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東京の両国国技館で開催される一月場所(初場所)・五月場所(夏場所)・九月場所(秋場所)は総称して東京場所と呼ばれ、それ以外の場所で開催される三月場所(春場所・大阪場所)・七月場所(名古屋場所)・十一月場所(九州場所)は総称して地方場所と呼ばれる。
三月場所(大阪)<ref>{{Cite web|url=http://www.sumo.or.jp/Kansen/osaka/|title=大阪場所 観戦案内|publisher=日本相撲協会|accessdate=2018-07-25}}</ref>と七月場所(名古屋)<ref>{{Cite web|url=http://www.sumo.or.jp/Kansen/nagoya/|title=名古屋場所 観戦案内|publisher=日本相撲協会|accessdate=2018-07-25}}</ref>の会場では[[命名権|施設命名権]]が売却されており、主催者である日本相撲協会では上記のように施設命名権に基づく名称と正式名称を併記して使用している。施設名の扱いに関してはメディアごとに対応が分かれている。[[大相撲中継|本場所のテレビ・ラジオ中継]]を行う[[日本放送協会|NHK(日本放送協会)]] は本場所の会場名について正式名称のみを使用している。一方、新聞報道などでは報道機関により施設命名権による名称を使用する場合<ref>例として、{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK00296_S8A720C1000000/|title=優勝の御嶽海が2敗目 名古屋場所千秋楽|newspaper=日本経済新聞|date=2018-07-22|accessdate=2018-07-25}}、{{Cite news|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2018072200270&g=spo|title=優勝の御嶽海が2敗目 名古屋場所千秋楽|newspaper=時事通信|date=2018-07-22|accessdate=2018-07-25}}</ref>、正式名称を使用する場合<ref>例として、{{Cite news|url=https://www.yomiuri.co.jp/sports/sumo/20180722-OYT1T50067.html|title=初優勝の御嶽海、豊山に敗れ2敗…豪栄道10勝|newspaper=読売新聞|date=2018-07-22|accessdate=2018-07-25}}。なお、読売新聞は紙面ではウェブサイトと異なり両名称を併記する場合がある。</ref>、両名称を併記する場合<ref>例として、{{Cite news|url=https://www.sankei.com/sports/news/180722/spo1807220020-n1.html|title=【大相撲名古屋場所】優勝の御嶽海は13勝2敗 来場所、大関へ挑戦|newspaper=産経新聞|date=2018-07-22|accessdate=2018-07-25}}</ref>に分かれている。▼
▲三月場所︵大阪︶<ref>{{Cite web|和書|url= 七月場所については[[愛知県体育館]]の老朽化に伴い、2025年からは[[愛知国際アリーナ]]に会場を移転する予定<ref>{{Cite web|和書|title=◎25年本場所日程を発表=大相撲 |url=https://sp.m.jiji.com/article/show/2955469 |website=時事通信ニュース |access-date=2023-08-30 |language=ja}}</ref>。
<gallery widths="200" style="font-size:90%;">
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[[明治時代]]になると各地の相撲集団は法人化して個別の力士を抱えるようになり、[[大正時代]]には相撲集団は東京と大阪に収斂し、それぞれ常設の国技館で年2回興行、さらに合同でも興行するようになる。[[昭和時代]]になると東西協会が合同して日本相撲協会となり、戦後には大阪・名古屋・福岡でそれぞれ興行を行うようになって現在に至る。 1場所は江戸時代から1909年︵明治42年︶1月場所までは晴天10日間興行だったが 番付は各場所初日の約半月前に日本相撲協会より発表される。[[1970年]]頃に、年末年始を挟む一月場所を除いては初日の13日前の月曜日と定められた。ほかのスポーツ行事の少ない[[曜日]]を選んだということである。例外として一月場所の番付発表については、直前が年末年始の期間に当たるため近年は前年[[12月]]下旬頃に行われている<ref>{{ {{See|本場所の一覧}}
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序ノ口、[[序二段]]、[[三段目]]、[[幕下]]と取組が進み、幕下の相撲が残り5番︵幕下上位五番︶になった時点で、[[十両]]力士の[[土俵入り]]が行われる。かつては幕下取組終了後に行われていたが、[[昭和]]40年代末の[[第一次オイルショック|オイルショック]]の際に光熱費節減のため、土俵入り後の休憩時間省略を目的に時間が変更された。この時点で14:20頃になる。その後十両の取組に入るが、初日と千秋楽は十両残り3番を残して日本相撲協会理事長からの挨拶︵協会御挨拶︶が入る。 十両取組終了後の概ね15:50頃に[[幕内]]力士の土俵入り・[[横綱土俵入り]]が行われる。千秋楽では十両以下各段の優勝決定戦および優勝力士の表彰が行われる。土俵入り後は中入の休憩時間に入り、初日は[[賜杯]]・[[優勝旗]]返還式が行われる。また、1・5・9月場所初日では[[優勝額]]除幕式、1月場所初日では[[年間最優秀力士賞|年間最優秀力士]]の表彰式も行われる。2日目から 幕内取組終了後に[[弓取式]]が行われ打出となり、1日の興行はすべて終了となる。時刻はこの時点で[[大相撲中継]]終了の18:00になるように調節されている。千秋楽は弓取式後に[[幕内最高優勝]]の表彰式
== 電光掲示板について ==
大相撲の本場所における電光掲示板は、上下2段に四股名が入る欄があり、その上下に赤いランプがある。奇数日には上段に東方力士、下段に西方力士が、偶数日には逆に上段に西方力士、下段に東方力士が書かれる。電光掲示板には十両と幕内(中入後)(以前は幕下上位五番も)の取組が書かれ、最も左側には十両以上の休場力士の四股名が表示される。また近年では右側に決まり手も表示されるようになった。
本場所の進行に伴う電光掲示板の表示の変化としては、十両最初の一番から赤いランプの点灯が始まり、これから取組を行う両力士の赤いランプが同時に点灯する。勝負が決まると、行司が勝ち名乗りの声を上げると共に、この取組の勝者の赤いランプが点灯したまま残り、敗者の赤いランプが消灯し、次の取組を行う両力士の赤いランプが同時に点灯する。十両最後の一番の終了時は敗者の赤いランプが消灯するだけとなり、ここから幕内土俵入り・横綱土俵入り・中入りを挟んで、幕内最初の取組を行う両力士が土俵に上がるときにその両力士の赤いランプが同時に点灯する。そして結びの一番の終了時も、敗者の赤いランプが消灯するだけとなる。
電光掲示板の四股名等の文字を書くのは[[行司]]の仕事であり、手書きで書かれる。また電光掲示板を操作するのは[[世話人]]の仕事である。
▲幕内取組終了後に[[弓取式]]が行われ打出となり、1日の興行はすべて終了となる。時刻はこの時点で[[大相撲中継]]終了の18:00になるように調節されている。千秋楽は弓取式後に[[幕内最高優勝]]の表彰式︵場所によっては先立って優勝決定戦︶が行われるため、全日程が30分ほど繰り上がる。 == かつて使われていた会場 ==
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== 場所ごとの逸話など ==
=== 1月場所
* 古くは1月場所は﹁春場所﹂と呼ばれた。[[1953年]]に大阪場所が出来て年4場所制となった時には1月場所は﹁初場所﹂か﹁春場所﹂かで協会発表に混乱があり、騒動になった。後で当時責任者だった[[年寄]][[楯山 (相撲)|楯山]]︵元[[幡瀬川邦七郎|幡瀬川]]︶の明かしたところでは、マスコミを利用した話題づくりだった。 * この場所で[[大関]]や[[横綱]]への昇進を果たした力士は多く、「祝儀場所」の異名もある。
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: この場所絶対本命と目された北の富士が不振で14日目に休場。14日目を終え3人が4敗でトップに並ぶ混戦で千秋楽を迎えるも、4敗だった[[福の花孝一|福の花]]と[[琴櫻傑將|琴櫻]]が相次いで敗れ、結びで栃東が敗れると8人が5敗で並ぶ異常事態だったが、栃東は上手出し投げで清國を破り、15日制になってから最低となる11勝4敗の成績で幕内優勝を飾った。 * [[1981年]]千秋楽 横綱[[北の湖敏満|北の湖]] - 関脇[[千代の富士貢|千代の富士]](優勝決定戦)
: ウルフフィーバーの巻き起こった場所。14連勝の千代の富士を1敗で追う北の湖が吊り出しに破って決定戦に持ち込んだが、この時北の湖の左足首が悪いのを見破った千代の富士が[[上手出し投げ]]で決定戦を制し初優勝。大関昇進も果たす。 * [[2015年]]13日目 横綱[[白鵬翔|白鵬]] - 大関[[稀勢の里寛|稀勢の里]]
: この前の取り組みで、[[日馬富士公平|日馬富士]]が敗れ、白鵬がこの取り組みに勝てば、大相撲の日本新記録となる33回の優勝が決まる一番だったが、本割では両者同体となり、物言い・協議の上取り直し。その取り直しで白鵬が勝ち、日本新記録の33回優勝が決定した。白鵬はこの場所を15連勝の全勝で、新記録達成に花を添えた。 === 3月場所
* 呼称については1月場所も参照。
** 地元大阪を中心にほかの地方場所と同じく「大阪場所」の名称を使用することもあり、中継を行うメディアにおいては[[AbemaTV]]が「大阪場所」を主に名称に使っている。
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: 45連勝中だった大鵬を新鋭戸田が破り大金星を挙げるが、実際は戸田の右足が先に土俵を割っていた。この一番は「世紀の大誤審」と呼ばれ、のちに勝負判定にビデオを導入するきっかけとなった。
* [[1975年]]千秋楽 横綱北の湖 - 大関貴ノ花(優勝決定戦)
: 本割で北の湖に敗れた貴ノ花が、決定戦では寄り切りで北の湖を破り初優勝。この時期の北の湖は優勝決定戦に弱く、同年の秋場所でも貴ノ花に敗れ、決定戦4連敗となった、 * [[1978年]]7日目 大関[[旭國斗雄|旭國]] - 前頭4枚目[[魁傑将晃|魁傑]]
: 水入り10分後、結びの一番の後に取り直しを行い、計11分に渡る熱戦の末魁傑が掬い投げで勝利。打ち出しは18時20分。魁傑は前日にも大関[[若乃花幹士 (2代)|若三杉]]と水入りの一番を取っている。 * 2017年千秋楽 横綱稀勢の里 - 大関照ノ富士
: 稀勢の里が新横綱として迎えたこの場所。13日目に日馬富士戦に敗れて初黒星を喫した際に肩を負傷し、傷めながらも本割と優勝決定戦で照ノ富士に連勝し、逆転で連覇を果たした。
=== 5月場所
* [[1946年]]の夏場所は[[太平洋戦争|戦争]]によって被災した国技館の修理が工事の遅延によって完了しなかったため、戦後初の開催中止となった(番付は発表されなかった)。
* [[2001年]]、[[内閣総理大臣|首相]]就任直後の[[小泉純一郎]]が[[内閣総理大臣杯]]の授与を行い前日の負傷を押して出場し22回目の幕内最高優勝を勝ち取った横綱[[貴乃花光司|貴乃花]]に対して﹁痛みに耐えてよく頑張った!感動したっ!おめでとう!﹂との賛辞を送った。小泉の﹁感動したっ!﹂は[[流行語]]ともなった。なおこの負傷が原因となり、貴乃花はこの優勝を最後として[[2003年]]に現役を引退し、貴乃花親方を経て[[2018年]]に日本相撲協会を退職した。 * 2011年は前場所の開催中止に引き続き八百長問題の影響で、通常の興行としてではなく[[技量審査場所]]として開催された︵成績は正式記録として残る︶。この場所は無料公開され、NHKはこの場所の生中継を行わず、総合テレビと衛星放送でのダイジェスト放送も行わない︵ニュースでの報道は行う︶。優勝額もなし。一方で[[ニコニコ生放送]]・[[ひかりTV]]等のネット配信で、前相撲から結びの一番まで完全生放送が行われた︵詳しくは[[技量審査場所]]を参照︶。 * [[2012年]]は、関脇[[鶴竜力三郎|鶴竜]]の大関昇進で1横綱6大関時代と話題になったが、[[前頭]]7枚目の[[旭天鵬勝|旭天鵬]]が同4枚目[[栃煌山雄一郎|栃煌山]]との史上初の[[平幕]]同士の[[優勝決定戦 (相撲)|優勝決定戦]]を制すると同時に初優勝の最年長記録を更新した。 * [[令和]]最初の大相撲開催となった[[2019年]]は千秋楽に[[要人|国賓]]として来日していた[[アメリカ合衆国大統領]]の[[ドナルド・トランプ]]が国技館に来場し、[[メラニア・トランプ]]夫人や[[安倍晋三]][[内閣総理大臣]]、[[安倍昭恵]]夫人と共に相撲を観戦。幕内優勝力士となった[[朝乃山英樹|朝乃山]]に特別杯﹁アメリカ合衆国大統領杯﹂を贈呈した<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20190526142645/https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052600260&g=pol|title=日米首脳、大相撲を観戦=トランプ氏が大統領杯授与|accessdate=2019年6月2日|publisher=時事通信︵2019年5月26日作成︶}}</ref>。なお、この大統領杯は来年以降も夏場所の幕内最高優勝力士に贈呈する予定となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/05/27/kiji/20190526s00005000538000c.html|title=来年以降の夏場所も米大統領杯授与へ 力士に大きな励み|accessdate=2019年6月2日|publisher=スポーツニッポン︵2019年5月27日作成︶}}</ref>。 * 2020年は、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため当初は日程を2週間遅らせることとして、その日程で番付も発表されたが、その後緊急事態宣言の延長を受けて開催中止を決定<ref name="release20200504">{{Cite press release|和書|url= ; 名勝負
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* [[1938年]]千秋楽 横綱双葉山 - 横綱玉錦
: ここまで65連勝中の双葉山に対し玉錦が執念を見せ水入りの熱戦となるが、最後は双葉山が寄り倒した。玉錦はこの年の12月に急逝し、これが現役最後の一番となった。
* [[
: この日とったりで敗れ4敗目を喫した双葉山は取組後に「信念の歯車が狂った」と発言し引退を示唆、その後引退は撤回したものの翌日より休場した。一方前場所に続き双葉山を破った五ツ嶋はこの場所、優勝した安藝ノ海に次ぐ13勝を挙げ、場所後に安藝ノ海と共に大関に昇進したのだが…
* [[1941年]]千秋楽 大関五ツ嶋 - 関脇[[照國萬藏|照國]]
: 新大関で迎えた前場所を両膝の故障で途中休場し、いきなり角番を迎えた五ツ嶋は9日目まで2敗も10日目から5連敗で7勝7敗となり、千秋楽に照國と対戦。寄り切りで勝った照國が入幕5場所で当時の最年少記録となる大関昇進を決めたのに対し、五ツ嶋は史上最短となる在位2場所で大関から陥落すると、翌場所も全休し、そのまま廃業してしまった。 * [[1942年]]14日目 横綱双葉山 - 大関照國
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* [[1975年]]8日目 小結[[麒麟児和春|麒麟児]] - 前頭筆頭[[富士櫻栄守|富士櫻]]
: 天覧相撲に組まれたこの一番で、両者は27秒に渡り計54発の突っ張り合いを展開した。
* [[1986年]]8日目 大関[[北尾光司|北尾]] - 関脇[[小錦八十吉 (6代)|小錦]]
: 取り直しの一番で当時約150キロの北尾が全体重を預けて小錦を鯖折りで下す。小錦は自らの230キロの体重も加わって右膝を痛め、その後の力士人生に大きく影を落とす重傷となった。
* [[1988年]]初日 前頭7枚目[[霧島一博|霧島]] - 前頭8枚目[[水戸泉政人|水戸泉]]
: いずれもうっちゃりで3度も取り直しとなり、最後は水戸泉がまたもうっちゃりを狙う霧島を寄り倒し、4回目で決着が付いた。
* [[1991年]]初日 前頭筆頭貴花田 - 横綱千代の富士
: [[1980年代]]、昭和最後の大横綱・千代の富士と後に貴乃花として平成の名横綱になる貴花田の初顔合わせの一番。この一番で、千代の富士は寄り切られて完敗。貴花田は初[[金星 (相撲)|金星]]を獲得。一方、千代の富士は2日後に現役引退。力士の世代交代の時を世間に知らしめた一番となった。 * 2001年千秋楽 横綱貴乃花 - 横綱武蔵丸(優勝決定戦)
: 上述のとおり、強行出場して22回目の優勝をもぎ取った一番。本割では武蔵丸にあっけなく敗れたものの、決定戦では最後の力を振り絞って右四つからの上手投げで武蔵丸を投げ飛ばした。
=== 7月場所
[[画像:Oozumo_nagoya01.jpg|thumb|200px|right|平成21年大相撲名古屋場所開催中の模様。画面右上に中日新聞社社旗が見える。午前中の撮影につき観客はまばらである。
* 本場所となったのは[[1958年]]で、6場所の中では一番後である。
* [[日本相撲協会]]と[[中日新聞社]]の共催となっている。九州場所が相撲協会の完全自主興行に移行した1974年以降︵後述︶、相撲協会以外の団体が本場所の主催元になっているのは名古屋場所だけである。中日新聞社関連では以下の特記事項がある。 198 ⟶ 217行目:
** 場所中、毎日必ず1本は中日新聞社が懸賞を出す。懸賞を出した取組は当日の[[中日新聞]](北陸中日新聞・日刊県民福井・東京新聞を含む)のスポーツ欄及び[[中日スポーツ]]([[東京中日スポーツ]]を含む)の大相撲欄で「本日の好取組」として展開予想が掲載される。
** 本場所を共催している縁もあってか、[[1987年]]以降、加藤巳一郎、大島宏彦、大島寅夫と歴代の中日新聞社社長が[[横綱審議委員会]]の委員を務めている。 ** 関係会社の[[中部日本放送]]→CBCテレビで直前に「'''大相撲名古屋場所前夜祭'''」を開催してい
** 関係会社でもある[[中日ドラゴンズ]]は球団創設80周年にあたる[[2016年]]にプロ野球チームとしては初となる懸賞を提供した。「80」に因み中入り後の8番目の取組に懸賞が掛けられている。
* ﹁荒れる名古屋﹂で知られる。夏場の開催となって、とりわけ気温が高いことで知られる名古屋ということもあり、﹁熱帯場所﹂、﹁南国場所﹂の異名をとるほどの暑さのため︵金山体育館時代は場内に冷房がなく、環境が劣悪だった︶体調管理が難しいことから調子を落とす上位力士も多いのが、その要因と言われている<ref name="amai">﹃大相撲ジャーナル﹄2017年8月号 p41</ref>。生涯ただ一度の優勝をこの場所で果たした力士も多い。 208 ⟶ 227行目:
* 2010年は[[大相撲野球賭博問題]]の為[[日本放送協会|NHK]]の生中継が中止となり(ダイジェスト版のみ放送)、協会が外部からの表彰を辞退した為表彰式は優勝旗と賞状のみとなった。
* 2020年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、大人数での移動を避けるため、名古屋での開催を取りやめ、特別に東京の両国国技館での開催となった{{R|release20200504}}{{R|sankei20200504}}。初日は従来より2週間遅い[[7月19日]]で、千秋楽は[[8月2日]]となり、1965年7月場所以来に本場所が月をまたぐこととなった。当初無観客での開催を予定していたものの、観客を入れてのイベント制限が緩和されたことで2500人程度の観客を入れて開催が行われている。主催については、通常通り中日新聞社との共催で行われ<ref>[https://www.chunichi.co.jp/article/91216 19日に大相撲7月場所初日 名古屋から離れても…] - 中日新聞、2020年7月19日5時00分配信、5時01分更新。</ref>、報道などでも正式名の﹁七月場所﹂が使用された。 * [[2021年]]は[[2020年東京オリンピック|五輪]]開催に伴い第1日曜日([[7月4日]])が初日となった。
* [[2022年]]は新型コロナウイルスの影響により休場者が相次ぎ、 * 2025年からは会場を[[愛知国際アリーナ|IGアリーナ]]に移す予定。
; 名勝負
229 ⟶ 249行目:
: 前場所も優勝して完全に復活し、綱取りに挑む照ノ富士と休場明けの白鵬が全勝同士で対決した一番。結果は白鵬が勝って全勝優勝。照ノ富士は敗れて優勝を逃したが、翌9月場所に横綱昇進を果たした。結果的にこれが白鵬の現役最後の一番となった。 === 9月場所
* 長期に及ぶ[[相撲|夏巡業]]の後の本場所であるため、ここで大きく「化ける」力士も多い。
* 同様に夏巡業を経て再起を目指す、連続休場明けの横綱がよく登場する。
* 大阪で10月に開催された[[1949年]]秋場所、6日目まで1勝5敗と不振の横綱[[前田山英五郎|前田山]]は7日目に休場届を提出するとその日のうちに帰京し、[[後楽園球場]]で行われた[[読売ジャイアンツ|巨人]]対[[サンフランシスコ・シールズ|シールズ]]の[[日米野球]]を観戦。後日これが発覚し、前田山は引退に追い込まれた。 * [[1955年]]は勤務で本場所を観戦できないビジネスマンにも会社帰りに大相撲を楽しんでもらおうとの配慮から、午前10時30分から取組開始、午後5時30分に中入り、午後8時に打ち出しという﹁ナイター興行﹂で行われた。ナイター興行はビジネスマンには好評だったが、力士にとってはコンディション作りが難しく、体調を崩す力士が続出、また遠隔地向けの版に間に合わないという理由で新聞社からクレーム<ref group=注釈>当時は遠隔地向けの新聞は、現在のような[[通信衛星]]や[[インターネット]]中継の技術がなく、地方の印刷工場も皆無であ ** しかも、このナイター本場所の11日目において、横綱[[千代の山雅信|千代の山]]対関脇[[若乃花幹士 (初代)|若乃花]]の取り組みが、史上最長となる合計17分15秒の﹁大相撲﹂となる珍事があった。本割で2回にわたり水入りの中断があり、更に力士の疲労を考えて、次の2番を先に消化してから[[取り直し#水入り後の取り直し|取り直し]]となり、結果[[引き分け]]となった。このため、打ち出しは夜8時15分と最も遅いものとなった<ref name="ナイター場所"/>。 * [[2000年
* [[俳句]]では'''相撲'''は[[秋]]の季語。
244 ⟶ 264行目:
* [[1963年]]千秋楽 横綱大鵬 - 横綱柏戸
: この年の夏場所に史上初の6連覇を達成した大鵬と、初場所から怪我や病気で4場所連続休場の柏戸が共に14戦全勝で、1960年春場所の栃若以来となる全勝同士で対戦し、寄り切りで勝った柏戸が2年8ヶ月ぶりとなる涙の復活優勝を果たした。
* [[1970年]]6日目 十両9枚目[[豊山広光|長浜]] - 十両6枚目輪島<ref>{{Cite news |title=【伝説の8番】昭和の名勝負、輪島と長浜(後の豊山)…1970年秋場所から≪その1≫ |newspaper=スポーツ報知 |date=2023-09-07 |url=https://hochi.news/articles/20230906-OHT1T51006.html |access-date=2023-09-07}}</ref>
: 学生相撲時代からのライバル同士の初対戦に、十両では異例となる懸賞金が付いた。寄り切りで勝った輪島はこの場所十両優勝。
* [[1972年]]千秋楽 関脇貴ノ花 - 関脇輪島
256 ⟶ 276行目:
* [[1983年]]千秋楽 横綱千代の富士 - 横綱[[隆の里俊英|隆の里]]
: 史上4度目となる全勝同士での楽日決戦は隆の里が吊り出しで勝利し、隆の里は双葉山以来となる新横綱での全勝優勝を達成した。
* [[1984年]]
* 1984年12日目 大関[[若嶋津六夫|若嶋津]] - 前頭6枚目小錦
* 1984年13日目 前頭6枚目小錦 - 関脇[[大乃国康|大乃国]]
* 1984年14日目 横綱千代の富士 - 前頭6枚目小錦
* 1984年千秋楽 前頭6枚目小錦 - 大関[[琴風豪規|琴風]]
: 入幕2場所目ながら得意の「プッシュ」で10日目まで8勝2敗と好調の小錦に対し、編成部は11日目に横綱隆の里と当てるが、右差しから押し出しで破り対横綱初対戦で初金星。翌12日目にはこの場所に綱取りをかける1敗の若嶋津と対戦。小錦は突っ張りをかわされ両差しに組まれるが、若嶋津が不用意に投げを打ったところを体を預けて寄り切り、この時点で前頭12枚目[[多賀竜昇司|多賀竜]]がただ1人1敗でトップ。13日目は当時日本人最重量の大乃国と対戦し、右四つがっぷりから青房下に寄って出る大乃国を上手投げで逆転し2敗を死守。14日目、多賀竜が若嶋津を熱戦の末破り1敗を守ると、小錦も千代の富士を突っ張り数発で突き出し、この時点で優勝争いは多賀竜と小錦の平幕2人に絞られる。そして千秋楽、横綱大関を次々と撃破した「小錦旋風」に対する上位陣最後の砦として登場した琴風は小錦を左四つに組み止めるも攻めきれず2分を超える大相撲となるが、小錦が出るところを琴風が左からの掬い投げで破り、[[蔵前国技館]]最後の優勝は多賀竜に決まった。
=== 11月場所
* 東西合併以降1930年に九州地方初の本場所が行われており、以降太平洋戦争が激化するまで九州場所は行われていた。[[1955年]]から2年間は準場所として施行され、[[1957年]]から本場所に昇格した<ref name="journalgen39">﹃大相撲ジャーナル﹄2017年12月号p39</ref>。昇格した年から4年連続で大関以下が優勝、﹁横綱が優勝できない場所﹂と言われたが[[1961年]]に大鵬が優勝してようやくそのジンクスが破られた。その大鵬は32回の優勝の内7回を九州場所で果たしており、大鵬にとって九州場所が最も験の良い場所となった<ref name="journalgen39"/>。 * [[福岡スポーツセンター]]で開催されていた1973年までは同名の運営会社([[西鉄グループ]])との共催だったが、1974年から日本相撲協会単独主催の自主興行となり、同時に[[福岡市九電記念体育館|九電記念体育館]]に移った。
270 ⟶ 294行目:
* [[週刊少年ジャンプ]](集英社)が2014年九州場所の懸賞として掲出され、話題となった。
* 九州場所が開催される「福岡国際センター」は、地方3本場所の中でもチケットが売れ残る状態が長く続いていたが、2017年(平成29年)の場所で久しぶりに前売りが完売。
* 集客が悪い状態が長年続いており、「不入の場所」とよく言われており満員御礼の連続記録が途切れるのも九州場所が多い。主な原因として九州には[[相撲茶屋]]が無く、チケット手配は「大相撲売店」と呼ばれる商店とプレイガイド委託による販売が主でありそれに伴う大手の顧客、贔屓筋が無いのも要因である。時期的にも一年の締めくくりであるがゆえにこの一年の相撲人気、または優勝争いの行方が売上に直接影響する場所でもある。<ref>[
* 2020年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、大人数での移動を避けるため、福岡での開催を取りやめ、特別に東京の両国国技館での開催となり、マスコミ報道などでの通称も正式名称と同じ﹁十一月場所﹂が使用された。 <!--* 近年<!--2014年以降-->は[[福岡マラソン]]<!--国際マラソンとは違う方-->の開催日を同場所の初日にするなど、福岡市内全体で(相撲・マラソン両方の)盛り上げに躍起である。-->
; 名勝負
* [[1945年]]千秋楽 前頭10枚目[[千代の山雅信|千代ノ山]] - 前頭17枚目[[大ノ海久光|大ノ海]]
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