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'''鶴川団地'''︵つるかわだんち︶は、[[東京都]][[町田市]][[鶴川 (町田市)|鶴川]]にある[[住宅団地]]︵[[集合住宅]]︶。旧[[日本住宅公団]]により、[[公団住宅]]の大量供給期に建設された、一般賃貸・普通分譲型の団地である。 [[ファイル:TsurukawaDanchi.JPG|thumb|都市再生機構鶴川団地]]
[[ファイル:TsurukawaCenter.JPG|thumb|鶴川団地センター商店街]]▼
== 概要 ==
[[File:Tsurukawa2chome.jpg|thumb|緑あふれる鶴川二丁目住宅(15街区)]]
▲[[ファイル:TsurukawaCenter.JPG|thumb|鶴川団地センター商店街]]
[[首都圏]]における人口増加を受けて日本住宅公団により建設された、一般賃貸・普通分譲型の住宅団地である。多数の団地を有する町田市において、最初に建設された公団住宅でもある。総戸数は店舗付を含む一般賃貸型が1,682戸、普通分譲型が1,300戸<ref>﹃読売新聞﹄1967年9月28日 朝刊 p.23 ﹁ニューだんち 鶴川住宅﹂</ref>であり、全て5階建ての住棟で形成されている。 9 ⟶ 10行目:
造成地のほぼ中央部に店舗付住棟︵1階が店舗付、2階以上が住宅専用︶が平行四辺形状に4棟並び、住棟間の広場を取り囲むように鶴川団地センター商店街が形成されている。この商店街を中心として、概ね南東方向に普通分譲型である鶴川二丁目住宅及び鶴川六丁目住宅︵8街区・9街区︶が、北西方向に一般賃貸型である[[都市再生機構]]鶴川団地が広がっている。 {{Wide image|TsurukawaOverview.JPG|1000px|鶴川台尾根緑地より北部から鶴川団地を望む 左手に広がるのが鶴川六丁目住宅 右手に広がるのが都市再生機構鶴川団地}}
== 歴史 ==
[[File:Tsurukawa zousei1.jpg|thumb|造成中の鶴川団地]]
[[File:Center mae zousei.jpg|thumb|建設中のセンター商店街]]
町田市は1958︵昭和33︶年に[[町田町]]、[[鶴川村]]、[[忠生村]]、[[堺村 (東京都)|堺村]]の4町村が合併して誕生したが、町田町以外の3か村が当該合併にあたり示した条件の一つに﹁村域の[[都市計画区域]]への編入﹂があった<ref>﹃わが町 大蔵﹄ 町田市大蔵町町内会、2008年、p.42</ref>。そのため、合併後の町田市では﹁鶴川、忠生、堺の広域な開発による清澄な空気と閑雅な環境を持つ住宅都市の建設﹂をビジョンとして掲げ、具体的には都市計画のなかで公団住宅を誘致し、[[区画整理]]を行い、住宅の建設とあわせ地域の開発を行うことが考えられた<ref>﹃わが町 大蔵﹄ 町田市大蔵町町内会、2008年、p.42</ref>。 1959︵昭和34︶年11月には町田市[[市議会]]が、日本住宅公団に対して大型団地造成の要望を求める決議を行った。この決議案は全会一致で可決され、翌年12月には促進要望書が住宅公団に提出された。これを受けて住宅公団は1963︵昭和38︶年から5カ年計画となる鶴川地区開発を行うことを決定し、住宅公団に合わせる形で町田市も鶴川[[土地区画整理事業]]を計画、同年3月に建設省の決定を受けるに至った。ここに鶴川団地の建設が決まり、翌1964︵昭和39︶年より造成が開始された<ref>﹃わが町 大蔵﹄ 町田市大蔵町町内会、2008年、p.42</ref>。 これらの事業は、能ヶ谷、大蔵、広袴、真光寺の4地区、およそ35万坪にまたがる広大なもので、計画人口は2万1千人であった<ref>﹃わが町 大蔵﹄ 町田市大蔵町町内会、2008年、p.42</ref>。同事業は総工費19億円をもって1967︵昭和42︶年に完了し<ref>﹃読売新聞﹄1967年9月28日 朝刊 p.23 ﹁ニューだんち 鶴川住宅﹂</ref>、同年12月には住宅公団南多摩営業所により一般賃貸型︵現在の都市再生機構鶴川団地︶1,682戸の募集及び入居が開始され、翌1968︵昭和43︶年5月からは普通分譲型1,300戸の販売も開始︵鶴川六丁目住宅が780戸、鶴川二丁目住宅が520戸︶された<ref>﹃鶴川団地入居案内﹄ 日本住宅公団南多摩営業所、1968年、pp.1-4</ref>。 22 ⟶ 24行目:
入居開始から既に半世紀以上が経過した2020︵令和2︶年1月現在、[[少子高齢化]]による家庭構成員︵いわゆる家族︶の減少など社会情勢の変化に加え、原設計が古い住戸が現在の住宅ニーズに合致しないことによる空室率向上などを理由として、団地内の総人口は計画人口の3割ほどとなる約7千人まで落ち込んでいる<ref name="population">{{Cite web|url=https://www.city.machida.tokyo.jp/shisei/toukei/setai/tyoutyobetusetaisuujinnkou.html|title=町丁別世帯数・人口表|publisher=町田市|date=2020-11-02|accessdate=2020-08-20}}</ref>。子供の転居や家族との死別などによる[[独居老人]]も多く、このまま対策を行わない限り今後も減少傾向が続くと見込まれる<ref>{{Cite web|url=https://www.city.machida.tokyo.jp/kurashi/sumai/house/danchisaisei/tsurukawadanchi_houshin.files/turukawadanchi_saiseihoushin.pdf|title=町田市鶴川団地と周辺地区再生方針|publisher=町田市|accessdate=2020-11-02}}</ref>。 [[File:UR renovation.jpg|thumb|都市再生機構によってリノベーションされた住棟]]
そのため、町田市では2013︵平成25︶年4月から3カ年にわたり、鶴川団地及び周辺地区の再生に向けて、鶴川団地居住者、周辺住民、都市再生機構、商店会の代表者による﹁町田市鶴川団地の団地再生に向けた地域検討会﹂を設置し、団地再生の課題及び方針並びに活性化に向けた取組の検討を行った<ref>{{Cite web|url=https://www.city.machida.tokyo.jp/kurashi/sumai/house/danchisaisei/tsurukawadanchi_houshin.files/turukawadanchi_saiseihoushin.pdf|title=町田市鶴川団地と周辺地区再生方針|publisher=町田市|accessdate=2020-11-02}}</ref>。 68 ⟶ 71行目:
=== 鶴川二丁目住宅 ===
[[File:Tsurukawa2chome15gaiku.jpg|thumb|鶴川二丁目住宅(15街区)]]
普通分譲型。全520戸。住宅︵専有︶面積は52.03平米~78.92平米。1969︵昭和44︶年分譲開始<ref>﹃鶴川団地入居案内﹄ 日本住宅公団南多摩営業所、1968年、pp.8</ref>。 78 ⟶ 82行目:
== 事件・事故 ==
===自主運行バス事件===
[[File:Tsu11 kanachu.jpg|thumb|「値上げバス」としてボイコットされた鶴川団地線]]
1970︵昭和45︶年7月、鶴川団地と鶴川駅を結ぶバス路線を持つ[[神奈川中央交通]]が日本初となる[[深夜バス]]の運行を開始したが、普通運賃の3倍という高額な運賃に加え、定期券の併用も不可という条件に﹁鶴川団地東地区自治会﹂︵鶴川六丁目住宅における当時の自治会、現在の鶴川6丁目団地自治会︶が反発し、有志による自家用車での無料送迎を行い深夜バスのボイコットを呼びかける事件があった<ref>﹃読売新聞﹄1970年8月8日 朝刊 p.13 ﹁戦い果てなし 深夜バス﹂</ref>。 86 ⟶ 91行目:
== 公共交通 ==
[[File:Center mae.jpg|thumb|鶴川団地センター商店街に隣接するセンター前停留所]]
最寄りの鉄道駅は[[小田急]][[小田原線]]鶴川駅となる。神奈川中央交通及び[[小田急バス]]の手により、同駅と鶴川団地を結ぶ次のバス路線が運行されている。
* 鶴11系統
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