及川源七
日本の陸軍軍人
及川 源七(おいかわ げんしち、1889年(明治22年)12月15日[1][2] - 1972年(昭和47年)4月30日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
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東京府出身[1][2][3]。仙台陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校を経て、1911年︵明治44年︶5月、陸軍士官学校︵23期︶を卒業[1][2][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第4連隊付となる[1][4]。1920年︵大正9年︶11月、陸軍大学校︵32期︶を卒業した[1][2][3]。
1921年︵大正10年︶4月、歩兵大尉に昇進し参謀本部付勤務となる[1]。以後、参謀本部員、参謀本部付︵支那研究員︶、歩兵第26連隊付、歩兵第47連隊付、近衛歩兵第1連隊付、陸軍省人事局課員︵恩賞課︶などを務め、1934年︵昭和9年︶8月、歩兵大佐に昇進し歩兵第33連隊長に就任[1][3]。
1936年︵昭和11年︶8月、人事局恩賞課長に転任[1][3]。1938年︵昭和13年︶7月、陸軍少将に昇進し歩兵第9旅団長に発令され日中戦争に出征[1][2][3]。広東作戦、南寧作戦などに参戦した[2]。1940年︵昭和15年︶4月、興亜院華中連絡部次長に転じ、1941年︵昭和16年︶3月、陸軍中将に進んだ[1][2][3]。興亜院総務長官心得兼政務部長を経て、1942年︵昭和17年︶11月、第23師団長に親補され満州に駐屯[1][2][3]。1944年︵昭和19年︶1月、参謀本部付となり、同年3月、予備役に編入された[1][2][2]。
1947年︵昭和22年︶11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
栄典
編集著作
編集- 『趣味の日清日露戦史』江戸書院、1926年。
脚注
編集参考文献
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●秦郁彦編﹃日本陸海軍総合事典﹄第2版、東京大学出版会、2005年。
●福川秀樹﹃日本陸軍将官辞典﹄芙蓉書房出版、2001年。
●外山操編﹃陸海軍将官人事総覧 陸軍篇﹄芙蓉書房出版、1981年。