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[[日中戦争]]においては、[[国民革命軍]]に参加。第3路軍高級参謀︵少将︶、第3集団軍第55軍参謀処長、{{仮リンク|中央訓練団|zh|中央訓練團}}中隊長を歴任。
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[[日中戦争]]においては、[[国民革命軍]]に参加。第3路軍高級参謀︵少将︶、第3集団軍第55軍参謀処長、{{仮リンク|中央訓練団|zh|中央訓練團}}中隊長を歴任。
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[[1940年]]、[[韓国光復軍]]参謀長。[[1942年]]、韓国光復軍第2支隊長を兼務。[[1945年]]2月以降は、米軍の[[戦略情報局]]︵OSS︶が朝鮮人隊員に情報・通信訓練を実施し、諜報員として朝鮮本土の重要拠点に侵入させるイーグル・プロジェクト︵Eagle Project︶を統率し、[[1945年]]8月10日には出撃を待機させたが<ref>吉倫亨(2023) p.266</ref>、突如として、日本の[[ポツダム宣言|ポツダム宣言受諾]]の報に触れることとなり、光復軍も作戦変更を余儀なくされた。8月18日、韓国光復軍挺進軍総司令として米軍輸送機[[C-47 (航空機)|C-47]]で西安飛行場を離陸し、汝矣島滑走路に着陸、 |
[[1940年]]、[[韓国光復軍]]参謀長。[[1942年]]、韓国光復軍第2支隊長を兼務。[[1945年]]2月以降は、米軍の[[戦略情報局]]︵OSS︶が朝鮮人隊員に情報・通信訓練を実施し、諜報員として朝鮮本土の重要拠点に侵入させるイーグル・プロジェクト︵Eagle Project︶を統率し、[[1945年]]8月10日には出撃を待機させたが<ref>吉倫亨(2023) p.266</ref>、突如として、日本の[[ポツダム宣言|ポツダム宣言受諾]]の報に触れることとなり、光復軍も作戦変更を余儀なくされた。日本が降伏した後の8月18日、韓国光復軍挺進軍総司令として米軍輸送機[[C-47 (航空機)|C-47]]で西安飛行場を離陸し、汝矣島滑走路に着陸、日本軍に一定の指示を与えた後、8月20日に帰還した<ref>吉倫亨(2023) p.276</ref><ref>回顧録﹃石枕﹄</ref>。
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解放後に帰国し、朝鮮民族青年団を創設。自分の勢力基盤とした。その後、[[1948年]]7月31日に初代[[国務総理 (大韓民国)|国務総理]]に任命される。当初、[[李承晩]]は李允栄を国務総理に任命する予定であったが、国会の承認を得られず、李範奭を指名し、[[国会 (大韓民国)|国会]]の承認を得た。8月15日に[[大韓民国国防部|国防部]]長官を兼任。軍の強化を推進し、米軍事顧問団の﹁政治将校制度は、専制主義国が採用している独特のもので、政治的に中立であるべき民主主義国家の軍隊に必要ではない﹂という反対を押し切って政訓局を新設<ref name=book203>{{cite book|和書| author = 佐々木春隆 | title = 朝鮮戦争/韓国編 上巻 | pages = 203}}</ref>。政訓将校を育成して将兵の精神武装させるとともに第4局︵特殊工作局︶を設けて、対遊撃、対心理、対諜報に任じさせた<ref name=book203/>。韓国軍の強化に外国軍で活躍した高級将校の入隊を呼びかけた<ref name=book203/>。また戦時に将校の補充源となる[[護国軍 (韓国陸軍)|護国軍]]や学徒護国団を編成<ref name=book205>{{cite book|和書| author = 佐々木春隆 | title = 朝鮮戦争/韓国編 上巻 | pages = 205}}</ref>。しかしこれらは後任の[[申性模]]によって政治的理由により解体させられた<ref name=book205/>。
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解放後に帰国し、朝鮮民族青年団を創設。自分の勢力基盤とした。その後、[[1948年]]7月31日に初代[[国務総理 (大韓民国)|国務総理]]に任命される。当初、[[李承晩]]は李允栄を国務総理に任命する予定であったが、国会の承認を得られず、李範奭を指名し、[[国会 (大韓民国)|国会]]の承認を得た。8月15日に[[大韓民国国防部|国防部]]長官を兼任。軍の強化を推進し、米軍事顧問団の﹁政治将校制度は、専制主義国が採用している独特のもので、政治的に中立であるべき民主主義国家の軍隊に必要ではない﹂という反対を押し切って政訓局を新設<ref name=book203>{{cite book|和書| author = 佐々木春隆 | title = 朝鮮戦争/韓国編 上巻 | pages = 203}}</ref>。政訓将校を育成して将兵の精神武装させるとともに第4局︵特殊工作局︶を設けて、対遊撃、対心理、対諜報に任じさせた<ref name=book203/>。韓国軍の強化に外国軍で活躍した高級将校の入隊を呼びかけた<ref name=book203/>。また戦時に将校の補充源となる[[護国軍 (韓国陸軍)|護国軍]]や学徒護国団を編成<ref name=book205>{{cite book|和書| author = 佐々木春隆 | title = 朝鮮戦争/韓国編 上巻 | pages = 205}}</ref>。しかしこれらは後任の[[申性模]]によって政治的理由により解体させられた<ref name=book205/>。
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