字余り
概説
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字余りは定型のリズムを崩してしまうため、意味なく用いられることは忌避される傾向にあり、特に中七の字余りについては和歌における修辞的欠落の一つ﹁中鈍病︵中飽病︶﹂と呼ばれている[8]。よって以下のように注意書きがされている入門書も存在する。
一音の無駄が一句のリズムに弛緩をもたらし、そのために佳句となるべきものが駄句になり下がってしまう、ということだってあるのだ。︵中略︶あえて﹃字余り﹄にする技法もあるが、それは名手のすることと肚をくくって今はひたすら五・七・五の韻律の美しさを追求してもらいたい。[9]
われわれは俳句が破調になることを、いたずらにおそれてはならぬ。︵中略︶しかしながら帰着するところは、やはり五七五である。この型は俳句の典型であり原型である。この典型を故意に崩して破調にすることが、何か新しい型の試みであるかの如く錯覚することがあれば、俳句形象化の苦労を放棄することになる。[10]
効果
編集字余りの限界
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字余りの限界について考える際に指針となるものが、(土居光知 1922)が提唱し、別宮(1970)が確立させた二音一拍四拍子理論である[12][13]。これは一音を八分音符ととらえ、短歌の五・七・五・七・七のモーラに対して、三・一・三・一・一の休符を設けることで、八・八・八・八・八の四拍子のリズムを保つという理論である。
これに則って考えると、俳句の字余りの限界は二十四音、短歌の限界は四十音となり、規定音数の十七音、三十一音を大きく超えることになる。
これに対し(高山倫明 2006)は﹁たしかに﹁各句が八音以下なら﹂四拍子のリズムは崩れないかもしれないが、上記の歌のすべての拍を同等に詠んだのでは、和歌としては明らかに破調であり、調子外れ以外の何者でもない﹂と批判している[1]。
脚注
編集参考文献
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●秋元不死男﹃俳句入門﹄角川学芸出版、2007年。
●犬養廉・井上宗雄・大久保正 他編﹃和歌大辞典﹄1986年、明治書院
●井上泰至, 片山由美子, 浦川聡子, 井上弘美, 石塚修, 中岡毅雄, 深沢眞二, 岸本尚毅, 青木亮人, 木村聡雄, 森澤多美子﹃俳句のルール﹄笠間書院、2017年。ISBN 9784305708403。全国書誌番号:22868325。
●尾形仂﹃俳文学大辞典﹄角川書店、1998年。
●小島健﹁字余りと字足らずの名句50 : 定型感覚があるからこそ﹂﹃俳句﹄第52巻第5号、角川文化振興財団、2003年4月、90-95頁、CRID 1523951030716554880、ISSN 13425560、NAID 40005730857。
●高山倫明﹁音節構造と字余り論﹂﹃語文研究﹄第100/101巻、九州大学国語国文学会、1-15頁、2006年6月。doi:10.15017/8918。hdl:2324/8918。ISSN 0436-0982。
●高山倫明﹃日本語音韻史の研究﹄ひつじ書房︿ひつじ研究叢書﹀、2012年。ISBN 9784894765764。全国書誌番号:22186869。
●土居光知﹃文學序説﹄岩波書店、1922年。 NCID BN0662341X。全国書誌番号:43014146。
●平井照敏﹁破調﹂﹃俳句﹄1983年8月。
●藤田湘子﹃俳句作法入門﹄角川書店、2003年。
●別宮貞徳﹃日本語のリズム : 四拍子文化論﹄講談社︿講談社現代新書﹀、1977年。ISBN 4061158880。 NCID BN03923392。