鶴川団地
鶴川団地センター商店街
概要
首都圏における人口増加を受けて住宅公団により建設された、一般賃貸・普通分譲型の住宅団地である。多数の団地を有する町田市において、最初に建設された公団住宅である。総戸数は店舗付を含む一般賃貸型が1,682戸、普通分譲型が1,300戸であり、全て5階建ての住棟で形成されている。
「多摩丘陵の起伏を生かし、都市的機能を持たせた住みよい団地作り」をキャッチフレーズに、町田市内に多くある谷戸と台地が繰り返される土地を造成して造られた。そのため、団地内には急坂、階段及び崖が非常に多くなっている。特に普通分譲型である鶴川二丁目住宅では、整列していない棟が多く、変化に富んだ配置になっており、建物の間が個性的な庭のようになっている所も多い。
造成地のほぼ中央部に位置する六丁目7街区に店舗付住棟(1階が店舗付、2階以上が住宅専用)が平行四辺形状に4棟並び、住棟間の広場を取り囲むように鶴川団地センター商店街が形成されている。この商店街を中心として、概ね南東方向に普通分譲型である鶴川二丁目住宅及び鶴川六丁目住宅(8街区・9街区)が、北西方向に一般賃貸型である都市再生機構鶴川団地が広がっている。
歴史
町田市は1958︵昭和33︶年に町田町、鶴川村、忠生村、堺村の4町村が合併して誕生したが、町田町以外の3か村が当該合併にあたり示した条件の一つに﹁村域の都市計画区域への編入﹂があった。そのため、合併後の町田市では﹁鶴川、忠生、堺の広域な開発による清澄な空気と閑雅な環境を持つ住宅都市の建設﹂をビジョンとして掲げ、具体的には都市計画のなかで公団住宅を誘致し、区画整理を行い、住宅の建設とあわせ地域の開発を行うことが考えられた。
1959︵昭和34︶年11月には町田市市議会が、日本住宅公団に対して大型団地造成の要望決議を行った。この決議案は全会一致で可決され、翌年12月には促進要望書が住宅公団に提出された。これを受けて住宅公団は1963︵昭和38︶年から5カ年計画となる鶴川地区開発を行うことを決定し、公団に合わせる形で町田市も鶴川土地区画整理事業を計画、同年3月に建設省の決定を受けるに至った。ここに鶴川団地の建設が決定し、翌1964︵昭和39︶年より造成が開始された。
これらの事業は、能ヶ谷、大蔵、広袴、真光寺の4地区、およそ35万坪にまたがる広大なもので、計画人口は2万1千人であった。同事業は総工費19億円をもって1967︵昭和42︶年に完了し、同年12月には住宅公団南多摩営業所により一般賃貸型︵五丁目団地︶1,682戸の募集及び入居が開始され、翌1968︵昭和43︶年5月からは普通分譲型1,300戸の販売も開始︵六丁目団地が780戸、1969年分譲開始の二丁目団地が520戸︶されている。
なお、町田市域では鶴川団地に続いて藤の台団地や町田山崎団地など複数の団地建設が行われたが、それらは全て公団及び都住宅供給公社の自主買収によって造成されており、市が誘致したのは当団地のみとなっている。この鶴川団地の出現が、町田市を﹁団地都市﹂へと変貌させる契機となった。
現在
入居開始から既に半世紀以上が経過した2020(令和2)年1月現在、少子高齢化による家庭構成員(いわゆる家族)の減少など社会情勢の変化に加え、原設計が古い住戸が現在の住宅ニーズに合致しないことによる空室率向上などを理由として、団地内の総人口は計画人口の3割ほどとなる約7千人まで落ち込んでいる。子供の転居や家族の死別などによるお年寄りの一人暮らしも多く、このまま対策を行わない限り今後も減少傾向が続くと見込まれる。
そのため、町田市では2013(平成25)年4月から3カ年にわたり、団地を中心とした鶴川団地と周辺地区の再生に向けて、団地居住者、周辺住民、都市再生機構、商店会の代表者による「町田市鶴川団地の団地再生に向けた地域検討会」を設置し、団地再生の課題及び方針並びに活性化に向けた取組の検討を行った。
この検討結果を受け、2016(平成28)年3月には「子育て支援」「魅力づくり」「高齢者支援」を柱とする「町田市鶴川団地と周辺地区再生方針」が策定され、当団地の活性化が図られることとなった。本方針ではハード・ソフト両面での様々な対策が行われることになっており、ハード面では都市再生機構による一般賃貸住棟の改修(ボックス住棟へのエレベーター設置など)や、鶴川団地センター商店街(六丁目団地7街区)の建て替え検討などが、ソフト面では子育て世帯向けの家賃低減策の実施や、近隣の国士舘大学や和光大学との連携による生涯学習講座の団地内開催、自治会による高齢者向け見守りサービスの実施などが挙げられている。
団地構成
住棟
店舗付住棟を含め全棟5階建てで、総戸数は一般賃貸型1,682戸、普通分譲型1,300戸。
住所
都市再生機構が管理する一般賃貸型(都市再生機構鶴川団地)は町田市鶴川5丁目に立地し、店舗付住棟が同鶴川6丁目に立地する。普通分譲型は同鶴川2丁目(鶴川二丁目住宅)及び鶴川6丁目(鶴川六丁目住宅)に立地する。
鶴川二丁目住宅
普通分譲型。全520戸。鶴川いちょう通りを挟んで立地する。通りの南側が11街区、北側が15街区となる。鶴川団地で最も鶴川駅に近い住宅群になる。
鶴川六丁目住宅
普通分譲型。全780戸。鶴川団地の北東に立地する。地区中央を南北に縦断する道路を挟んで西側が8街区、東側が9街区となる。
都市再生機構鶴川団地
一般賃貸型及び店舗付型。店舗付を合わせ全1,682戸。鶴川団地センター商店街を含み、団地の中央部から北西にかけて立地する。大半が鶴川5丁目であるが、店舗付型のみ鶴川6丁目となる。
●5-1街区
●1-17号棟
●5-2街区
●1-7号棟
●5-3街区
●1-10号棟
●5-4街区
●1-15号棟
●5-6街区
●1-6号棟
●6-7街区
●1-4号棟
便宜上街区表示を用いたが、一般賃貸型の正式な号棟呼称は﹁5-1-1﹂というように、入居開始当時から現在まで一貫して街区による区分は行わない。
事件・事故
自主運行バス事件
1970︵昭和45︶年7月、団地と鶴川駅を結ぶバス路線を運行する神奈川中央交通が日本初となる深夜バスの運行を開始したが、普通運賃の3倍という高額な運賃に加え、定期券の併用も不可という条件に﹁鶴川団地東地区自治会﹂︵鶴川六丁目住宅の自治会︶が反発し、有志による自家用車での無料送迎を行い深夜バスのボイコットを呼びかける事件があった。
さらに1972︵昭和47︶年1月からは、東地区自治会を母体に生まれた﹁鶴川値上げバス反対の会﹂が、同月運輸省が神奈川中央交通に対して賃上げ率50%の新運賃を認可したことに抗議するとして、リースを受けたマイクロバスを用い団地と駅を結ぶ会員制の﹁自主運行バス﹂を毎日ほぼ終日にわたり運行するという事態に発展した。
これに対して運輸省東京陸運局は、道路運送事業法違反として﹁反対の会﹂を東京地検に告発する構えを見せつつ、神奈川中央交通側にも深夜バスの運賃を見直すよう打診を行った。その後、神奈川中央交通より深夜バスは運賃2倍かつ定期券所持者は差額負担にするという方針が示され、これを﹁反対の会﹂が受け入れたことで、﹁自主運行バス﹂の運行はとりやめとなった。
バルコニー落下事故
1972(昭和47)年6月、鶴川六丁目住宅でバルコニーが落下する事故が発生。住宅公団が点検したところ780戸中100戸近くのバルコニーに亀裂等が発見されて問題となった。公団は危険な箇所に鉄パイプを当てて急場をしのいだが、以後、半年近く放置状態となったため、同年12月5日には住民がバスを仕立てて公団に乗り込み抗議する事件も起きた。
バス
神奈川中央交通及び小田急バスの手により、鶴川駅と鶴川団地を結ぶ次のバス路線が運行されている。
●鶴11系統
鶴川駅~センター前~鶴川団地︵神奈川中央交通・小田急バス共同運行︶
●鶴12系統
鶴川駅→センター前→鶴川団地→団地南→鶴川二丁目→鶴川駅︵小田急バス運行︶
平日・土休日問わず1日1回のみの運行
●町50系統︵買物バス︶
町田バスセンター~藤の台団地~金井~鶴川駅~センター前~鶴川団地︵神奈川中央交通運行︶
●﹁鶴川団地自治会﹂︵公団鶴川団地の自治会︶が、1970︵昭和45︶年5月に都営バスを町田市に誘致する署名を行っているが、実現しなかった。
遺跡
鶴川団地の造成に伴い、1964(昭和39)年に町田市教育委員会の手により「鶴川遺跡群発掘調査」が実施されている。
脚注