中江要介
人物
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1922年︵大正11年︶、大阪府生まれ。北野中学校、旧制第三高等学校、京都大学法学部卒業[1]。チャイナ・スクールと誤解されることが多いが、実際はフランス語研修を受けたフレンチ・スクールで、条約局と国連外交が長い。
若い頃は演劇青年で学徒動員の経験をもち、﹁霞完︵かすみ かん︶﹂のペンネームでバレエの台本を執筆しており、﹃いのち﹄は東京とベオグラードにおいて、﹃動と静﹄は東京とカイロにおいて、﹃蕩々たる一衣帯水﹄は東京と北京において、それぞれ上演された[1]。著書に﹃中国の行方-残された社会主義大国﹄﹃日中外交の証言﹄、自伝的なエッセイ集として﹃らしくない大使のお話﹄があり、みずからの人生を振り返りつつ、数々の外交秘話を紹介している[1]。
2014年3月6日、老衰のため死去。91歳没。
靖国参拝を巡る逸話
編集経歴
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●1947年京都大学法学部卒、外務省入省。
●1952年5月 在フランス大使館
●1954年8月 条約局
●1958年11月 在ブラジル大使館
●1961年8月 国連代表部
●1964年5月 条約局法規課長
●1967年8月 在ヴェトナム大使館公使
●1969年5月 在フランス大使館公使︵ユネスコ常駐代表︶
●1971年8月 アジア局外務参事官
●1974年3月 アジア局次長
●1975年9月 アジア局長
●1978年11月 駐ユーゴスラヴィア特命全権大使
●1982年7月 駐エジプト特命全権大使︵南イエメン兼轄︶
●1984年6月 駐中華人民共和国特命全権大使
●1987年10月 原子力委員会委員
●2014年3月6日 老衰のため死去[4][5]。91歳没。没後、従三位に追叙された[6]。
●その他、三菱重工業株式会社社長室顧問、社団法人日中友好協会副会長、日本日中関係学会会長なども歴任。
著書
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●﹃中国の行方―残された社会主義大国 明日の日中関係が世界の潮流を変える﹄KKベストセラーズ 、1991年9月。ISBN 4584181209
●﹃らしくない大使のお話﹄読売新聞社、1993年2月。ISBN 4-643-93007-1
●﹃アジア人の戦後50年―共通認識を求めて﹄亜細亜大学アジア研究所、1996年5月。ISBN 4900521108
●﹃日中外交の証言﹄蒼天社出版、2008年3月。ISBN 4901916238
脚注
編集- ^ a b c 中江(1993)
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2013年8月17日). “【靖国考】(下)首相が堂々参れる日いつ? いまだ残る「熱狂と偏見」”. 産経ニュース. 2021年8月20日閲覧。
- ^ 第147回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第5号 平成12年4月12日
- ^ 中江要介氏が死去 元駐中国大使 日本経済新聞 2014年3月7日
- ^ (日本語) “中江要介氏死去(元中国大使)”. 時事ドットコム (2014年3月7日). 2014年3月10日閲覧。
- ^ 『官報』第6269号(平成26年4月14日付)8頁
参考文献
編集- 中江要介『らしくない大使のお話』読売新聞社、1993年2月。ISBN 4-643-93007-1。