マリアの宣教者フランシスコ修道会
設立
編集列福・列聖者
編集
●1900年の清国における義和団事件で7人の修道女が殉教し、多数の清国の殉教者とともに修道女たち全員も列聖された︵中国百二十聖人︶。
●創立者のマリー・ド・ラ・パシオンは1904年に死去し、2002年に列福された。
●清国に派遣された修道女マリア・アスンタは派遣後1年の1905年に病死した。その死の直前から良い香り漂うなど超自然現象が起こり、1954年に列福された[1]。
日本国内での活動
編集1898年(明治31年)10月、熊本県熊本市西区の私設ハンセン病療養所「待労院」および同一敷地内に開業した「慈恵診療所」の設立に、当修道会の修道女5人が関わっていた。なお慈恵診療所はのちに慈恵病院に発展し「こうのとりのゆりかご」を設置したことで知られている。
詳細は「聖母会」を参照
修道会が設置する組織・施設
編集創立に関わった組織・施設
編集- 待労院(現在の熊本県熊本市西区)
- 慈恵病院(熊本県熊本市西区)
- 学校法人宇都宮海星学園
- 学校法人海星女子学院
- 学校法人福岡海星女子学院
- 学校法人聖母学園
- 聖母大学 - 現在は上智大学総合人間科学部看護学科・総合人間科学研究科看護専攻