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{{政治家
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| 画像 = Kiyoura Keigo 2.jpg
| 画像サイズ = 250px
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| 就任日 = [[1924年]][[1月7日]]
| 退任日 = 1924年[[6月11日]]
| 元首職 =
| 元首 = [[大正天皇]]
| 国旗2 = JPN
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| 就任日2 = [[1922年]][[2月8日]]
| 退任日2 = 1924年1月7日
| 元首職2 = 天皇
| 元首2 = 大正天皇
| 国旗3 = JPN
| 職名3 = 第5代 [[枢密院 (日本)|枢密院副議長]]
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| 内閣5 = 第1次桂内閣
| 就任日5 = [[1903年]][[7月17日]]
| 退任日5 =
| 国旗6 = JPN
| その他職歴1 = 第6・9・11代 [[法務大臣|司法大臣]]
| 就任日6 = [[第2次松方内閣]])<br/>([[1896年]][[9月26日]] - [[1898年]][[1月12日]])<hr/>([[第2次山縣内閣]])<br/>(1898年[[11月8日]] - [[1900年]][[10月19日]])<hr/>(第1次桂内閣)<br/>([[1901年]][[6月2日]]
| 退任日6 = 1903年[[9月22日]]
| 国旗7 = JPN
| その他職歴2 =
| 就任日7 = [[
| 退任日7 =
}}
'''清浦 奎吾'''︵きようら けいご、{{旧字体 [[肥後国|肥後]]︵現在の[[熊本県]]︶出身。司法・内務官僚として活躍した後に[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員となり、官界や貴族院に大きな影響力を持った。その後、[[司法大臣]]、[[農商務大臣]]、[[内務大臣 (日本)|内務大臣]]、[[枢密院 (日本)|枢密顧問官]]、枢密院副議長、枢密院議長を歴任。 67 ⟶ 61行目:
== 生涯 ==
=== 生い立ち ===
[[嘉永]]3年︵[[1850年]]︶2月14日、[[肥後国]][[山鹿郡]]上御宇田村︵現‥[[山鹿市]][[鹿本町]][[来民町|来民]]︶の明照寺︵[[浄土真宗本願寺派]]︶住職・大久保了思の五男に生まれ{{sfn|小野修三|2012|p=66}}、後に清浦の姓を名乗った。清浦は[[慶応]]元年︵[[1865年]]︶から、[[豊後国]][[日田市|日田]]で、[[漢学]]者・[[広瀬淡窓]]が主催する[[咸宜園]]に学んだ。 === 官僚時代 ===
[[1876年]]︵明治9年︶8月11日には[[司法省 (日本)|司法省]]に転じ、補司法省九等出仕として出仕した{{sfn|小野修三|2012|p=66}}。これは[[岸良兼養]]の弟であり、清浦の同僚であった[[岸良俊介]]の推薦によるものであったとみられている{{sfn|小野修三|2012|p=64}}。[[検事]]、[[太政官 (明治時代)|太政官]]や[[内務省 (日本)|内務省]]の[[小書記官]]、[[参事院 (日本)|参事院]][[議官補]]などを歴任するが、この間に、[[治罪法]]︵今日の[[刑事訴訟法]]︶の制定に関与した{{sfn|小野修三|2012|p=64}}。このため、[[警視庁 (内務省)|警視庁]]などから治罪法の講義を依頼され、それが﹃治罪法講義 随聴随筆﹄という本にもなり、広く[[警察官]]に読まれたという{{sfn|小野修三|2012|p=63}}。 こうした活躍が、当時[[内務大臣 (日本)|内務卿]]であった[[山縣有朋]]の目にとまり、[[1884年]]︵明治17年︶2月25日、全国の警察を統括する内務省[[警保局]]長に、34歳の若さで異例の抜擢を受けた{{sfn|小野修三|2012|p=62}}。清浦の警保局長在任期間は7年間の長期に及んだが、その在任期間中の[[内務大臣 (日本)|内務大臣]]は、5年余りが山縣であった。清浦の警保局長時代は[[条約改正]]交渉や国会開設のために警察制度の改革が求められており、警察官の教育制度である[[警官練習所]]・[[巡査練習所]]などが設置されている{{sfn|小野修三|2012|p=62}}。 98 ⟶ 92行目:
{{see also|清浦内閣|第二次護憲運動}}
[[ファイル:Kiyoura Keigo.jpg|200px|thumb|内閣総理大臣に就任したころの清浦]]
[[1923年]](大正12年)、[[第2次山本内閣]]が[[虎ノ門事件]]で[[内閣総辞職|総辞職]]すると、[[衆議院議員総選挙|総選挙]]施行のため公平な内閣の出現を望む西園寺の推薦によって{{sfn|小山俊樹|2012|p=56}}、組閣の大命は再び清浦の下に降下した。1月1日に大命を受けた清浦は75歳という老齢と枢密院議長という職責から拝辞したい意向を1月3日に奏上するが、[[摂政]]宮[[裕仁親王]]より「此際の事であるから務めてやれ」という優諚を受けたため、清浦は組閣を行うこととなった{{sfn|小野修三|2016|p=59-58}}。熊本県出身で総理大臣に就任したのは清浦が初めてだった。
清浦は組閣にあたって自らの支持基盤であった研究会を中心としたため、内閣の構成は貴族院に大きく偏重していた。貴族院からの入閣は研究会が3、[[交友倶楽部]]が2、[[茶話会]]が1、[[公正会]]が1という配分であり、陸海軍大臣のほかは外務次官であった[[松井慶四郎]]が入閣したのみであり、政党からの入閣者はなかった{{sfn|小野修三|2016|p=57}}。ただし、西園寺が清浦推挙にあたって﹁政友会を尊重せしめ、政策により助けさせるが宣し﹂と述べたように西園寺は清浦内閣と政友会の協調が行われると考えており{{sfn|小山俊樹|2012|p=56}}、清浦の側では政友会を敵とする意図は持っていなかった。また研究会は伝統的に政友会との協調関係を持っており、組閣にあたっても政友会との調整が行われていた{{sfn|小野修三|2016|p=56}}。また[[内閣書記官長]]として政友会の衆議院議員であった[[小橋一太]]を招き、政友会との連絡も保持されていた{{sfn|小野修三|2016|p=56}}。清浦は後に貴族院で﹁過渡期ニ於イテ斯ノ如キ内閣ガ憲政ノ常道に背クモノトハ思イマセヌ﹂と答弁している{{sfn|小野修三|2018|p=34}}。 115 ⟶ 109行目:
=== 内閣総理大臣退任後 ===
[[ファイル:Keigo and Tōko Kiyoura.jpg|200px|thumb|[[妻]]の[[清浦錬子]](右)と]]
その後、清浦は[[重臣]]に列し、新聞協会会長なども歴任した。また[[重臣会議]]に参加し、[[五・一五事件]]の際には西園寺と同様に挙国一致内閣の成立を推している{{sfn|小山俊樹|2018|p=35-34}}。また1931年︵[[昭和]]6年︶[[満州事変]]{{sfn|小山俊樹|2018|p=33}}、1934年︵昭和9年︶の[[齋藤内閣]]崩壊{{sfn|小山俊樹|2018|p=33}}の際には重臣として協議に参加している。[[1941年]]︵昭和16年︶の[[重臣会議]]で[[東條英機]]の後継首相擁立を承認した。この際、清浦は四輪の車椅子に乗り、酸素吸入器を用意して上京している{{sfn|小野修三|2018|p=34}}<ref group="注釈">なお、清浦が出席したことで、前首相でありながら病欠した[[近衛文麿]]は﹁その病気というのは91歳の清浦より悪いのか?﹂と批判されることになった。</ref>。会議では[[林銑十郎]]が皇族内閣を提案したがそれに反対し、軍部からの首相を迎えるべきと意見している{{sfn|小山俊樹|2018|p=31}}。[[1942年]]︵昭和17年︶11月5日、92歳の長寿を全うした。なお、薨去した時点では清浦は史上最長寿の [[1992年]]︵[[平成]]4年︶に、清浦の生家[[山鹿市]][[鹿本町]]明照寺の隣に[https://yamaga-tanbou.jp/spot/1390/ 清浦記念館]が建てられた。なお、東京都[[大田区]]中央1丁目にある春日神社の石製社号標﹁[[村社]] 春日神社﹂は清浦の筆跡。また、東京都[[文京区]]にある[[護国寺]]の石標、東京都[[品川区]]にある[[品川神社]]の石標、埼玉県深谷市にある[[渋沢栄一記念館]]の裏手にある石標にも清浦の筆跡がある。埼玉県[[さいたま市]][[見沼区]][[風渡野]]の[[大圓寺 (さいたま市)|大圓寺]]︵埼玉県第21区小学第三校が所在した︶には清浦の顕彰碑、[[蓮沼 (さいたま市)|蓮沼]]の神明神社には清浦と共に教鞭を取った地元の名士である松澤恒次郎︵象山︶の顕彰碑の撰文と揮毫が清浦の筆跡である。 316 ⟶ 310行目:
| after = [[窪田静太郎]]
| afternote = 会長代理
}}
{{Succession box
| title = [[社会福祉協議会|全日本方面委員連盟]]会長
| years = 1932年 - 1942年
| before = [[渋沢栄一]]
| after = [[大久保利武]]
}}
{{Succession box
398行目:
{{DEFAULTSORT:きようら けいこ}}
[[Category:清浦奎吾|*]]
[[Category:
[[Category:日本の枢密顧問官]]
[[Category:貴族院勅選議員]]
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