他界
死亡した人の魂が行くとされる場所
概要
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人は死んだら他の世界に行くという思想は多くの民族に見られる。黄泉、極楽浄土、天国︵あるいは地獄︶、死者の国など、その呼び方は地域や宗教によって多くの種類がある。ヨーロッパの神話、伝説でも冥界、冥府、黄泉の国という考え方は古くからあり、ギリシア神話でもゼウスとその兄弟たちが巨人族との戦いで勝利した後、その支配する世界は、天上界、海、冥府と3分され、冥府はハーデースが支配することになった。これは、地下の世界と考えられている。北欧神話でも、ヴァルハラとして登場する。これは戦場で名誉ある死を遂げたものが招かれる場所である。これらに共通しているのは、場所を具体的な﹁国﹂として認識している点で、自分の属する﹁国﹂と死者が属される﹁国﹂に境界線をはっきりと引いている。このような類似性を説明するものとして、ユング心理学で人類は深層心理で集合的無意識を共有しており、共通した元型として表出されているとする説がある。
山上他界
編集海上他界
編集地中他界
編集巨獣内他界
編集他界への旅立ち
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他界へ旅立つ際には、境界としてステュクス川などの川またはその川に架かる橋や門といった象徴が世界中でよく用いられる。
死者の魂を他界へと運ぶとされるものとして、馬や鳥、船といったものがある。馬は、ケルト神話の死の女神エポナなどが有名であり、ヨーロッパで信仰が衰えた後も、ケルピーといった命を奪う妖精伝承の形で残っていると考えられる。鳥は、葬儀に鳥葬といった形式があり、また霊魂の表象として広く用いられる。船は、上述のような境界となる川を渡すものである他、船葬墓としてヴァイキングなどの風習が知られている。副葬品としての船も各地で見られるものである。
昔話研究者として知られるウラジーミル・プロップは、多くの昔話において上記の三つが主人公の移動手段として典型的であり、他界への旅との関連性を指摘している。
別例として、アフリカのズール族の場合、男がヤマアラシの後をつけて一昼夜旅をしたところで一つの村にたどりつき、そこで見た光景は、釜炊く火の煙、人々が忙しく動き回り、犬は鳴き、子供達は騒がしくわめき、山・崖・河のたたずまいも地上の世界と少しも変わらなかったが、﹁近づいてよく見たいところだが、捕まったら命がない﹂と思い、大急ぎで駆け戻ってみると、地上では自分の葬儀が行われていたという話が伝えられている[1]。
他界へ行く生者の物語
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旅立つ先は主に死後の世界であるが、文学では生者が他界へと行って戻って来るという神話、説話が見られる。日本でいえば、イザナギがイザナミを連れ帰るために、黄泉の国へ行って帰ってくる﹃古事記﹄の話が有名である。
アイヌにも同様の口承文学はみられ、沙流郡平取町のアイヌ・カレピアが伝えた話として、ある酋長夫婦が和人の国へ交易へ出かけた帰りに遭遇したこととして、つたいづたいで海岸に泊まりながら移動し、ある崖山の浜に舟を置き、一休みしていると、大津波が寄せて来た。妻の手をとり、崖を上って避難する中、洞窟があり、逃げ込むとその奥は明るく︵洞窟の外は夜︶綺麗な村があった。村人に話すと、ここが死者の国であり、ここの食物を口にすると人間界に帰れないことを説明された。また死者の国だが、クマもシカもいるため、狩りで食べていける上、生前使っていた道具ももっていけるといわれた。そのため、何も食べず、急いで帰るようにと死者の忠告を受け、あそこは悪魔が住んでいる浜辺で、津波も悪魔が見せた幻であるから、舟も無事であると説明を受ける。帰りの途中、見知った老人と見知らぬ老人とすれ違うが、2人ともこちらの姿は見えない様子だった。夫婦はそのまま舟で生まれた村に帰った[2]。
また、この文学的な描写は、20世紀のファンタジー文学の名作﹃指輪物語﹄、﹃ナルニア国物語﹄に見られる。現実での例は滅多になく、その少数が臨死体験などに見られる。その際、前述のような象徴を見聞きする体験を伴い、死後の世界の証明だと主張されることもあるが科学的検証の裏付けはない。