気付いたのが遅れたため、数日前のご編集を蒸し返すようで恐縮ですが、カトリーヌ・ド・メディシスにて、日付のリンクを外しておられますね。また、同様の編集を他の記事でも行っておられ、リンクが再び張られたものをリバートすることもなさっておられるようですが、これはどこでの議論に基づくものでしょうか。
現在の日付の記事は、いずれも﹁○月○日はグレゴリオ暦で年始から○日目に当たり﹂とは書いていますが、﹁グレゴリオ暦の○月○日は年始から○日目に当たり﹂とは書いておりません。ゆえに、年始や年末までの日の基準にグレゴリオ暦を用いているだけで、太陽暦の日付の記事そのものが﹁グレゴリオ暦の日付﹂だけのトピックに限定するとは現状では書かれていません。また、同様の書式で書かれている英語版、フランス語版、スペイン語版の日付記事ではユリウス暦のトピックもあわせて記述されています。
ノート:1月1日を見る限りでは、日本語版でも過去の議論では、日付記事にグレゴリオ暦・ユリウス暦のトピックを双方入れることに特に異論は出ていなかったように見えるのですが、その後、どこかで議論がなされたのでしょうか。
西洋旧暦と新暦で日付がずれることぐらいは認識していますが、暦法としてはどちらも太陽暦であり違いは閏年の置き方だけですから、杓子定規にリンクをはずすことには違和感を覚えるのです。他方、どこかで議論がなされているのであれば、︵今後も16世紀フランスのトピックを立ち上げることはいくつもあると思いますので︶今後の日付の扱いに反映致したいと思います。お手数ですが御教示ください。--Sumaru 2006年11月1日 (水) 11:51 (UTC)返信
メッセージをいただき、感激しております。
私はただ単に日付の記事の﹁できごと・誕生日・忌日﹂の欄が近現代の人物・出来事に極端に偏っていて見苦しいので何とかしたい!という一存で編集作業を行っている者であり、高師直も単に日付にリンクしやすい(あるいは後日なにかあった時にに再編集しやすい)ようにするための編集でした。ゆえにIzayohi様の信念により﹁訳あって﹂日付リンクを外している行為を失念していたことに対して、深くお詫び申し上げます。先ほど高師直の欄のリンク外しを復旧いたしました。
それと、ひとつ質問がございます。私は前述のとおり﹁できごと・誕生日・忌日﹂の加筆を主に行っているのですが、グレゴリオ暦発動前の1581年以前の記述に関しましては、意見の統一が行われるまで自粛したほうがよろしいでしょうか。英語版のwikiの日付欄を見ると、1581年以前の生没年欄にも普通に人物が(日本の有名人すらも)掲載されていたので、グレ暦ユリ暦に関してはこれでよかれと思って加筆作業を行っていたのですが…。個人的には外国人はグレ暦ユリ暦の問題があるので、なるべく日本人を中心に加筆するようにしてはいたのですが…。
最後に、﹁歴史記事の年月日についてPortal‐ノート:歴史こちらで議論しておりますので、よかったらご意見をお寄せください。﹂とのことでしたが、考えれば考えるほど予想外に難しい問題であることと、自身があまりにも文才が拙過ぎて火中にガソリンを投下することになる可能性が非常に高いという懸念があることから、投稿にしり込みしているのが現状であります。ご理解いただけましたら幸いです。
それでは今後とも御教授のほどよろしくお願いいたします。何卒、何卒。p.s.仕事柄、夜遅くの投稿になり申し訳ございません。--日本一弱い男 2006年11月7日 (火) 3:03 (UTC)
ご返事ありがとうございました。現在のところはまだどちらにするか決まっていないので結論がでてから編集したほうがよろしいでしょう。ただ私個人は明記されていれば併記、非併記どちらになってもかまわないので、どちらがよいのかそちらの意見表明はされたほうがいいのではないかと存じます。Izayohi 2006年11月6日 (月) 22:49 (UTC)返信
こんにちは、はじめまして。Izayohiさんが先日義和団の乱の編集をされたかと思いますが、実はあの記事はもっと古い版がGFDLにひっかかっていたため、全削除の方針が決定していました。もっとも現在の最新版では著作権侵害箇所は残っていないため、全削除後に改めてKabaが再投稿しようかと考えています。つきましては最新版の原著作者のお一人であるIzayohiさんに﹁使っていいよ﹂とご了承を頂きたく、お手数ですがこちらにその旨ご署名をお願い致します。お手数をおかけしますがご協力のほどをお願い致します。--Kaba 2006年11月8日 (水) 09:14 (UTC)返信
利用者:122.249.100.246さんから、利用者:Izayohiさんとの編集合戦になりつつあるというご指摘がありました。時間をおいて書き直したいと考えます。少なくともWikipedia:検証可能性に拠って、出典のないからと教条主義的に削除する態度はとりません。約束します。
ただし、2007年8月26日 (日) 02:40; Izayohi (会話 | 投稿記録) による版のようにノートで合意のないまま、独自にテンプレートを外す行為はアラシ行為ととられますので(例え、文章を更新したとしても、通常は合意の後で更新するのが筋と考えますが)合意がない状態では二度とテンプレ剥がしはしないようにお願いします。トンガリ松 2007年8月28日 (火) 09:16 (UTC)返信
ご無沙汰しております、sumaruです。いつの間にかご活動を再開なさっていたようで何よりです。さて、ノストラダムス、エジプト秘儀論ともにフィチーノ訳についてご加筆なさり、特に後者ではノストラダムスが直接引用したかのように書かれていますが、出典を教えていただけないでしょうか。ブランダムールやラメジャラーはともにクリニトゥスからの孫引きという立場です︵Brind'Amour [1996], Lemesurier [2003]. ブランダムールはコルネリウス・アグリッパからの孫引きの可能性も指摘していますが︶。ここしばらくの研究で、フィチーノ訳を直接参照したとする見解がとっさには思い当たらないため、気になりました。複数の記事に関わるので記事のノートでなく、こちらにお邪魔致しました。お手数ですがよろしくお願い致します。--Sumaru 2007年10月3日 (水) 13:39 (UTC)返信
マルグリット・ド・フランス_(1523-1574)を立てておきました。
追い討ちをかけるようなことを書くべきか迷いましたが、﹁以後はしません﹂というごく短い表明ではご自身の問題点を自覚なさっているか不明でしたので、非礼は承知の上であえて書くことにします。
貴方の問題点を端的に述べるなら﹁視野がせますぎる﹂ということに尽きると思います。百科事典は﹁知っていること﹂や﹁書きたいこと﹂を文脈や全体像も考えずに書き散らせばいいというものではないはずです。
●アンリ2世の例で言えば、﹁娘特別のため生存年追加﹂とありますが、何が﹁特別﹂なのでしょうか。同じ名前がいるから区別のためにということでしょうけれど、そんなものはフランソワもマドレーヌもシャルルも同じです。兄弟の記述は多分クロード・ド・フランスあたりから何も考えずに引っ張ってきたのだろうと思いますが、他の兄弟に肩書きがついているのは、同名の人物と区別するためのはずです。マルグリットだけ生没年にするのは統一性を欠いています。
●そもそもマルグリット・ド・ヴァロワ_(曖昧さ回避)すら読まずにマルグリットが一人だけと思い込み、それが不適切だと指摘されると、マルグリットは﹁特別﹂だと早合点して余計な編集をし、それも不正確だと指摘されると、﹁じゃあ勘違いしないようにお前が新記事を作っとけ﹂とは、随分と短絡的に過ぎませんか。
●あなたにしてみれば他の人が自分と同じ勘違いしないように書いてあげたのに、というお気持ちがあったのでしょうが、ほんの数分前までご自分が知らなかったことを、ろくな追加調査もやらずに書き飛ばすのは、﹁誤りがネットに蔓延しないよう修正する﹂という貴方の方針にも反するはずです︵現に間違っていたわけですし︶。
●ノストラダムスのこの差分もそうですね。この時点では文脈を理解せずに、書きたいことだけ書こうとしたことが明らかです。
●予言集のこの差分もそうです。︵これに関してはギリシャ神話とローマ神話を混同したバカな私にも大いに反省すべき点はありますし、直していただいたことには感謝します。しかし︶ノストラダムスの記事で﹁神話詳細﹂を語る必然性がどこにあるのでしょうか。﹁詳細﹂はリンク先を見るべきで、さしあたって﹁その記事にとって必要な情報﹂が書かれていれば十分なはずです︵パレやウェサリウスへの言及を削ったのも同じ理由です︶。
ご自身の利用者ページには﹁何も知らない事、何も知りえない事を自覚する。﹂とありますが、私には﹁自分の知っていることが全て﹂というスタンスで執筆なさっているようにしか思えません。個人的な例を挙げますが
●マルグリット・ド・フランス_(1523-1574)は1559年︵と多分1561年︶にノストラダムスと会って、占ってもらっています。このネタは結構有名ですが、今回マルグリットを立てるにあたっては書きませんでした。現状の記述量でそういう細かいネタを入れると全体のバランスが崩れるからです。
ウィキペディアの編集者は、程度の差はあれ、こんな風に﹁書くこと﹂と﹁書かないこと﹂の吟味をして、文脈上不適切だと思えばあえて書かないといったことをしているのではないかと思いますが、貴方の加筆には余りそういう吟味をした形跡が見受けられません。
古い話をほじくり返すようで恐縮ですが、貴方がかつて無意味なカテゴリを複数作って削除されたことや、新暦・旧暦の問題で独善的な修正をしたことも、﹁全体像を考えずに目先だけ見て突っ走った﹂という点で根は同じ問題だと思います。加筆なさる場合には、﹁その記述はその記事にとって必要か﹂﹁必要だとしても、その場所にその形で埋め込むことが適切か﹂といったことをよく吟味なさってください︵この言葉には自戒も含めています︶。
ついでですが、経験の長いユーザーさんなのですからプレビュー機能はきちんとお使いください。--Sumaru 2007年10月15日 (月) 13:58 (UTC)返信
こんにちは。Izayohiさんが同じ記事に対して節ごとに分けて連続して投稿されているようでしたので、一括投稿のお願いに参りました。Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすにあるとおり、同じ記事への連続投稿はウィキペディアのサーバに負荷がかかるうえ、履歴の見通しが悪くなるなど、さまざまな面で支障をきたすおそれがあります。細かい節がたくさんある場合は、節ごとに細かく投稿をするのではなく、上位の節または項目全体の編集を行い、一括して投稿していただきますようにお願いいたします。
1の部分がプレビューを実行できるボタンです。
その際に細かいところでミスを起こすのではないかと心配な場合は、﹁投稿する﹂ボタンの右隣にある﹁プレビューを実行﹂ボタンを活用されることをお勧めします︵画面右側の図を参照︶。投稿される前に﹁プレビューを実行﹂のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。これを使うことで、
●マークアップ
●リンク
●誤字脱字
などをあらかじめチェックし、修正した上で記事を投稿することができますので、是非ともご活用ください。
また、編集競合を避けたい場合は、Template:工事中をお使いください。ご迷惑をおかけしますが、ご理解とご協力をよろしくお願いします。--Baioextra 2008年1月31日 (木) 22:25 (UTC)
こんにちは、はじめまして。Janus01と申します。ノート:日本のことわざではお名前を拝見しておりました。
さて、遺伝子プール2007年10月14日 (日) 06:00のご投稿において、要約欄に﹁一卵性双生児でも遺伝子は完全には一致しない﹂と書いていらっしゃいますね。不思議に思いましたので、一卵性双生児、双子研究、エピジェネティクスなどを参照いたしました。ウィキペディア記事を信頼することには危険が伴いますけれど、この三種類の記事内容を見ると﹁一卵性双生児の︵胚発生時の︶遺伝子型は完全に一致し、成長するにつれて表現型が後天的に違ってくる﹂と解釈いたしました。もちろん、例外的には免疫系細胞︵詳細は覚えていません^^;︶と生殖系列細胞の場合、一卵性双生児でも遺伝子の構成に違いがあるとは思います。
以上、前振りが長くなってしまいましたが、﹁一卵性双生児でも遺伝子は完全には一致しない﹂その理由をご教示いただけませんでしょうか︵元の記述が復帰している理由について、IzayohiさんとYu-kuboさんとお話し合いのログがどこかにあるのでしたら、的外れなお願いと存じますが^^;︶。
最後に、突然押しかけてのお願いで不躾なこと、お詫び申し上げます。--Janus01 2008年5月9日 (金) 09:00 (UTC) 誤植訂正--Janus01 2008年5月9日 (金) 09:07 (UTC)返信
こんにちは、ウィーダおよびその関連項目から来ました。記事を一部の書体を変えたみたいですけどこれはいかなる主旨によるものでしょうか。どうも原著を示す文字にそうされたみたいですけどかえって読みづらくなった印象がありましてこれはちょっとどうかなあと考えたわけです。紙媒体の事典ならそうした傾向が確かにありますがネットのものとなるとやや勝手が違うわけですね。記事自体を改変する事につきましてはどの記事でももとより常時行われている事ですので何とも言う事はありませんが、他の方々が読んだ場合を考慮に入れてあの書体を差し挟むのはちょっとどうかと思いました。まあ、全くつまらない用件ですけどすいません。当方も色々とデータの寄せ集めを細々と書いていただけなので意見するのもどうかと思いましたけど…--東京大仏 2008年9月11日 (木) 10:41 (UTC)返信
●初めまして、kmrtと申します。チャンバラあるいは剣戟映画関連のご編集を拝見いたしました。ありがとうございます。ご編集において、剣戟映画に関して、日本のものに関して、ことごとく﹁剣戟﹂あるいは﹁剣戟映画﹂の語を排し、俗語である﹁ちゃんばら映画﹂する編集をなさっています。﹁剣戟映画﹂の語については、東京国立近代美術館#フィルムセンターの公式サイト等でご覧になるのがいちばん簡単かと存じますのでご案内いたします。Izayohiさんが俗称の﹁ちゃんばら映画﹂に修正されたような作品は﹁剣戟映画﹂と日本語で呼ばれております。ウィキペディア日本語版においても、俗称ではなく﹁剣戟映画﹂と表記されるべきではないでしょうか。もちろん俗称をことごとく排す考えではないことは、そのことを本文中に明記してあるつもりです。
●項目﹁剣戟映画﹂に関しては、ほかにもJdateテンプレートを作品一覧にまで付す編集をしていらっしゃいました。作品一覧には和暦を付さないのがWikipedia:ウィキプロジェクト 映画では通例になっているからで、本文中に関しては、そもそも誤りのない西暦・和暦併記であったものであり、Template:Jdateにも、誤りのないものまでもことごとくテンプレートに置換すべきというようなガイドラインもないように見受けられました。そこで同項目についてはリバート致しましたことをご報告いたします。ご理解いただければと存じます。
●俗称の﹁ちゃんばら映画﹂に関しては、日本語においては、ハリウッド剣戟であっても、フランス剣戟であっても、また香港剣戟︵武侠映画︶であっても、日本の俗称に倣い、﹁ちゃんばら映画﹂と呼ばれることがしばしばあります。この事実に関しては、チャンバラ、剣戟映画双方に記述する必要はあると考えておりました。リダイレクトの2項目チャンバラ映画、ちゃんばら映画のリダイレクト先をIzayohiさんのご編集のように、剣戟映画#日本とすることも検討いたしましたが、﹁剣戟映画﹂全体に向けたのは、そのような事実を加味したものでした。
●以上、Izayohiさんがちゃんばらないしは剣戟映画に関してお考えがおありと考え、意見交換ができればと存じまして、ご報告かたがた参りました。よろしくお願いいたします。--Kmrt 2009年11月1日 (日) 05:25 (UTC)返信
当方は素人であるにもかかわらず、報告ありがとうございます。とりあえずのお返事は以下のとおりです。--Izayohi 2009年11月3日 (火) 14:46 (UTC)返信
●剣戟映画が正式名称という出典を加筆願います。東京国立近代美術館#フィルムセンター公式サイトをのぞかせてもらいましたが剣戟映画が公式の名称であるという出典について発見できませんでした。ちなみに剣戟映画を検索するとCiNii - NII論文情報ナビゲータでは1件、Google Scholarでは1件︵剣戟映画俳優が該当︶・Googleでは2,250件、ちゃんばら映画ではCiNii - NII論文情報ナビゲータでは該当なし、Google Scholarも該当なし・Google 3,010 件、チャンバラ映画ではCiNii - NII論文情報ナビゲータでは29件、Google Scholarでは31件・Google では14,200件でした。
●Template:Jdate適用については記事容量減少のために適用しています。なお当方︵及び年配の人︶は西暦では実感がわきませんので和暦併記のほうがわかりやすいのですが。
●日本語の﹁ちゃんばら映画﹂の範囲についても出典を加筆願います。
記事 眉村卓 においてあなたが行った愚劣な編集をリバートし、以下のようなメッセージをノートに記しておきましたが、念のために、ここにも同文を載せます。記事を劣化させるような愚劣な編集は行わないこと、自分の知らないことには容喙しないこと、こう言ったことを自覚して頂きたいとお願いします。--千億の夜 2011年1月28日 (金) 23:35 (UTC)返信
- Izayohi氏というユーザーの編集をリバートしました。箇条書きにして一体何の意味があるのか、単に可読性を著しく損ねる結果しかもたらしていません。元は、記事の文章として連続した流れがあって読みやすかったものが、箇条書き化によって、可読性がなくなってしまっています。Izayohi氏はかような編集は今後一切なさらないように願いたく思います。こういう行為は、記事を劣化させる行為であり、他人の修正の手が必要になります。また色々な記事を編集されているようだが、「知らないこと」には手を出さないように願いたいものです。(転記 --千億の夜 2011年1月28日 (金) 23:35 (UTC))返信
はじめまして。ドルイドの項目を更新しようとしているものです。
Izayoshiさんが過去に行った更新[3]についてお尋ねしたいことがあります。
この﹁はじめは一人で全ての役目を果たしていたが、後に次の3つに専門化した。﹂という部分について出典をご存知でしたら教えていただけないでしょうか。
ドルイドに関する本を数冊読んだのですがどうも自分にはそのようには思えなかったのです。なお私は素人でかつ以後の発言は一次資料にあたっていない孫引きであることを予めお断りしておきます。誤り等ございましたらご容赦ください。
まずストラボンの﹃地理書﹄の中に以下の記述があります。﹁特別な尊敬を集めている三つの階級がある。バード、ウァティス、ドルイドがそれだ。﹂
またシケリアのディオドロスも著書の中でバードが既に存在していたことを述べています。
ローマ側のドルイドを記した物の中では最古の部類にあたるこれらの文献で既に三階級についての言及があることになります。
これより以前のドルイドについて触れた文献となると相当限られていて、(私が調べた限りでは)ギリシアのティマエオスかポセイドニオスによる物かしか残っていないようです。
もう10年も前に更新された内容ですから今更こんな質問をされてもご迷惑かもしれませんが、宜しければお願いします。--雲霞︵会話︶ 2015年9月26日 (土) 15:27 (UTC)返信