ゲルマニア (書物)

タキトゥスが、ゲルマニア地方の風土などについて記述した書物

989

西(en)

執筆の意図

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退

16

各章の概要

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1 ゲルマニアは、ライン川の東、ドナウ川の北。
2 ゲルマン人は純粋な血統をもつ土着民族。
3 ゲルマニアには昔ヘラクレスが来たという。
4 ゲルマン人の血統は純粋。青い目、赤みがかった髪、大きな体。
5 ゲルマン人は家畜の多さを誇る。
6 兵力の主力は歩兵。武器としてフラメアという手槍を使う。
7 王は血統で選ばれるが、将軍は勇敢さで選ばれる。
8 男たちは女が奴隷にされる事を何より恐れる。
9 神の中では、ローマ神話でいうマーキュリー(ゲルマン神話のヴォータン)を崇拝する。
10 占いのうち、馬を使った占いを重視する。
11 重大な問題がある時は、部族の全員が集まって会議を開く。
12 この会議は死刑を言い渡す権利を持つ。
13 若者に槍と楯が渡されたときが成人式である。
14 平和が続くときは、戦争している国がないかと、わざわざ出かける。
15 戦争がないときの男は、食べて寝る。
16 家を密集させることはせず、家のまわりは空き地だ。
17 マントか毛皮を着る。下着はよほどの金持ちだけが着る。
18 一夫一婦制。結婚持参金に相当するものは牛馬や武器。
19 女は一度しか結婚せず、再婚はない。
20 男女とも十分に成長してから結婚する。
21 客へのもてなしは豪華に行う。
22 酒の席で論争することもよくある。
23 麦酒を飲み、飲酒には節度がない。
24 賭博を真剣に行う。自分自身を賭けて奴隷になることもある。
25 奴隷は家事ではなく、小作人のように生産労働をする。
26 農業では麦しか作らない。
27 葬式は質素。墓は盛り土だけで、記念碑はない。
28 ライン川西岸のゲルマン人は、ローマに忠実。
29 マッティアッキー族英語版はライン川の東岸に住み、ローマに忠実。
30 カッティー族英語版は頭脳的な戦争をする。兵力は歩兵。
31 カッティー族は髪と髭を伸ばす。
32 テンクテリ族英語版は騎兵が巧み。
33 カマーウィー族英語版アングリヴァリイー族英語版ブルクテリ族を追い出した。
34 現在のオランダに住むのがフリース人英語版
35 北方のカウキー族英語版は正義を好む。
36 ケルスキー族英語版は無防備に暮らし、カッティー族に追い出された。
37 キンブリ族は、ローマと200年にわたり戦ってきた。
38 スエビ族は単一部族でなく、以下の部族の総称。
39 スエビの中で血統が貴いのはセムノーネース族英語版
40 ネルトゥス(母なる大地)を崇拝する7つの諸族がいる。
41 ヘルムンドゥーリー族英語版はドナウ河の源泉に住み、ローマに忠実。
42 マルコマンニ族とクァディ族の王の地位は、ローマの権威にもとづく。
43 東方スエビの、ルギイー族英語版の一部、ハリイ族英語版は狂暴で、夜に戦闘をする。
44 スイーオネース族英語版(スウェーデン人)の艦隊は強力。
45 北の海が世界の果て。アエスティイー族英語版は琥珀でローマ人と交易する。
46 スエビアは終わる。その東の諸族は、サルマタイ族に近い。

学術的な批判

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一世紀のゲルマニア。オレンジ色がスエビ諸族、緑色がヴァンダル人を表している。








別系統の可能性がある部族

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スエビ人バタウィ人英語版サリー・フランク人を形成した)はおそらくケルト系の部族[独自研究?]プシェヴォルスク文化に属するヴァンダル人(系統不明のルギイ人英語版を含む)はスラヴ系(あるいはスラヴ系を含んだ多民族混交)の部族ではないかとする説がある[1]。また紀元前にキンブリ・テウトニ戦争で将軍ガイウス・マリウスに敗れて滅んだキンブリ人もケルト系の部族と言う説がある[2]

原文(ラテン語版)

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  • Syme, Ronald, Tacitus, vol. 1 Oxford: Clarendon Press, 1958
  • Önnerfors, Alf., De origine et situ Germanorum liber. Teubner, Stuttgart: 1983, ISBN 3-519-01838-1

訳書

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西1931

193219481953

1963

1979

 1996221965



Rives, J. B., Tacitus: Germania, Oxford: 1999.

脚注

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  1. ^ J. P. Mallory and D. Q. Adams, Encyclopedia of Indo-European Culture, Fitzroy Dearborn Publishers, London and Chicago, 1997. "Przeworsk Culture"
  2. ^ サイモン・アングリム、天野淑子『戦闘技術の歴史 1 古代編 3000BC-AD500 (1)』。

関連項目

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