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[[244年]]、[[曹爽]]が蜀征伐の軍を起こすと、郭淮も[[夏侯玄]]の下で先鋒として従軍したが、形勢不利を覚った郭淮はいち早く味方の軍を脱出させたため、大敗させずに済んだ︵[[興勢の役]]︶。帰還後、'''仮節'''された。 [[247年]]から[[248年]]、姜維と廖化は[[蛾遮塞]]・[[治無載|治無戴]]といった[[俄何焼戈|羌族]]と手を結び魏に侵攻した。諸将が郭淮の、軍を分けて廖化を攻めるべきという判断に反対したが、郭淮はそれらの反対を退け廖化を攻撃し、また[[夏侯覇]]を姜維に当たらせた。結果、郭淮の読み通り姜維は廖化を救援した。華陽国志・劉後主志にはこの際姜維は郭淮と夏侯覇の軍を撃退したことが書かれており、その [[249年]]、夏侯玄に代わって征西将軍・'''[[都督]]雍涼州諸軍事'''となり、対蜀軍戦線の総司令官にまで昇りつめた。このため、以前より不仲だった夏侯覇は不安を覚え、蜀に亡命したという︵﹁諸夏侯曹伝﹂が引く﹃魏略﹄︶。[[陳泰]]と協力し、蜀の[[句安]]らを降参させた。 |