「慕容評」の版間の差分
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==== 忠言を無視 ====
同月、前秦へ使者として赴いていた[[大鴻臚]][[ その為、梁琛は皇甫真へも相談を持ち掛けると、皇甫真は深くこれを憂慮し、慕容暐へ上疏して﹁苻堅と我らは互いに使者を往来させ、輔車の関係を保っておりますが、隣敵として等しく抗しあっており、国の勢いも同一です。利があればそちらを優先するのは明らかであり、慕善の心などありません。久要︵旧約︶を崇めるために信を守ち、和を存続させる事などありはしないのです。近頃は行人の往来を重ねており、またその軍は洛川まで出てきましたが、これは行軍路や要害の地、また国家の内情について細かく調査するためなのです。虚実をよく調べて奸計を練り、風塵︵内乱︶を聞いて国の隙を窺うは、侵攻する上での常道です。今、呉王︵慕容垂︶が外奔︵亡命︶しており、敵は彼を謀主となすでしょうから、伍員︵[[伍子胥]]︶の禍に備えなければなりません︵[[楚 (春秋)|楚]]の伍子胥は災いを避けて呉へ亡命し、後に楚を滅ぼした︶。[[洛陽市|洛陽]]・并州・[[壷関]]の諸城に命じ、増兵して守備を固め、有事に備えられますように﹂と訴えた。これを受け、慕容暐は慕容評を呼び出してこの事を問うた。だが、慕容評は﹁秦は弱小であり、我らの力を頼みとしております。それに、苻堅は国交にはそれなりに気を配っております。亡命者︵慕容垂︶の口車に乗り、交流を断絶するような事はしないでしょう。それより、軽率に動いて相手を警戒させる事が紛争の種となるでしょう﹂と反論し、結局軍備増強に動く事は無かった。 |