「嫗戸柵」の版間の差分
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'''嫗戸柵'''︵うばとのさく、うばこのさく、おばこのさく︶は、[[岩手県]][[盛岡市]]の西にあり、[[蝦夷]]の[[俘囚]]長を名乗った[[安倍氏 (奥州)|安倍氏]]が築いた最北の古代[[城柵]]である。[[厨川柵]]と連立したつくりと考えられ、安倍氏の重要な拠点であった。 ﹁嫗戸﹂の読みは、現在まで地名が連なっていないため明確ではなく、いずれの読み方にも根拠は無いが、一般的に﹁うばと﹂と表されることが多い。実戦的な柵としての﹁厨川柵﹂に対し、安倍氏の女性が生活していた館だとすれば、老婆を表す﹁うばと﹂または娘を表す﹁おばこ﹂と読むのが適当か。現在も残っている地名﹁上堂︵かみどう︶﹂を﹁うわどう﹂と読み、﹁うわどのさく﹂と見る向きもある。 |