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{{Infobox 将棋棋士
|名前 = 深浦康市
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|旧姓 =
|棋士番号 = 201
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|タイトル =
|段位 = 九段
|タイトル合計 = 3期
|優勝回数 = 8回
|作成日時 = 2010年9月2日
}}
'''深浦 康市'''︵ふかうら こういち、[[1972年]][[2月14日]] - ︶は、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]。棋士番号201。[[長崎県]][[佐世保市]]出身。[[花村元司]]九段門下。 == 棋歴 ==
1984年に[[新進棋士奨励会|奨励会]]に入会。5級昇級に1年かかったがその後は順調に昇級・昇段し、[[1991年]][[10月1日]]に19歳でプロデビュー︵四段昇段︶。その直後から頭角を現し、[[1993年]]︵1992年度︶の[[全日本プロ将棋トーナメント]]において、決勝五番勝負で[[米長邦雄]]を3-2で破って優勝。 1993年度、[[早指し新鋭戦]]で優勝。これにより、同年度の[[早指し将棋選手権]]への出場資格を得たが、こちらでも優勝︵決勝の相手は[[羽生善治]]︶。一つの年度に[[テレビ東京]]の両棋戦で通しの優勝を成し遂げたのは深浦だけである。 25行目:
以上のように、四段でありながらの年間優勝3回という成績により、この年度の[[将棋大賞]]の新人賞と敢闘賞を同時受賞。五段昇段前にこうした実績を挙げていたため、当時、棋士仲間から﹁深浦君は、まだ四段なの?﹂と、からかい混じりに褒められていた<ref>[[NHK杯テレビ将棋トーナメント]]で司会の[[女流棋士 (将棋)|女流棋士]]が証言。</ref>。 タイトル初挑戦は、[[羽生善治]]に挑戦した [[1996年]]の第37期[[王位戦]]である。しかし、1勝4敗でタイトル獲得はならなかった。このシリーズの第一局では、初手に端歩を突き(▲9六歩)、位取り中飛車に構える極めて珍しい作戦
また、通算勝率7割以上を長く保っていた深浦であるが、[[順位戦]]ではデビュー以来C級2組のままで停滞していた。しかし、結婚直後の1997年度から2期連続昇級でB級2組に昇級する。しかし、B級2組の1年目では9勝1敗の成績を挙げながら、不運にも3年連続昇級を逸する。 [[1999年]]
[[2003年]](2002年度)、準タイトル戦の第21回[[朝日オープン将棋選手権]]において、初代朝日選手権者の[[堀口一史座]]
[[2007年]]、第48期[[王位戦]]で羽生善治に挑戦。11年前と同じタイトル戦で同じ顔合わせとなった。七番勝負はフルセットの熱戦となったが、4勝3敗で制し、35歳にして初タイトルとなる[[王位戦|王位]]奪取に成功して、﹁九州にタイトルを持って帰る﹂という対局前の言葉を現実のものとした。九州出身棋士のタイトル獲得は、1984年の[[加藤一二三]]︵[[福岡県]]出身︶以来23年振りで、奇しくも同じタイトル︵王位︶であった。七番勝負の中で、特に最終局︵第7局、出だしは後手の羽生の[[中飛車]]︶は、中盤から終盤にかけての攻防が非常に難解で、[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK BS2]]の[[囲碁・将棋ジャーナル]]で解説をした[[佐藤康光]]は﹁歴史的な終盤の名局﹂と絶賛<ref>佐藤はさらに﹁こんなにすごい終盤は記憶にない。﹂﹁︵2枚の金を1枚の角と交換し、その角を5三に打つ手順の詰みは︶すごい手。なかなか見ない筋。奇跡的な詰みと言ってもよい。﹂と評している。</ref>。[[将棋世界]]2008年3月号の﹁プレイバック2007︵プロ棋士が選ぶ2007年名局集ベスト10︶﹂では圧倒的支持を受け第1位に輝き、第35回[[将棋大賞]]の名局賞を羽生とともに受賞した。 46行目:
=== 順位戦における不運 ===
* 1994年度、3度目のC級2組[[順位戦]](第53期)で、9勝1敗で4位(次点)。このときの昇級者は、[[久保利明]](10-0)、[[三浦弘行]]
* 1999年度︵第58期︶、B級2組順位戦で、9勝1敗で3位︵次点︶。このときの昇級者は、[[藤井猛]]と三浦弘行︵いずれも、9-1︶。 :9勝1敗で昇級を逃した経験が2度もある棋士は、順位戦の長い歴史の中でも深浦だけである。
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* 2005年度(第64期)、B級1組順位戦でまたも抜群の強さを発揮し、最終局まで2局残した状態で1期でのA級復帰を決める(最終成績は10勝2敗で1位)。
* 2006年度︵第65期︶、2度目のA級順位戦は、[[佐藤康光]]、丸山忠久、藤井猛、久保利明、三浦弘行とともに6名で4勝5敗に並んで終える。またしても順位で下位︵このときも9位︶であったため、B級1組へ降級︵最終局で勝利するものの、残留争いでライバルとなっていた久保利明と丸山忠久がそれぞれ佐藤康光と[[郷田真隆]]<ref>郷田は最終局を待たずして名人挑戦を決めていた。</ref>に勝利したため︶。 : A級順位戦で4勝しながら降級という経験を2度もした棋士は、順位戦の長い歴史の中でも深浦だけである。
* 2007年度(第66期)のB級1組順位戦では、鈴木大介ともに抜群の強さを見せ、最終局まで2局残して二人同時にA級復帰を決める(最終成績は9勝3敗で2位)。
* 2008年度︵第67期︶、3度目のA級順位戦では、三浦弘行、鈴木大介とともに3勝6敗という最下位の成績に終わり、順位が上の三浦が残留、深浦と鈴木が降級した。なお、A級在籍のタイトル保持者のB級1組陥落は史上初の珍記録である︵当時は王位︶<ref name="holderkanraku">ただし、第45期順位戦では[[福崎文吾]]が[[十段戦 (将棋)|十段]]のタイトルを保持したままB級1組からB級2組へ降級している。また、A級順位戦の途中にタイトルを失い、A級からも陥落した例としては、第29期の[[内藤國雄]]︵[[棋聖戦 (将棋)|棋聖]]︶、第41期の[[二上達也]]︵棋聖︶、第42期の内藤國雄︵王位︶、第48期の[[田中寅彦]]︵棋聖︶、第58期の[[郷田真隆]]︵棋聖︶、第61期の郷田真隆︵棋聖︶がいる。</ref>。これで、A級とB級1組との間を6年連続で往来したことになる。 63 ⟶ 62行目:
基本的には[[居飛車]]党であり、[[矢倉囲い|矢倉]]、[[角換わり]]を指すことが多い。2006年頃以降は[[振り飛車]]戦法も指す、いわゆるオールラウンドプレーヤーになっており、また、積極的な攻めも合わさった幅の広い棋風となってきている。2007年からの羽生とのタイトル戦でもその傾向が見られる。 序盤の研究家としての側面もあり、序盤作戦の指針となる『これが最前線だ
== 人物・エピソード ==
* サッカー好きであり、[[日本将棋連盟]]のサッカー部初代部長を務めた。
* 1999年、将棋漫画「[[歩武の駒]]」([[週刊少年サンデー]])の監修。
* 2006年7月2日に行われた[[JT将棋日本シリーズ]]・対[[丸山忠久]]戦において途中、同一局面が4回現れ[[千日手]]指し直しとなるはずが、両対局者、記録係、大盤解説者︵加藤一二三︶、聞き手︵[[中倉宏美]]︶の誰もが気付かず対局が進められた︵結果は深浦勝ち︶という珍しい事件が起こった。<ref>[http://www.jti.co.jp/knowledge/shogi/professional/2006/1-1kyoku/index.html 棋譜︵公式サイト︶] - 54手目△2二飛︵1回目︶から▲4八飛△4二飛▲2八飛△2二飛︵2回目︶▲7七金寄 △6五銀▲6七金寄△7四銀引︵3回目︶▲7七金寄 △6五銀▲6七金寄△7四銀引︵4回目︶。</ref> * [[日本放送協会|NHK]]-[[NHK衛星第2テレビジョン|BS2]]で毎年正月に放送される﹁[[大逆転将棋]]﹂︵司会は[[神吉宏充]]︶では、ゲストがプロに勝てる可能性を作る変則ルールの将棋が行われる。深浦は、その変則ルールのアイデアマンを務めることがある。 * 朝食は生粋のご飯党で、生卵は欠かさないという。
* 羽生との対戦成績は拮抗しており、2010年現在羽生が30局以上対局している棋士の中では最も対羽生戦の勝率が高い。王位戦で羽生からタイトルを奪い、翌年、羽生を相手に自身初の防衛戦で勝利するなど羽生キラーぶりを発揮している。その一方で、兄弟子である[[森下卓]]とは共同研究をする仲だからなのか、第29回JT将棋日本シリーズ決勝で森下と対戦した際のインタビューで﹁羽生さんよりも森下さんとの対局の方がやりにくい﹂と語っている。なお、森下はこれに対し、﹁奨励会時代、あるいは若手の時に深浦君ぐらい努力した棋士は多いかもしれない。しかし、三十半ばを過ぎても深浦君ほど努力している棋士は数人だろう﹂と評し<ref>将棋世界 2009年2月号</ref>、この努力が羽生に対して臆することなく立ち向かう自信の源になっているのだろうと指摘している。 * 時にメディアで「[[羽生世代]]の一人」と書かれることがあるが、一般的に「羽生世代」と呼ばれている棋士達より学年で1~2年下である。
* 息子は将棋とサッカーをやっており、「[[ピラメキーノ]]」の3ONストライカーに出演したことがある。
== 昇段履歴 ==
* [[1984年]] 6級 = [[新進棋士奨励会|奨励会]]入会
* [[1988年]] 初段
* [[1991年]][[10月1日]] 四段 (プロ入り = 第9回奨励会三段リーグ
* [[1994年]][[8月27日]] 五段 ([[勝数規定]])
* [[1997年]][[7月22日]] 六段 (勝数規定)
* [[2001年]][[6月28日]] 七段 (勝数規定)
* [[2004年]][[4月1日]] 八段 ([[順位戦]]A級昇級)
* [[2008年]][[9月26日]] 九段 (タイトル2期、朝日オープン選手権者1回の合計3期)
== 主な成績 ==
=== 獲得タイトル ===
* [[王位戦|王位]] 3期(2007年度(第48期) - 2009年度)
: 登場回数7回 獲得合計3期
=== 一般棋戦優勝 ===
* [[朝日オープン将棋選手権]]('''準タイトル戦''') 1回(2002年度 = 第21回)
* [[朝日オープン将棋選手権|全日本プロトーナメント]] 1回(1992年度 = 第11回)
* [[早指し将棋選手権]] 1回(1993年度 = 第27回)
* [[早指し新鋭戦]] 4回(1993年度(第12回)、1999-2001年度)
* [[オールスター勝ち抜き戦]]5勝以上 1回(第19回 = 1998-1999年度)
: 合計 8回
===在籍クラス===
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=== 記録(歴代1位または唯一のもの) ===
* 全日本プロトーナメント 最低段優勝(四段、1992年度
* [[早指し将棋選手権|早指し新鋭戦 - 早指し選手権]] 同一年度での通し優勝(1993年度)
; 珍記録▼
▲;珍記録
* A級順位戦における4勝5敗での陥落 通算2回(第63、65期)
* 順位戦で9勝1敗での頭ハネ 通算2回(第53期C級2組、第58期B級2組)
* 現役タイトルホルダーとしてA級から陥落
=== 将棋大賞 ===
* 第21回(1993年度) 新人賞・敢闘賞
* 第22回(1994年度) 敢闘賞
* 第23回(1995年度) 最多勝利賞・最多対局賞
* 第31回(2003年度) 技能賞・勝率第一位賞
* 第35回(2007年度) 敢闘賞・名局賞(第48期王位戦七番勝負第7局 対羽生善治王位戦)
== その他表彰 ==
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== 脚注 ==
{{Reflist}}
==関連項目==
* [[将棋棋士一覧]]
* [[棋戦 (将棋)]]
* [[将棋のタイトル在位者一覧 (2)]]
{{王位戦}}
{{将棋大賞名局賞}}
{{竜王戦1組 (将棋)}}
{{B級1組順位戦 (将棋)}}
{{DEFAULTSORT:ふかうら こういち}}
[[Category:将棋棋士]]
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