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{{otheruses|山梨県にある湖|かつて山梨県南都留郡に所在した町|河口湖町|とんねるずのアルバム|河口湖 (アルバム)}}
{{Infobox 湖
|名称=河口湖
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| 緯度度 = 35 | 緯度分 = 31 | 緯度秒 = 4
| 経度度 = 138 |経度分 = 45 | 経度秒 = 22
|面積=
|周囲長=19.08
|最大水深=14.6<ref name=pref.yama>{{PDFlink|[http://www.pref.yamanashi.jp/gesuido/documents/gaiyou.pdf 湖沼の概要]}} 山梨県</ref>
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}}
'''河口湖'''︵かわぐちこ︶は、[[本州]] == 概要 ==
湖の中央に[[うの島|'''鵜の島''']](鸕鷀島)と呼ばれる小さな島がある。また、産屋ヶ崎は富士山展望の好適地とされている<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=Q9fVtO1L5P8C&printsec=frontcover 新撰名勝地誌: 東海道西部 (Google Books)]</ref>ほか、乳ヶ崎、小曲岬(子轉ヶ崎)、長崎(胞ヶ崎)などの景勝も存在する<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=wWY84nuVT5YC&printsec=frontcover 甲斐志料集成: 地理部 1 (Google Books)]</ref><ref>[http://books.google.co.jp/books?id=DiKFI99-X3cC&printsec=frontcover 南都留郡誌 (Google Books)]</ref>。▼
富士五湖の中で最も長い湖岸線を持ち、最も低い標高地点にある。面積は富士五湖では2番目の大きさで、最大水深は[[精進湖]]とほぼ同じで14.6メートルを測る。
▲湖の中央に[[うの島|'''鵜の島''']](鸕鷀島)と呼ばれる小さな島がある。また、産屋ヶ崎は富士山展望の好適地とされている<ref>[
「[[富士山-信仰の対象と芸術の源泉]]」の構成資産の一部として[[文化遺産 (世界遺産)|世界文化遺産]]に登録されている。
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富士五湖の中で最も北に位置し、全体が[[山梨県]]南東部の[[南都留郡]][[富士河口湖町]]に属する。
河口湖には天然の流出口がないため、古来より大雨により増水し、湖岸の村々に[[洪水]]被害を出した。一方で、山を挟んだ東の新倉村︵現・[[富士吉田市]]新倉︶では透水性の[[溶岩台地]]が広がり、水利に乏しく、湖水を新倉方面へ通水させる用水路の開発が求められていた。全長3.8キロメートルを測る日本最長の手掘りトンネルといわれる[[新倉掘抜]]は[[江戸時代]]初期から工事が行われ、曲折を経て 現在は、[[1917年]]に竣工した第二嘯川(東京電力の放水路)と[[1994年]]に完成した嘯治水トンネルを合わせた、嘯(うそぶき)川から構成される放水路により、[[宮川 (山梨県)|宮川]]に放水される<ref>{{PDFlink|[
湖の東には[[三つ峠]]、北には[[御坂山地]]の[[黒岳 (御坂山地)|黒岳]]、[[節刀ヶ岳]]が連なり、さらに西には[[十二ヶ岳 (山梨県)|十二ヶ岳]]がそびえる。南側は開け、そこに富士山が山容を見せ、湖面に写る'''[[逆さ富士]]'''は、湖の優れた景勝である。 == 観光 ==
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[[ファイル:170505 Lake Kawaguchi Japan01s3.jpg|thumb|河口湖東部、中央に[[河口湖大橋]]]]
[[ファイル:Mt. Fuji view from Lake Kawaguchi.jpg|thumb|河口湖から富士山を望む。]]
[[ファイル:Mount Fuji and cherry blossoms from Ubuyagasaki, Lake Kawaguchi on April 15, 2016.jpeg|thumb|産屋ヶ崎からの富士山と桜]]
富士五湖のうち、もっとも早く観光開発された。平成になってから[[温泉]]が掘削され、[[富士河口湖温泉郷]]として東岸に[[温泉街]]が形成されている。湖畔には[[河口湖 [[ブラックバス]]が遊漁の対象として公的に認められている湖であり、マス類の放流もバスと共に盛んであるため、周囲には貸しボート店や釣具屋が多く、さらにはコンビニにまで釣り具が置いてある。全国的にもバスフィッシングのメッカとして知られており、連日多くの釣り人が訪れる。ただし、湖底に[[ルアー#ソフトルアー|ソフトルアー]]が大量に残されていることが問題視され、[[2007年]]に、[[芦ノ湖]]に次いでソフトルアー使用禁止の湖となった。 47 ⟶ 51行目:
=== 観光施設一覧 ===
*天上山公園
**[[〜河口湖〜 富士山パノラマロープウェイ]] *FUJIYAMA COOKIE
*河口湖遊覧船
*河口湖ハーブ館
*山梨宝石博物館・河口湖
*[[河口湖美術館]]
*[[河口湖
*[[河口湖猿まわし劇場]]
*[[池田あきこ#河口湖木ノ花美術館|河口湖木ノ花美術館]]
*[[久保田一竹]]美術館
*河口湖自然生活館
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<!--* [[1504年]] - 大雨のために筒口を開く?-->
* [[1559年]] - 川窪寺屋敷消失
* [[1675年]](延宝3年)-[[新倉掘抜]]の[[普請]]が開始されたと伝わる。
* [[1865年]](元治2年)-新倉掘抜が通水する。
* [[1949年]]8月 - 定員超過の遊覧ボートが湖で転覆。死者16人<ref>「乗り物の定員超過」『日本経済新聞』昭和29年10月10日11面</ref>。
<!--* [[1994年]] - 六角堂建設?-->
<!--湖沼巡礼: 趣味と伝説
富士山の地質と水理
[[勝山記]]・妙法寺記?
-->
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== 河口湖を描いた文学 ==
[[ファイル:Junichiro Tanizaki 1913.jpg|thumb|left|200x200px|谷崎潤一郎]]
[[井伏鱒二]]は[[新倉掘抜]]を取材し、[[1976年]]︵昭和51年︶1月から7月まで、雑誌﹃[[海 (雑誌)|海]]﹄に﹁新倉掘抜﹂を連載した。[[1986年]]︵昭和61年︶に﹃岳麓点描﹄と解題され、単行本化されている。 [[小説家]]の[[谷崎潤一郎]]︵[[1886年]] - [[1965年]]︶の代表作﹃[[細雪]]﹄には河口湖が登場する。﹁細雪﹂は第1回及び第2回が[[1943年]]1月と3月の﹃[[中央公論]]﹄に掲載されたものの、陸軍報道部の命令により以降の連載が中止となった。終戦後、1946年8月に﹃細雪﹄上巻が、1947年2月に中巻が[[中央公論社]]から刊行された後、同年3月から1948年10月まで﹁[[婦人公論]]﹂に下巻に相当する部分が連載された後、1948年12月に下巻が中央公論社から刊行されている。 88 ⟶ 100行目:
=== 公共交通機関 ===
* [[富士山麓電気鉄道]][[富士山麓電気鉄道富士急行線|富士急行線(河口湖線)]]:[[河口湖駅]]
== 脚注 ==
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* [[富士五湖]]
* [[美しい日本の歩きたくなるみち500選]]
== 外部リンク ==
*[https://fujisan.ne.jp/ 富士河口湖町観光情報サイト]
*[https://www.fuji-net.co.jp/report/cat-tourism-event/4624/ 河口湖 - 富士観光開発株式会社]
*[https://www.mt-fuji.gr.jp/jyunrei/kawagutiko/ 河口湖 - 富士五湖ぐるっとつながるガイド(富士五湖観光連盟)]
{{日本の湖沼}}
{{富士五湖}}
{{富士山-信仰の対象と芸術の源泉}}
{{Japan-geo-stub}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:かわくちこ}}
[[Category:富士五湖]]
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