってな
今年読んだ本のトップ10を選びます 2023年度ももうすぐ終わりですということで、毎年やっていますが、今年度に私が読んだ本の中で面白かった10冊というのを選んでみます。 今年読んだ本なので、2023年以前に発売された本も含まれています。あらかじめご了承くださいませ。 また面白かった私のYouTubeチャンネルで紹介している書籍も多く、よろしければそちらも合わせてご覧いただけるとうれしいです。 1. 『越境の中国史』 菊池秀明 講談社選書メチエ リンク こちらは2022年12月初版の本です。 黄河流域、長江下流を中心に語られがちな中国の歴史ですが、特に近代以降、例えば太平天国の乱やアヘン戦争のように、華南の動向から歴史が動くことがありました。本書は特に近現代の華南の歴史から現代中国を読み解く本です。 歴史的に北部中国は政治・軍事の中心で、南部中国は経済・文化の中心でした。一方で特に福建省や広
アメリカ兵とオーストラリア人が一触即発状態になった事件 ブリスベンの戦い(1942年11月26日~27日)は、第二次世界大戦中にオーストラリア・クイーンズランド州ブリスベンで、オーストラリア人と駐留アメリカ軍との間で起きた騒乱です。 騒乱は2日続き、幸い本格的な戦いになることはなかったものの、もし両軍が戦闘状態になっていたら日本軍への対応で少なからず影響が出たに違いない事件でした。 なぜ同盟国同士が一触即発状態になってしまったのでしょうか。 1. オーストラリア市民に歓迎されるアメリカ将兵 急激に増えるアメリカ兵人口 日本軍による真珠湾攻撃がおきてすぐ、アメリカ軍はオーストラリアの軍事基地化を検討し始めました。 1941年12月14日、アイゼンハワー准将はオーストラリアに軍事施設を建設することを提案し、3日後にマーシャル米陸軍参謀総長がこの計画を承認。12月22日にはブリスベンに4,000
なぜ宗教ははじまり、なぜ人間に必要とされたのか 『宗教の起源――私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』ロビン・ダンバー著(白揚社)を読みました。 タイトル通り、なぜ宗教は発生し、なぜ人間は宗教を必要とし、宗教の本質とは何なのかを明らかにしていく本です。 かなり面白かったので、今回ブログでも紹介したいと思います。 1. 人類学や心理学、脳科学から宗教を分析する 本書の筆者はロビン・ダンバー氏はイギリスの進化心理学者、人類学者で、もともと霊長類行動の研究者だった方です。 猿やチンパンジーの研究をする延長線上で、同じ霊長類ということで人間の進化の研究に携わるようになりました。 その中で筆者は宗教がどう人間社会や人間自身の発達に関わってきたのか、そしてなぜ人間には宗教が必要だったのか、という点に関心を持ちました。 本書はこれまでの彼の数々の研究や著作をもとにまとめられた本です。 そのため宗教へのア
「日帝に国を売り渡した男」李完用 韓国・北朝鮮で最悪の売国奴と呼ばれる人物といえば李完用(イ・ワニョン)です。 李完用は朝鮮王朝末期と大韓帝国の時代の政治家で、韓国・北朝鮮では日帝に国を差し出した張本人として大変に忌み嫌われています。 韓国では、李完用が地位と財産を得るために国王と国を売り飛ばしたという評価が一般的です。しかし実は、一応彼なりに列強から国を守ろうとさまざまな試みを行なっています。ただしタイミングや方法がまずいところがあって、結果的に亡国の引導を渡してしまいました。李完用はなぜ売国奴になってしまったのでしょうか。 1. 高宗の側近・李完用 李完用は1858年に貧しい知識人一家に生まれています。 幼い頃から聡明だった李完用は、儒教の経典の学習に大変な才能を示し、その聡明さを伝え聞いた有力な親戚の李鎬俊(イ・ホジュン)の養子となり、より高い教育を受けました。1882年、当時の国王
死者がでない戦争とは、理性と、話し合いと、あと何か 2020年以降にまた世界各地で凄惨な国家間戦争が増加しています。毎日ニュースを見るたびに、21世紀にこんな先祖帰りを起こすとは想像していなかったです。 戦争を起こさない知恵が一番必要なわけですが、仮に戦争を起こしても死者をどうやって出さないかという知恵もまた必要かも知れません。 過去の「死者が一人もでなかった戦争」からなにか学べる点はあるでしょうか。 1. ウエスカル・デンマーク戦争(1809年〜1981年) デンマークに残されたスペイン兵をめぐり小さな町が宣戦布告 ウエスカルはスペインのグラナダ地方にある人口7000人ほどの町です。 この街は19世紀初頭、スペイン独立戦争の中でデンマークに宣戦布告したことがあります。 ナポレオン戦争中の1808年、スペイン・ブルボン朝は廃止され、ナポレオンは兄ジョゼフ・ボナパルトをスペイン王位につけまし
「世界史の中での北海道」という視点 北海道はご存知の通り、アイヌ民族の居住地でありましたが、近代以降幕府や政府が経済開発を進める中でアイヌ民族は日本人の支配下に組み込まれ政治的にも経済的にも抑圧されてきた歴史があります。 そのアイヌ民族はアイヌ民族という枠組みで自分達を認識するようになるのは日本の北海道進出の影響が大きく、本来はいくつもの集団に別れ文化や言語も種類がありました。 また樺太や千島列島にも同族がいたり、大陸の狩猟採集民とも文化的な類似性を持つなど、独自の北東アジアのネットワークを有していました。 ※記事の末尾にCodocの「投げ銭」機能を入れています。この記事が面白いと思ったら投げ銭いただけると嬉しいです。 1.北東アジアの民族集団ネットワーク 日本本土では縄文時代は紀元前10世紀くらいまで続き、大陸からの渡来民とともに稲作が入ってきて、西日本から徐々に定着し弥生時代に突入して
トルコ建国の父ムスタファ・ケマル・パシャを逮捕しようとした男 ダマド・フェリト・パシャはオスマン帝国末期の政治家で、第一次世界大戦後に大宰相を務めました。 彼がなぜ売国奴と呼ばれているかというと、大戦に敗北したオスマン帝国の存続のために、イギリスをはじめとした連合国に迎合し、セーブル条約という極めて不利な条約にサインをしたこと。 そしてアンカラに共和国政府を建てたムスタファ・ケマル・パシャとトルコ民族解放闘争に反対したたことがあります。 現在のトルコ共和国は、アンカラ政府を基に続いている政体で、ムスタファ・ケマル・パシャは独立の英雄とされているので、彼を逮捕しようとしたダマド・フェリト・パシャは売国奴とされています。 オスマン帝国末期と内戦を経てトルコ共和国が成立するまでの動乱期の歴史を追っていく必要があります。 1. 青年トルコによる革命 ダマド・フェリト・パシャ、本名はメフメト・フェリ
時には歴史を動かしてきた「雇われ指揮官」 昔も現代でも、戦争は正規軍のみが行うものではなく、国王や領主に雇われた傭兵が戦争で重要な役割を果たすケースが多くありました。 三十年戦争で傭兵団はピークを迎えて、その後は国民国家の正規軍が主力になっていきました。しかし現代でも民間軍事会社という名前で、アメリカの旧ブラックウォーターやロシアのワグネルなどが有名ですが、中東やアフリカで正規軍に代わって主力級の活動をする場合があります。 この記事では歴史上の有名な傭兵隊長を10名ピックアップします。 ※記事の末尾にCodocの「投げ銭」機能を入れています。この記事が面白いと思ったら投げ銭いただけると嬉しいです。 1. クセノポン(古代ギリシア) 故郷を裏切りスパルタに貢献した男 クセノポンは高校の世界史の授業では哲学者・歴史家として学びますが、傭兵隊長として活躍したことでも知られます。 クセノポンはアケ
ようやく男女平等が近づいたWWE アメリカのプロレス団体最大手WWEは、大きな変革期にあります。 「男女平等」の変革への動きです。 長い間、女性の試合は男子選手の試合の前座的扱いで、セクシーさを売りにしたスタイルが人気でした。しかし今は男子と同じくメイン級へ、また技術やパワー、闘争心をむき出しした戦いで観客を沸かせるスタイルに転換しています。 これは遅ればせながらWWEでも男女平等への取り組みが進んでいると評価できると思います。 しかし、フェミニズム運動が始まって100年以上。なぜここまで男女平等への取り組みが遅れたのか。 この記事では、過去のWWEの歴史とフェミニズム文脈を織り交ぜながら考察したいと思います。 なお、考察は主に私が長年ウォッチしている最大手のWWEを中心に見ていきたいと思います。AEWはたまに見ますが、TNA(Impact)、ROH、その他の中小インディー団体はほとんど見
ゴッホの耳を展示したとされる謎のいたずら事件 「ひまわり」「星月夜」「タンギー爺さん」などの絵画で知られるフィンセント・ファン・ゴッホは生前はあまり評価されませんでした。 画家として売れる見込みがたたずに次第に精神をやんでいき、とうとう自分の耳を切り落とすという行為におよび、その後自殺します。死後に評価が高まって作品が高値で売れるようになるのですが、狂人としてのゴッホもある種人々に魅力を与えている側面もあります。 1. ゴッホが切り落とした耳の逸話 ゴッホが自分の耳を切り落とし娼婦に渡したという逸話は、彼の自殺直前の異常な精神を象徴するものとして有名です。 1888年ゴッホは画家仲間のポール・ゴーギャンを説得してアルルに住まわせ、二人で芸術グループを結成することを思い描いていました。 ところがゴーギャンは、数ヶ月をゴッホと共に住むうちに彼の不安定な言動に嫌気がさし、グループの結成の約束を反
戦争が比較的シンプルなものだった時代の感覚 戦争が今のように政治や経済、イデオロギーや宗教、少数民族問題や資源問題など複雑な問題を含むものになる前、18世紀の戦争はもっと戦争はシンプルなものでした。 ヨーロッパで行われる国家間戦争は、簡単に言うと領土と王権をめぐる戦いでした。自分の息のかかった、ないし影響力の強い一族や近親者を他国の国王に就かせようとするという目的と、富裕な工業地域や戦略的要衝を獲得するということをほぼ同一的に捉えており、国の発展と王族の名誉が同一視されていたような感覚です。 その典型的な戦争のサンプルとして、今回はオーストリア継承戦争と続く七年戦争を解説します。この戦争はオーストリアの王位をめぐる他国の介入に始まり、領土をめぐる因縁から泥沼の戦いに入り、それが他国の介入を招いて新たな戦争を誘発していくことになります。 1. マリア・テレジアの即位と列強の介入 オーストリア
意外と揉めてる中南米の国境線 国境線をめぐる争いは、カシミール(インドとパキスタン)や九段線(中国、台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、インドネシア)など、我々の身近なアジアに非常に多いです。 そのため見過ごされがちですが、中南米には我々の知らない係争地がいくつもあります。中南米の国々は19世紀から戦争をかなりやってきたので、未解決の国境がまだまだたくさんあります。 1. ブラジレイラ島(ブラジル vs ウルグアイ) 現在は無人のウルグアイ川に浮かぶ島 ブラジレイラ島はウルグアイ川にあるブラジルとウルグアイの係争地です。 ブラジルはリオ・グランデ・ド・スル州のバラ・ド・クアライという自治体内にあると主張し、ウルグアイはこの島がアルティガス県のベラ・ウニオン自治体に属すると主張しています。 ですが特に両国ともこの島を実力で奪取するという意志はなく、軍隊を派遣するなどはしていま
殺し方として非常に一般的な「毒殺」 食べ物や飲み物に毒を混ぜて人を殺害する方法は、刃物で切ったり首を絞めたりする方法に比べて力もいらず、比較的容易と考えられます。ただし毒殺といっても単にメシに毒を混ぜるだけではないようです。 歴史上、毒殺された人間は数限りなくいるのですが、重要な人物と動物、28名と2匹選んでみました。 なお今回は「服毒自殺」は除外しており、「毒殺された」人物のみです。 1. ソクラテス(紀元前477年~紀元前399年) 陪審員に毒殺される ソクラテスは言わずと知れた古代ギリシャの哲学者です。 偉大な洞察力を持ち、誠実で自制心があり、議論が巧みであったとされ、彼の生き方や思想は西洋哲学に与えた影響は計り知れません。ソクラテス自身は何も著作を残していないことは有名です。彼の弟子であるプラトンやクセノフォンなどが残した著作の中で、ソクラテスとの会話が描かれています。 彼はもとも
未来の退役軍人も軍人ボーナスをもらえるはず! 「未来の戦争の退役軍人(Veterans of Future Wars)」は1936年にアメリカで起こった学生運動です。 不況の中で第一次世界大戦の退役軍人が「特権的な扱いを受けている」ことに不満を持った学生たちが、「未来の軍人である俺たちも優遇される権利がある」と皮肉った主張を言ったことが始まりです。 そしてこの運動は予想外の盛り上がりを見せることになります。 1. 「未来戦友会」の設立 1929年に起こった世界恐慌はアメリカでも庶民の暮らしを直撃したのですが、第一次世界大戦に従軍したアメリカの退役軍人たちも例外ではなく、生活に困窮するようになりました。 1932年6月には退役軍人やその家族などが、軍人ボーナスの繰り上げ支払いを求めて、ワシントンD.C.へ行進。連邦軍と暴力的な衝突に発展して死傷者が出る騒ぎになりました。 この時には拒否されま
200カイリ排他的経済水域策定のきっかけとなった紛争 タラ戦争(The Cod War)は、主にイギリスとアイスランドとの間で戦われた、タラなどの水産資源をめぐった紛争です。 第一次から第三次まで断続的に争われたこの紛争で死者は出ませんでしたが、この紛争はアイスランドのイギリスとの国交断絶までエスカレーションし、結果的に現在主流である200カイリ排他的経済水域制度の策定につながっていきます。 1. 漁業水域をめぐる欧州の協定 北海漁業協定の策定 北海からスカンジナビア半島沖は豊かな漁場で、歴史的に近隣諸国の水産業を支えてきました。特に有名な資源がタラです。タラとジャガイモを油で揚げたフィッシュアンドチップスはイングランドを代表する料理です。 19 世紀以降にトロール船が普及して漁獲高が増えますが、一方て資源の乱獲が進んだことで、近隣諸国で漁業水域に関する関心が高まりました。特に経済を水産業
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