大塚楠緒子
明治時代の歌人、作家
大塚 楠緒子︵おおつか くすおこ/なおこ、1875年8月9日 - 1910年11月9日︶は明治末に活躍した歌人、作家。美学者・大塚保治の妻。本名‥大塚久寿雄。別名‥久寿雄子・楠緒・楠緒子。
東京控訴院長・大塚正男の長女。東京女子師範附属女学校を卒業後、佐佐木弘綱・信綱の元で和歌を学んだ。1895年、小屋保治と結婚︵保治は大塚姓になった︶。
雑誌﹁太陽﹂1905年1月号に日露戦争に出征した夫の無事を祈る妻の心情を歌った﹁お百度詣﹂を発表した。また万朝報や朝日新聞に連載小説を発表するほか、ゴーリキー、メーテルリンクなどの翻訳や、絵画、ピアノなど多才であり、才色兼備と言われた。
1910年、流感に肋膜炎を併発し、死去。楠緒子の死後、夏目漱石は﹁あるほどの菊投げ入れよ棺の中﹂という句を詠んだ。︵﹃硝子戸の中﹄25︶
作品一覧
小説
- 応募兵(1894年)
- 暮ゆく秋(1895年)
- しのび音(1897年)
- 金時計(1900年)
- 離鴛鴦(はなれおしどり、1902年)
- 御新造(1905年)
- 炎(1905年)
- 湯の香(1905年)
- 七色(1905年)
- 客間(1906年)
- 露(1907年)
- 空薫(1908年)
- 空薫続編(1909年)…「空炷」という表記もある。
- 雲影(1910年)…大阪朝日新聞で連載中病気療養のため中断することになり、その後逝去したため未完となった。
短編集
- 晴小袖(1906年、短編・翻訳・戯曲集)
- 暁露集(1909年)
戯曲
- 綿帽子(1902年)
翻訳
軍歌
- 泣くな我子(1895年)
詩
- お百度詣(1905年)
分類不明
※「日本現代文学全集第10巻 樋口一葉集附明治女流文学」(1962年講談社刊)に掲載されている年譜による。なおこの本では「しのび音」と「お百度詣」が収録されている。
※分類不明は前記年譜で種類が記載されていなかったものを指す。