岡田周造
日本の内務官僚
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岡田 周造(おかだ しゅうぞう、1886年(明治19年)11月 - 1983年(昭和58年)5月31日)は、東京府知事などを務めた内務官僚。
岡田 周造 | |
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生誕 |
1886年11月 栃木県 |
死没 | 1983年5月31日 |
出身校 | 東京帝国大学 |
職業 | 国家公務員 |
配偶者 | ヌイ |
子供 | 森淑子(歌人) |
略歴
編集
●1886年︵明治19年︶11月 - 見目竜造の二男に生まれる。
岡田ヌイの入夫となる。
●1914年︵大正3年︶ - 東京帝国大学英法科を卒業。高等文官試験に合格。
警視庁警部、静岡県理事官、愛知県理事官、復興局書記官、内務省事務官、内務省書記官、地方局財務課長を歴任。
●1931年︵昭和6年︶11月9日 - 1931年︵昭和6年︶12月8日 - 千葉県知事を務める。
●1931年︵昭和6年︶12月18日 - 1933年︵昭和8年︶8月4日 - 山口県知事を務める。
●1933年︵昭和8年︶8月4日 - 1935年︵昭和10年︶1月15日 - 長野県知事を務める。
途中、内務省地方局長を務める。
●1936年︵昭和11年︶3月13日 - 1938年︵昭和13年︶6月24日 - 兵庫県知事を務める。
●1938年︵昭和13年︶6月24日 - 1941年︵昭和16年︶1月7日 - 東京府知事を務める。
●1949年︵昭和24年︶8月13日 - 総理府奄美群島復興審議会委員となる。後に、会長となる。
●1950年︵昭和25年︶8月16日 - 1951年︵昭和26年︶9月11日 - 総理府・大蔵省奄美群島復興信用保証協会設立委員を務める。
●1955年︵昭和30年︶1月27日 - 総理府奄美群島復興審会委員となる。
●1958年︵昭和33年︶10月1日 - 総理府行政審議会委員となる。
●1958年︵昭和33年︶12月25日 - 自治省奄美群島復興審議会委員となる。
●1960年︵昭和35年︶12月25日 - 自治省奄美群島復興審議会委員となる。
●1967年︵昭和42年︶4月29日 - 銀杯一組を賜わる。このとき、勲二等。
●1972年︵昭和47年︶6月28日 - 紺綬褒章を賜わる。
●1973年︵昭和48年︶4月28日 - 紺綬褒章に付する飾版を賜わる。
●1983年︵昭和58年︶5月31日 - 死去。
第二東京弁護士会所属の弁護士でもあった。
栄典
編集脚注
編集参考文献
編集- 東京都公文書館編『東京都職制沿革』東京都情報連絡室情報公開部都民情報課、1986年