ジョナサン・スウィフト

イングランド系アイルランド人の諷刺作家・随筆家・司祭 (1667 - 1745)

Jonathan Swift16671130 - 17451019MB
ジョナサン・スウィフト
Jonathan Swift
肖像画(1718年)
誕生 (1667-11-30) 1667年11月30日
アイルランド王国
ダブリン
死没 (1745-10-19) 1745年10月19日(77歳没)
アイルランド王国
ダブリン
職業 司祭
諷刺作家
随筆家
政治パンフレット作者
ジャンル 諷刺
代表作 ガリヴァー旅行記
ウィキポータル 文学
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1976年から発行されていたアイルランドの10ポンド紙幣に肖像が使用されていた[1]

生涯

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おいたち

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ジョナサン・スウィフトはダブリンのホイズ・コート7番地で、イングランドの移民ジョナサンとアビゲイル・エリック(またはヘリック)・スウィフトの第2子として生まれた(兄は夭折)。ジョナサンは彼の父が早世してから7ヶ月後に遺腹の子として生まれた。彼の幼時の記録ははっきりせず、のこされた資料は混乱しており、しばしば矛盾している。母はジョナサンがまだ幼かった時、父の家庭のもとで育てられるよう彼を置いてイングランドに帰ったと広く信じられている。伯父ゴドウィンは若きジョナサンの養育に対する第一の責任を負うことになり、従兄弟の一人とともにキルケニー・グラマースクールへと通わせた[注釈 1]

テンプル卿との出会い

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ウィリアム・テンプル

1682151686B.A.1688[2]1668調退333

8使2

アイルランドでの生活

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169021692M.A.1694

16961704

169913

122015101701

作家活動の開始

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170221020使1716

17041713

17071709171012500First-Fruits and Twentieths

トーリーの政論家

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17101711[3][2]

11710 - 17151711 - 1714調17141

1714172335


『ガリバー旅行記』の執筆

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使172017241729

10殿便1726稿172611172731727

172711728128

最期

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エスターの死後、スウィフトの人生は「死」に覆われる傾向をもつようになった。1731年、彼は『スウィフト博士の死を悼む詩』を書き、1739年には自ら自分の死亡記事を出した。1732年、彼のよき友人にして協力者ジョン・ゲイが死去した。1735年、ロンドン時代からのもう1人の友人ジョン・アルバスノットが死去した。1738年にはスウィフトに病気の徴候が顕れ、1742年に彼は病気の発作を患い、会話する能力を失うとともに精神障害になるという最大の恐怖が実現化した(「私はあの樹に似ている」と彼はかつて言った。「頭から先に参るのだ」)。この偉大な男を餌食にしようとし始めた恥知らずな取巻きから彼を守るため、彼の最も親しい仲間たちは彼に「不安定な精神と記憶力」と宣言させた。1744年、アレクサンダー・ポープが死去した。そして1745年10月19日、スウィフトは死去した。彼は希望に従ってエスター・ジョンソンの傍に葬られた。彼の財産は大半が精神病院の創設資金に残された。

墓碑銘

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A



Hic depositum est corpus

JONATHAN SWIFT S.T.D.

Huyus Ecclesiae Cathedralis

Decani

Ubi saeva indignatio

Ulterius

Cor lacerare nequit

Abi Viator

Et imitare, si poteris

Strenuum pro virili

Libertatis Vindicatorem



Swift has sailed into his rest.

Savage indignation there

cannot lacerate his breast.

Imitate him if you can,

world-besotted traveller.

He served human liberty.














著作

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主要な散文作品について

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1965-141983953P19993

辿



1708329330



17241729使1729



1726







19601697

著作一覧

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日付はもっぱらハーバート・ディヴィス編集の『スウィフト 詩作品集』に加え、ノートン批評とオックスフォード作家集のスウィフト作品一巻本に拠った。

散文作品

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  • A Tale of a Tub (桶物語)1696年 (1704年出版)
  • The Battle of the Books (書物合戦、または書物戦争)1697年 (1704年出版)
  • "When I Come to Be Old" (私が年老いた時)1699年
  • "Sentiments of a Church of England Man"(英国国教会人の感傷)1708年
  • "Bickerstaff/Partridge" papers (ビッカースタッフ/パートリッジ紙)1708年
  • Examiner (試験官)1710 -
  • The Conduct of the Allies (同盟国の行為)1711
  • Correcting the English Tongue (英語の修正)1712
  • Public Spirit of the Whigs(ホイッグ党の公共心) 1714
  • Gulliver's Travels(ガリヴァー旅行記) 1726年
  • A Complete Collection Of Genteel and Ingenious Conversation (気取った巧みな会話の全集)1738

随筆・小冊子・パンフレット・定期刊行物

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書簡、個人的著述

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  • "When I Come to Be Old"—Swift's resolutions. (私が年老いた時―スウィフトの決心、1699年)原文:JaffeBros
  • The Journal to Stella (ステラへの消息、1710年-1713年)原文:U of Adelaide 抜粋:OurCivilisation.com
  • 書簡
    • Selected Letters(書簡選集)JaffeBros
    • To Oxford and Pope(オックスフォード、ポープ宛)OurCivilisation.com
    • "A Letter Concerning the Sacramental Test,"(秘蹟試問に関する書簡) 1708年

説教、祈願

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  • Three Sermons and Three Prayers. (三つの説教と三つの祈願)原文:U of Adelaide, Project Gutenberg
  • Three Sermons: I. on mutual subjection. II. on conscience. III. on the trinity. (三つの説教 I 相互依存について II三位一体について ) 原文:Project Gutenberg
  • Writings on Religion and the Church. (宗教と教会についての著述) Project Gutenbergの原文: Volume One, Volume Two
  • "The First He Wrote Oct. 17, 1727." (1727年10月17日に彼が書いた最初のこと) 原文:Worldwideschool.org
  • "The Second Prayer Was Written Nov. 6, 1727." (1727年11月6日に書かれた第二の祈願) 原文:Worldwideschool.org

雑録

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  • Directions to Servants1731年)(奴婢訓) 抜粋:OurCivilisation.com
  • A Complete Collection of Genteel and Ingenious Conversation (気取った巧みな会話の全集、1731年
  • "Thoughts on Various Subjects." (様々な主題についての考え) 原文: U of Adelaide
  • Historical Writings (歴史的著述) Project Gutenberg
  • Swift Quotations (スウィフト引用句集) JaffeBros — スウィフトの典拠つき引用句集
  • Swift quotes at Bartleby (バートルビーのスウィフト引用句集) Bartleby.com — 59の註釈つき引用句集

主な日本語書籍

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 , 2011

 , 2021

6  , 2002
   , 2013

2

 ︿, 1989

使   , 2015



  , 2021 - 

 , 1968 - 

 3 , 1968

 , 1986



  , 2000

  , 19696 , 1984


  , 1994

   , 2016

  , 2005[4] - 

  , 1999 - 

脚注

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注釈

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  1. ^ キルケニー・グラマースクールは経験論哲学者のジョージ・バークリーも通学していた学校である。
  2. ^ トーリー次期政権は和平派の立場からフランスとの秘密(かつ不法な)交渉を行い、戦争を終結させるユトレヒト条約1713年)を結んだ。

出典

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(一)^ 19931999

(二)^ 

(三)^ 1975pp.455-456

(四)^ 2009

参考文献・典拠

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  • 大野真弓『世界の歴史8 絶対君主と人民』中央公論社中公文庫〉、1975年2月。ISBN 426-5044018 
  • 中野好夫 『スウィフト考』 岩波書店〈岩波新書〉、1969年6月。ISBN 400-4140099
  • サミュエル・ジョンソンによるスウィフトの生涯(『詩の生命』より)
  • ウィリアム・メイクピース・サッカレーの影響力ある辛辣な伝記(『18世紀英国ユーモリスト』より)
  • その他の典拠へのリンク

関連項目

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外部リンク

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