輿5
畿内5か国

解題

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輿[1]19173414172952021[2]

[3]61[1][2][3]沿

[1][2]稿稿[2][2][3]

編纂史

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前史

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1688 - 17031716 - 17351718[4]

17[5]2︿1674[5]1673 - 16811683[6][7][7]︿1681鹿[7][8]

[9][10]179160415163816449169621831[11]91696[12][13][14][15][16]

[15][17]1609[18][18][19][17]17[20]1718[21]

18世紀初頭日本における地誌編纂の思想

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17182[22]

141729調1006︿1666[9][13][9]

[9][8][21]1718[9]

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徳川吉宗政権の文化政策

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[22][27][28]

201735調調[29][30]2︿174520調[29][31]

[32]61721101725131728[33]調51720[34]31753[35]調[36][37][36][38][39][40][36][39]

編纂と板行

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稿[41]1417293稿12調調[42]調420[43]調調[44]調161731[45]調20[46]

318173319173435710[47]調1417292017353[48]71722720調[49][50]201735調[31]

211736稿[49]

『五畿内志』の思想と影響

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輿輿 2 6︿16661718[51]輿5[52][53]

17181718使[54][55][56]便[57][58][50]

研究史

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1903[59]1936[60]1932[61][62]1920[63]1985[64]

[65][66]19[67][68]197019801990[69][70]1718[71][46][72]

書誌

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  • 版元 - 松村九兵衛(大坂)、茨城多佐衛門(京都)、小川彦九郎(江戸)[73]
  • 刊行年 - 享保20年から21年
  • 全61巻
    • 巻一から巻十 - 山城
    • 巻十一から巻二十六 - 大和
    • 巻二十七から巻四十三 - 河内
    • 巻四十四から巻四十八 - 和泉
    • 巻四十九から巻六十一 - 摂津

活字本・翻刻

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  • 並河 永、正宗 敦夫編纂・校訂、1929-1930、『五畿内志』(上・中・下)、日本古典全集刊行会 → 1978、現代思潮社(覆刻 日本古典全集)
  • 蘆田 伊人編、1929、『大日本地誌大系 第18巻』、雄山閣

脚注

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(一)^ abc西[1956]

(二)^ abcde[1985]

(三)^ abc[1993]

(四)^ [2004: 65]

(五)^ ab[1982: 46]

(六)^ [1994: 5]

(七)^ abc[1982: 47]

(八)^ ab[1982]

(九)^ abcde[2004: 67]

(十)^ [1999: 153]

(11)^ [1999: 168]

(12)^ [1999: 190-191]

(13)^ ab[1999: 168-195]

(14)^ [1999: 191-192]

(15)^ ab[1999: 192-193]

(16)^ [1999: 270-271](1)(2)(3)(4)[ 1999: 261-262](1)[ 1999: 284-285][ 1999: 262]

(17)^ ab[1990: 226]

(18)^ ab[1990]

(19)^ [1999: 194]

(20)^ [1994][1999: 192-193194]

(21)^ ab[1994]

(22)^ ab[2004: 65]

(23)^ [2004: 67-68]

(24)^ ab[2004: 68]

(25)^ [1985]

(26)^ [2004: 69]

(27)^ [2001 :68-69]

(28)^ [2001: 68-75]

(29)^ ab[2004: 73]

(30)^ [1997: 102][2004: 72-73]

(31)^ ab[1997: 103]

(32)^   [1977]   [1984]

(33)^ [2004: 74]

(34)^ [2001: 159]

(35)^ [2001: 166-169]

(36)^ abc[2004: 78]

(37)^ [2001: 74]

(38)^ [2004: 78]

(39)^ ab[1997: 102]

(40)^ [2001: 159-180]

(41)^ [2004: 79]

(42)^ [2004: 80]

(43)^ [2004: 81-82]

(44)^ [2004: 71-72]

(45)^ [2004: 86]

(46)^ ab[2000]

(47)^ [2004: 88]

(48)^ [2004: 90]

(49)^ ab[2004: 92]

(50)^ ab[2004: 95]

(51)^ [2004: 60]

(52)^ [1997: 101]

(53)^ [2004: 93]

(54)^ [2004: 94]

(55)^ [2004: 97]

(56)^ [2004: 96-97]

(57)^ [2004: 97]西[1956][1985]

(58)^ [2004: 89]

(59)^ [1972]

(60)^ [1936]

(61)^ [1932]

(62)^ [1997: 99]

(63)^ 

(64)^ [1998]

(65)^   [1976]︿ 2 [1990]28

(66)^  1989 ISBN 4-6420-6538-5

(67)^ [1997: 100]

(68)^ [2004: 4]

(69)^ [1999: 154-155]

(70)^ [2004: 64][1990][1999]

(71)^ [1997][2004]

(72)^ [1997: 99-100][2004: 64]

(73)^ [1985]

文献

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参考文献

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  • 井上 智勝、2000、「並河誠所の式内社顕彰と地域 - 摂津国式内社号漂石の建立を中心に」、『大阪市立博物館研究紀要』32巻、大阪市立博物館、NAID 110007809184 pp. 1-13
  • 大石 学、2001、『吉宗と享保の改革』、東京堂出版 ISBN 4-4902-0427-2
  • 紙屋 敦之、1990、『幕藩制国家の琉球支配』、校倉書房〈歴史科学叢書〉 ISBN 4-751-71990-4
  • 川村 博忠、1990、『国絵図』、吉川弘文館〈日本歴史叢書〉 ISBN 4-642-06646-2
  • 白井 哲哉、1997、「近世政治権力と地誌編纂」、『歴史学研究』703巻、青木書店、NAID 40003814153 pp. 99-106
  • —、2004、『日本近世地誌編纂史研究』、思文閣〈思文閣史学叢書〉 ISBN 4-7842-1180-2
  • 杉本 史子、1999、『領域支配の展開と近世』、山川出版社 ISBN 4-634-52030-3
  • 高埜 利彦、1994、「一八世紀前半の日本 - 泰平のなかの転換」、『近世3』、岩波書店〈岩波講座日本通史13〉 ISBN 4-00-010563-9
  • 谷沢 修、1985、「畿内国風土記の成立 - 逸文群の年代観を中心とした『諸国風土記成立に関する研究』の序章」、『駿台史学』(64)、NAID 40002010329 pp. 95-148
  • 塚本 学、1982、「綱吉政権の歴史的位置をめぐって」、『日本史研究』236巻(1982.4)、NAID 40002929542 pp. 38-56
  • 西村 睦男、1956、「五畿内志」、河出書房(編)『日本歴史大辞典4』、河出書房 p. 466
  • 藤本 篤、1985、「五畿内志」、国史大辞典編集委員会編(編)『国史大辞典5』、吉川弘文館 ISBN 4-642-00505-6 pp. p.602
  • 和田 萃、1993、「五畿内志」、『日本史大事典3』、平凡社 ISBN 4-582-13103-4 p. 202

関連文献

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  • 幸田 成友、1972、『幸田成友著作集』6、中央公論
  • 高橋 敏、1998、『民衆と豪農 - 幕末明治の村落社会』、未來社 ISBN 4-6241-1088-9
  • 室賀 信夫、1936、「並河誠所の五畿内志に就いて」、『史林』21巻3・4号、京都帝国大学文学部
  • 阿部 真琴、1932、「江戸時代の地理学」、『歴史地理』60巻5・6号
  • 田代 善吉、1920、「並河五一翁墓及び伝記」、『歴史地理』36巻6号

関連項目

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  • 椿井文書 - 偽文書として知られる椿井文書は、1800年前後の畿内で影響力のあった五畿内志の典拠であると錯覚させるような形式をとって作成された。

外部リンク

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