宣和奉使高麗図経
﹃宣和奉使高麗図経﹄︵せんなほうしこうらいずきょう、朝鮮語‥선화봉사고려도경、略称﹃高麗図経﹄︶とは、中国宋王朝の徐兢が編纂した朝鮮半島の高麗の史書。全四十卷。徽宗の宣和年間に徐兢は高麗に使節として派遣された。高麗の国都開城に数ヶ月滞在し中国帰国後、見聞した内容をこの書にまとめ、皇帝に献呈した。書には高麗の歴史、政治制度、社会の状況が記載されており、研究上当時の朝鮮半島史の重要史料である[1]。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/70/Gaoli_Tujing.jpg/220px-Gaoli_Tujing.jpg)
成書背景
作者徐兢
﹃宣和奉使高麗図経﹄の作者は徐兢︵1091年 - 1153年︶で、彼の字は明叔といい、自信居士と号した。徐兢は北宋甌寧︵一説には和州の歴陽︶の出身。絵画、書道に秀で、地方官を勤めていた時、大宗丞兼掌書学、刑部員外郎などの職を務めた[2]。
1123年︵宋徽宗の宣和五年・高麗仁宗元年︶、高麗睿宗王俁が逝去、北宋は弔意のための使節団を高麗に派遣した。徐兢はその一員だった。徐兢は高麗の国都開城に数ヶ月間滞在し、中国帰国後、高麗の国の成り立ちや政治制度、風俗と事物の様子について書き起こした、それぞれの章に絵画を添付させた[3]。
書籍編纂の目的
徐兢が﹃宣和奉使高麗図経‧原序﹄に記すところによると、彼自身が史書の部を書き、これは古来の外交使節が見聞した内容を継承し、﹁書を以って四方の志となす﹂との伝統的スタイルをとっている。︵そのスタイルとは︶﹁九重もの高くて深いアーチに住み、四方万里まで遠く視察すること、諸事が手のひらにあるが如し﹂との存在である中国皇帝に使者を求め、︵中国皇帝は入手した四方の情報により︶外国の国情について深く理解した、というものである[4]。
編纂過程
内容
﹃宣和奉使高麗図経﹄の内容‥
●巻一‥︽建国︾、王氏高麗朝の成立の歷史。
●巻二‥︽世次︾、高麗歷代君王。
●巻三‥︽城邑︾、高麗の城制、地理等資料。
●巻四‥︽門闕︾、開城城門及王宮宮門の資料。
●巻五‥︽宮殿一︾、高麗の主要宮殿。
●巻六‥︽宮殿二︾、高麗の主要宮
●巻七‥︽冠服︾、高麗各階級人士の服飾。
●巻八‥︽人物︾、当時の高麗朝中の名流人物。
●巻九‥︽儀物一︾、高麗文物の資料。
●巻十‥︽儀物二︾、高麗文物の資料。
●巻十一‥︽仗衞一︾、高麗の軍隊編制資料。
●巻十二‥︽仗衞二︾、高麗の軍隊編制資料。
●巻十三‥︽兵器︾、高麗軍隊の兵器資料。
●巻十四‥︽旗幟︾、高麗儀制裡の旗幟資料。
●巻十五‥︽車馬︾、高麗の車馬運輸資料。
●巻十六‥︽官府︾、高麗の主要官署及機関部門。
●巻十七‥︽祠宇︾、高麗の寺廟情況。
●巻十八‥︽道教︾、高麗の道教、仏教情況。
●巻十九‥︽民庶︾、高麗士、農、工、商等階層の情況。
●巻二十‥︽婦人︾、高麗貴婦、婢女等の情況。
●巻二十一‥︽皂隸︾、高麗官府下級人員の情況。
●巻二十二‥︽雜俗一︾、高麗習俗。
●巻二十三‥︽雜俗二︾、高麗習俗。
●巻二十四‥︽節仗︾、高麗儀仗の資料。
●巻二十五‥︽受詔︾、高麗朝廷における中国使節向け外交礼制資料。
●巻二十六‥︽燕禮︾、高麗人宴会の習尚情況。
●巻二十七‥︽館舍︾、高麗の招待外人の館舍情形。
●巻二十八‥︽供帳一︾、高麗の招待外国使節の用品資料。
●巻二十九‥︽供帳二︾、高麗の招待外国使節の用品資料。
●巻三十‥︽器皿一︾、高麗の産的器皿及びその工藝の描絵。
●巻三十一‥︽器皿二︾、高麗の産的器皿及びその工藝の描絵。
●巻三十二‥︽器皿三︾、高麗の産業的器皿及びその工藝の描絵。
●巻三十三‥︽舟楫︾、高麗船隻の資料。
●巻三十四‥︽海道一︾、高麗海上交通及び海島の資料。
●巻三十五‥︽海道二︾、高麗海上交通及び海島の資料。
●巻三十六‥︽海道三︾、高麗海上交通及び海島の資料。
●巻三十七‥︽海道四︾、高麗海上交通及び海島の資料。
●巻三十八‥︽海道五︾、高麗海上交通及び海島の資料。
●巻三十九‥︽海道六︾、高麗海上交通及び海島の資料。
●巻四十‥︽同文︾、回顧高麗と中国遼、宋等の王朝の関係、儒学の発展、楽律、度量衡等の情況。
この他、﹃四庫全書﹄版﹃宣和奉使高麗図経﹄では、清の人が編纂した﹃提要﹄があり、そこに付録として﹃宋故尚書刑部員外郎徐公行狀﹄︵徐兢の簡略な伝記を含んでいる︶[5]。
※原本には図があったが、靖康の変において失われた[6]。
史料価値
中国における流伝の情況
﹃宣和奉使高麗図経﹄は1124年︵宋徽宗宣和六年︶に成立し、原書は図と文章から構成されていたが、靖康の変において失われ、1167年︵宋孝宗乾道三年︶、徐兢の姪の子の徐蕆が首班となり本書を出版した。既に図版は失われていたが、﹁図経﹂の書名をそのまま用いた。この本は現在台湾国立故宮博物院に収蔵されている。
宋朝以後,明末まで海塩の人鄭休仲が徐蕆版に基き本書を再版した。以後清の編纂した四庫全書に採録された。しかしいづれも脱漏や誤記が非常に多く善本とは言いがたい。1793年︵清乾隆五十八年︶、歙県鮑廷博は、自家収蔵の鈔本と鄭休仲が校正して出版し、﹃知不足齋叢書﹄に収録した。ただしわずかに錯誤があり、いまだ完全な善本とはいいがたい内容である[6]。
注釈
参考文献
- 李仙竹主編 (中国語). 古代朝鮮文獻解題. 北京: 北京大学出版社(1997)ISBN 7301035233
- 徐兢 (中国語). 『宣和奉使高麗圖經』収録於『欽定四庫全書·史部』第593冊). 上海: 上海古籍出版社(1987)
日本語訳
- 徐兢著、朴尚得訳『宣和奉使高麗図経』、国書刊行会(1995/09)、ISBN 4336037752