吉岡善四郎
吉岡 善四郎(よしおか ぜんしろう、1892年(明治25年)1月16日[1] - 1967年(昭和42年)8月26日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
吉岡 善四郎 | |
---|---|
生誕 |
1892年1月16日![]() |
死没 | 1967年8月26日(75歳没) |
所属組織 |
![]() |
軍歴 | 1912年 - 1945年 |
最終階級 |
![]() |
経歴
編集
1892年︵明治25年︶に宮城県で生まれた[1]。陸軍士官学校第24期卒業[1]。1937年︵昭和12年︶10月に工兵第26連隊長︵駐蒙軍・第26師団︶に就任し[2]、日中戦争に出動[1]。後套進攻作戦などに参加した[1]。1938年︵昭和13年︶3月に陸軍工兵大佐に進級し[2]、1940年︵昭和15年︶8月に陸軍工兵学校幹事に就任した[2]。
1941年︵昭和16年︶10月15日に陸軍少将に進級し[2]、12月1日に陸軍工兵学校長に着任[1]。1943年︵昭和18年︶3月1日に第11工兵隊司令官︵第11軍︶に転じ[1]、6月10日に駐蒙軍築城部長を経て[1]、1944年︵昭和19年︶3月11日に陸軍工兵学校長に再任された[1]。11月12日に工兵監兼大本営陸軍幕僚附に就任し[3]、1945年︵昭和20年︶4月30日に陸軍中将に進級した[2]。
1947年︵昭和22年︶11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。