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'''旗艦'''︵きかん, {{lang-en-short|flagship}}; '''フラグシップ'''︶とは、[[司令官]]︵司令・司令長官などを含む︶やその幕僚が座乗し、指令・[[命令]]を発する[[船#舟・船・船舶・艦|艦]]を指す[[海軍]]用語<ref name="sekainokansenP92">﹁歴代旗艦物語﹂勝山拓 世界の艦船2011年11月号 P92-97 株式会社海人社</ref>。[[海上自衛隊]]では﹁'''はたぶね'''﹂とも読む<ref name="sekainokansenP92"/>。 == 概要 ==
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=== 木造帆船時代 ===
司令官とその[[幕僚]]を乗せて、艦隊に指示を出す高いマストを有する艦、すなわち艦隊で最大の[[戦列艦]]が旗艦とされた。後方の各艦に指示を出すため旗艦は先頭に位置し、それゆえに被害も大きかった。旗艦が指揮不能となった場合は2番艦が、2番艦が指揮不能となった場合は3番艦が代わった。旗艦には司令官たる[[ [[トラファルガーの海戦]]に勝利した
=== 前弩級艦時代 ===
無線による意思疎通が始まった時期であるが、重要な命令は旗によった<ref name="sekainokansenP92"/>。戦闘では司令官は艦隊を率いる先頭艦に座乗する。そこで木造[[帆船]]時代と同様、最大最強の艦たる[[戦艦]]を旗艦とした。一方で速度性能はあまり重視されない。これは旗艦が最速の艦であると、他の艦が旗艦に追随できず取り残されるからである。また[[巡洋艦]]や[[駆逐艦]]は、必要に応じて艦隊旗艦よりも先行し、偵察・索敵・夜襲などの任務をこなしたため、旗艦を追い越す高速が要求された。最新最強の戦艦を旗艦とすることによって、艦隊の戦艦の中で旗艦が最速になる事は往々にしてあった。 [[日本海海戦]]で[[連合艦隊
=== 第一次世界大戦~第二次世界大戦初期 ===
無線による指令・命令が一般的に使用されるようになった。また司令部に属する人員の数も増えたため、旗艦用に特に居住区を設置した艦も作られた。特に駆逐艦で編成された水雷戦隊の場合、元より駆逐艦は居住施設が貧弱であるため、特に旗艦用として居住施設を拡充した[[嚮導艦|嚮導駆逐艦]]が建造された。また[[第一次世界大戦]]時の[[ドイツ海軍]]においては戦艦についても居住施設が貧弱であったため、旗艦戦艦「[[フリードリヒ・デア・グローセ (戦艦)|フリードリッヒ・デア・グロッセ]]」は、特に旗艦用として居住区を設けていた。
ただ、艦隊・戦隊の先頭に立って指揮する以上、最強の艦である必要があるという従来の意見も根強く、日本海軍は[[軽巡洋艦]]を水雷戦隊の旗艦として、駆逐艦を率いた。 === 第二次世界大戦中後期 ===
[[Image:Japanese cruiser Oyodo in 1944.jpg|thumb|250px|連合艦隊旗艦「[[大淀 (軽巡洋艦)|大淀]]
[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[連合艦隊]]司令部が設置されていた旗艦は、[[太平洋戦争]]開戦を挟む1938年12月から1942年2月までが[[戦艦]]﹁[[長門 (戦艦)|長門]]﹂、1942年2月から1943年2月まで戦艦﹁[[大和 (戦艦)|大和]]﹂、1943年2月から1944年5月まで戦艦﹁[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]﹂だった。太平洋戦争では、艦隊決戦で連合艦隊司令部が艦隊の先頭に立つような事態は起こらず、後方で全体指揮を取る状態であり日本海軍最強の[[長門型戦艦]]、[[大和型戦艦]]をむざむざ後方で遊ばせる事態に陥った。 そこで、後部に[[紫雲 (航空機)|紫雲]][[水上機|水上]][[偵察機]]︵水偵︶用の巨大な格納庫ならび大型[[カタパルト|射出機]]を装備していた[[軽巡洋艦]] しかしこの処置は間に合わせのものであり、連合艦隊司令部は陸上にあって後方指揮を取るのが望ましいとされて、同年9月末に日吉台の[[慶應義塾大学]]構内︵現:[[慶應義塾大学#日吉キャンパス|日吉キャンパス]]、参照:[[日吉寮]]︶の地下[[防空壕]]に移ってしまい、連合艦隊旗艦は消滅した。 また、各艦隊においても、従来のように旗艦が艦隊の先頭にあって率いるよりも、通信機によって全体を指揮するものとされ、個艦の戦闘能力より指揮通信能力がより重要視された。[[レイテ沖海戦]]で[[栗田健男|栗田艦隊]]の旗艦となった[[重巡洋艦]]﹁[[愛宕 (重巡洋艦)|愛宕]]﹂が代表例。しかしながら栗田のこの判断については、旗艦・司令官が先頭に立つ義務を怠ったという批判もあり、従来の旗艦を先頭艦とする意見も根強いものがあった。 一方でアメリカ海軍は通信・指揮能力に優れた艦を旗艦とする方針が確定しており、[[揚陸指揮艦]]の建造就役も行われている。未建造に終わるものの[[モンタナ級戦艦]]5隻について、3番艦 === 第二次世界大戦後〜現代 ===
艦固有の運動力︵速力︶・攻撃力・防御力よりも指揮・通信能力が最重要視されるようになった。というよりも、戦艦という艦種が消滅へと向かい、それぞれの艦に速度と防御力の差が無くなり、攻撃力についてはそれぞれの艦の任務に由来する時代となった。 [[海上自衛隊]]の[[護衛艦]]﹁[[あきづき (護衛艦)|あきづき]]﹂は[[自衛艦隊]]旗艦になる際に[[ウェポン・アルファ|Mk.108]][[対潜迫撃砲]]を撤去しているし、﹁[[たちかぜ (護衛艦)|たちかぜ]]﹂は[[護衛艦隊]]旗艦になる際に、わざわざ2番砲塔を撤去して[[司令部]]施設を設けている。 また、通信機能の発達により、第二次世界大戦中 海上自衛隊は、群司令が乗艦する旗艦<ref>[http://www.mod.go.jp/msdf/ccf1/about/topic/20090825-2/index.htm 第1護衛隊群司令部]</ref>を[[自衛艦隊]]や[[護衛艦隊]]に置くなど旗艦の任務を重要視していた時期もあった<ref name="sekainokansenP92"/>。しかし、1963年︵昭和38年︶3月に自衛艦隊司令部は陸上に移り自衛艦隊旗艦は廃止された。[[2010年]]6月に退役した護衛艦﹁[[さわかぜ (護衛艦)|さわかぜ]]﹂を最後に護衛艦隊でも旗艦運用は廃止され、その後、海上自衛隊護衛艦隊旗艦は存在しない<ref name="sekainokansenP92"/>。ほかに、旗艦と呼ばれる艦には[[第1護衛隊群|第1]] 旗艦を艦隊の指揮を執る実戦用の艦としてよりも、象徴的な存在として扱う例は多く、例えば[[イギリス]]において[[1946年]]に竣工した戦艦﹁[[ヴァンガード (戦艦)|ヴァンガード]]﹂は[[1955年]]まで == 著名な旗艦 ==
=== 日本 ===
* [[長門 (戦艦)|長門]]、[[大和 (戦艦)|大和]]、[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]、[[大淀 (軽巡洋艦)|大淀]] - 連合艦隊の旗艦▼
* [[赤城 (空母)|赤城]] - [[第一航空艦隊]]の旗艦▼
* [[三笠 (戦艦)|三笠]]▼
* [[東艦|甲鉄]] - 新政府軍船の旗艦
▲* [[三笠 (戦艦)|三笠]]
▲* [[赤城 (空母)|赤城]] - [[第一航空艦隊]]の旗艦
▲* [[長門 (戦艦)|長門]]、[[大和 (戦艦)|大和]]、[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]、[[大淀 (軽巡洋艦)|大淀]] - 連合艦隊の旗艦
=== アメリカ ===
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=== 台湾 ===
* [[雪風 (駆逐艦)|丹陽]] - 台湾([[中華民国海軍]])初の旗艦、及び珍しく駆逐艦が一国の海軍の旗艦になった事例
== 転用 ==
[[LZ 129 (飛行船)|ヒンデンブルク号]]は[[飛行船]]であるが[[ツェッペリン]]社が有する最大の飛行船であったため旗艦と呼ばれた。
また、他の多くの海軍用語と同様、﹁旗艦﹂﹁フラグシップ﹂もほかの用途に転用されて、日常的な用語として使われる。この場合、集団やグループの最も重要な位置付けにあるものを指すが、この最も重要な位置付けとは、通常、ステータス性を持つものや戦略的に重要なものとしての位置づけである。 88行目:
== 参考図書 ==
* 世界戦艦物語 福井静夫著作集第6巻 1993年8月 光人社
* 近代戦艦史 [[世界の艦船]]1987年3月増刊号 海人社
* 世界の艦船 2004年1月号
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