テマ・アナトリコン(ギリシャ語: θέμα Άνατολικῶν )は、小アジア(現在のトルコ)中部に設置されていた東ローマ帝国テマ(軍管区)の一つである。

概要

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7[1][2][2]stratēgoi37101070 

人口の構成

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主にギリシャ人が多かったが、ビザンツ帝国にアラブやトルコ系民族の度重なる侵略により、徐々にトルコ系が増えていった。 他にもアルメニア人やジョージア人など多種多様の民族がこの地域には住んでいた。

地理と管理

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歴史

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テマ設立の正確な日付は不明。他の初期のテマと同様に、640年代以降、東ローマ帝国の野戦機動軍がイスラム勢力の侵攻に直面して小アジアに撤退し、抗戦を続けるための軍事野営地として設立されたと考えられている[1][2]

アラブ人とトルコ人との戦争

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842年頃の東ローマ帝国の小アジアのテマ。初期に発足した大規模なテマが複数の小規模なテマに分割されている。

反乱

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レオ3世とその息子、コンスタンティヌス5世の金固相線

脚注

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  1. ^ a b 井上浩一・栗生沢猛夫『世界の歴史11 ビザンツとスラヴ』中央公論社、1998年、p.58
  2. ^ a b c 根津由喜夫『ビザンツの国家と社会』山川出版社、2008年、pp.26-27

参照資料

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ソース

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