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{{画像提供依頼|川島芳子が自筆で「顯
{{特殊文字|説明=[[CJK統合漢字]]拡張Aの文字で、王偏に
{{基礎情報 軍人
|氏名 = 川島芳子
|各国語表記 = 愛新覺羅顯
|画像 = Gen Yoshiko Kawashima.jpg
|画像サイズ = 200px
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| 渾名 = 男装の麗人、東洋の[[マタ・ハリ]]
|生年月日 = [[1906年]][[5月24日]]
|生誕地 = {{QIN1890}} [[
|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1906|5|24|1948|3|25}}
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|職業 = [[軍人]]
|出身校 = <!-- 省略可 -->
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|signature_size = 120
}}
'''川島 芳子'''︵かわしま よしこ、 8歳のとき、粛親王の顧問だった[[川島浪速]]の養女となり日本で教育を受けた。[[1927年]]に[[旅順]]のヤマトホテルで、関東軍参謀長の斎藤恒の媒酌で蒙古族の[[カンジュルジャブ]]と[[結婚]]式をあげた。カンジュルジャブは、川島浪速の満蒙独立運動と連携して挙兵し、[[1916年]]に中華民国軍との戦いで戦死した[[バボージャブ]]将軍の次男にあたり、早稲田大学を中退後[[1925年]]﹁韓紹約﹂名で陸軍士官学校に入学していた。 32行目:
[[File:Syukusin ouhu01.JPG|200px|thumb|川島芳子が日本に留学するまで過ごした[[旅順口区|旅順]]の邸宅([[粛親王]]府跡)]]
川島芳子こと愛新覺羅顯㺭は[[愛新覚羅善耆|粛親王善耆]]の第十四王女として{{要出典範囲|date=2022年5月25日 (水) 16:45 (UTC)|[[光緒]] [[ 顯㺭の養父となる川島浪速は[[信濃国|信州]][[松本藩|松本藩士]]の子として生まれ、外国語学校支那語科で中国語を学び、1900年の[[義和団の乱]]で陸軍通訳官として従軍。日本軍の占領地域における警察機構の創設を評価され、日本軍の撤退後も清朝から雇用され、中国初の近代的警察官養成学校である北京警務学堂の総監督に就任した<ref group="†">粛親王の顧問だった川島浪速の名前は、陸軍省・外務省の公文書中にも記録されている。 76行目:
=== 満洲国建国の陰で ===
[[1931年]]9月に関東軍の[[石原莞爾]]が日本政府の承認を得ないまま[[張学良]]軍を独断で攻撃した[[満州事変|満洲事変]]を引き起こし、11月には清朝最後の皇帝だった[[愛新覚羅溥儀]]が、関東軍の要請を受けて天津(溥儀は天津の日本租界に自ら逃げ込んでいた)から満洲へ脱出する。芳子はこの時、溥儀の皇后である[[婉容]]を天津から連れ出すことを関東軍から依頼され、婉容を天津から旅順へ護送する任務に携わった。
田中の回想によれば、同年末に[[関東軍]][[参謀]]の[[板垣征四郎]]からの依頼を受けて、第一次上海事変のきっかけとなった[[上海日本人僧侶襲撃事件]]を田中が立案しており、関東軍から提供された2万円を使って中国人を雇って日本人僧侶を襲わせたが、この際に実行役を集め、報酬と引き換えに襲撃を実行させたのが芳子だった、とされている。 84行目:
[[1932年]]3月に、関東軍が溥儀を執政として[[満洲国]]を樹立させると、芳子は[[新京]]に置かれた宮廷での女官長に任命されるが、実際に就任することはなかった。同年に芳子をモデルにした[[村松梢風]]の小説である﹃男装の麗人﹄が発表され、芳子は﹁日本軍に協力する清朝王女﹂としてマスコミの注目を浴びるようになる。 === 東洋のマタ・ハリ ===
[[ファイル:Yoshiko Kawashima in recording studio 1933.jpg|250px|thumb|録音スタジオにて]]
[[1933年]]2月になり、[[関東軍]]の[[熱河省]]進出のため熱河自警団︵安国軍または定国軍と呼ばれた︶が組織され、芳子が総司令に就任した{{refnest|group="注"|昭和8年2月22日付朝日新聞に﹁男装の麗人川島芳子嬢、熱河自警団の総司令に推さる 雄々しくも兵匪討伐の陣頭に﹂という記事が掲載された。川島芳子本人は﹁婦人公論﹂の手記の中で﹁熱河省の隅々を駆け廻つたのですが、僕が動いたより以上の、何十倍かの宣伝が行われてゐるので、全く面はゆい次第です﹂とのべている<ref>﹃男装の麗人・川島芳子伝﹄︵文春文庫︶(1988-05) 上坂冬子著/文藝春秋 ISBN 4-16-729805-8</ref>。}}。このニュースは日本や満州国の[[新聞]]で大きく取り挙げられ、芳子は﹁[[東洋]]の[[マタ・ハリ]]﹂、﹁満洲の[[ジャンヌ・ダルク]]﹂などと呼ばれた。断髪時のエピソードや小説の影響から既に知名度が高かった事もあり、芳子は一躍マスコミの寵児となった。 196行目:
== 史料 ==
=== 自伝及び歌集 ===
*川島芳子『動乱の蔭に 私の半生記』時代社 1940年。
*:
**「人間の記録」日本図書センター、2012年。ISBN 978-4284700702
**[[中公文庫]](解説[[寺尾紗穂]])、2021年。ISBN 978-4122071094
*『真実の川島芳子 秘められたる二百首の詩歌』 川島芳子記念室/穂苅甲子男編著、プラルト 2001年
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*[[上坂冬子]]『男装の麗人・川島芳子伝』 ([[文藝春秋]] 1984年、[[文春文庫]] 1988年、『女たちが経験したこと 昭和女性史三部作』として[[中央公論新社]] 2000年)
*[[渡辺龍策]]『川島芳子その生涯 見果てぬ滄海(うみ)』([[徳間文庫]] 1985年)
*[[林えり子]]『仮装- 男装の麗人 川島芳子』 ([[集英社]] 1989年、『清朝十四王女 川島芳子の生涯』として[[ウェッジ (出版社)|ウェッジ]]文庫 2007年)
*[[村松友視]]『男装の麗人』([[ベースボール・マガジン社|恒文社21]]、2002年)祖父である村松梢風の小説のリライト。
*[[岸田理生]]『戯曲 終の栖 仮の宿・川島芳子伝』([[而立書房]] 2002年)
243 ⟶ 245行目:
*『激動-GEKIDO-』(2013年、演出:[[ダニエル・ゴールドスタイン]]、演:[[水川あさみ]])
*『魔都夜曲』(2017年、作:[[マキノノゾミ]]、演出:[[河原雅彦]]、演:[[壮一帆]])
*『李香蘭 花と華』(2023年、脚本:[[岡本貴也]]、演出:[[良知真次]]、演:[[飛龍つかさ]]、[[玉置成美]]・Wキャスト)
=== 映画 ===
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=== 漫画 ===
*『[[虹色の
*『[[虹
*『[[極光ノ銀翼]]』 第2巻 7th Mission - 8th Mission 『第十四王女の罪』(前編・後編) 、[[松田未来 (漫画家)|松田未来]](2013年 - 2015年 、[[画楽ノ杜]]連載、2015年 [[単行本]])
*『[[昭和天皇物語]]』(2017年 - [[ビッグコミックオリジナル]]連載、[[小学館]]、作画 [[能條純一]]:原作 [[半藤一利]]「昭和史」、脚本:[[永福一成]]、監修:[[志波秀宇]])▼
*『[[川島芳子は男になりたい]]』(2019年 - 現在、[[月刊少年シリウス]]連載、講談社、[[田中ほさな]])
▲*『昭和天皇物語』(2017年 - ビッグコミックオリジナル、作画 能條純一:原作 半藤一利「昭和史」、脚本:永福一成、監修:志波秀宇)
=== アニメーション ===
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{{Commonscat|Yoshiko Kawashima}}
*[http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/china/karyu/kawasima.htm 家あれど帰り得ず(川島芳子)]
*{{
*[http://news.163.com/2004w06/12596/2004w06_1088298751326.html 乱世魔女・川島芳子](中国語)
*[http://club.it.sohu.com/r-zz0051-2340-0-3-0.html 川島芳子の死](中国語)
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{{Japanese-history-stub}}
{{Chinese-history-stub}}
{{Royalty-stub}}
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{{DEFAULTSORT:かわしま よしこ}}
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[[Category:刑死した日本の人物]]
[[Category:北京出身の人物]]
[[Category:
[[Category:20世紀中国の女性]]
[[Category:1906年生]]
[[Category:1948年没]]
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