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== 生涯 ==
[[尾張藩]]主・[[徳川光友]]の次男(実は三男)。母は3代将軍[[徳川家光]]の長女・[[霊仙院|千代姫]]。
[[寛文]]6年︵[[1666年]]︶、従四位下・権少将・摂津守を授与される。[[延宝]]年間には、[[松平光長|松平越後家]]の後嗣候補、[[徳川将軍家]][[徳川家綱|家綱]]の後継候補に挙がる。[[天和 (日本)|天和]]元年︵[[1681年]]︶、将軍家光の外孫ということで信濃に3万石の新知を認められ、[[元禄]]13年︵[[1700年]]︶に美濃国高須に移封され、その初代藩主となる。子の多くは夭折したため、元禄14年︵[[1701年]]︶、甥で[[徳川綱誠]]十五男の[[松平義孝|義孝]]を養嗣子に迎える。正徳5年︵1715年︶、60歳で死去した。なお、義孝との養子縁組後に誕生し、唯一生き残った四男・武雅は、後に6代将軍・[[徳川家宣]]の弟・[[松平清武]]の養嗣子となって[[越智松平家]]を継ぐこととなった。 |