「地獄 (キリスト教)」の版間の差分
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[[アウグスティヌス]]は﹃神の国﹄において、同種のことを書き、さらに死後の﹁肉体のない霊が不思議の方法であるにしても、実際に物資的な火であると言えないだろうか。なぜなら人間の霊は、勿論肉体とは違うが、今のところ肉体と結ばれているだけでなく、来世において肉体と解き放つことのできない方法で結ばれるからである﹂として、火の責め苦の現実性を強調し、また﹁﹁火と硫黄の池﹂とも言われるあのゲヘンナは、物資的な火であり、滅びた人の体を苦しめるだろう。人間も悪魔も苦しめるだろう。人間の場合は物資的な火があるものであり、悪魔の場合は存在物である。人間の体はその霊魂と共に、悪魔の霊は肉体なしに一緒に苦しみを受けるだろう﹂と公審判後の人と悪魔の受ける苦罰を描写している。<ref>アウグスティヌス﹃神の国﹄岩波文庫</ref> トマス・アクィナスも『神学大全』の中で同種の主張をし、さらに地獄においてもこの世で積んだ善徳に応じてその苦しみは和らげらる、とし、さらに地獄の人数が増えれば増えるほど、その苦しみも増していく、と説明している。ただし、「亡びた人々は、生きている人を亡びに誘うことはできない。それは悪魔のすることである」と、現世に対する亡者の介入の可能性を否定している。また、「地獄の火はそこに堕ちた者を自由勝手にさせないことを以って、大きな苦しみを与える。この者達は望むところにも、望む方法を以っても自由に行うことができない」と地獄の苦しみの一つとして、その不自由さを挙げている。<ref>『神学大全』創文社</ref>
==== 地獄に堕ちる者の割合 ====
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