伊良子清白

日本の詩人 (1877 - 1946)

  187710104 - 194621110[1][2]
伊良子清白
誕生 伊良子暉造
1877年(明治10年)10月4日
鳥取県八上郡曳田村大字曳田(現在の鳥取市河原町曳田)
死没 1946年(昭和21年)1月10日
三重県度会郡七保村(現・大紀町
職業 詩人
国籍 日本の旗 日本
代表作孔雀船
親族 岡田美子(義妹)
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医業のかたわら詩を書き、詩集『孔雀船』を出版し河井醉茗横瀬夜雨と並ぶ文庫派の代表的詩人。

経歴

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187587118781195[3]

1899190019021903退

19061918192211稿[4]

194520[5]194621110[6]

1980554

文献

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詩集
  • 孔雀船』(初刊・左久良書房、1906年/梓書房、1929年)
  • 『孔雀船』(岩波文庫、初版1938年、復刊2004年ほか/ワイド版岩波文庫、1993年)
  • 『伊良子清白蒐遺詩集』(山路峰男編著、伊勢志摩文学館、2003年5月)
全集
  • 『伊良子清白全集』(全2巻、平出隆編、岩波書店、2003年6月)
伝記
  • 平出隆『伊良子清白』(新潮社、2003年10月)- 「月光抄」「日光抄」の2分冊

史料

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伊良子清白詩碑

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伊良子清白の詩碑(正法寺)
  • 鳥取県八頭郡河原町曳田「正法寺」
    ふるさとの谷間の歌は
    続きつゝ断えつゝ哀し
    大空のこだまの音と
    地の底のうめきの声と
    交りて調は深し
  • 三重県鳥羽市小浜町城山
    水底の泥を逆上げ
    かきにごす海の病
    そゝり立つ波の大鋸
    過げとこそ船をまつらめ
  • 三重県度会郡大紀町打見
    今朝立ちいでて宮川の
    水のほとりに佇むに
    流れて落つる河浪の
    石に轟き瀬に叫び
    岸の木魂(こだま)を伴いて
    秋の悲曲を奏しけり

伊良子清白の家

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伊良子清白の家

清白が鳥羽で医師を開業していた頃に診療所兼住居としていた家が「伊良子清白の家」として三重県鳥羽市鳥羽一丁目赤福鳥羽支店の隣に移築され、一般公開されている[5]。この家は1979年(昭和54年)に鳥羽市小浜町から多気郡大台町に移築されたが、2009年(平成21年)に再び鳥羽の地へ戻った[5]

脚注

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(一)^ 81

(二)^ (). . . 2019212

(三)^ 76-77

(四)^ . . . 20191229

(五)^ abc""201156

(六)^ 199741

参考文献

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  • 『鳥取県百傑伝』 、1970年、76-82頁
  • 『鳥取県大百科事典』(編集:新日本海新聞社・「同」編集委員会)、1984年 71-72頁

外部リンク

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