津軽 (小説)
太宰治の小説
津軽 | ||
---|---|---|
著者 | 太宰治 | |
発行日 | 1944年11月15日 | |
発行元 | 小山書店 | |
ジャンル | 小説 | |
国 |
![]() | |
言語 | 日本語 | |
形態 | B6判 | |
ページ数 | 273 | |
![]() | ||
|
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0b/Kanita_stn_Dazai-Tsugaru-Kb.jpg/280px-Kanita_stn_Dazai-Tsugaru-Kb.jpg)
本作の一節が刻まれている
執筆の時期・背景 編集
本書は小山書店の依頼を受け、﹁新風土記叢書﹂[2] の第7編として書かれたものである。
1944年5月12日から6月5日にかけて取材のため津軽地方を旅行する[3]。本書が完成したのは1944年7月末である[4]。
﹁十五年間﹂︵﹃文化展望﹄1946年4月号︶という文章で太宰は次のように書いている。﹁私は或る出版社から旅費をもらひ、津輕旅行を企てた。その頃日本では、南方へ南方へと、皆の関心がもつぱらその方面にばかり集中せられていたのであるが、私はその正反對の本州の北端に向つて旅立つた。自分の身も、いつどのやうな事になるかわからぬ。いまのうちに自分の生れて育つた津輕を、よく見て置かうと思ひ立つたのである﹂
あらすじ 編集
私︵津島修治︶は、久しぶりに故郷・金木町︵旧・金木村︶に帰ることになった。そのついでに、津軽各地を見て回ることにして、懐かしい人々と再会する。そして小泊村を訪ね、かつて自らの子守りをしてもらった、越野タケ︵実在した人物、作中では﹁たけ﹂と平仮名表記︶を探し当てる。行程 編集
東京発 - 青森経由、蟹田泊︵中村貞次郎宅︶ - 三厩泊 - 竜飛泊 - 蟹田泊帰︵中村宅︶ - 金木泊︵生家︶ - 五所川原、木造経由、深浦泊 - 鯵ヶ沢経由、五所川原泊 - 小泊泊 - 蟹田泊︵中村宅︶ - 東京帰着備考 編集
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/60/Tsugaru_Statue_Memorial_Hall_200921.jpg/220px-Tsugaru_Statue_Memorial_Hall_200921.jpg)