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NSR500(エヌエスアールごひゃく)は、ホンダ・レーシング(HRC)が開発した、2ストローク500ccV型4気筒エンジンを搭載した競技専用のオートバイである。

概要

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Honda NSR500 1995

1984200219HRC(WGP)NSRNewSprint-racer of ResearchHRCNV0()01NV4()(EF)NSR50084NV0A85NV0B86NV0C87NSR500NV0D89NSRNV0H90NSR50090NV0H8990NV0O()NV0I()I100NV0Z

NSR500150ps190ps500cc1992()[1]GP

4気筒化でパワーのホンダへ

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3気筒のNS500

19832V3NS500V4YZR500

1983YZR500NS500NSR500

歴史

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1984 - 1986年

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NSR500(TYPE-1)

約1年間の開発期間を経て登場した1984年モデルのTYPE-1は、通常はエンジンの真上にある燃料タンクがエンジン下にマウントされ、排気管をエンジンの上に通すという、独創的なレイアウトを採用。重い燃料タンクを車体下部に置いて重心を下げ、燃料の減少による操縦性の変化を抑えようという狙いがあったが、TYPE-1ではエンジン下の燃料タンク内に仕切り板を設けるなど前輪分布荷重を最後まで乱さない工夫をしていたが、それでもトランスアトランティックカップでのスペンサーの転倒でも判るように実際にはレース終盤になると前輪分布荷重が減り、相対的に後輪荷重が大きくなるという悪癖に悩まされ続けた。また、この特徴的なレイアウトによる熱害によるキャブレーション問題と、異常なほどの整備性の悪さも重なり、具体的には燃焼ガスによって高温に熱せられる排気チャンバーが吸気を熱してしまうというものだった。このキャブレーション問題をさらに詳しく言えば、ベルギーのスパ(第9戦)やオーストリアのザルツブルクリンク(第6戦)、ドイツのニュルブルクリンク(第5戦)などの標高の高いサーキットでは空気中の酸素濃度も薄くなるため熱害がさらに深刻になりプラグのカブりも酷くなって本来のパワーが出せないというものだった。また、整備性の問題はもっと酷く、通常であればエンジン上部にある燃料タンクを取り外せばアクセスできるエンジン周りが、排気チャンバーを外さないと整備やセッティング変更ができず、走行直後では、排気チャンバーは排気熱で非常に高温になっており、外すことも困難だったため、キャブレターのジェット変更やプラグ交換、プラグの焼け具合のチェックにすら苦難が伴ったというメンテナンス性の低さ等により、TYPE-1の独創的レイアウトは永く採用されなかった。翌1985年型のTYPE-2以降は燃料タンクがエンジンの上に、そして排気チャンバーはエンジン下を通る一般的なレイアウトに戻され、心臓部の2ストローク500ccエンジンは、1984年から1986年までシリンダー挟み角90度のV4エンジンで排気チャンバーは前方に伸びるレイアウトで、キャブレターは後方2気筒の背後に位置しており、1987年型のTYPE-D以降2002年の最終型まで挟み角112度のV4エンジンで排気チャンバーは前2気筒が前方、後2気筒が後方に伸び、キャブレターはVバンク内に位置するレイアウトとなった。ともに1軸クランクシャフトを採用。当初90度の挟み角で向かい合うシリンダーの間にキャブレターを配置する空間が取れず、後方2気筒の後ろにキャブレターを配置していた為、後方2気筒の排気ポートを前方に向けて取り回すより他はなく、排気チャンバーがエンジンの下側で複雑に絡み合う状態となっていた。

1987 - 1991年

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NSR500のエンジン

1987NS5001122

1988901989180使2HRC[2]

19912000

1992 - 2002年

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19921990NSR

1997NSR19891219982002

1999退20011120024990ccV5RC211V

レース戦績

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主なライダー

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画像

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脚注

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  1. ^ 2st最後の技術革新は4st化だった-ビッグバンエンジンと同爆-|バイク豆知識”. https://bike-lineage.org. 2019年3月9日閲覧。
  2. ^ 『Honda Motorcycle Racing Legend vol.2』(八重洲出版) ISBN 978-4-86144-091-5

関連項目

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