「識字」の版間の差分
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日本での文字の普及は比較的遅く、[[6世紀]]頃からである<ref>[https://kotobaken.jp/qa/yokuaru/qa-66/ 漢字はいつから日本にあるのですか。それまで文字はなかったのでしょうか | ことばの疑問 | ことば研究館]</ref>。近世以前には公家や僧侶など知識階級は、中国からもたらされた漢籍︵[[四書五経]]など︶や[[仏典]]を通して[[漢字]]や[[漢文]]の読み書きを修得しており、江戸時代までこれらの書物が教科書として利用され、[[明治維新]]後にも一部が利用された。 公家や僧侶以外には中央との文章をやりとりする[[在地領主]]、商取引に[[証文]]が必要な[[有徳人]]などが書いた文章が残されている。庶民層の普及は不明だが、1311年ごろの書かれた土地取引の証文では、女性が土地の売主となっていたことから仮名で書かれていた<ref>{{Cite web 一方で、[[1232年]]に制定された[[御成敗式目]]の意義について、[[北条泰時]]が弟の[[北条重時]]に宛てた書状︵泰時消息文︶において、﹁[[武士]]の多くは[[仮名 (文字)|仮名]]は読めるが難解な漢文を読めないため、律令について知らないことから、武士にも理解出来る︵簡素な︶文にした﹂と記しており、初期の武士の多くは仮名と簡単な漢字しか読めなかったと考えられている。遺言書は偽造を防止するため自筆であったが、多くは仮名で書かれている。武士の間では公式な文章を作成する際には[[書札礼]]に精通した[[右筆]]に代筆させ、自身は署名・[[花押]]を押すという習慣が広まった。後に武士の識字率が向上すると、右筆は次第に秘書や[[事務官|事務官僚]]化していった。 146行目:
[[1443年]]に[[朝鮮通信使]]一行に参加して日本に来た[[申叔舟]]は、﹁日本人は男女身分に関わらず全員が字を読み書きする﹂と記録し、また幕末期に来日した[[ヴァシーリー・ゴロヴニーン]]は﹁日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない﹂<ref>﹃日本幽囚記﹄︵井上満訳、岩波文庫 p.31 </ref>と述べている。ここでは漢字と仮名の違いについて言及されていない。一方、近世までの日本の識字率は同時代の北西ヨーロッパには遠く及ばない水準であり、庶民向けに[[盲暦]]や[[絵心経]]などが考案されるなど、﹁江戸時代の日本の識字率は世界一だった﹂という説も現在の研究では否定されている{{Sfn|岩下誠|2020|p=96}}{{Sfn|ルビンジャー|2008}}。 江戸時代後期に発展した[[瓦版]]には内容を描いた絵も大きく描かれていた<ref>{{Cite web 近世の識字率の具体的な数字について明治以前の調査は存在が確認されていないが、江戸末期についてもある程度の推定が可能な明治初期の文部省年報によると、[[1877年]]に[[滋賀県]]で実施された最も古い調査で﹁6歳以上で自己の姓名を記し得る者﹂の比率は男子89%、女子39%、全体64%であり、[[群馬県]]や[[岡山県]]でも男女の自署率が50%以上を示していたが、[[青森県]]や[[鹿児島県]]の男女の自署率は20%未満とかなり低く、地域格差が認められる<ref name="jisho">[[八鍬友広]], [https://ci.nii.ac.jp/naid/110001175731/ ﹁近世社会と識字 (<特集> 公教育とリテラシー)]﹂, 教育學研究, 70(4), 524-535, (2003).</ref>。 174行目:
==== 近代以後 ====
明治時代に欧米式の[[義務教育]]が開始され、徐々にその普及が進んでいくにしたがって識字率は上昇していった。しかし明治政府が[[印章]]文化の偏重を悪習と考え、欧米諸国にならって[[署名]]の制度を導入しようと試みたが<ref>{{Cite wikisource|title=諸証書ノ姓名ハ自書シ実印ヲ押サシム|wslanguage=ja}} 明治10年[[太政官布告]]第50号</ref>{{sfn|新関欽哉|1991|pp=176–178}}、事務の繁雑さと共に識字率の低さを理由に反対意見が相次いだため断念している{{Sfn|新関欽哉|1991|pp=176–183}}など、明治初期には公共サービスに支障があるレベルだったことが窺える。明治になると[[文明開化]]の流れに乗って多数の新聞が創刊されたが、政府を擁護する[[御用新聞]]と[[自由民権運動|自由民権]]派の[[政論新聞]]のような知識階級向けか、[[横浜毎日新聞]]のような業界紙に近い新聞が中心であった︵[[日本の新聞]]︶。政府は新聞を国民の啓蒙に利用するため積極的に保護する政策を取ったが、その一つとして聴衆に新聞を読み聞かせる[[新聞解話会]]の開催を推奨した<ref>{{Cite web 戦後の日本では初等教育で日本語の読み書きを学習するため成人の非識字者はいないという建前上、積極的な調査研究はほとんど無く<ref name=hiroshima2014 />、1955年に行われた日本語の読み書きに関する調査でも﹁日本に読み書きできない人はほとんどいない﹂という見解に基づき、調査は関東と東北に居住する15~24歳の1460人を対象とした ﹁国民の読み書き能力調査﹂のみで終了し<ref name=":0" /><ref name=gendai_001>[https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4057/index.html ひらがなも書けない若者たち ~見過ごされてきた“学びの貧困”~] - [[クローズアップ現代]]</ref>、識字率は﹁終わった課題﹂とされていた<ref name=":1">{{Cite web [[国立国語研究所]]では現代の問題を踏まえ識字率の試行調査として一部の夜間中学で調査を行っており、さらに日本語学校や全国規模の調査を計画している<ref name=":1" />。「日本人は識字率が高い」とされる根拠の1948年GHQ調査とその報告書「日本人の読み書き能力」(東京大学出版部、1951年)についても科学的な再検討の必要性を主張している<ref>「「識字率高い日本人」根拠曖昧」読売新聞2023年9月19日付朝刊文化面</ref>。
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