「古史古伝」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m 114.161.198.74 (会話) による版を Los688 による版へ巻き戻し |
m Fix typo |
||
(18人の利用者による、間の25版が非表示) | |||
1行目:
{{複数の問題
'''古史古伝'''(こしこでん)とは、[[日本]]の[[古代]]史で主要資料とされている「[[記紀]](『[[古事記]]』と『[[日本書紀]]』)」などの史料とは著しく異なる内容[[歴史]]を伝える文献を一括して指す名称。種類が多い。また'''超古代文献'''・'''超古代文書'''ともいう。なお、古史古伝は今のところ、いずれも学界の主流からは[[偽書]]とみなされている。[[武功夜話]]や百輪中旧記などのように[[中世]]以後の歴史を記した偽書もあるが、古代の特に古い時代に無関係な文献は古史古伝とは呼ばれない。▼
|出典の明記=2022年7月21日 (木) 12:02 (UTC)
|独自研究=2022年7月21日 (木) 12:02 (UTC)}}
'''古史古伝'''(こしこでん)とは、[[古代]]史の主要な史料([[日本]]の場合なら『[[古事記]]』や『[[日本書紀]]』など)とは著しく異なる内容[[歴史]]を伝える文献を一括して指す名称。
種類が多く、また'''超古代文献'''・'''超古代文書'''ともいう。
▲ == 概論 ==
5 ⟶ 12行目:
#写本自体が私有され非公開である、などの理由で[[史料批判]]がなされる予定がなく、[[史料]]として使えないものも多い
#[[超古代文明]]について言及されている
#日本のものの場合、[[漢字]]の伝来以前に日本にあったという主張がある[[神代文字]]で綴られている
#日本のものの場合、[[上代特殊仮名遣]]に対応してない([[奈良時代]]以前の[[日本語]]は[[母音]]が
#成立したとされる年代より後(特に[[近代]]以降)の用語や表記法が使用されている
等々の理由で古代史研究における[[歴史学]]的な価値は 日本のものの場合、[[江戸時代]]成立とみられる文献もあり、それらには江戸時代的な特徴はあるが、近代以後の用語などは存在しない。ただし、いずれの「古史古伝」においても
現在では、近代における日本人の国家観・民族観への受容等のあらわれとして、文献の作成を行う者の[[思想]]に対する研究が始まったところであ 古史古伝を含む[[偽史]]の作成は、それが作成される社会と時代における[[時代精神]]を反映している。[[原田実 (作家)|原田実]]は[[オウム真理教]]が偽史運動から登場した事を指摘している<ref>原田実著「トンデモ偽史の世界」(楽工社 2008年9月) 終章「現代日本の偽史運動」</ref>。実際に教祖の[[麻原彰晃]]は、古史古伝に登場する
== 名称由来 ==
第2次世界大戦前には﹁神代史﹂﹁太古史﹂など言われ、戦後︵1970年代頃まで︶には[[吾郷清彦]]が﹁超古代文書﹂と呼んでい また同じ頃、[[武田崇元]](武内裕)は「偽書」「偽史」「偽典」などと発言、しかし「[[偽書]]」「[[偽典]]」は用語としてすでに確立した別の定義が存在しており紛らわしいので、やがて「偽史」という言い方に統一されていった。
「古史古伝」という言い方は、吾郷清彦が著書『古事記以前の書』(大陸書房、[[1972年]])で最初に提唱したもので、この段階では「古典四書」「古伝三書」「古史三書」とされていたが、著書『日本超古代秘史資料』(新人物往来社、[[1976年]])では、「古典四書」「古伝四書」「古史四書」「異録四書」に発展した。▼
▲﹁古史古伝﹂と 下記の分類は前述の『日本超古代秘史資料』を基本としているが、その後、他の文献写本が発見されるに従って吾郷清彦自身によって徐々に改訂が繰り返され増殖していった。その分として若干の補足を加えてある。
30 ⟶ 38行目:
*『[[先代旧事本紀]]』(旧事紀)
*『[[古語拾遺]]』
﹃古語拾遺﹄を除いて﹁古典三書﹂ともいう。この﹁古典四書﹂︵または古典三書︶という分類は、異端としての超古代文書に対して正統な[[神典]]としての比較対象のための便宜的な分類であり、﹁古典四書﹂はいわゆる超古代文書︵古史古伝︶ではなく、通常の﹁神典﹂から代表的・基本的な四書を出したもので、実質は しかし
▲﹃古語拾遺﹄を除いて﹁古典三書﹂ともいう。この﹁古典四書﹂︵または古典三書︶という分類は、異端としての超古代文書に対して正統な[[神典]]としての比較対象のための便宜的な分類であり、﹁古典四書﹂はいわゆる超古代文書︵古史古伝︶ではなく、通常の﹁神典﹂から代表的・基本的な四書を出したもので、実質は﹁[[神典]]﹂の言い替えにすぎない。︵[[神典]]の範囲をどう定めるかは古来諸説があるがこの四書に加えて﹃[[万葉集]]﹄﹃[[風土記|古風土記]]﹄﹃[[新撰姓氏録]]﹄などをも含むことが多い︶。 同様に﹃[[天書]]﹄︵﹃天書紀﹄ともいう︶・﹃[[日本 ▲しかし﹃先代旧事本紀﹄については若干の説明が必要である。﹃先代旧事本紀﹄は江戸時代以来、[[偽書]]であるとの評価が一般的であり、当然、吾郷清彦も最初からそれを認識していた。しかしまた同時に、通説と同様に、その価値を全面否定はせず、記紀に次ぐ重要な﹁[[神典]]﹂とみなされてきた事実には変わりない、と︵記紀ほどではないが︶評価もしていたのである。 『先代旧事本紀』または『天書』と似たような位置にある史書として『[[住吉大社神代記]]』がある。[[天平]]年間成立とされているが[[平安時代]]中期頃の偽書と考えられ
▲同様に﹃[[天書]]﹄︵﹃天書紀﹄ともいう︶・﹃[[日本国総風土記]]﹄・﹃[[前々太平記]]﹄の三書を異端古代史書として古史古伝と同様に扱おうとする説︵田中勝也など︶もあるが、このうち﹃天書﹄は古史古伝の類とはいえず、他の二書も超古代文書というほどの内容をもっているわけではない。これらは古典四書の周辺的な類書であり、古史古伝の同類とみなされかねない異端古代史書とはいえても、超古代文書だとか古史古伝そのものに入れるのは相当な無理がある。 通常の古代史書が、解釈によって古史古伝と同様の内容があるとされる
▲﹃先代旧事本紀﹄または﹃天書﹄と似たような位置にある史書として﹃[[住吉大社神代記]]﹄がある。[[天平]]年間成立とされているが[[平安時代]]中期頃の偽書と考えられる。今のところこれを古史古伝扱いする議論は出現してないようである。﹃[[神道五部書]]﹄は、奈良時代以前の成立とされているが[[鎌倉時代]]の偽書と考えられている。﹃神道五部書﹄は直接には古史古伝ではないが、そのうちの﹃[[倭姫命世紀]]﹄と﹃[[神祇譜伝図記]]﹄に神代の治世の年代が記されており、これが古史古伝の幾つかにある[[ウガヤフキアエズ王朝]]と同質の発想があるという指摘がある<ref>歴史読本1988年11月号 特集﹁消された歴史書﹁古史古伝﹂﹂所収 菅田正昭﹁﹁神道五部書﹂にみる古史古伝の成立事情﹂</ref>。 ▲通常の古代史書が、解釈によって古史古伝と同様の内容があるとされる事もある。吉田大洋は﹃古事記﹄が[[シュメール語]]で読めると主張したが、その解釈には超古代史的な内容もある<ref>吉田大洋著﹁謎の出雲帝国﹂︵徳間書店 1980年5月︶</ref><ref>歴史読本1988年11月号 特集﹁消された歴史書﹁古史古伝﹂﹂所収 吉田大洋﹁﹁古事記﹂はシュメール語で書かれた﹂</ref>。[[高橋良典]]は﹃新撰姓氏録﹄を超古代史書として解釈している<ref>高橋良典著﹁謎の新撰姓氏録﹂︵徳間書店 1980年2月︶</ref>。これらは吉田大洋や高橋良典の解釈説の内容が超古代史なのであって、本文そのものが超古代史なわけではない。 === 古伝四書 ===
50 ⟶ 57行目:
この「古伝四書」は全文が神代文字で書かれているという外見上の体裁による分類であって、内容に基づく分類ではない。
また、『[[フトマニ]]』という書がある。この『[[フトマニ]]』は普通名詞の[[太占]](ふとまに)と紛らわしいので吾郷
=== 古史四書 ===
82 ⟶ 89行目:
*『[[香山宝巻]]』
*『[[宝巻変文類]]』
『宝巻変文類』を除いて東亜三書ともいう。
吾郷は「新しき世界へ」誌(日本CI協会刊)に寄稿した際「東亜四書」という項目を追加している。
87 ⟶ 96行目:
=== 泰西四書 ===
*﹃[[オエ *『[[:en:Oahspe: A New Bible|Oahspe: A New Bible]]』:オアフスペ、オアースプ等いろいろに読まれる。1882年出版。
*『[[モルモン経]]』
*﹁[[アカシックレコード|アカーシャ年代記]]﹂︵﹁アカシックレコード﹂ともいう<ref>[[ルドルフ・シュタイナー]]の著作﹃[[アカシャ年代記より]]﹄のこととは限らない。﹃アカシャ年代記より﹄の著述の元になったもので、目に見えないがすべての過去の事実の跡が虚空︵[[アーカーシャ]]︶に刻まれて記録されており、特定の能力のある者がそれを読み取ることができるという。ただし﹁アカーシャ年代記﹂︵=アカシックレコード︶そのものは現界に書物として存在しているわけではなく、吾郷がここで 「アカーシャ年代記」を除いて泰西三書ともいう。
他に[[ジェームズ・チャーチワード]]が実在を主張した﹁[[ナーカル碑文]]︵[[:en:Naacal|Naacal]]︶﹂、ヘレナ・P・ブラヴァツキーが実在を主張した﹃[[ジャーンの書|ドゥジャーンの書]]﹄、﹁[[エメラルド・タブレット]]﹂、﹁[[トートの書]]﹂等がある。また﹃[[ネクロノミコン]]﹄は当初から小説の中の存在として発表されたが、実在と信じる人にとっては超古代文書の一種である。 99 ⟶ 109行目:
*『[[甲斐古蹟考]]』
*「[[阿蘇]][[幣立神社]]文書」(「高天原動乱の秘録」ともいう)
*﹃[[ *『[[真清探當證]]』(ますみたんとうしょう)
『真清探當證』を除いて地方三書ともいう。
﹃美しの杜物語﹄は[[神代文字]]で書かれて ===秘匿四書===
*「[[斎部文書]]」
*「[[清原文書]]」
*「[[久米文書]]」
*「[[大伴文書]]」<ref>『ウエツフミ』の別名である「大友文書」とは無関係。</ref>
「大伴文書」を除いて秘匿三書ともいう。
上記の四書は未確認文献である。これらの これら四書よりはいくらか知名度のあったものとして﹁[[安倍文書]]﹂がある。戦前からの研究者である[[山根キク]]や[[大野一郎]]らによって、安倍文献もまた神代文字を伝えているとか竹内文献と共通する内容があるとかウガヤフキアヘズ朝についての記述があるとか、様々な説が広がっていた。また'''安倍ではなく﹁安部﹂または﹁阿部﹂'''とする説もあった。﹁'''安部'''文書﹂とする説ならば実在するものの、原田実・森克明編の﹁古史古伝事典﹂︵別冊歴史読本編集部編﹃古史古伝の謎﹄所収︶によると﹁安部文書﹂で現在までに見つかっているのは安部家の系図や寺社縁起のみであって、その中に神代伝承は見いだせない。﹁'''阿部'''文献﹂とする説では、[[三浦一郎]]が﹃九鬼文書の研究﹄の中で、また[[宇佐美景堂]]は﹃命根石物語﹄の中で、ともに[[豊後]]の阿部家に伝わる古代文字文献について述べており、神武以前の天皇名などを伝えている個所があると主張していた。 ▲これらの他にもなお﹁[[大伴文書]]﹂<ref>﹃ウエツフミ﹄の別名である﹁大友文書﹂とは無関係。</ref>なるものが存在することが判明している<ref>熊野修験道の秘伝書という﹁天津蹈鞴秘文﹂について、伝承者の高松壽嗣はその一部を大伴氏の所伝とみなし、﹁大伴文書﹂と呼んでいたという。したがって﹁大伴文書﹂が実在するという言い方は可能だが、その中にウガヤフキアヘズ朝伝承は特に見出せない。</ref>。 == 一覧 ==
本項ででてきた書物のタイトル一覧。五十音順。
=== 古史古伝 ===
*「[[アカシックレコード|アカーシャ年代記]]」(「アカシックレコード」ともいう)
*「[[阿蘇幣立神社文書]]」(「高天原動乱の秘録」ともいう)
*「[[
*『[[異称日本伝]]』(これを古史古伝に加えるのは異論もあるが、本項の中では吾郷の判定に従う)<!-- 『』と「」は使い分けているので勝手に統一しないで下さい。 -->
*『[[伊未自由来記]]』(いみじ・ゆらいき)
*「[[斎部文書]]」(いんべもんじょ)
128 ⟶ 141行目:
*『[[OAHSPE]]』(オアフスペ、オアースプ等いろいろに読まれる)
*「[[大伴文献]]」
*『[[
*『[[忍日伝天孫記]]』(おしひのつたえてんそんき)
*『[[甲斐古蹟考]]』
155 ⟶ 168行目:
*「[[ナーカル碑文]]([[聖なる霊感の書]])」
*『[[南淵書]]』
*「[[宮下文書|富士高天原朝史]]」(いわゆる「富士谷文書」。「宮下文書」「富士宮下古文献」ともいう)
*『[[宝巻変文類]]』(これを古史古伝に加えるのは異論もあるが本項の中では吾郷の判定に従う)
164 ⟶ 176行目:
**『[[フトマニ|カンオシデモトウラツタヱ]]』(神璽基兆伝)
*『[[真清探當證]]』
*「[[松野連系図]]」
*「[[物部文書|物部秘史]]」(いわゆる「物部文書」)
*「[[守矢家文書]]」
*『[[モルモン経]]』
183 ⟶ 197行目:
*『[[神道五部書]]』
*『[[竹書紀年]]』
*『[[日本
*『[[穆天子伝]]』
*『[[封神演義]]』
189 ⟶ 203行目:
==脚注==
<references />
==注釈==
{{Notelist}}
== 参考文献 ==
|