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{{脚注の不足|date=2018年5月}}
{{Redirect|天狗党|映画|天狗党 (映画)}}
 
{{Battlebox
|battle_name=天狗党の乱
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|place=[[水戸]]、[[筑波山]]→[[敦賀市|敦賀]]
|result=幕府軍の勝利、天狗党の降伏
|combatant1=[[幕府陸軍]][[Image:Flag_of_Japan.svg|15px]][[幕府陸軍]]<br />水戸藩兵([[諸生党]])<br>[[高崎藩]]兵、[[笠間藩]]兵ほか
|combatant2=天狗党<br />[[常陸宍戸藩|宍戸藩]]兵(大発勢)
|commander1={{flagicon|JPN1889}}[[田沼意尊]]<br />{{flagicon|JPN1889}}[[市川弘美|市川三左衛門]]<br />{{flagicon|JPN1889}}[[徳川慶喜]]
|commander2=[[武田耕雲斎]]<br />[[藤田小四郎]]<br />[[山国兵部]]<br />[[松平頼徳]]
|strength1=不明
|strength2=1,000
|casualties1=-
|casualties2=降伏(352人が斬首)
}}
''''''[[]][[1864]][[]][[]][[]]''''''<ref group=></ref>{{sfn| |1990|p=186}}
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== 背景 ==
=== 天狗党の発生 ===
[[]]12[[1829]]9[[]]8[[]][[]][[|]][[]]11[[|]][[]][[]][[]]101[[]][[]][[]][[]]1048179[[]]
 
''''''[[]]2[[1845]]10[[]][[]]{{sfn||2003|p=179}}'''''''''''''''''''''''' 西使{{sfn| |1990|p=186}}
 
[[]]寿[[]][[]][[]][[]]15[[1844]]510[[]][[]]6[[1853]][[]][[|]]
37行目:
 
=== 横浜鎖港路線の成立 ===
[[File:水戸藩小石川邸と後楽園(文久3年)、『御上京道記』、Koishikawa residence of Mito Domain atin 1863.jpg|thumb|小石川邸から[[京都]]へ出発する[[徳川慶篤]]の一行([[国立国会図書館]]蔵『御上京道記』より)]]
[[]]2[[1862]][[]][[]]318633[[]][[]][[]][[]][[]][[|]][[]]
 
[[3]]5[[]]退[[]]9{{sfn| |1990|p=192}}[[]][[]][[]][[]][[]][[]]2
 
4[[1864]]13[[]][[]]4218644[[]][[]]200300
82行目:
 
[[]][[ ()|]][[]][[]]99926[[]][[]]
 
[[105 ()|105]][[]]1,00043[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]]6[[1709]][[]][[ ()|]]155
 
{{sfn||1982|p=217}}[[]]使{{sfn||1988|pp=91-92}}{{sfn||1995|pp=382-383}}
 
=== 天狗党の西上 ===
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1116[[]]2004361120[[]][[ ()|]][[|]][[]]10[[]][[]][[]][[宿]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]]
 
[[]]4000宿[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[|]]122(18641231)([[]])宿[[|]]<ref>--201499134-135</ref>[[]][[]][[]][[]][[]][[]]
 
=== 投降 ===
[[1211 ()|1211]]宿[[]][[]][[|]]1712171865114
 
<ref group=>西2181934</ref>[[]]便20
 
8283521865[[31]]2[[24 ()|24]]24[[ ()|]]121351310216752016[[320]][[223]]
 
== 乱後 ==
[[]][[|]]{{sfn||1988|p=92}}
 
一方、遠島に処せられることになった[[武田金次郎]](耕雲斎の孫)以下110名の身柄は敦賀を領していた[[小浜藩]]に預けられていたが、家茂が死去して慶喜が将軍位に就くと、配流は中止されて謹慎処分へと変更されることになった。小浜藩主[[酒井忠氏]]は、先代の[[酒井忠義 (小浜藩主)|忠義]]が南紀派の中心人物の一人として安政の大獄を主導したことを怨む慶喜が小浜藩に復讐するのではないかと警戒し、金次郎らを[[若狭国]][[三方郡]][[佐柿]]([[福井県]][[美浜町 (福井県)|美浜町]])の屋敷に移して厚遇した。
 
慶応2年12月([[1867年]]1月)、天狗党の残党・[[中村勇吉]]、[[相楽総三]]、里見某ら複数名が乾退助(のちの[[板垣退助]])を頼って江戸に潜伏。当時、江戸[[築地]]土佐藩邸の惣預役(総責任者)であった乾退助は、[[参勤交代]]で藩主が[[土佐]]へ帰ったばかりで藩邸に人が少ないのを好機として、独断で彼等を藩邸内に匿う<ref>『幕末維新(第5編)』山内家史料刊行委員会編纂、672頁</ref><ref name="itagaki kun den">『板垣退助君伝 第1巻』[[栗原亮一]]、宇田友猪著、[[自由新聞|自由新聞社]]、1893年</ref>。
[[慶応]]4年([[1868年]])に[[戊辰戦争]]が勃発すると、金次郎ら天狗党の残党は、長州藩の支援を受けて京に潜伏していた[[本圀寺党]]と合流し、朝廷から諸生党追討を命じる勅諚を取り付けた。天狗党と本圀寺党(両者を併せて「さいみ党」と称した<ref group=注>細布(さいみ)と呼ばれる麻の、官軍支給品の陣羽織を着用していた。</ref>{{sfn|『武田金次郎』|2001|p=59}})は水戸藩庁を掌握して報復を開始し、今度は諸生党の家族らがことごとく処刑された。
[[File:Monument of Satsu Do Toubaku no Mitsuyaku.jpg|thumb|200px|「[[薩土密約|薩土討幕之密約紀念碑]]」<br>密約が締結される前段階として京都[[東山区|東山]]「近安楼」で会見がもたれたことを記念する石碑<br>京都市東山区([[祇園]])]]
慶応3年[[5月21日 (旧暦)|5月21日]](太陽暦[[6月23日]])、[[中岡慎太郎]]の仲介によって、[[土佐藩]]・[[板垣退助|乾退助]]と[[薩摩藩]]・[[西郷隆盛]]の間で締結された'''[[薩土討幕の密約]]'''では、この浪士らの身柄を土佐藩邸から薩摩藩邸へ移管することも盛り込まれた<ref name="itagaki kun den" />。翌[[5月22日 (旧暦)|5月22日]](太陽暦[[6月24日]])に、乾は薩摩藩と締結した密約を[[山内容堂]]に稟申し、同時に勤王派水戸浪士を江戸藩邸に隠匿している事を告白。土佐藩の起居を促すと、容堂はその勢いに圧される形でこの軍事密約を承認し、退助に軍制改革を命じた。土佐藩は乾を筆頭として軍制改革・近代式練兵を行うことを決定。薩摩藩側も[[5月25日 (旧暦)|5月25日]](太陽暦[[6月27日]])、薩摩藩邸で重臣会議を開き、藩論を武力討幕に統一することが確認された。慶応3年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]]([[1867年]][[10月6日]])、土佐藩お抱えの刀鍛冶・左行秀(豊永久左衛門)は、乾退助が江戸築地の土佐藩邸(中屋敷)に天狗党残党(筑波浪士)を隠匿し、薩摩藩が京都で挙兵した場合、退助らの一党が東国で挙兵する計画を立てていると、土佐藩重役・[[寺村道成|寺村左膳]]に対し密告を行った。行秀は乾退助が水戸浪士・[[中村勇吉]]に宛た書簡の写しを証拠として所有しており、退助の失脚を狙って左膳に密告したものである<ref name="『土佐維新史料』書翰篇1">『土佐維新史料』書翰篇(1)</ref>。「この事が容堂公の耳に入れば、退助の命はとても助からないであろう」と言う話を漏れ聞いた[[清岡公張]](半四郎)は、[[土佐勤王党]]の一員であった島村寿太郎([[武市瑞山]]の妻・富子の弟で、瑞山の義弟)に乾退助を脱藩させることを提案。島村が退助に面会して脱藩を勧めた。しかし、退助は容堂の御側御用役・西野友保(彦四郎)に対し、水戸浪士を藩邸に隠匿していることは、既に5月22日([[薩土討幕の密約]]締結を報告の際)に自ら容堂公へ申し上げている事であるため、既に覚悟は出来ており御沙汰を俟つのみであると返答している。果たしてこれに対して容堂は「退助は暴激の擧(きょ)多けれど、毫(すこし)も邪心なく私事の爲に動かず、群下(みな)が假令(たとへ)之(これ)を争ふも余(容堂)は彼(退助)を殺すに忍びず<ref name="Meijikoushinroku">『明治功臣録』明治功臣録刊行會編輯局、大正4年(1915年)</ref>」と答えたため事なきを得る<ref name="ishin keireki"> 板垣退助『維新前後経歴談』(所収『維新史料編纂会講演速記録(1)』159頁、『板垣退助君戊辰戦略』他より。</ref>。慶応3年10月、この浪士たちが、土佐藩から[[薩摩藩]]へ移管されると、西郷の意を受けて[[庄内藩]]などを挑発し[[戊辰戦争]]の前哨戦となる'''[[江戸薩摩藩邸の焼討事件]]'''へ発展した<ref name="itagaki kun den" />。
 
[[]]413[[1868]][[127]][[]][[]][[]]<ref group=></ref>{{sfn||2001|p=59}}2[[]][[]][[]][[]]
 
[[]][[]]929[[]]106[[]]
118 ⟶ 122行目:
 
== 行程 ==
元治元年11月1日'''大子'''発 -2日 '''川原''' -3日 '''越堀''' -4日 '''高久''' -5日 '''矢板''' -6日 '''小林''' -7日 '''鹿沼''' -8日 '''大柿''' -9日 '''葛生''' -10日 '''梁田''' -11、12日 '''太田''' -13日 '''本庄''' -14日 '''吉井''' -15日 '''下仁田''' -16日 '''本宿''' -17日 '''平賀''' -18日 '''望月''' -19日 '''和田''' -20日 '''下諏訪''' -21日 '''松島''' -22日 '''上穂''' -23日 '''片桐''' -24日 '''駒場''' -25日 '''清内路''' -26日 '''馬籠''' -27日 '''大井''' -28日 '''御嵩''' -29日 '''鵜沼''' -30日 '''天王''' -12月1日 '''揖斐''' -2日 '''金原・日当''' -3日 '''長嶺''' -4日 '''大川原''' -5日 '''秋生''' -6日 '''中島''' -7日 '''宝慶寺''' -8日 '''薮田''' -9、10日 '''今庄''' -11日 '''新保'''
 
== 処刑対象 ==
249 ⟶ 253行目:
*諸生党によって斬首された田丸稲之衛門の次女・八重は、まだ17歳の若さながら下記の句を残した。
:''引きつれて死出の旅路も花ざかり''
*{{Sfn||2015|p=372}}[[]]{{Sfn||2015|p=372}}{{Sfn||2015|p=372}}[[]]
*[[]]<ref>{{Cite book||title=|date=2015|year=|publisher=|pages=281}}</ref>
*敦賀の古老が身近な人々に語った(戦時中頃か)ことによれば、天狗党の処刑は公開で行われたので見物に行ったが、引き出された党員は逃亡を阻止するためか両足を竹に括られていたという。
258 ⟶ 262行目:
*天狗党の処刑地である[[敦賀市]]は、昭和40年([[1965年]])に[[水戸市]]と[[姉妹都市]]となっている。悲惨な待遇や処刑は幕府軍が行ったもので、地元の小浜藩は当時から同情的であったとされている。
 
=== 慰霊碑等 ===
[[ファイル:Mito-resshi-tsuito-no-hi.jpg|thumb|水戸烈士追悼碑]]
* 353[[]]71874353411西1010291954
*昭和44年(1969年)、水戸市松本町に天狗党員を祀った[[回天神社]]が建立された。昭和32年(1957年)に敦賀市から水戸市常磐町の[[常磐神社]]に移築された鰊蔵が、平成元年(1989年)に回天神社境内に再移築され「回天館」として天狗党資料の展示が行われており、扉や板壁などには天狗党員の絶筆が残されている。
* 群馬県甘楽郡[[下仁田町]]には、下仁田町歴史館に「元治元年水戸天狗党下仁田戦争懐古碑」及び、天狗党の変145年記念として植樹された「烈公梅」があり、山際稲荷神社(山際公園)に[[小松宮彰仁親王]]揮毫による「義烈千秋の碑」、及び「維新之礎碑」が、本誓寺等に天狗党員、高崎藩士の墓がある。町内下小坂には[[勝海舟]]揮毫による「高崎藩士戦死之碑」が建てられており、高崎藩本陣が置かれた里見家の蔵には下仁田戦争時の弾痕が残っている。
*天狗党員の家族らが処刑された水戸赤沼牢跡には慰霊碑が建てられている。
* 長野県諏訪郡[[下諏訪町]]の[[和田峠 (長野県)|和田峠]]古戦場付近には天狗党戦死者を供養する「浪人塚」がある。
*茨城県[[ひたちなか市]]には那珂湊の戦いに関しての石碑等が多く存在し、鶴代地区には、部田野原での戦闘の戦死者を葬った「首塚」及びこれを供養した「忠勇戦士の墓」と「天狗党員墓」があり、三反田地区の百色山見本林には「天狗党百色山戦場供養碑」がある。中根堂山墓地には幕府側で戦った福島藩士を葬った「元治甲子乱戦死墓」があり、田彦地区には田彦宿の戦闘で戦死した宇都宮藩士9人を葬った「宇都宮藩士九人之墓」および役夫2人の「宇都宮藩役夫両人之墓」がある。また、天狗党本陣があった聴法寺には「筑波勢本陣跡」の碑が、和尚塚古墳には、部田野原での戦闘における天狗党の陣跡として「天狗勢稲荷山陣地跡」の石碑が建てられている。
*茨城 岐阜県[[鹿嶋中津川市]]には天狗党、和田峠一隊大平組戦い所属おいて銃撃により負傷し、敵に首を奪わまいとして切腹処刑され23人の「天狗党[[横田元綱]]墓」首塚がある。
*茨城 埼玉県[[笠間深谷市]]池野辺[[血洗島]]の薬師堂には、同所に葬られた天狗党員の首塚2名を供養する[[渋沢栄一]]書による「水藩烈士弔魂碑」がある。
 
*茨城県笠間市大田町の養福寺には天狗党殉難碑がある。
=== TVドラマ茨城県 ===
*茨城県[[行方市]]には[[麻生藩]]に処刑された天狗党員を供養する「天狗塚」、[[大宮神社]]境内には天狗党の忠魂碑がある。
* 441969[[]]321957[[]]1989
*茨城県[[つくば市]]の[[筑波山神社]]には天狗党の顕彰碑及び藤田小四郎の像がある。
* 天狗党員の家族らが処刑された水戸赤沼牢跡には慰霊碑が建てられている。
*栃木県那須郡[[那須町]]には[[八溝山]]で破れ、処刑された天狗党「浮浪徒十四人墓」がある。
* [[]]宿92
*栃木県[[栃木市]]の[[太平山 (栃木県)|太平山]]には天狗党の記念碑がある。
*福島県東白川郡 [[棚倉町鹿嶋市]]には八溝山で破れて[[棚倉藩]]天狗党の一隊大平組所属し処刑された23人の「天狗党員を供養するため、藩主[[松平康英]]が建立した「三界万霊塔の墓」がある。
* [[笠間市]]池野辺には天狗党員の「首塚(天狗塚)」や「胴塚」がある。同市大田町の養福寺には天狗党殉難碑がある。
*福島県東白川郡[[塙町]]の「道の駅はなわ」敷地内には「田中愿蔵刑場跡」の碑があり、茨城県つくば市の普門寺には田中愿蔵らを鎮魂する「田中忠蔵隊陣営の跡」の石碑がある。茨城県[[常陸太田市]]東連地には「田中愿蔵生誕の地」の石碑がある。
*茨城県 [[行方市]]には[[麻生藩]]に処刑された天狗党員を供養する「天狗塚」、[[大宮神社 (行方市)|大宮神社]]境内には天狗党の忠魂碑がある。
*[[]]145[[]][[]]
* [[つくば市]]の[[筑波山神社]]には天狗党の顕彰碑及び藤田小四郎の像がある。また、[[栗原村 (茨城県)|栗原]]地区には土浦藩によって当地で討伐された19人を供養した天狗塚がある。<ref group=注>但し横瀬夜雨の『天狗塚』では、討伐されたのは12人のはずが昭和の改葬の際に掘り出したところ19人分の骨が出てきたとされ、素人の数え間違いか古い塚か墓に投げ込んだからではないかと推測している。</ref>
*長野県諏訪郡[[下諏訪町]]の[[和田峠 (長野県)|和田峠]]古戦場付近には天狗党戦死者を供養する「浪人塚」がある。
 
*岐阜県[[中津川市]]には、和田峠の戦いにおいて銃撃により負傷し、敵に首を奪わまいとして切腹した[[横田元綱]]の首塚がある。
=== 栃木県 ===
*埼玉県[[深谷市]]血洗島の薬師堂には、同所に葬られた天狗党員2名を供養する[[渋沢栄一]]書による「水藩烈士弔魂碑」がある。
*栃木県 那須郡[[那須町]]には[[八溝山]]で破れ、処刑された天狗党「浮浪徒十四人墓」がある。
*栃木県 [[栃木市]]の[[太平山 (栃木県)|太平山]]には天狗党の記念碑がある。
* [[]][[]]{{sfn| |1972|p=10}}
 
=== 福島県 ===
* 東白川郡[[棚倉町]]には八溝山で破れて[[棚倉藩]]に処刑された天狗党員を供養するため、藩主[[松平康英]]が建立した「三界万霊塔」がある。
*福島県 東白川郡[[塙町]]の「道の駅はなわ」敷地内には「田中愿蔵刑場跡」の碑があり、茨城県つくば市の普門寺には田中愿蔵らを鎮魂する「田中忠蔵隊陣営の跡」の石碑がある。茨城県[[常陸太田市]]東連地には「田中愿蔵生誕の地」の石碑がある。
 
== 関連作品 ==
=== 小説 ===
* [[島崎藤村]] 『[[夜明け前]]』(新潮文庫、岩波文庫ほか)
* [[大佛次郎]] 『[[天皇の世紀]]』(朝日新聞社、文春文庫
* 光武敏郎『天狗党が往く』(秋田書店)
* [[山田風太郎]]『魔群の通過 天狗党叙事詩』(文春文庫)
287 ⟶ 298行目:
* [[横山光輝]]「飛猿斬り」(講談社文庫『火盗斬風録』収録)
* [[吉村昭]]『天狗争乱』(新潮文庫、朝日文庫)
::[[1994年]]度の[[大佛次郎賞]]受賞作。
* 杉田幸三『天狗党血風録』(毎日新聞社)
* [[伊東潤]] 『義烈千秋 天狗党西へ』(新潮文庫)
* {{Cite book |和書 |author= 大石忠良|year= 2001|title= 武田金次郎』(|publisher= 近代文芸社|ref={{sfnref|『武田金次郎』|2001年)}}}}
* 穂積忠『忠が不忠になるぞ悲しき: 水戸藩諸生党始末』(日新報道、2011年)
* [[朝井まかて]]『恋歌』(講談社、2013年)のち文庫
* 広田文世『天狗壊滅』(筑波書林、2017年)
* 鯉渕義文『烈士たちの挽歌-水戸藩党争始末-』(林試の森書房、2018年)
 
=== 映画 ===
* [[山本薩夫]]監督『[[天狗党 (映画)|天狗党]]』(大映京都、1969年11月15日公開)
:[[]][[]] [[]][[]][[]][[]]
=== TVドラマ ===
 
=== TVドラマ ===
* 『[[天皇の世紀#第一部(テレビドラマ)|天皇の世紀]]』 第一部 13話 「壊滅」(朝日放送、1971年)
* 『[[徳川慶喜 (NHK大河ドラマ)|徳川慶喜]]  ([[NHK大河ドラマ]]、1998年)
* 『[[青天を衝け]]』(NHK大河ドラマ、2021年)
 
=== 楽曲 ===
* [[北島三郎]] 『[[あゝ水戸浪士]]』 ([[1966年]] 詞:[[星野哲郎]]/作編曲:山崎正清)
 
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{reflist|group=注|2}}
 
=== 出典 ===
{{reflistReflist|2}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |title= 栃木市史 通史編|publisher=栃木県栃木市|year=1988|ref={{sfnref|『栃木市史 通史編』|1988|pages= 874-876}}}}
325 ⟶ 340行目:
* {{cite book|和書|author=金子功|title=反射炉II 大砲をめぐる社会史|series=ものと人間の文化史 77-II|publisher=[[法政大学出版局]]|date=1995-04-28|page=448|isbn=4-588-20772-5|ref={{sfnref|金子|1995}}}}
* {{cite book|和書|author=佐藤和賀子|title=那珂湊の反射炉|series=ふるさと文庫|publisher=[[筑波書林]]|date=1988-03-05|page=103|ref={{sfnref|佐藤|1988}}}}{{全国書誌番号|88042081}}
* {{cite book|和書|title=茨城県の地名|publisher=[[平凡社]]|series=[[日本歴史地名大系]]第八巻|date=1982-11-04|page=977|ncid=BN00852378|ref={{sfnref|平凡社『茨城県の地名』|1982}}}}{{全国書誌番号|83012913}}
* {{cite book|和書|editor=徳田浩淳|title=英巌寺史跡|publisher=下野史料保存会|date=1972-04-24|page=22|ref={{sfnref|徳田 編|1972}}}}
 
== 関連項目 ==
*[[中村勇吉]]
*[[相楽総三]]
*[[薩土密約|薩土討幕の密約]]
*[[江戸薩摩藩邸の焼討事件]]
 
== 外部リンク ==
335 ⟶ 357行目:
{{DEFAULTSORT:てんくとうのらん}}
[[Category:江戸時代の戦い]]
[[Category:幕末の事件]]
[[Category:幕府陸軍]]
[[Category:幕末の水戸藩]]
[[Category:福井県の歴史]]
[[Category:1864年の日本の事件]]
[[Category:1864年の戦闘]]
[[Category:幕末の事件武田耕雲斎]]
[[Category:徳川慶喜]]