コロッケの唄
概要
編集大正期の歌
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1917年︵大正6年︶発表の楽曲。作詞は益田太郎冠者、作曲者は不明だが﹁外国曲﹂とされる[3]。歌詞は10番まである[1]。
浅草オペラの時代、帝国劇場で公演されたオペレッタ﹃ドッチャダンネ﹄において、たいこ持ちの男芸者・花丸︵演:澤村宗十郎︶が歌う劇中歌﹁コロッケー﹂として披露されオペラともども人気となった[1]。後年、日本館で公演されたオペレッタ﹃カフェーの夜﹄で﹁コロッケの唄﹂として再使用され、こちらもヒットする[1]。﹁コロッケの唄﹂は佐々紅華が編曲を行い、リズムなどがやや異なる[1]。﹃カフェーの夜﹄では天野喜久代が劇中で歌っている[4]。
﹃ドッチャダンネ﹄は1920年5月、1925年5月と再演されている[1]。日本のラジオ放送が始まったのが1925年7月であり、マスコミも発達していない当時に、どのように﹃コロッケの唄﹄が知られていったのかは不明ではあるが、これらの公演が要因となったのは間違いない[1]。1927年︵昭和2年︶12月20日刊行の﹃娯楽大全﹄︵中内蝶二編纂、誠文堂︶には
全国津々浦々まで行き渡っている“けふも
コロッケ”と本曲を紹介し、宴会かくし芸の踊りとして本曲の振り付けが﹁喜歌劇コロッケー﹂として紹介されており、昭和2年には日本全国に知れ渡っている状態であったと推定される[1]。 本曲の音階構成は長音階︵+1箇所#ソ︶といういわゆる﹁西洋的なメロディー﹂であり、料理だけではなく音楽の面でも西洋的なものが日本大衆に受け入れられていた時代の証左ととらえることができる[5]。 なお、この時期のコロッケは、トンカツやステーキよりも高額な高級料理であり、﹃カフェーの夜﹄の劇中でも言及されている[1]。安価な惣菜のイメージがある昭和期の歌以降とはニュアンスが異なってくる[1]。 結婚して嬉しかったが、妻が作る料理は︵高級料理の︶コロッケばかりが連日続き、毎日では飽きてくるといった内容[6]。2番以降の内容は異なる。
昭和期の歌
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平成期の歌
編集令和期の歌
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出典
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(一)^ abcdefghijk簗瀬久﹁コロッケの普及﹂﹃おいしいコロッケ大百科﹄アイフォレスト出版、2008年、94-118頁。ISBN 978-4990437206。
(二)^ “コロッケのうた”. HMV. 2024年7月8日閲覧。
(三)^ 菊池清麿﹁大正六︵一九一七︶年﹂﹃昭和演歌の歴史﹄アルファベータブックス、2016年、153頁。ISBN 978-4865980233。
(四)^ 森田哲至﹁日本橋高等女学校出身﹁天野喜久代﹂の活動の軌跡(上)﹂︵PDF︶﹃日本橋学研究﹄第5巻第1号、日本橋学館大学、2012年、35-51頁、CRID 1574231877655679488。
(五)^ 黄逸雋﹁﹁演歌・歌謡曲﹂にみる日本ポピュラー・ソング文化に関する考察 : ジャンル変遷史を中心に﹂、法政大学、2023年、doi:10.15002/00026678。
(六)^ 美濃部由紀子﹃噺家が詠んだ昭和川柳 落語名人たちによる名句・迷句500﹄メイツ出版、2019年、42頁。ISBN 978-4780421392。
(七)^ abcd﹃杵屋佐喜の長唄新曲 ﹃コロッケの唄﹄︵オリジナル/MV︶配信リリース決定!!﹄︵プレスリリース︶ディップス・プラネット、2023年2月27日。2024年7月9日閲覧。