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何をもって識字とするかには様々な定義が存在するが、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]では、「日常生活で用いられる簡単で短い文章を理解して読み書きできる」状態のことを識字と定義している<ref>https://www.accu.or.jp/jp/activity/education/02-01d.html 公益財団法人ユネスコ・アジア文化センター (ACCU) 2017年12月16日</ref>。
この識字能力は、現代社会では最も基本的な教養のひとつとして、特に[[先進国]]においては基本的に[[初等教育]]で教えられる。したがって、これらの社会では前提として文字体型を構成要素に組み込まれ、識字能力は必須的に生活の様々な場面で求められる。特に、[[企業]]などの組織の業務の為に書類を扱ったり、[[パソコン]]等の端末を操作する場合には必須である。それとは対照的に、識字率が低い水準にありつつも伝統的な[[農村]]や[[狩猟]]を中心として成り立つ社会も存在し、その生活に必ずしも識字能力が必要とは限らない。しかしながら、[[産業革命]]以降の工業化や近年の[[インターネット]]普及に対応する形で、識字率は時と共に高まる傾向にある。このような背景から、識字率を生活水準と直結し、また国や地域の産業力とも相関する傾向があると考えられることから、[[人間開発指標]]など多くの開発指標において識字率は重要な要素の一つとなっている<ref>﹁生きるための読み書き 発展途上国のリテラシー問題﹂pv 中村雄祐 みすず書房 2009年9月10日発行</ref>。またこの理解のため、[[開発経済学]]などにおいても識字率は重要な指標の一つとして用いられる。 また、この項目を読み、内容が理解でき、何らかの形式にて書き出すことができる者は、少なくとも[[日本語]]に対する識字能力を持ち合わせているとみなすことができる。 文字を読み書きできないことを﹁'''非識字'''﹂︵ひしきじ︶または﹁'''文盲'''﹂︵もんもう︶ないし﹁'''明き盲'''﹂︵あきめくら︶といい、そのことが、本人に多くの不利益を与え、国や地域の発展にとっても不利益になることがあるという考えから、'''識字率'''の高さは基礎教育の浸透状況を測る指針として、広く使われている︵﹁識字率が低い﹂場合は﹁文盲率が高い﹂とも言い換えられる︶。 52行目:
{{出典の明記|date=2016年1月|section=1}}
文字を読み書きできない'''非識字'''︵illiteracy︶と読み書きを'''流暢'''にできる段階︵full fluency︶の間には、初歩的な読み書きを行えても、社会参加のための読み書きを満足に使いこなせない段階が存在する。これが'''[[機能的非識字]]'''︵functional illiteracy︶である。[[1956年]]にウィリアム・グレイ︵[[:en:William S. Gray|William S. Gray]]︶は識字教育に関する調査研究報告書の中で、﹁'''機能的識字'''︵functional literacy︶﹂の概念を明確にして、識字教育の目標を機能的識字能力を獲得することに設定すべきと提言した。 === 非識字者への配慮 ===
公共サービスや選挙などで非識字者が排除されないようにする取り組みが行われている。インドの選挙は押しボタン式の[[電子投票]]機を使用するが、識字率が73%︵2016年時点︶とされることから候補者名と共に所属政党のシンボルマークを表示するようになっている<ref>{{Cite web |title=︻世界選挙紀行︼インド④ 超簡単!投票は“電子投票マシン”で {{!}} 選挙を知ろう {{!}} NHK選挙WEB |url=https://www.nhk.or.jp/senkyo/chisiki/ch18/20160525.html |website=www.nhk.or.jp |access-date=2024-04-19 |last=日本放送協会}}</ref>。 == 国別の識字率 ==
{{Main|識字率による国順リスト}}
一般に、識字率の調査は、角︵2012︶の研究で詳述されているように、実施方法・費用調達の点において、設計と実施が極めて困難であり、流布されている数値の信頼性はかなり低いと考えなければならない。この識字率の信頼性の低さは先進国・途上国を問わない。途上国の多くにおいては国勢調査時の回答または初等教育の就学率がそのまま識字率として流用されるケースが多く、一方先進国においてはほとんどすべての人が識字能力を持っていると推定され、非識字者があまりにも少なく必要性が疑わしいため調査を行わず、﹁ほぼ全員が識字能力を持つ﹂という意味で識字率99%と回答することが多いためである<ref>﹃生きるための読み書き 発展途上国のリテラシー問題﹄ p.13.中村雄祐 みすず書房 2009年9月10日発行</ref>。日本においても識字率調査は第二次世界大戦後にGHQの要請で行われた1948年︵昭和23年︶の調査を最後に行われていない<ref>https://www.stat.go.jp/library/faq/faq27/faq27n03.html ﹁各国の識字率﹂総務省統計局 2017年12月28日閲覧</ref>。このため、[[アメリカ]]や[[日本]]といった多くの先進国の識字率は99%以上と推定されてはいるものの、[[国連開発計画]]の調査データにおいては調査が行われていないためにデータは空欄となっている<ref name="名前なし-1">http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf ﹁統計別表 - 国連開発計画︵UNDP︶﹂p190 2017年12月28日閲覧</ref>。先進国でも民間団体の調査により非識字者の存在が確認されている<ref name=":3">[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/4000609.pdf 駐在員だより ミシガンの識字と経済] - 滋賀県</ref>。 [[2015年]]時点で最も識字率の低い国家は[[アフリカ大陸]]の[[ニジェール]]であり、識字率は19.1%にとどまっている。以下、識字率が低い順に[[ギニア]]、[[ブルキナファソ]]、[[中央アフリカ]]、[[アフガニスタン]]、[[ベナン]]、[[マリ共和国|マリ]]、[[チャド]]、[[コートジボワール]]、[[リベリア]]の順となっており、これらの国家の識字率はいずれも50%を割っている<ref>http://www.stat.go.jp/naruhodo/c3d0908.htm ﹁9月8日 国際識字デー﹂総務省 統計局 なるほど統計学園 2017年12月27日閲覧</ref>。 107 ⟶ 110行目:
== 歴史 ==
=== 総論 ===
その歴史において文字を持たなかった文明においては識字という概念が存在しないのは当然であるが、文字を発明または導入した文明においても古代から中世における識字率はどこも非常に低いものだった。文字を記し保存する媒体、およびそれを複製する手段に制限があったため文字自体の重要性が低く、貴族など社会の指導層や聖職者を除いて識字能力を獲得する必要性が少なかったためである。こうした状況は、[[紙]]の発明によって媒体の制限がやや緩んだものの、どの社会においても中世にいたるまでほとんど変わらなかった。 農業においては暦の把握は重要であるが、文字を読めない農民に理解させるため絵で表した[[盲暦]]のような工夫も行われた。
識字能力をも持たない庶民が領主への嘆願書や訴状などを作成する場合、代筆が必要になるため[[代書屋]]や[[訟師]]のような職が発生した。
こうした状況は、[[ヨハネス・グーテンベルク]]による[[活版印刷]]の発明によって大きく変化した。活版印刷によって[[本]]が大量に供給されるようになり、それまで非常に高価だった書籍が庶民でも手に入るようになったため、識字の必要性が急激に高まったのである。また印刷によって書籍に整った文字が並ぶようになったことは、それまでの手書き本に比べて読解を容易なものとし、識字の有用性をより高めることとなった。こうした書籍の氾濫は、貴重な本を一人の人間が読み上げそれを周囲の大勢の人間が拝聴するという形で行われていた知識の伝達システムを変化させ、聴覚に代わり視覚が優位に立つ新しい方法が主流となったため<ref>﹁印刷・スペース・閉ざされたテキスト﹂ウォルター・オング︵﹁歴史の中のコミュニケーション メディア革命の社会文化史﹂所収︶p135 デイヴィッド・クロウリー、ポール・ヘイヤー編 林進・大久保公雄訳 新曜社 1995年4月20日初版第1刷</ref>、識字能力の重要性はさらに増大した。▼ 貴重な書物を[[写本]]するため、権力者は[[スクライブ]]のような職人を抱えていた。宗教団体では[[写経]]のように経典の筆写を修行として行っていた。これらの手書きの本は作成に時間がかり数も限られるため高価であったことから、庶民にとって識字能力は有用性が少なかった。 全ての文化で文字があるわけではなく無文字社会も多かったが、19世紀以降には[[ラテン文字]]などによる[[正書法]]を定めるようになり、[[カトリック]]や[[プロテスタント]]の[[宣教師]]は文字を持たない民族への布教において現地諸言語のラテン文字化を推進した<ref>「図説 アジア文字入門」p102 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所編 河出書房新社 2005年4月30日初版発行</ref>。▼
▲こうした状況は、[[ヨハネス・グーテンベルク]]による[[活版印刷]]の発明によって大きく変化した。活版印刷によって[[本]]が大量に供給されるようになり、それまで非常に高価だった書籍が庶民でも手に入るようになったため、識字の必要性が急激に高まったのである。また印刷によって書籍に整った文字が並ぶようになったことは、それまでの手書き本に比べて読解を容易なものとし、 貴重な本を一人の人間が読み上げ、それを周囲の大勢の人間が拝聴し覚えるという形で行われていた知識の伝達システムを変化させ、聴覚に代わり視覚が優位となった<ref>「印刷・スペース・閉ざされたテキスト」ウォルター・オング(「歴史の中のコミュニケーション メディア革命の社会文化史」所収)p135 デイヴィッド・クロウリー、ポール・ヘイヤー編 林進・大久保公雄訳 新曜社 1995年4月20日初版第1刷</ref>。
▲全ての文化で文字があるわけではなく無文字社会も多かったが、19世紀以降には[[ラテン文字]]などによる[[正書法]]を定めるようになり、[[カトリック]]や[[プロテスタント]]の[[宣教師]]は文字を持たない民族への布教において、現地諸言語のラテン文字化を推進した<ref>﹁図説 アジア文字入門﹂p102 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所編 河出書房新社 2005年4月30日初版発行</ref>。この活動による調査は[[言語学]]にも影響を与えた。 === メソポタミア ===
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=== 古代エジプト ===
[[古代エジプト]]の教育制度については不明な点が多いが、貴族や裕福な農民の子供 === ヨーロッパ ===
[[ローマ帝国]]の[[ローマ軍|軍]]では、[[ローマ市民権]]を持つ者からなる[[ローマ軍 [[中世]]も後期に入ると知識階級の間ではローマ教会の公用語であったラテン語の読み書きが広まり、ヨーロッパ内で知識人たちは自由にやり取りをすることが可能となっていったが、一般民衆には全く縁のないものであった。教育、特に高等教育はすべてラテン語で行われ、書物もラテン語で書かれ、[[聖書]]もラテン語で書かれるものであり、一般民衆がこれらを読むことは困難だった。これはすなわち、各地方の言語で行われる一般市民による音声言語の文化と、知識人たちによる文章言語の文化が断絶していたことを示している{{Sfn|江藤恭二監修|2008|p=22}} [[キリスト教]]では庶民層への布教手段として、礼拝での[[説教]]、[[賛美歌]]の唱和、聖人の姿や聖書の逸話を描いた宗教画などを利用していた。庶民の出生や洗礼などの記録は教会の聖職者が教会簿に記録していた。
[[イングランド]]において[[機能的識字]]が社会的に浸透したのは、11 - 13世紀とされる<ref>{{Cite book|和書|title=日本の歴史11太平記の時代|date=2001年|publisher=講談社|pages=244|author=新田一郎}}</ref>。▼ この状況が変化するのは、[[マルティン・ルター]]によって[[宗教改革]]が開始されてからである。[[プロテスタント]]諸派は聖書を信仰の中心に据えたため、一般市民も聖書を読むことができるよう聖書の各国語への翻訳と民衆への教育を積極的に行い始めた{{Sfn|江藤恭二監修|2008|p=23}}。同様の理由でこの時期プロテスタント圏においては[[義務教育]]が提唱されるようになり、17世紀前半には[[ワイマール公国]]・[[ゴータ公国]]・[[マサチューセッツ植民地]]などで義務教育が導入されるようになった。その後もプロテスタント圏における義務教育推進や母国語識字教育は続き、18世紀には周辺地域に比べ新教地域の識字率は高かったとされている{{Sfn|江藤恭二監修|2008|p=11}}。こうした教育の普及努力により、17世紀以降西ヨーロッパ諸国において識字率は徐々に上昇を始めた。しかしこの時期においても知識階級の文章言語はラテン語のままであった。 17世紀と18世紀を通じ上昇を続けた識字率は、19世紀に入るとより一層上昇するようになった。これは産業革命の開始によって識字能力が業務上多くの職種において必須となり、国力を増進させたい国家と生活水準を上昇させたい市民がともに識字能力を強く求めるようになったからである。ほとんどの国で義務教育が導入されるようになり、またラテン語にかわって各国語において高度な知識が記述され出版されるようになり、知識階級と一般市民の文章言語の断絶が解消したのもこの時期のことである。19世紀末には、イギリスやフランスなど当時の最先進国においては識字率が9割を越え、ほとんどの人々が文字を読み書きすることが可能となっていた{{Sfn|江藤恭二監修|2008|p=24}}。 ヨーロッパ各国により植民地化された地域では宗主国の教育制度が導入され、現地の支配階級に教育が施された。
非識字の成人をサポートする{{仮リンク|プロトリテラシー|en|ProLiteracy}}の調査では、アメリカでは小学校3年生レベルの読み書きが出来ない成人が3600万人(3200万人とも<ref>{{Cite web |title=About Us |url=https://planetwordmuseum.org/about/ |website=Planet Word Museum |access-date=2024-01-26 |language=en-US}}</ref>)いるとされる<ref name=":3" />。
[[アメリカ合衆国の教育|アメリカの教育]]は州や[[アメリカ合衆国の学区|学区]]ごとに教育方針が異なることや、自治体の独立性が高いことから予算も異なるため、財政難の地域では公教育も不十分となっている。財政破綻した[[デトロイト]]では17歳以上の半分が日常生活に必要なレベルの読み書きが出来ない状態とされる<ref name=":3" />。[[1977年]]生まれの[[フロイド・メイウェザー・ジュニア]]は貧しかった幼少期に十分な教育を受けていないことから読み書きが苦手<ref>{{cite web |url=http://www.nydailynews.com/sports/more-sports/boxer-floyd-mayweather-jr-literate-perfect-reading-made-living-article-1.1927054 |title=Boxer Floyd Mayweather Jr. says he’s literate, ‘I would be perfect at reading if it was how I made my living’ |publisher=N YDaily News.com |date=2014年9月3日 |accessdate=2017年2月18日}}</ref>、であるなど家庭環境の影響も強い。 === アジア (漢字圏) ===
近代以前の東アジアでは中国の影響により知識階級は[[漢籍]]([[四書五経]]など)や[[仏典]]で漢字を習得していたが、庶民層は自国の文字を使うため、漢字を知る支配階級と格差が存在した事例が多い。▼
前近代の[[中国]]では識字能力を持たない庶民のための代筆業者もおり、[[科挙]]を断念した知識層が[[訟師]]のような活動を行っていた。1950年代から、識字率を引き上げる目的で[[簡体字]]を採用し、多くの漢字を9画以内に収めた。▼ [[15世紀]]に[[ハングル]]を創製して[[表音文字]]を導入した朝鮮では、ハングルのみを知っている人間は庶民にも少なからずいたが、漢字に関しては初歩的な字以上の知識を持つ者は非常に少なく、知識階級や
ベトナムでは[[表音文字]]を自力で開発しなかったため、複雑な[[チュノム]]と漢字を知ることができる層と、それ以外とに分かれ、庶民は文字を知っていても、少数の漢字とチュノムを書けるだけという例が多かった。▼
=== 日本 ===
==== 近世以前 ====
日本での文字の普及は比較的遅く、[[6世紀]]頃からである<ref>[https://kotobaken.jp/qa/yokuaru/qa-66/ 漢字はいつから日本にあるのですか。それまで文字はなかったのでしょうか | ことばの疑問 | ことば研究館]</ref>。近世以前には公家や僧侶など知識階級は、中国からもたらされた漢籍 公家や僧侶以外には中央との文章をやりとりする[[在地領主]]、商取引に[[証文]]が必要な[[有徳人]]などが書いた文章が残されている。庶民層の普及は不明だが、1311年ごろの書かれた土地取引の証文では、女性が土地の売主となっていたことから仮名で書かれていた<ref>{{Cite web|和書|title=企画展示 {{!}} スケジュール {{!}} こどもれきはく︵国立歴史民俗博物館︶ |url=https://www.rekihaku.ac.jp/kids/schedule/special/o181016.html |website=www.rekihaku.ac.jp |access-date=2023-09-18}}</ref>。また拇印する例もあった<ref name=":2">{{Cite web|和書|title=中世の古文書 -機能と形- 担当者インタビュー 第4回|これまでの企画展示|企画展示|展示のご案内|国立歴史民俗博物館 |url=https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/131008/i004.html |website=www.rekihaku.ac.jp |access-date=2023-09-18}}</ref>。 一方で、[[1232年]]に制定された[[御成敗式目]]の意義について、[[北条泰時]]が弟の[[北条重時]]に宛てた書状︵泰時消息文︶において、﹁[[武士]]の多くは[[仮名 (文字)|仮名]]は読めるが難解な[[漢文]]︵中国語︶を読めないため、律令について知らないことから、武士にも理解出来る︵簡素な︶文にした﹂と記しており、初期の武士の多くは仮名と簡単な漢字しか読めなかったと考えられている。遺言書は偽造を防止するため自筆であったが、多くは仮名で書かれている。武士の間では公式な文章を作成する際には[[書札礼]]に精通した[[右筆]]に代筆させ、自身は署名・[[花押]]を押すという習慣が広まった。後に武士の識字率が向上すると、右筆は次第に秘書や[[事務官|事務官僚]]化していった。 [[仏教]]では庶民層への布教として[[仏像]]や[[仏教絵画]]などが利用され、[[仏教美術]]が発展した。庶民へ仏法を説く[[唱導]]は音韻や抑揚を伴っており、発展した[[節談説教]]は江戸期に娯楽として受け入れられ、[[浪曲]]・[[講談]]・[[落語]]など日本の[[話芸]]の源流となった。 書物の内容を読み上げて集めた聴衆に聞かせる行為も盛んに行われ、[[軍記物]]を読み上げる[[講談]]は[[演芸]]として発展した。
[[室町時代]]には読み書きが広い階層へ普及し始めたため、『[[下学集]]』や「[[節用集]]」などの実用的な[[辞典]]が編纂された。これらの辞典は漢字に読み仮名が振られており、仮名については普及していたと考えられている<ref name=":2" />。
[[1443年]]に[[朝鮮通信使]]一行に参加して日本に来た[[申叔舟]]は、﹁日本人は男女身分に関わらず全員が字を読み書きする﹂と記録し、また幕末期に来日した[[ヴァシーリー・ゴロヴニーン]]は﹁日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない﹂<ref>﹃日本幽囚記﹄︵井上満訳、岩波文庫 p.31 </ref>と述べている。ここでは漢字と仮名の違いについて言及されていない。一方、近世までの日本の識字率は同時代の北西ヨーロッパには遠く及ばない水準であり、庶民向けに[[盲暦]]や[[絵心経]]などが考案されるなど、﹁江戸時代の日本の識字率は世界一だった﹂という説も現在の研究では否定されている{{Sfn|岩下誠|2020|p=96}}{{Sfn|ルビンジャー|2008}}。 江戸時代後期に発展した[[瓦版]]には、内容を描いた絵も大きく描かれていた<ref>{{Cite web 近世の識字率の具体的な数字について明治以前の調査は存在が確認されていないが、江戸末期についてもある程度の推定が可能な明治初期の文部省年報によると、[[1877年]]に[[滋賀県]]で実施された最も古い調査で﹁6歳以上で自己の姓名を記し得る者﹂の比率は男子89%、女子39%、全体64%であり、[[群馬県]]や[[岡山県]]でも男女の自署率が50%以上を示していたが、[[青森県]]や[[鹿児島県]]の男女の自署率は20%未満とかなり低く、地域格差が認められる<ref name="jisho">[[八鍬友広]], [https://ci.nii.ac.jp/naid/110001175731/ ﹁近世社会と識字 (<特集> 公教育とリテラシー)]﹂, 教育學研究, 70(4), 524-535, (2003).</ref>。 163 ⟶ 198行目:
|}
ただし、近世の正規文書は話し言葉と全く異なる特殊文体と複雑な書式︵[[書札礼]]︶の知識が必要であり、公家や僧侶など幼少から学習を続けた者か[[右筆]]のような専門職が行う仕事であった。近世期で﹁筆を使えない者﹂を意味する﹁無筆者﹂とは公文書の作成に必要な漢字や正式な文体︵漢文︶を知らない者を意味しており<ref group="注釈"> 義務教育開始以前の庶民の文字教育を担ったのは[[寺子屋]]であり、仮名と初歩的な漢字の学習、および初歩の[[算数]]を加えた﹁読み書き算盤﹂が主要科目であった。寺子屋の入門率から識字率は推定が可能であるが、確実な記録の残る[[近江国]]神埼郡北庄村︵現・[[滋賀県]][[東近江市]]︶にあった寺子屋の例では、入門者の名簿と人口の比率から、幕末期に村民の91%が寺子屋に入門したと推定される<ref name="jisho"/>。江戸期には武士の子息は7〜8歳になると[[藩校]]に入り、[[四書五経]]をテキストに素読と習字を学んでいた。 ==== 近代以後 ====
明治時代に欧米式の[[義務教育]]が開始されたが、徐々にその普及が進んでいくにしたがって識字率は上昇していった。なお地方では学校が建設されるまでは江戸期の学習スタイルも残っており、[[1866年]]([[慶応]]2年)に[[豊後国|豊後]]の[[下毛郡]]大幡村で生まれた[[宇都宮仙太郎]]は村に学校が無かったため、同郷の先輩から[[論語]]や[[十八史略]]をテキストに指導を受け、村に小学校ができた[[1877年]]([[明治]]10年)から1年間通学し中学校に進学した<ref name=":22">{{Cite web|和書 |url=https://www.rakuno.ac.jp/wp-content/themes/rgu/file/spirit_04.pdf |title=安宅一夫「日本酪農の父・宇都宮仙太郎のまぼろし」 |accessdate=2022-02-25}}</ref>。
明治時代に欧米式の[[義務教育]]が開始され、徐々にその普及が進んでいくにしたがって識字率は上昇していった。しかし明治政府が[[印章]]文化の偏重を悪習と考え、欧米諸国にならって[[署名]]の制度を導入しようと試みたが<ref>{{Cite wikisource|title=諸証書ノ姓名ハ自書シ実印ヲ押サシム|wslanguage=ja}} 明治10年[[太政官布告]]第50号</ref>{{sfn|新関欽哉|1991|pp=176–178}}、事務の繁雑さと共に識字率の低さを理由に反対意見が相次いだため断念している{{Sfn|新関欽哉|1991|pp=176–183}}など、明治初期には公共サービスに支障があるレベルだったことが窺える。明治になると[[文明開化]]の流れに乗って多数の新聞が創刊されたが、政府を擁護する[[御用新聞]]と[[自由民権運動|自由民権]]派の[[政論新聞]]のような知識階級向けか、[[横浜毎日新聞]]のような業界紙に近い新聞が中心であった([[日本の新聞]])。政府は新聞を国民の啓蒙に利用するため積極的に保護する政策を取ったが、その一つとして聴衆に新聞を読み聞かせる[[新聞解話会]]の開催を推奨した<ref>{{Cite web |title=館報「開港のひろば」 横浜開港資料館 |url=http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/082/082_05.html |website=www.kaikou.city.yokohama.jp |access-date=2023-01-08}}</ref>。[[1875年]]ごろになるど、政論中心で知識人を対象とした「[[大新聞と小新聞|大新聞]]」と娯楽中心で一般大衆を対象とした「[[大新聞と小新聞|小新聞]]」に分かれるようになっており、一般市民の識字率が向上したことがうかがえる。この時期の識字率調査としては[[1899年]](明治32年)より第二次世界大戦直前まで、[[徴兵検査]]と同時に新成人男子に対し行われた「壮丁教育程度調査」があるが、これによれば調査開始の1899年においては成年男子の23.4%は文字を読むことができず、20歳識字率は76.6%にとどまっていたが、その後識字率は急速に上昇し、[[1925年]](大正14年)には20歳非識字率はわずか0.9%、機能的非識字者を合わせても1.7%にまで減少して、このころまでに新規の非識字者の出現はほぼ消滅したと考えられていた。女性においても[[1935年]](昭和10年)ごろには新規非識字者の出現はほぼなくなったと考えられており、この時点で非識字者は、すでに成人したもののみに限られるという見解が一般的であった<ref name=hiroshima2014>http://home.hiroshima-u.ac.jp/cice/wp-content/uploads/2014/02/15-1-04.pdf 「識字能力・識字率の歴史的推移――日本の経験」斉藤泰雄 広島大学教育開発国際協力研究センター『国際教育協力論集』第 15 巻 第 1 号(2012) 55 ~ 57頁 2017年12月28日閲覧</ref>。▼
明治政府が[[印章]]文化の偏重を悪習と考え、欧米諸国にならって[[署名]]の制度を導入しようと試みたが<ref>{{Cite wikisource|title=諸証書ノ姓名ハ自書シ実印ヲ押サシム|wslanguage=ja}} 明治10年[[太政官布告]]第50号</ref>{{sfn|新関欽哉|1991|pp=176–178}}、事務の繁雑さと共に識字率の低さを理由に反対意見が相次いだため断念している{{Sfn|新関欽哉|1991|pp=176–183}}など、明治初期には公共サービスに支障があるレベルだったことが窺える。 戦後の日本では初等教育で日本語の読み書きを学習するため成人の非識字者はいないという建前上、積極的な調査研究はほとんど無く<ref name=hiroshima2014 />、1955年に行われた日本語の読み書きに関する調査でも「日本に読み書きできない人はほとんどいない」という見解に基づき、調査は関東と東北に居住する15~24歳の1460人を対象とした 「国民の読み書き能力調査」のみで終了し<ref name=":0" /><ref name=gendai_001>[https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4057/index.html ひらがなも書けない若者たち ~見過ごされてきた“学びの貧困”~] - [[クローズアップ現代]]</ref>、識字率は「終わった課題」とされていた<ref name=":1">{{Cite web |title=【詳しく】最終学歴“小卒”80万人 50代以下も2万人 なぜ? {{!}} NHK |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220624/k10013686391000.html |website=NHKニュース |date=2022-06-24 |access-date=2023-06-15 |last=日本放送協会}}</ref>。1948年の大規模調査から時間が経過し、義務教育を受けられなかった者の存在や、在留外国人が母国から呼び寄せた子息の増加など社会構造の変化を捉えていないとされ、[[国立国語研究所]]で識字率の調査を行う野山広は「識字率100%は『[[共同幻想]]』」という意見を述べている<ref name=":1" />。[[日本放送協会|NHK]]が独自に行った2017年の調査では、義務教育を受けられないため基本的な日本語の読み書きが出来ない成人や、成人後に[[中学校|夜間中学校]]で習得した事例<ref>{{Cite web|title=60代から文字を学んで…娘の出生届も書けず、結婚35年で妻に初のラブレター : エンタメ・文化 : ニュース|url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20211009-OYT1T50133/|website=読売新聞オンライン|date=2021-10-09|accessdate=2021-10-11|language=ja}}</ref>も確認されており、正確な識字率は不明である<ref name=gendai_001 />。現代では病気や不登校、外国人などの理由などで義務教育を十分に受けていないが書類上では卒業した「形式卒業者」がおり、2020年の[[国勢調査]]で最終学歴を「小卒」と答えた84万人の内、戦後の混乱期に就学時期が重なっていない50代以下も2万人ほどおり、漢字が読めないため就業に支障を来している者が確認されている<ref>{{Cite web |title=「漢字が読めない」日本の識字率ほぼ100%は幻想か 見過ごされてきた「形式卒業者」の存在、注目集める夜間中学 | 47NEWS |url=https://nordot.app/1038705390451458905?c=39546741839462401 |website=47NEWS |date=2023-06-15 |access-date=2023-06-15 |language=ja-JP |last=47NEWS}}</ref><ref name=":1" />。また第二次世界大戦後の混乱により[[樺太]]に取り残され、後に日本に帰国した樺太残留邦人の中にも日本語の読み書きが出来ない者がいる<ref>{{Cite web|title=樺太残留邦人に言葉の壁 日本語「読めない」4割:東京新聞 TOKYO Web|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/123392|website=東京新聞 TOKYO Web|accessdate=2021-08-12|language=ja}}</ref>。▼
▲ [[アイヌ]]は文字を持たなかったが、明治政府によってアイヌへの日本語教育が開始され、日本語が使われるようになった。また[[アイヌ語]]の表記にはカタカナが利用されるようになった。
[[日本語の表記体系|日本語の表記]]は複雑過ぎて教育に支障が出るとして、[[明治時代]]と日本の第二次世界大戦敗戦(1945年-)後に[[漢字廃止論]]や[[ローマ字論]]が起きたが、実際に行われたのは[[当用漢字]]による漢字制限などに留まった<ref>[https://cir.nii.ac.jp/crid/1050001202546660224 阿久津 智「日本語表記に関する歴史的考察」]</ref>。▼
▲[[日本語の表記体系|日本語の表記]]は複雑過ぎて教育に支障が出るとして、[[明治時代]] ▲=== アジア ===
▲近代以前の東アジアでは中国の影響により知識階級は漢籍や仏典で漢字を習得していたが、庶民層は自国の文字を使うため、漢字を知る支配階級と格差が存在した事例が多い。
▲戦後の日本では初等教育で日本語の読み書きを学習するため成人の非識字者はいないという建前上、積極的な調査研究はほとんど無く<ref name=hiroshima2014 />、1955年に行われた日本語の読み書きに関する調査でも﹁日本に読み書きできない人はほとんどいない﹂という見解に基づき、調査は関東と東北に居住する15~24歳の1460人を対象とした ﹁国民の読み書き能力調査﹂のみで終了し<ref name=":0" /><ref name=gendai_001>[https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4057/index.html ひらがなも書けない若者たち ~見過ごされてきた“学びの貧困”~] - [[クローズアップ現代]]</ref>、識字率は﹁終わった課題﹂とされていた<ref name=":1">{{Cite web ▲中国では1950年代から、識字率を引き上げる目的で[[簡体字]]を採用し、多くの漢字を9画以内に収めた。
1938年から1948年まで一般代書人([[行政書士]]と代筆業の兼務)を営んでいた[[桂米團治 (4代目)|4代目桂米團治]]が、自身の経験を元に創作した新作落語『[[代書]]』では、無筆の男が[[履歴書]]の代書を依頼しにやってくるという話である。
▲[[15世紀]]に[[ハングル]]を創製して[[表音文字]]を導入した朝鮮では、ハングルのみを知っている人間は庶民にも少なからずいたが、漢字に関しては初歩的な字以上の知識を持つ者は非常に少なく、知識階級や富裕な商人に限られていた。
[[国立国語研究所]]では現代の問題を踏まえ識字率の試行調査として一部の夜間中学で調査を行っており、さらに日本語学校や全国規模の調査を計画している<ref name=":1" />。また[[国立国語研究所]]の横山詔一は﹁日本人は識字率が高い﹂とされる根拠の1948年GHQ調査とその報告書﹁日本人の読み書き能力﹂︵東京大学出版部、1951年︶について、90問中65問が選択式であるため全て勘で選んでも0点にはならない可能性や、高得点者についても満点の割合はミスなどを補正しても6.2%であることから﹁﹃正常な社会生活を営むのにどうしても必要な文字言語を理解する能力﹄は決して高いとは言えない﹂と明記されている点を指摘している<ref name=":4">{{Cite web |title=日本人の識字率は高いのか 揺らぐ根拠、戦後教育にも影響? |url=https://www.sankei.com/article/20240131-AO37WIBTZZP7ZDSMRYNNQRA2JY/ |website=産経ニュース |date=2024-01-31 |access-date=2024-01-31 |language=ja |first=大泉 |last=晋之助}}</ref>。横山は徴兵時の調査結果は高い水準であることから、性別・学歴・出身地などで格差が存在したと推測され、この結果を踏まえていれば戦後教育はより良質なものになったが、詳細を分析せずに﹁日本人の識字率は高い﹂で思考停止したことで格差が無視された可能性もあり、科学的な再検討の必要性を主張している<ref>﹁﹁識字率高い日本人﹂根拠曖昧﹂読売新聞2023年9月19日付朝刊文化面</ref><ref name=":4" />。 ▲ベトナムでは[[表音文字]]を自力で開発しなかったため、複雑な[[チュノム]]と漢字を知ることができる層と、それ以外とに分かれ、庶民は文字を知っていても、少数の漢字とチュノムを書けるだけという例が多かった。 ▲[[イングランド]]において[[機能的識字]]が社会的に浸透したのは、11 - 13世紀とされる<ref>{{Cite book|和書|title=日本の歴史11太平記の時代|date=2001年|publisher=講談社|pages=244|author=新田一郎}}</ref>。 == 脚注 ==
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