カタリナ・リンドクイスト
カタリナ・リンドクイスト︵Catarina Lindqvist, 1963年6月13日 - ︶は、スウェーデン・ヴェルムランド県クリスティーネハム出身の元女子プロテニス選手。1987年の全豪オープンと1989年のウィンブルドンで、2度4大大会の準決勝に進出した当地最大の女子テニス選手である。シングルス自己最高位は10位︵1985年4月︶。WTAツアーでシングルス6勝を挙げた。身長165cm、体重57kg、右利き。
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基本情報 | ||||
国籍 | スウェーデン | |||
出身地 | 同・クリスティーネハム | |||
生年月日 | 1963年6月13日(61歳) | |||
身長 | 165cm | |||
体重 | 57kg | |||
利き手 | 右 | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1981年 | |||
引退年 | 1992年 | |||
ツアー通算 | 6勝 | |||
シングルス | 6勝 | |||
ダブルス | 0勝 | |||
生涯通算成績 | 402勝327敗 | |||
シングルス | 297勝207敗 | |||
ダブルス | 105勝120敗 | |||
生涯獲得賞金 | 1,126,665 アメリカ合衆国ドル | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | ベスト4(1987) | |||
全仏 | 4回戦(1986) | |||
全英 | ベスト4(1989) | |||
全米 | 4回戦(1985-87) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | ベスト8(1985・87) | |||
全仏 | 2回戦(1985・87・88・90) | |||
全英 | 3回戦(1988) | |||
全米 | ベスト8(1985) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 10位 | |||
ダブルス | 29位 | |||
来歴
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1981年にプロ入り。直ちに女子国別対抗戦・フェドカップ︵当時の名称は﹁フェデレーション・カップ﹂︶のスウェーデン代表となり、現役引退する1992年まで国の代表選手であった。1985年の全豪オープンで4大大会の準々決勝に初進出。この時の2回戦で、リンドクイストは日本の井上悦子を 6-4, 7-5 で破った。3回戦でダブルスの名手パム・シュライバー︵アメリカ︶を破ったが、準々決勝でクラウディア・コーデ=キルシュ︵西ドイツ︶に敗れている。続く1987年の全豪オープンで、リンドクイストは前回よりも1ラウンド上の準決勝まで勝ち残ったが、この準決勝でマルチナ・ナブラチロワに 3-6, 2-6 で完敗した。︵全豪オープンは会場移転の関係で、1985年12月 → 1987年1月 と開催時期の変更がなされた。︶
1988年のソウル五輪において、オリンピックにプロテニス選手の出場を認める決定がなされた。リンドクイストはオリンピックのスウェーデン代表選手として、1988年ソウル五輪と1992年バルセロナ五輪の2度出場を果たしている。ソウル五輪の女子シングルスで、リンドクイストはマニュエラ・マリーバ・フラニエールとの3回戦まで勝ち進んだ。
1989年のウィンブルドンで、カタリナ・リンドクイストは2度目の4大大会準決勝に進出したが、ここでもナブラチロワに 6-7, 2-6 のストレートで敗れた。同年10月、女子国別対抗戦﹁フェデレーション・カップ﹂が東京・有明コロシアムで開かれた時、日本チームとスウェーデン・チームが1回戦で当たり、リンドクイストは日本の雉子牟田明子に 2-6, 2-6 で完敗している。1990年4月に﹁サントリー・ジャパン・オープン﹂︵当時はサントリーがジャパン・オープンのスポンサーをしていた︶の女子シングルスで、エリザベス・スマイリー︵オーストラリア︶を 6-3, 6-2 で破った優勝がある。1991年2月にノルウェーの﹁オスロ・オープン﹂でツアー6勝目を挙げたが、これがリンドクイストの最後のツアー優勝になった。1992年の全米オープン1回戦敗退を最後に、29歳で現役を引退した。
外部リンク
編集- カタリナ・リンドクイスト - WTAツアーのプロフィール
- カタリナ・リンドクイスト - ビリー・ジーン・キング・カップのプロフィール
- カタリナ・リンドクイスト - 国際テニス連盟