満月寺浮御堂
滋賀県大津市の満月寺にある仏堂
満月寺 (大津市) > 満月寺浮御堂
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歴史
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寺伝によれば、源信︵恵心僧都︶︵942年 - 1017年︶が比叡山横川から琵琶湖をながめると、毎夜、その光明の赫々︵かくかく︶たるを怪しみ、網でこれを掬︵すく︶いとらせると、1寸8分の黄金の阿弥陀仏像であった。よって魚類殺生供養のために阿弥陀仏像1体を造り、その体内にこれをおさめ、1000体の阿弥陀仏像をも奉安し、浮見堂を創建したという[2]。﹁千仏閣﹂﹁千体仏堂﹂と称し、衆生制度とともに湖上通船の安全も発願した[1]。
荒廃したときもあったが[3]、桜町天皇︵1720年 - 1750年︶︵在位1735年 - 1747年︶は禁中の能舞台をたまわり、これを再興した。
風景絶佳の趣のある地で、古くより一休和尚、蓮如上人が滞在したり、松尾芭蕉︵1644年 - 1694年︶や、小林一茶、歌川広重、葛飾北斎等も訪れ、多くの詩歌、絵画を残している[1]。
先代の堂は1934年︵昭和9年︶に室戸台風によって倒壊、現在の堂は1937年︵昭和12年︶に再建された。室戸台風の直後に竜巻も近くで発生している。﹁阿弥陀仏一千体﹂を安置して﹁千本仏﹂と称し、平安時代の﹁多数功徳作善信仰﹂を今日に伝えてもいる[1]。2015年︵平成27年︶4月24日、﹁琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 ﹂の構成文化財として日本遺産に認定される[4]。
境内の句碑
編集満月寺浮見堂にある句碑[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 参拝パンフレット
- 『臨済宗大徳寺派 海門山満月寺浮御堂』海門山満月寺。