「芦屋河原の合戦」を編集中
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赤松・尚春・灘五郷連合軍は鷹尾城を直ちに占領、[[米]]、[[銭]]、兵具を略奪し城に火をかけた<ref name="ashiyagawa_zenhan"/>ようである。鷹尾城落城の様子を聞いた[[三条西実隆]]は﹁世上安危知り難し、如何々々﹂︵﹃[[実隆公記]]﹄永正八年八月十一日条︶
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赤松・尚春・灘五郷連合軍は鷹尾城を直ちに占領、[[米]]、[[銭]]、兵具を略奪し城に火をかけた<ref name="ashiyagawa_zenhan"/>ようである。鷹尾城落城の様子を聞いた[[三条西実隆]]は﹁世上安危知り難し、如何々々﹂︵﹃[[実隆公記]]﹄永正八年八月十一日条︶
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と記しており、この戦いは京の安危にも影響を与え、憂慮していることが |
と記しており、この戦いは京の安危にも影響を与え、憂慮していることが伺い知れる。その後赤松軍は正頼が逃れた伊丹城を攻囲、正頼は手勢を伊丹城に留め置いて自らは小者一人を伴い、援軍として駆け付けた波多野元清の居城[[八上城]]に籠った。 |
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一方、尚春の軍は深井城の合戦で勝利した細川政賢の軍と合流し京に向けて進軍、これに危機感を覚えた[[征夷大将軍]][[足利義稙]]は高国・大内連合軍を引き連れ、[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]に京を離れて[[丹波国|丹波]]に逃れ、政賢・尚春連合軍は入洛した。しかし[[8月24日 (旧暦)|24日]]には澄元軍が陣を張っていた[[船岡山城]]が高国・大内連合軍の攻撃を受けて、敗北した{{Refnest|group="注釈"|近江で澄元軍との挟撃を狙っていた義澄は船岡山合戦の直前に[[水茎岡山城]]で病死していた。}}。
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一方、尚春の軍は深井城の合戦で勝利した細川政賢の軍と合流し京に向けて進軍、これに危機感を覚えた[[征夷大将軍]][[足利義稙]]は高国・大内連合軍を引き連れ、[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]に京を離れて[[丹波国|丹波]]に逃れ、政賢・尚春連合軍は入洛した。しかし[[8月24日 (旧暦)|24日]]には澄元軍が陣を張っていた[[船岡山城]]が高国・大内連合軍の攻撃を受けて、敗北した{{Refnest|group="注釈"|近江で澄元軍との挟撃を狙っていた義澄は船岡山合戦の直前に[[水茎岡山城]]で病死していた。}}。
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