Kèzīĕr shíkūQizil Ming Öy
キジル石窟
قىزىل مىڭ ئۆي
克孜尔千佛洞
西180136201130
キジル石窟の位置(新疆ウイグル自治区内)
キジル石窟

新疆ウイグル自治区における位置

所在地 中国新疆ウイグル自治区
座標 北緯41度47分04秒 東経82度30分17秒 / 北緯41.78444度 東経82.50472度 / 41.78444; 82.50472座標: 北緯41度47分04秒 東経82度30分17秒 / 北緯41.78444度 東経82.50472度 / 41.78444; 82.50472
キジル石窟
中国語
繁体字 克孜爾千佛洞
簡体字 克孜尔千佛洞
文字通りの意味"Kizil Caves of the Thousand Buddhas"
発音記号
標準中国語
漢語拼音Kèzī'ěr Qiānfú Dòng
IPA[kʰɤ̂tsɨ́ɑ̀ɻ tɕʰjánfǔ tʊ̂ŋ]
ウイグル語
ウイグル語

قىزىل مىڭ ئۆي
"Thousand Red Houses"

発音記号
新式Qizil Ming Öy
旧式Ⱪizil Ming Ɵy
キリル文字Қизил Миң өй

1961年公布の中華人民共和国全国重点文物保護単位の一つに指定されている。2014年には「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の一部として世界遺産に登録された。

名称

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(Qizil)[1] (Hèsèĕrshíkū) 

地理

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西7050

外観

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キジル石窟(2006年10月撮影)

石窟のある岩山はかなりの凹凸があり、高さは5、60メートルもある。その中腹から下方にかけて石窟が掘られている。崖の中央には小さな渓谷が崖面と直角にあってその奥にも石窟が掘られている。

建築方法や壁画はその多くがインドやペルシア風であり、ル・コックが言うようにヨーロッパ風にも見える[2]

歴史

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キジル石窟前の広場に最近建てられた鳩摩羅什の像

384

3445Kumārajīva

研究史

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2019061913191419091913調1953調西223519731236

各石窟の名称

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現在は中国によって236の通し番号が西の方からつけられているが、ドイツ隊が発見した時はいくつかの石窟に西の第一区から独特の名称がつけられた。

  • 暖炉洞(第4窟)
  • フレスコ床洞(第7窟)
  • 十六剣士洞(第8窟)
  • 菩薩天井洞(第17窟)
  • 日神思惟洞(第34窟)
  • 音楽洞(第38窟)
  • 着兜者洞(第5窟)
  • 迦葉洞(第63窟)
  • 紅穹窿洞(第67窟)
  • 孔雀洞(第76窟)
  • 像洞(第77窟)
  • 地獄釜洞(第80窟)
  • 雌猿洞(第92窟)
  • 階段洞
  • 海馬洞(第118窟)
  • 航海者洞
  • 瘤牛車洞
  • 財宝洞
  • 画家洞
  • 悪魔洞(第198窟)
  • 小峡谷高所洞(第182窟)
  • 付属洞(第185窟)
  • 騎士洞
  • マヤ洞(第224窟)
  • アジアタシャートル洞
  • 洗足洞
  • 日本人洞
  • 最大洞
  • 唅綬鳩洞

石窟の創建時期

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384

(一)220 - 28017474869

(二)西265 - 317713143885106114173175178180195

(三)420 - 618827323458648092979899100101104110126163171179185192193196198199205206207219224

(四)763 - 9073343677681107116117118123129132135160161165166167176184186188212227229

構造による分類

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2365

(一)

(二)

(三)窿

(四)

(五)

画像

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脚注

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  1. ^ 樋口隆康『シルクロード考古学第3巻 敦煌から日本へ』
  2. ^ ル・コック『中央アジア発掘記』

参考資料

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  • 樋口隆康『シルクロード考古学第3巻 敦煌から日本へ』(1986年、法蔵館)
  • ル・コック(訳:木下龍也)『中央アジア発掘記』(1960年、昭森社)

関連項目

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外部リンク

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