修行
人間的な欲望から解放され絶対的幸福を追求すること
修行(しゅぎょう、異音:すぎょう)は、仏教における精神の鍛錬に関する用語の一つ。
仏教用語 修行 | |
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パーリ語 | Sādhanā |
サンスクリット語 | साधना |
チベット語 | སྒྲུབ་ཐབས |
中国語 | 修行 |
日本語 |
修行 (ローマ字: shu-gyo) |
英語 | spiritual exercise |
タイ語 | ฝึกฝน |
概説
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仏典の中では、特に﹁修行﹂と呼ぶことは少なく、﹁行︵ぎょう, carita︶﹂とのみ呼ぶ[1]ことが多い。
特に厳しく苦しい修行は苦行︵くぎょう︶と称される。また、特別重要で中心的な修行を指して正行︵しょうぎょう︶と呼び、補助的な修行を助行︵じょぎょう︶と呼ぶこともある。
修行を行う僧を日本では行者︵ぎょうじゃ︶、あるいは、修行僧︵しゅぎょうそう︶と呼び、同じく、修験者︵修験道の修行者︶をも行者と呼ぶ。また、その他の宗教の修行者も行者の名で呼ばれる場合がある︵例‥ヨーガの行者︶。
修行においては、怒り・怨み・妬み・憎悪といった否定的感情も破棄しなければならない。
﹁額に汗をかかなければ無理である﹂という意見もある[要出典]一方、﹁額に汗をかく必要がない修行もある﹂という意見もある[要出典]。
修業との混同
編集派生的用法
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上述した混同の問題とも多分に関連するが、本来の用法・用語から逸脱あるいは派生した用法に、次のようなものがある。
なお、特筆しない限りは日本語での用法である。
体を使った訓練・鍛錬を指して言う
編集創作的用法
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この分野では、例えば、正しく修験道の修行者︵修験者︶でもある忍者の訓練などに、それらの精神面を主体と見なす感覚から、﹁修業﹂ではなく﹁修行﹂の字が選ばれて表現される場合もある。その用法の言語的正否は別の問題として、多くは、混同ではなくよく知った上での使用であろうと思われ、その意味で他とは異なる。