後輩
後輩︵こうはい︶とは、学校・会社などの社会集団において、入学もしくは就職年度の集団への参加が遅い者を指す。先輩・後輩における支配・被支配の権力関係を重んじる集団においては、通常被支配者・劣位者・隷属者として位置づけられ、規律維持を目的/隠れ蓑にした、いじめや虐待と言った様々な被害を受ける。
例として、日本では中学校以上の教育課程、とりわけ運動部や吹奏楽部などでは先輩との上下関係︵支配/隷属関係︶が厳しく、先輩の使い走りから始める場合もある。このような環境では、1年が経過し、自分に後輩が出来たら後輩に同じような接し方をする悪循環が生じる。
規律を重んじる軍隊における初年兵︵新兵︶に接する態度はひどい場合が多く、虐待に近いいじめの構造が存在した。
待遇表現上、日本や韓国のマジョリティー規範主義文化では、﹁後輩﹂は﹁先輩﹂に対して、その隷属者として待遇表現上の服従表現を用いる義務[1]と、﹁先輩﹂からの見下し表現を受け入れる義務[2]を有する。これらは、﹁日本人/韓国人﹂として﹁当然/自発的に受け入れるべき文化﹂とされ、反逆者に対しては最良であっても社会的放逐・無視[3]、最悪の場合暴行虐待が社会的に正当化される[4]。
また、出生が先/後、という対比でも、日本や韓国の規範主義文化では、先輩/後輩とほぼ同様の支配/隷属の関係が見られる。これを、人生における生まれが先か後かで、出生が早いものを﹁人生の先輩﹂、出生が遅いものを﹁人生の後輩﹂と捉えることで説明する立場があり、生まれの先後を広義の先輩/後輩関係として解釈している。逆に、狭義の先輩/後輩を、組織への加入順が組織や業界内での仮の年齢順であると捉えて、出生順による支配/隷属の延長として説明する立場もある。いずれにせよ、両規範主義文化でこれらは密接に関連している。ただし、出生順に基づく支配/隷属関係についていえば、出生順は民族的出自同様、生得的で基本的に覆しようがないため︵性別も、性転換は可能であるが、ほぼ生得的である︶、理論上別基準の権力を手に入れない限り解消不可能であるが、先輩/後輩の支配/隷属関係は、同一組織・分野内では覆しようがなくとも、組織を移り、かつ前の組織での関係を引きずらないことが貫徹できれば理論上は同一基準であっても解消は可能である。ゆえに、先輩/後輩の支配/隷属関係は、出生順に基づく支配/隷属関係に比べれば身分制的性質は低い。しかしその時々の適性に基づくポスト配分による支配/隷属関係に比べれば、同一組織・分野にある限り一度決定した後は恒久的・自動的に支配/隷属が決め、解消不可能であるため、より身分制的性質が高い。
注記
(一)^ 多くの場合、という但し書きが付くが以下のとおりである。すなわち、﹁先輩﹂に対し、呼称としては﹁先輩﹂もしくは﹁家族名+さん/先輩﹂を用いることを強制される。相手を指す時の人称代名詞の使用は、多くの場合禁止される。﹁先輩﹂相手の発話では、文末小辞・動詞接辞による丁寧な発話を強制される。丁寧な待遇表現動詞を相手に対して使用することも場合によっては求められる。依頼表現も、﹁してください﹂﹁してもらえますか﹂等以上のレベルを強制される。
(二)^ 多くの場合、という但し書きが付くが以下のとおりである。すなわち、呼称としては﹁家族名/個人名呼び捨て﹂もしくはせいぜい君/ちゃん付けをされることを受け入れる義務がある。人称代名詞としては、﹁おまえ﹂か、せいぜい﹁君﹂﹁あんた﹂﹁あなた﹂を用いられることを受け入れる義務がある。相手が自分に対して話す時、文末小辞・動詞接辞による待遇表現は、非丁寧なものであることを受け入れる義務がある。相手から丁寧な待遇表現動詞を使われないことを受け入れる義務がある。相手から、依頼表現で﹁しろ﹂﹁して﹂﹁やれ﹂か、せいぜい﹁やって︵ね/くれ︶﹂程度の丁寧さの発話をされて、それを受け入れる義務がある。
(三)^ たとえば、日本/韓国規範主義に基づくほとんどすべての日本企業には就職できない。それ以外にも、日本/韓国社会の規範主義に基づくほとんどの学校・組織・サークル・部活動への参加を閉ざされ、ほぼすべての知的・芸術的・運動的活動にアクセスする権利をはく奪される。一言でいえば、生存が著しく困難になる。
(四)^ これは﹁生意気な後輩﹂に﹁礼儀﹂を教える﹁愛のむち﹂として日本/韓国の規範主義上許容される